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僕の外遊、あるいは漂流・1

帝国から外に出ます。遠出の予定です。

「お前が行くと言うなら、認めざるを得んか……だが、できる限りの用心はするのだぞ。相手は先の大聖に毒を盛ったとされる卑怯なやつだ。用心しすぎると言う事は有るまいよ」


 父上は、僕の大本山行きに反対だった。大宰相が出向いて息子に会えば良いのではないかとも言った。それならば事は荒立たないだろうが、ヨハンは戻れないだろう。


「まさかとは思うが……大宰相の息子は身代わりで、ネスの目当てはグスタフ、お前自身だと言う話もある。その噂、知っているか?」

「うっかり僕をそうした対象として見ている奴の妄想を覗いてしまいまして、吐き気を催した事が有ります」

「そうか。許せんな」

「ええ。許せません」


 ヨハンを『愛している』訳でもないのなら、ますます許せない。ふざけた奴だ。


 ユリエは僕に着いて行くと決めていた。男の身なりで供の中に入れろと言う。

「今回の戴冠式は、きっと何事か怪しからぬ出来事が有ると思われてなりません」

 ユリエは解毒のためのミズホ式のやり方に熟達していたし、教会の連中が恐らくは知らない体術や縄抜けなども巧みだった。

「女しか出入りできない修道女のための場所にも、私なら出入りできます」

「でも、男しか出入りできない場所の方が多いよ」

「そこはばれないように、上手くやります」

 心強い反面、危険にさらす格好になりそうで、僕は当初は反対だった。ユリエは大抵の事は、僕の命令に従順に従うが、僕が危険にさらされそうな事情が有る場合は、決して引き下がらない。主張が受け入れられるまで粘るのは明らかだった。しかも父親の家康師匠も、ユリエを供の中に入れるように強く勧めた。そこで僕もついに折れ、渋々提案を受け入れたのだった。


 セルマはリョウタとラウル・ヤイレを預かると請け合った。自分の腹を痛めたルイサは彼らの『妹』になるわけだ。三人の仲は母親同士の思慮深さも有って極めて良好で、幼いルイサは『お兄様たち』が大好きだった。

 父上との男女の仲は今はもう途絶えた形のセルマの母・グラーン侯爵夫人は、強固な城砦を思わせる女子修道院を作った。彼女の隠居所であり、社会奉仕を行う司令塔でもあり、彼女の庇護を願う人々を守る基地でもあった。その修道院内部の住居に、セルマは子供たちと共にしばらく移り住む事にしたのだ。

「セルマと三人のお子様方の安全は、私が請け合います」

 グラーン侯爵夫人は力強い調子で請け合った。かつて森の魔女と言われた美女は、百戦錬磨の政治家に変化していて、体型の方もドッシリ落ち着いた。それでも、同年輩の女性よりはるかに美しいが。

 どうやら侯爵夫人は、リョウタとラウル・ヤイレを「将来、非常に楽しみな方々」と高く評価してくれているようなのだった。正妻の息子である僕との続き柄を考えると、奇妙と言えば奇妙だが、侯爵夫人のブレーンには軍事や外交の専門家まで居るので、母上の所よりずっと心強いのだった。


 僕の供はずっと護衛の任についているサウリを中心に少数精鋭主義で決めた。そして全員に解毒の心得と縄抜けをトレーニングさせた。これが後に思いがけない効果を上げた。

 ミッケリまでは船で、そこから先は騎馬で大本山に入った。

 即位式の会場で、各国の来賓中第一席の扱いで僕の席は設けられた。つまり、ネスの玉座から一番近いわけだ。来賓の供は二人までで、帯剣はしないという習わしのため、僕も供のサウリと男装したユリエも、見た目上は剣を持たない格好で、薄手で高性能のボディアーマーを着こんでいた。金属探知機が有るでもなく、あからさまな身体検査も無いのだ。小さな刃物を仕込むことぐらいは出来た。


 式典の開始が厳かに告げられると、十二人の従者によって担がれた豪華なというか装飾過多の輿に乗ったネスの奴が会場の大聖堂に入場する。同時に美しいボーイソプラノの歌声が響き、僕はその声の持ち主に目が行った。

 なんとヨハンだ。

 歌詞の内容は神の恩寵を伝える大天使の祝福だった。その祝福の言葉が終わるとあとを追いかけるように二人の少年の声が入り、更に荘重な調子の男声合唱団が入る。

 ネスの奴が輿を降りて、玉座に登る頃は再びヨハンの独唱部分で、玉座の前で姿勢を正して立った瞬間、大合唱となる。音楽を使って随分と劇的な演出をしているわけだ。

 奴が手で合図すると、楽曲が止み、ネスの奴の説教が始まった。

「唯一絶対の正しき御教えの司、正しき教会の導き手として、あまたの殉教者の崇高なる魂と我が魂を一つにし、『汝も完全たれ』と言う真の神の御言葉に応えるべく、心から祈り、すべてをささげます」

  

 ケッ、やけに声の調子は荘重で、もっともらしい。

 いきなり、ドヤドヤと言う足音が響き、弓がネスめがけて二、三十本も放たれた。怒号と悲鳴が響き、来賓たちは身構え、あるいは会場から我先に逃げ出そうとしている。団子状態だ。


「兄上、こっちです」

 ヨハンが合唱隊のボックス席から抜け出して来たのだった。

「何がどうなっているんだ、ヨハン」

「ミッケリの連中ですが、そう長くはもたない。説明は後で。まず逃げましょう」


 ヨハンの後について、僕とユリエとサウリは迷路状の巨大回廊を駆け下り、地下らしき階層に出て、石造りの倉庫か武器庫のような場所を抜けると、厩に出た。そこで勝手に馬を失敬する。どれも駿馬ぞろいだ。後は一路、ミッケリまで飛ばし、無事にユリエの父親である家康師匠が経営している商会の支店に到着したのだったが……


「なあ、ヨハン、何が一体どうなったんだ? ミッケリ派はネス派を制圧しようとしているのか?」

「前の猊下が、毒殺されたって事は御存知ですか?」

「ああ。噂だけな。教会内部の事は派閥によって言う事が違ったりするんで、外部の僕らには、何が本当か実は良くわからなかったりする」

「毒を盛られて、かなり長い間持ちこたえたんですが、意識がどの程度回復していらしたかは、僕は知りません。ただ、わかっているのはミッケリ派がネスに報復しようとしていた事と、スコウホイの連中の中には過激な連中がいて武力行使をもくろんでいた事、ミッケリに住んでいるスコウホイ出身の商人がその両方の仲立ちをした事、かな」

「ネス派の制圧までは、無理か?」

「僕はネスが大嫌いだけど、心服している奴もいるし、難しい様な気がする……」

「それにしたって、どうやって反ネス派の情報を仕入れていたんだ?」

「ネスの思いつきで僕が放り込まれた合唱団が、実はミッケリ派の巣窟だったんです。ネスの周りはおべんちゃらを言う奴ばっかりだから、案外詰めが甘いんですよ。合唱団の音楽監督が実は昔、弟を酷い目にあわされたって人で、ネスに対する復讐の機会を狙っていたんですね。特に少年合唱団のメンバーは多かれ少なかれ、僕と似たり寄ったりの境遇の連中で、みんなネスの手を逃れて、故郷に戻りたがってました」


 身を寄せた支店の責任者は、かつて六歳の夏を一緒に過ごしたユリエの従兄弟の衛門だった。随分オッサン臭くなっていて、ユリエに言われるまで僕は気が付かなかったのだが。だが、なんだか知っている人だと思うと心強い。


 衛門とも話し合ったが、ネス派の完全制圧は恐らく無理だと言う事のようだ。ネスは怪我をしたようだが、どうやら助かったらしい。腹心の修道院長が管理する修道院に逃げ込んだと言う。僕が残してきてしまった連中は「何か有ったら、ミッケリに戻り、帝国の大使館公邸で待て」という指示通り、戻ったようだ。大本山との通路は閉鎖されていなかった。ネス派も反ネス派も、通路の封鎖が自力で出来る状態じゃ無いらしい。


「各国の賓客や使節たちの動向は?」

「皆、ミッケリまで戻り、自国の大使館や商館に入って様子見ですね。事態を本国に報告しているって所でしょう」 

「僕は……兄上と僕はさっさとミッケリを出た方が良いんじゃないかと思います」

「そりゃあ、またなぜ?」

「ミッケリの商人も一枚岩じゃなくて、誰がネスと通じているのかわからないけれど、通じている奴がいるのは確かです。そいつらにここを感づかれたら、厄介かな。兄上がミズホの商人と特別な関係だっていうのは、大本山では結構知られた話みたいなんで……」

「なるほど。ヨハン様のおっしゃる事も一理有りますな。ミズホの商品を扱う商会など、そう多くないですし、ミズホの血を受けた商人がいる店となると、ここぐらいですからねえ。ネスが生きているなら、大本山の内部を完全に掌握しなおすかもしれない。そうなれば、ここは危ないでしょう」


 ミッケリと大本山は、馬で半日程度の距離だ。うかうかしておられないかもしれない。


「なあ、衛門、ミッケリを脱出できそうな手立てはないか?」

 ミッケリでは珍しいという、強い風が町中を吹き荒れている。船は欠航が多いだろう。困った。

「風向きから言ってトリアへの直行便はまず無理ですが、スコウホイ公爵領内の北の果ての港・ラナに向かう船なら今夜すぐに出ます。ラナは、スコウホイ公爵がお住まいのサルテンまで馬でも三日ががりの距離で、不便な所ですが、大本山に反発している住民ばかりで、ネスの手下が活動している気遣いはまず無いです。お供の方全員は無理ですが、あと五、六人なら乗せてもらえるでしょう。ただ……」

「ただ?」

「今の時期は特に流氷が怖いんです。船長は名人ですが、事故が皆無だったと言う訳じゃ有りません。船長の所為と言うより、氷の魔物の所為なんですけどね」

「氷の魔物?」

「ええ。北の果ての白い狼です。何でも探し物をしているとかで、人間の乗る船を流氷を使って止めてしまうんです。狼の機嫌が良ければ、船は無事ですが、機嫌を損ねると沈められるそうです」

「何を探しているんだ?」

「人間の世界にいるはずの兄弟だとか。私は見た事は無いですが、真っ白い狼で、人間の言葉を話すそうです。極北の地に住む連中が生き神様として拝んでいる、そりゃあ綺麗な狼らしいですよ」


 白い狼の噂がミッケリで有名になったのは、ここ二、三年の事なのだそうだ。


 以前聞かせて頂いた父上のお話からすると、白い狼の探している兄弟は、僕かも知れない。その話をして有るのはユリエだけだ。ユリエも僕と同じ事を思ったのだろう。


「白い狼は兄弟を探して、どうしようと言うのかしら?」

「大切な伝言が有る……らしいよ。噂だけどさ」

 衛門自身が白い狼を見た訳でも無いから、どうしても不確かな話になる。 

「狼に遭遇して、怒らせないためにはどうすれば良いの?」

「真面目に正直に受け答えすれば良いらしい。嘘を言うとすぐにバレるんだそうだ。魔物呼ばわりして攻撃すると、船が流氷で壊されてしまって沈むそうだ」


 衛門は「船長は腕も良いし正直者だから心配してませんが、一番心配なのは、殿下とヨハン様が荒波に耐えられるかどうかです」と言った。吠える様な海鳴りと凄まじい荒波が続く一帯を抜ける必要が有るらしい。

「別に悪い事ばっかりでもないんですけどね。荒波と海鳴りは『ラナの護り』なんていう言い方もするんですよ。ミッケリ辺りで一般的な軍船では、絶対に乗り越えられないんです。つまり、攻め込まれないって訳でして」


 ミッケリと帝国の首都トリアの間の定期航路は乗船人員も多い。この海域は今日の様な大風が吹くことは稀で、温和な気候だから風以外の動力を必要としており、両舷の櫂を人力によってこぐ地球で言う所のガレー船に近いタイプが主流だ。従来はどこの国でも罪人や奴隷を漕ぎ手としてきたが、僕が摂政になってから、帝国に於いては漕ぎ手は原則自由民で給金を払う事にした。更には漕ぎ手一人一人に積載スペースを割り当てて、個人的な交易を行う事を許した。確か地球でそんな制度が有ったはずだ、と思いだしたのだ。

 この事で、トリアの経済は活性化したし、漕ぎ手を志願したものが「一山あてて」新たな資本家に育つという現象も出てきた。


「ですが、ラナ周辺の海域は大きく事情が違います」


 衛門の話からすると、極北に近い海域では、逆風も利用できるタイプの幾つもの三角帆を張った船が主流であるようだ。ミッケリやトリア周辺の船乗りには複雑な帆の操作は出来ないと言う。強固な竜骨と流氷対策用に強化した船底が不可欠だそうだ。乗員はせいぜい五、六人で後は荷物を運ぶという具合の船が主流らしい。酷い船酔いを覚悟するから乗せてもらう事になった船を見ると、地球で言えばナンセンが探検に使ったフラム号程度の船という感じを受けた。僕ら四人を乗せるために「もうけをフイ」にさせる恰好なので、船賃は相場の五倍払った。うまく運んでくれたら、ラナで必ず何らかの褒美を出す事を、僕は請け合った。

「うちの旦那様にとって大切な方たちだ。帝国の御身分ある方たちだから、くれぐれも宜しくな」

 衛門の言葉で、白髪で白ひげの船長は察しを付けたらしい。

「どこの誰だってかまやしねえよ。イエンス・レーゼイにとって大切って言うなら、このハルドル様にとって身内同然て事さね」

 ハルドル船長は家康師匠に大変な恩を受けたのだそうな。口調は粗野だが、気分は良い男のようだ。

「船員は俺を含めて五人だ。一人、ラナで暮らす病気のお袋さんの様子が心配で、乗せてくれって言う奴がいる。そのお袋さんは俺のハトコだから、嘘言ってるわけでもねえと思うぜ。おい、エギル、挨拶しな」


 船員五人は屈強な男たちだったが、正直者で腹は綺麗な連中に思われた。エギルという灰色の髪と眼の気弱そうな少年が何かをしでかすとも、思えなかった。


 ラナは帝国でも最北限のエリアの不凍港だ。かつて父上が初陣で攻撃したワッデンの最北端の軍港バナクも貴重な不凍港で、ラナとは山脈を隔てて巨大な半島の反対側にあると言う位置関係になる。父上は陸路からバナクを攻略されたわけだ。どうやら荒れ狂う波を超える帝国の皇族・貴族は、僕達四人が初めてになりそうだった。

  




 

今回はヨハンですから、大公じゃないです。すみません。直しました。

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