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悩める僕と黒いドレスのユリエ・5

 僕の乳母であったドロテアとビョルンの夫婦がミッケリから来た商人を装っていたのは、何らかの意味合いが有りそうだ。悪事を働くにしてもミッケリは活動しやすい自由港だからかもしれないが。


「ドロテア、僕はお前に世話になったとはこれっぽちも思ってないよ。何しろお前は僕が赤ん坊だから何もわかりはしないと侮って、本来皇太子専用であるはずのベッドに昼間から亭主を引き込んで、怪しからんふるまいに連日及んでいたのだからなあ。あの屈辱は忘れていないよ」

「で、殿下は乳飲み子であられましたのに」

「乳飲み子でも、大半の事情を理解していたよ。お前が年中ろくでもない事ばかり考えていることも、朋輩を騙してして陥れ、黄金宮にいられないようにした事も全部、僕は理解していた。当然、お前なんかと身近に暮らすのは勘弁してほしかったよ。それはそうと、お前、亭主はどうした?」

(大主教様の手の者が近衛にいるって聞いたのに、どうなっているのかしら?)


 近衛にもネスの手が及んでいるのか。考え得る事とは言え、こまったものだ。


 近衛兵は総数七百人程度の一部隊が黄金宮に常駐する。都であるトリアの六か所の城門にもそれぞれ七百人程度の部隊が駐留する。月に一度各部隊で選抜を行い、優秀者を黄金宮に配置しているのだ。

 僕はさっそく都の駐留部隊の百人隊長七人と、十人班長のうち優れた者を集めて、親睦も兼ねて昼食会を開いた。一人ひとり握手をしながら各人に言葉をかけ、その思考を探った。すると、危険人物が三人見出された。何れもソフス・ネス大主教の崇拝者だ。 幸い三人とも十人班長で有ったので、昇進させ故郷の村に配属した。各村落の守備隊長に任じたのだ。左遷した事にはならないし、都から切り離せる。


「それぞれ、故郷の人々のために、粉骨砕身頑張って欲しい」

「帝国の安定にはより良い人物の赴任が必要不可欠」


 などなど、三人には言葉をかけておいた。事情を察知したものには見え透いているが、僕はそ知らぬ顔で、近衛内部の危険分子のふるい落としに務めた。

 この三人の場合、ネス大主教から北の塔でドロテア他数人の脱出を手引きして欲しいという依頼は受けていたもののお互いが内通者だと知らずにいた。しかも、通常なら互いに接触は無いはずのポジションにいた。三人とも僕や父上に対する忠誠心とのせめぎあいで悩んでおり、実行できずにいたのだ。おかげで北の塔の収容者は誰も脱獄に成功はしていないし、破壊工作も行われていない。


「ふうむ。彼らの忠誠心をネスがどのようにして揺るがせているのか、良く調べた方が良さそうだな」

「先日の飲み水に薬剤を混入した意図が良くわかりません。分析させた結果は毒では無いようですが」

「だが、何らかの怪しからん企みでは有るのだろうから、お前も気をつけろ」

「はい。どうぞ父上もお気を付けください」



 僕は師匠に勧められた強力な解毒効果の有る茶を、毎日飲むようになった。日本の煎茶とよく似た味で僕は好きなのだが、父上のお口には合わなかった様だ。お持ちした時も「多分の飲まないから持って帰れ」とおっしゃって、普段通りの茶を召し上がっていたはずだ。だが、もっと強引にでもお勧めすれば良かった……

 父上が倒れてしまわれたのだ。


「これは、我々の知らない未知の毒です。さよう、ミズホあたりの遠国のものでしょう」

 侍医の言葉を受け、僕は家康師匠が邸に住まわせているミズホ国の医師を宮殿につれて行き、診断させた。その医師が言うには以前の媚薬は単独では大した効力も無いが、ある種の毒の効力を増大させるのだそうだ。これは……もう一度北の塔の連中を徹底的に締め上げなおす必要が有りそうだ。


「まあ、見た事も無い奇妙な衣装ですね。一応それでも絹みたいだけど」

「髪も目も黒くて、肌の色は案外と白いんですのね」

 黄金宮の女たちがうるさく噂するミズホの医師は江戸時代の御典医という感じだ。だが、坊主頭ではない。髪は肩まで伸ばし、こちら風にリボンで一つにまとめている。言葉は前世の日本語と殆ど違いが無い。この帝国の言葉はヨーロッパの言語という感じなので、ずいぶんと響きが違う。それでまた、話すと、皆が聞いた事も無い言語だと言って騒ぎ、その言葉を何と僕が理解し話すと言うので、驚かれた。


「父の体は、この薬湯を飲ませれば回復するのですね?」

「意識ははっきりされるでしょうが、自由にお話をなさるのに半年はかかりましょう」


 東洋的な煎薬と鍼治療で、意識は回復なさり、かろうじて口の開け閉めと瞬きが出来、右手だけが微かに動かせる程度までは回復された。僕は文字盤を作らせ、父上の意志を読み取るようにさせた。先ず最初に指示棒をゆっくり動かす。右手が反応したところで、棒を止め、その文字で正しいか確認する。Iか。こうすればテレパシーが使えない時も父上の意志が読み取れる。

 テレパシーは本人の無意識を読み取る場合も多いので、伝えようとした内容がそのままわかると言う訳では無かったりするのだ。今の父上はなぜか、真っ白い大氷原のイメージと、体を抱き留め温めた誰かの感触の記憶に浸っておられる。毒の所為で温度感覚が狂い、酷く寒く感じているはずだという医師の言葉が思い返された。



「Iの文字で始まる、物ですか?」

 父上は口を曲げらる。

「では、Iで始まる人ですか?」

 父上は二度続けて瞬きされた。イエスとかOKの意味で瞬きを二度することになっているのだ。

「イサク、ですか?」

 違うらしい。イサクという父上の忠僕かと思ったのだが……

「では、イヴァル」

 瞬きを二度続けてなさった。

「イヴァル・ケニングをお召しですね。国璽詔書補佐としての役目でしょうか?」

 強い意志の感じられる視線を僕に向けられ、はっきり瞬きを二度された。

 イヴァル・ケニングは高齢の父親になり替わり、近年は国璽詔書としての職務を実質的にこなしている。彼をお召しと言う事は、皇帝として公文書を発布すると言う事だ。さすがイヴァルだ。呼んだら茶を一杯を飲むほどの時間で、すぐやってきた。


「恐れながら、その勅書は既に大半が書きあがっておりますのですか?」

 イヴァルのその問いに、父上は瞬きを二度された。

「後は御璽を押され、発布の日付を入れればよろしいのでしょうか?」

 また、父上は瞬きを二度された。

「して、その勅書は、いずこに?」

 父上は右手の人差し指にした指輪をじっと御覧になった。

「この指輪を、どうするのですか、父上」

 僕は父上の手を握り、そっと尋ねる。すると、明確なヴィジョンが伝わった。その指輪を父上の書斎のデスクの板の右側側面の穴に押し当て、ぐるっと回転させると、薄い引出の様な部分を引き出せるようになる細工が施されているらしい。中には書状らしきものが納めてあるようだ。

「これは……僕が指輪を嵌めて、取り出せば良いですか?」

 すると、父上はニヤッとされて、二度瞬きされた。僕がテレパシーをある程度使える事は、僕と父上だけの秘密事項なのだ。

 

 指輪をお借りして、父上の書斎に入り、指輪の凸凹に合わせた穴に指輪を嵌めこんで秘密の薄い引出しを明けた。見せられたヴィジョン通りに、中から勅書の体裁を整えた書状が出てきた。

 後は書状をイヴァルに渡す。イヴァルは内容を確認すると、勅書の発効に必要な執政官を招集した。勅書は執政官全員の承認のもと御璽が押され、日付が書き込まれたのだった。


「本日より、朕テオレル帝国百十代皇帝フレゼリク・アウグスト・ネルケ・ルドヴィク・アブ・ランゲランは唯一の正統なる後継者・皇太子グスタフ・ステファン・アナス・カール・アブ・ランゲランを摂政に任じ、皇帝としての全ての任務を摂政たる皇太子の輔弼のもとに行う事を決した」

 

 こうして僕は思いもかけぬ事から、この国のほぼ全権を握る立場に立った。

 父上はもう、随分以前から僕に摂政の役目を与えようとお考えだったらしい。母上は「単に楽をなさりたかっただけだけよ」とおっしゃるが、それだけではないと僕は思う。それにしても、父上の脳裏に広がるあの、真っ白い風景はどこのものだろう?


 連日、僕は執務をこなした後、父上の御嫌いな解毒作用の強いミズホの茶を、一緒に頂いてその日の御報告をする。毎日鍼を打ち、ミズホの茶を飲まれるようになって二月、父上は起き上がれないものの、お話はゆっくりとならお出来になるようになった。

 

「父上、今回のこの毒の一件は神聖教会を国教から外された事と関わりが有るでしょうか?」

 父上は瞼を二度、つぶられた。まだ頷かれるのが苦しいらしいのだ。


 グラーン侯爵夫人あたりは積極的に神聖教会の人事にも帝国が関与して行くことが、帝国の安全と安定に寄与すると考えているようだが、父上のお考えはかなり違う。

 周囲に多い保守派の手前、お考えを口にされる事は稀だったが、宗教そのものに強い疑念をお持ちだ。そして、将来的にはミズホのような異教の国家との交易や、宗教色のない科学の研究を積極的に進めるべきだとお考えなのだ。当代の大聖猊下の病とネス大主教の暗躍、ミッケリを中心とした勢力の活動などから、教会の勢力は弱まり、今なら表立っての非難も受けないだろうという御判断で、神聖教会の教えを国教から外した。いや、正確に言えば国教などと言うものは特に定めない、と法令を改められただけにすぎない。


「表立っての教会批判も行いませんでしたのにね」

「それでも、ゆ、る、せ、ない、のだ、ぼうずらは」

 父上の御声は、しわがれていて、とても小さい。若い僕でも耳を寄せて、ようやく聞き取れるぐらいだ。確かに教会が皇帝の心からの敬意と尊敬を勝ち得ていないと知った貴族たちは、献金なども熱心ではない。

「かなり、献金が減って、坊主どもの実入りが減ったのでしょうね」

 父上は、また瞬きを二度された。

「きょうかいなど、く、だ、らん」

 僕も本音ではそう思うが、それを口にする事は危険だ。父上は自分をこんな目に逢わせたのは、教会勢力だと信じておられるので、おっしゃる内容が以前より過激だ。

「ですが、宗教は厄介です」

「ぼうずの、あくぎょうを、あ、ば、け」

 やはり、それが手っ取り早いだろうか。貴族にも関係者が多数存在しそうなので、これまでは足踏み状態だったのだが、これからは教会関係者をめぐる黒いうわさを積極的に捜査させる事にした。


 軽微な税の取り込み、収賄、娼婦や男娼との破戒行為などなど、積極的に捜査し、結果を大々的に公開している。徐々にではあるが、人々の教会に対する感情は冷えたものになりつつある。しかし、肝心の父上に毒を盛った連中の行方も、ドロテアの亭主ビョルンの行方も不明のままだ。あの時、強引に捕まえておけば良かったのかもしれない。


 そんな中、時間は過ぎ、ユリエは僕の初めての子を産んだ。黒目黒髪の元気な男児だ。名前をリョウタとした。そう、僕自身の前世の名前だ。


「ありがとう。ユリエ」


 僕は素直に感謝の言葉を口にできた。僕の膝の上にはラウル・ヤイレがいる。僕は皮肉な巡り合わせのこの小さなラウルが、似たり寄ったりの年頃の弟たちよりも気がかりなのだ。最初はある種の贖罪の念から関心を持つようになったのだと思うが、今は弟たちより僕にとって近い存在だと感じる。


「リョウタ、かわいい」

「そうか。ラウル、お前の弟だ。仲良くしてやってくれ」

「あい」


 ユリエの不在中は、不便でも住まいに別の女を入れることは無かった。侍従と僕自身で、何とかやっているが、どうも風呂に入っても、心身ともに心からくつろげるという感じにはなかなかならない。

 セルマとは、三日に一度程度のペースで夜を共に過ごしていたが、やがて僕の子を身籠った。


 そうなるとアネッテにさすがに何も知らせないわけにも行かず、僕に息子が生まれた事、セルマが懐妊した事も僕自身の口から伝えた。


「子は、どうしたら授かるのでしょうか?」

「長年夫婦であっても、子が授からない者もおりますからねえ……何とも」

「あの、私も殿下のお子が欲しいのです」

「そうですか」

「いけませんか?」

「いや、その、乳母ともよく相談しましょう」


 僕が困り切った表情を見せたので、失望したらしい。どうやらアネッテは仲睦まじい男女が寝床を共にすれば、子が授かる事も有る。そんなふうに思っているのだ。無論、彼女の心臓の事を案じた乳母が正しい性的な知識を与えないように注意しているからだが。僕の表情を、僕がアネッテとの子供を望まないからだと受け止めたようなのだ。


「僕は、あなたを大切に思っていますよ」

「でも、私の生む子など欲しくないとお考えなのでしょう?」

「そうではありません。それは違いますよ、アネッテ」


 僕は困り果てて、つい、産後のユリエの枕元で愚痴ってしまった。ユリエは確かに、事情を知る数少ない人間の一人だが……


「全く、どうすれば良いんだろうねえ。ごめん。他に相談できそうな人も居なくて……」

「乳母はどう言っておりますか?」

「心臓の事を、打ち明けるべきではないかと」

「ですが、そうなると、離縁して頂きたいとおっしゃるのではないでしょうか?」

「そうかな?」

「これは私の……勘なのですが。御自分が殿下のお役に立っているとお感じになれないと、そのようにおっしゃるような気がいたします。義理堅い方ですから」

「正妃として存在してくれるだけで、十分ワッデンとの絆の役目は果たしていると思うのにな」

「いっその事、御正妃候補から正式の儀式を上げられ御正妃になさいませ」

「だが、床入りその他諸々有るだろうが」

「……父に、御相談なさいませ。良い手が有るかと存じます」


 家康師匠にどんな隠し技が有るのか、僕にはさっぱり見当がつかなかった。


 

軍隊の人数、悩みました。古代ローマの編成と幾つかの国の近代化する以前の例をあれこれゴタマゼにしてみました。また変更するかもしれません。

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