悩める僕と黒いドレスのユリエ・3
R15です。たぶん。後半セルマの話になります。
ユリエと体を寄せ合って眠る安らぎは幼いころの僕にとって幸せの源だった。今はこうして男女の仲になって、また違う種類の幸せが僕の全身を満たしているような気がする。再びユリエと過ごすようになって、僕の心身は安定した。
「ねえ、ユリエ、幸せかい?」
「ええ、怖いほどに」
「怖い、か。確かに、そうかな」
いつまで、この幸せな状態が続くのか、確かにわからないだけに怖い。
「殿下も、そうお感じですの?」
「ずっと欲しかったものを手に入れた所為かな」
奇妙な予感が有った。
狂おしい感情が沸き起こり、また口づける。誰にももう奪わせるものか。
また、燃え上がり、貪りあって、悦びを極めると、急速に気分は穏やかになった。
「ミホ、とはどなたですか?」
「え?」
「先ほど、ふと、そのお名前が……」
ミホ、美保……僕の前世の婚約者だ。百年たたないと巡り逢えないと言われた。ユリエは真実を知りたがっている。それにしたって、こんな時に、僕は別の女の名を口にしたのだ。ユリエに済まないと感じた。
「ユリエに以前打ち明けたよね。僕には前世のかなりはっきりした記憶が有るとも。前世で亡くなる少し前に婚姻の約束を交わした相手が、美保だ。僕が生まれてから百年後に、このルンドに現れるらしい」
「殿下が伝説の聖帝様と同じように不老不死でいらっしゃるなら、百歳になられてもお若いままなのでしょうね。そして美保様が聖なる皇后陛下となられるでしょうか。私はせいぜい生きましても八十歳ぐらいまででしょう。祖父母も、そのぐらいで亡くなりましたから。老人になれば、こうして御一緒に過ごす事もかないません。私の子や孫は、その美保様にお仕え出来ましょうか」
「ユリエ……」
「昨日午後、グラーン侯爵夫人がセルマ様の乳母を連れて直々に私を訪ねていらっしゃいました」
しばらく前から、僕にも、そしてユリエの方にもそれとなく接触は有った。だが、セルマとは相変わらず共に昼食を取り話をするだけの状態で、大した変化は無かったのだった。
一昨日御前会議の前に、僕は父上というか、父上と同席している侯爵夫人に呼ばれた。
「政略の絆としてのセルマの価値は、いったんは下がったように見えるやも知れまんが、ソフス・ネスの次を考えましたら、悪くはございませんよ」
「ネス大主教の次の大聖猊下ですか。ミッケリにはすでに動きが有るんですね?」
父上は興味が無さそうに中座なさると、あちらで侯爵夫人腹の幼い妹二人を相手に絵本を読んでやっていらっしゃる。自分の娘も、ひいてはその婿となる僕の事も政治のパワーゲームの中で分析して使いこなそうとする侯爵夫人のやり方が御不快なのだろう。だが、侯爵夫人の判断は間違っては居ない事も認めておいでだ。
昼食は父上と侯爵夫人と幼い弟、妹たち、そしてセルマと僕で食べた。食事中、侯爵夫人はこう言い渡した。
「セルマ、星占いで良い日が決まったら殿下のお相手をなさい。最低でも三日ですよ。後は殿下にお任せで、宜しゅうございますわよね?」
「あ、はあ」
侯爵夫人がユリエに伝えたのは、父上に僕とセルマの事を申し出たので、ユリエにも含んでおいて欲しいとの事だったようだ。星の巡りが良いので、出来れば今夜にもと言う話だ。申し出たなどと言うが、あの昼食の時の様子を思い出すまでもなく、完全に侯爵夫人が全てを仕切っている格好だ。可愛そうに、セルマは戸惑っているだろう。だが、変に僕が拒否すると、セルマの立場は悪くなるのは目に見えている。
押し切られる形なのが、気に入らないが、受け入れるしか無さそうだ。
「以前から、私の使用人たちにも御心遣いいただき、昨日はまた結構な髪飾りをお持ちになりましたが、お断りしてミッケリより到来のワインだけを頂きました」
「ユリエは、どう思うの?」
「セルマ様は、殿下にとって大切な方ですから、私にとっても大切な方です。アネッテ様同様、真心を込めてお仕え致します」
「ユリエは、それで良い?」
「殿下の心身がお健やかであられますように、私のすべてでお仕えすると決めておりますので」
「ごめん」
「そのようにおっしゃるものではありません。朝のお茶の御仕度を致しましょう」
ユリエは僕が朝の鍛錬を行い、その後アネッテの所で朝食を取ることを想定して、お茶と消化の良い軽い物を心がけて出すようにしているのは明らかだった。
「セルマ様のお住まいに新たに別棟をお設けになったようです。御入浴についての侯爵夫人のお尋ねが御座いましたので、差し支えないようにお答えしておきました」
「ふーん。風呂に入れるようにするのだね」
「ええ」
「一緒に入ったりしないよ。セルマとは」
そう僕が言った時には、ユリエは寝室に居なかった。そして、薫り高い茶と共にうまいブリオッシュと瑞々しいベリーが運び込まれた。この茶を一緒に楽しみ終わったら、僕は当分はユリエとこんな具合に会えないかもしれない。侯爵夫人の思惑が良くわからないから。
「三日は……お別れでしょうか?」
「そう、なんだろうな」
「お休みを……願い出ております。息子の様子を見て参ります」
「そうか。わかった。でも、四日目には戻るよね?」
「……お望みでしたら、そのように」
貴族の新婚の夫婦は三日間床を共にする。それに準じるのだろうから、三日の休みと言うのだろう。
平凡な若い貴族なら、それ以降はずっと妻と同じ部屋で眠るのだろうが……大貴族や皇族は夫の部屋は妻とは別であるのが普通だ。そして夜を共に過ごす女性が妻だけではないのが普通だ。
「並の人間には罪深い暮らしも、選ばれた方々には許されている」
こんな事をぬけぬけと言う聖職者がいたらしいが、嘘だろう。だが、僕は罪深くても、複数の女性たちの力を借りてやって行くしか無い立場にいる。
鍛練の後、訪れたアネッテの所では何も言われなかったが、そっと乳母に聞きただすと、アネッテに仕える者もセルマとのことを侯爵夫人が進めていると承知しているが、今夜とは知らなかった様だ。
「くれぐれも王女様には、御内密に願います」
「無論だ」
無心でスケッチするアネッテに、すまないとは思うが、やはりまだこうした事は伏せておくべきなのだと思う。ただ、あとから事実を知った時、傷つくのは目に見えているので、折を見て、僕自身の口から説明する必要が出てくるだろう。いつのことになるかは、はっきりしないが……
御前会議の後、父上に耳打ちされた。
「今夜はあれの所には寄らんよ。お前の母親に話もあるしな。年の割に世慣れぬ娘だが、そこがお前も悪くないと思っているのだろう? ユリエは三日間宿下がりさせたぞ。だから、まあ、せいぜい可愛がってやれ」
ユリエの宿下がりは、父上の御命令か。
昼食をセルマのために設けられた別棟で二人きりで取り、その後、侯爵夫人の邸内の小さな礼拝室に司祭を呼んで、僕とセルマ、他はセルマの乳母以外誰もいない中で礼拝を行った。結婚式替わりだろう。いつもよりずっと豪華な真っ白いドレスのセルマは、いかにも穢れない乙女と言う風情だった。
「御夕食まで、ごゆっくりお過ごしください」
そんな風に言われて、僕とセルマは二人きりにされた。目の前にはかなり大きなベッドと寝椅子が有るぐらいで、何も無い。
「今から何をどうしろ、と言うのでしょうね」
明るい内から励め、と言うのだろうか?
「母が強引にあれこれやりましたようで、申し訳ありません」
「別に僕は良いのですが……セルマ……震えていますね。僕が怖い? 」
「いえ、あの、母に言われた事が、あまりに恥ずかしくて……困りました」
「何を言われたのです?」
「夜に備えて……」
セルマの声は震えっぱなしだ。僕はかわいそうになって、立ったままで抱きしめた。
侯爵夫人は、ずいぶんきつい口調で発破をかけたようだ。こんな具合だったらしい。
「殿下のお体に触れる事、あるいは触れて頂く事に、もっと平気におなりなさい。先日の昼食の時の様子を見ていると、どこの田舎の修道女見習いかと思う程慣れていなくて、先が思いやられます。殿下とお話もし、度々お食事なども御一緒させて頂いているのでしょうに、何という有様なの。お慕いしているなら、はっきりそうおっしゃい。キスして頂いたり、抱きしめていただいたら、お前でも嬉しいのでしょう? 何をためらっているのだか。ボヤボヤしていたら、殿下との御縁を結び損ねるのですよ」
「わが花嫁は閉じた園、封じた泉のようだ」
僕は聖典の一節を呟いて、臆病な乙女を怯えさせないように、そっとキスをした。先ほどの礼拝での誓いの儀式の折の恭しい口づけが、初めてであったらしい。これが二回目なわけだが、まだ体中が石の様に固い。僕はセルマを促して、一緒に優雅な猫足の寝椅子の上に並んで腰掛ける。
「あなたは御自分で思っているより、ずっと美しくて魅力的なんですよ」
「殿下……殿下はお優しいから……」
「僕は都合の悪い事は色々内緒にしていますが、めったに嘘はつきません。だから、信じて下さい。あなたは綺麗だ。セルマ」
「でも、殿下は以前おっしゃいました。綺麗でも嫌いな顔が有るし、不美人でも愛着がわく事も有る、と」
「じゃあ、こう言いなおしましょう。あなたを好きです。セルマ。愛しています」
「ウソ、うそです。愛していらっしゃるのは……」
ユリエの事を気にしているのだ。アネッテの事も。
「嘘だと思うのは、あなたの勝手だ。セルマ。でも、その嘘をあなたが生きている限り、ずっとつき通して見せましょう。それならば、許せますか?」
「ええ。上手に……上手に私をだまして下さい。時には、一番愛されているのは自分なのかもしれないと、勘違いしてしまう程に」
「最善を尽くします、セルマ」
それから、四方山話をしながら、僕はセルマの髪を撫で、背中を摩った。セルマは僕の胸にずっと顔を寄せていたが、当初堅かった体がようやく女性の柔らかい体だと実感できるようになったころには、夕食の時間がやってきた。昼食同様、二人きりで小さいが洒落たつくりの食堂で食べる。
「まあ、これは……」
「頑張れ、そういう事でしょうね」
夕食のメニューは魚の白子とカキの前菜、ヤツメウナギのスープに、鹿肉のソテー、オクラと豆とハーブのサラダ、ナッツケーキなどなど、精力増強に役立つとされたものばかりだ。味は悪くない。
最後に、給仕役のメイドがハーブ入りのリキュールを運んできたのには、二人で顔を見合わせて笑ってしまった。このリキュールは精力剤代わりに飲まれるようになって来たものだ。
「お風呂は何時頃がよろしゅうございましょうか?」
「別に、支度が出来たら、いつでもよいよ」
「はい。では、御仕度が整いましたら、お知らせいたします」
まだ、十一か二か、そんな少女が大真面目にそう言うので、奇妙な感じがする。あの少女と乳母以外はここにはいないようだ。ただし警護の者は建物を取り囲むようにして、配置されている。
風呂から上がって寝室で待っていたら、白い寝間着に髪は白いリボンで緩やかにまとめたセルマが、静々と言うよりはビクビクという感じで入ってきた。失礼いたしますと恭しく言って、僕の隣に並んで横たわった。
「また、石に戻ってしまいましたね、セルマ」
「……石、ですか?」
「ほら、カチカチだ。もっと力を抜きなさい」
何もしなくても、良いのだが、あの侯爵夫人は自分でシーツを調べ上げるかもしれない。そうなると叱られるのはセルマだ。
「確かに、怖いんでしょうね。僕は化け物ってわけじゃないんですが」
「す、すみません」
「セルマ、手を貸して」
僕はセルマの手を胸に触れさせた。
「僕だって、ドキドキしているのですよ」
「ほんとうですわね」
(以下自粛です)
「我は我が園に入り、我が酒と我が乳を飲めり、と言う訳です。ご納得頂けましたか?」
翌朝、シーツを点検に来た侯爵夫人に僕はこういった。
自分でも無意識な怒りが、心の奥深いところで強くなったようだった。僕はアネッテと朝食のため,出て行き、可愛そうなセルマは僕が全ての執務を終えて戻るまで、どうやらずっとベッドでまどろんでいたようだった。
二晩目は、ただ、抱きしめて眠り、本当の意味で愛し合えたのは三日目の晩に入ってからだった。そして、セルマの目の中には、これまで見た事が無かった女としての喜びと、同時に悲しみが見て取れるようになったのだった。
年齢制限規定を逸脱した部分を2020年2月に削除しました