僕と魔女と悪龍の危ういバランス・6
瞬く間に、歳月は過ぎる?
侯爵夫人の息子が生まれた。つまり僕の異母弟だ。コリング伯爵マウリ・アブ・ランゲランと名付けられた。髪も目もこの国で一番多い褐色だが、顔は良く父上に似ている。
「確かに陛下のお子のようだが、髪も目もいかにも庶民の色合いなのは、母親のせいだ」
そんな陰口を利く老人連中は多い。
マウリが生まれた時の父上の態度は、そっけないほどあっさりしたものだった。あまりにあっさりしすぎていたから、侯爵夫人はどうなるのかと、ちょっと心配したが、杞憂であったようで、またすぐに身籠った。年子というわけだ。老人たちは「慎みが無い」だの「はしたない」だの勝手な事を言って難癖をつけている。
更に同じ年のうちに母上が大宰相の子を産んだ。アンホルト子爵ヨハン・ベルワルドだ。父親譲りの灰褐色の髪にグレーの瞳だが顔のつくりは、僕に似ている。まあ、僕の顔がどちらかと言えば母親似だから、不思議ではない。こちらは大宰相の嫡子扱いで、正式な相続人とされた。大宰相の嬉しそうな顔を見ると「おめでとう」と言ってやりたい反面、やはり僕の気持ちは複雑だ。
侯爵夫人も大宰相も失脚寸前まで行った後なので、派手な誕生祝いなどは行われなかった。片方づつ親が違う弟たちも将来は僕の臣下となるわけだが、どうなるやら。まあ、それぞれそれなりに幸せであってほしい。そう思うだけだった。と、いうのも、僕はスコウホイの対策をほぼ一手に任されて、忙しかったのだ。
こんなに忙しい七歳児って、そうそういないと思うな。
さて、スコウホイ王家のクヌートだが、宮中の一角に住まいを与えた。
侯爵夫人の所に潜り込んでいた時は、老けて見えるように特殊メークをしていたらしい。更には背中も丸めてわざと年寄り臭く演出していたそうだ。赤毛の幼馴染は本当に老け顔であったらしいが。
素の顔はまだまだ少年の面影が濃い若者のそれだった。実年齢は僕の十二歳上だ。
「なんだ。まだ、二十歳にもなってないんですか」
「幾つに見えた?」
「三十五ぐらいかな」と僕が答えると、老け顔メイクの所為とはいえ、めげたらしいので、僕はあわてて「素顔になって、ひげをキチンと剃ると年相応に見えます」と言い添えた。
老母も呼び寄せた。だが、彼が隠れたスコウホイの王子であることは帝国でもごく限られた人間しか知らない。表向きは事情が有る外国の王族で皇室の縁者、と言ってある。生活費もそれ相応に支給している。侍従たちにも敬意を持って接するように厳命している。
自由の身になってから、クヌートは学問にはげんでいる。
蜂起のための計画の杜撰さを僕に指摘されたのが悔しかったようで、様々な分野の本を読み漁り、いくつかの学塾に通ってもいる。
だが、あの時、僕が彼を逃し、スコウホイで帝国に反旗を翻す決起集会が開かれ、大々的に『スコウホイ解放同盟』の結成をぶち上げたとしたら、今頃僕は戦場だったかもしれない。
立ち上がりかけていた『スコウホイ解放同盟』を徹底的に骨抜きにするため、様々な懐柔策を総動員した。僕なりに出来る事は全部やった。もっとも、僕の主義として、賄賂と色仕掛けは採用しなかった。確かに短期的には有効でも、後で組織の腐敗という深刻な病が巣食うのは目に見えている。実行したのは全てが長い目でみて有用だと思える策ばかりだ。
たとえばこんな具合だ。或る者は帝国の官吏に登用し、スコウホイから離れた場所に赴任させ、組織からの完全な分離を図ると同時に見聞を広めさせた。或る者には十分な補償金を給付し、農地の鉱毒からの回復を帝国の学者と共に研究させた。製鉄業のほかに環境関連の事業でもなるべく多くの人を雇い、帝国本土の約二割増しの賃金を払う事とした。
宮中にはこれらの扱いに不満を言う者もいたが、僕は執政官らを説き伏せ、最後はこう言って押し切った。
「泥沼の様な戦に巻き込まれる事を思えば、安いものではないか」
独立運動の芽を一時的にせよ摘むのだ。その自覚が有る以上、僕は悪役には徹しきれない。
スコウホイ特有の険しい山岳地帯の地の利を生かしたゲリラ戦に持ち込まれれば、大変な事になっていただろう。そうなれば攻撃対象は一般住民が住む集落・街になる。国土を荒廃させ、ただでさえ強かった帝国に対する反発が、今度は凄まじい恨みとなって人々の意識に刻み込まれる結果となっただろう。恐らく帝国軍は簡単には負けはしないが、勝利も実感できない泥沼の様な戦いに嫌気がさしてもやめられない、そんな状態になりかねなかったのだ。
近頃僕は、クヌートと一緒に庭で昼食をとる事が多い。サンドイッチに果物にチーズ、ワインといった程度の軽いものだ。気軽に本音で語りたいから、このような形を取っている。秘密を守る上でも好都合だ。
「そもそもスコウホイに対して、帝国は正当な権利を有していないと僕は解釈していますが、今の帝国では、それを公に口にできません。理解に苦しむ老人たちの差別意識も、世代交代が進めば緩和されるはずです。そうですね、あと十年すれば情勢はかなり変わっているでしょう。より良い形でスコウホイの人々を自治に参加させ、その権利を大きくして行き、自治州を確立する。それからはジワジワと、独立へすすむも良し、自治州として帝国の枠内に留まるも良し、その運命は住民が決める、そんな形に持って行きたいのです」
「で、俺は帝国の紐付きの保護国の傀儡の王として使う、そういう訳か」
「そう言う解釈も可能ですが、それだけではありません。スコウホイの民にとって、民族自決の象徴とあなたがなりうる使命感とカリスマ性を持っているかどうかが、運命の分かれ目だと思います」
「俺が本当にその使命感を持ってスコウホイの民をまとめる王となってしまえば、帝国としては困るんじゃないのか?」
「長い目でみれば、それが一番ありがたいのです」
「なぜだ?」
「領土の運営のために、莫大な費用が掛かるんですよ。その割に儲かりませんから」
「帝国のメンツは、構わないのかな?」
「そうですね……名誉ある撤退をもくろんでいます。友好ムードのうちにね」
「領土が相当狭くなるが?」
「領土は大きければ統治は難しくなります。国防上も国内に治めにくく、民心の安定に気を使う地域が存在しない方が、むしろ好都合です」
「鉄鉱山は?」
「お詫びの印に、進呈、いや、もともとスコウホイのものですし、そのうち鉱脈も枯れますから」
「アハハ、参ったなあ。恐るべき神童が大人になったらどれほど恐ろしいか。独立させていただくにせよ、敵対などは考えないですよ。事情がわかった人間ならね」
「まあ、僕の案は、あなたが当初考えた『スコウホイ解放同盟』より、現実的だと自負しております」
「いやあ、認めますよ」
庭で昼食をとるのは、もう一つ目論見が有った。ああ、当の本人がやってきた。ウルリカだ。
「殿下! クヌート様! こちらにお出ででしたの?」
「ええ。木陰が良い感じでしたのでね」
「今日は何かまた、お作りになりましたか?」
「はい。先日クヌート様がスモモのパイがお好きだと伺ったので、婆やと一緒に焼いてみましたの。一緒に良く合うハーブティーをお持ちしました」
ウルリカにまだ、意識は無いが、かなりクヌートを気にしている。クヌートは初めてウルリカを見た時、その美少女ぶりに圧倒されていたが、元来が従兄妹同士。親密な雰囲気を醸し出すのは早かった。僕はクヌートの老母をウルリカに見舞って欲しいと頼んだり、それとなく席を中座して二人の会話が自然に運ぶように気を付けている。
「クヌートの血筋については秘密にしておいて下さい。あなたの父上は立派な方だが、取り巻きに好もしくない人物もいます。ですから大宰相には、内密にね。この三人だけの秘密ですよ」
実は父上には御報告済みだ。それに僕のもくろみを指示して頂いている。
「三人だけ」の秘密は、僕が中座すると「二人の秘密」として機能し始める。その事を見越しての作戦なのだが、我ながらあざとい。
「俺とウルリカ殿をいっしょにさせようとお考えなのだな」
「ええ。嫌ではないでしょう?」
「あなたは良いのか?」
「僕の側妃なんぞになるより、あなたの正妻、将来的には正妃か、まあ、その方があの子も幸せでしょう」
「それだけではないな」
「ハハハ、おっしゃる通りです。相手が僕より、あなたの方が『スコウホイの王統の統一』というかなり魅力的なおまけが付きますからね。あの子の親父さんの思惑とは相当にずれますが」
「だが、殿下と同腹の跡取り息子も得た事だし、以前ほどはこだわらん、そういう事ですね」
「いやあ、あなたは反応が早い。一番冴えていたころの大宰相と良い勝負だ」
「ほう。そうですか。素直に喜ぶ事にしますよ」
別れ際に、僕はつい一言言ってしまった。
「ウルリカは母親の愛情を知らずに育ったようなのです。だから、あなたの母上とお話しするのが本当に嬉しいようですね」
「分かってますよ。だが、殿下。あなたは政治的な力学だけで動くのかと思えば……そうでもないんですな」
「政治を行う者としては、弱点でしょうね」
「ですが……悪くないですよ、その弱点も」
正直な話、一度離れた民心を穏やかに安定させるのは難事業だった。僕の後釜というか、スコウホイのまとめ役が機能するようになるまで、僕は頑張った。爺さんなら忙しくて多分倒れていただろう。
年月は瞬く間に移り変わる。
誕生日なんて祝っている場合ではないぐらい、この六年余りは大変な月日だった。だが、僕はその成果に満足している。
そんなある晴れた日、都で一番、いや帝国で一番大きなトリア大聖堂で高貴な列席者を集めた結婚式が行われた。馬鹿馬鹿しい贅沢さとは無縁だが、簡素な中にも格調の高さが有り、感動的な良い式だったと僕は思う。何より、花嫁が綺麗で可愛くて、少々年齢差はあるものの花婿もその花嫁にお似合いで、何より二人が一緒に難しい問題に手を取りあって頑張ろうという決意の固さが感動的だった。
何にせよ、二人は愛し合っている。お膳立てした僕としては一つ肩の荷が下りた感じだ。
随分大変だったのだ。気が付けば、僕も十三歳になっていた。
「大宰相、そういつまでも泣きなさんな」
「殿下は、殿下は……酷い方です……まだ、十二の娘を私から引き離して……ウルリカ-、私を置いてゆかないでくれー」
僕もそれは考えたのだが、まだ十二歳とはいえウルリカ自身が固い決意でクヌートに寄り添って生きて行きたいと決めたのだった。体の方もクヌートの母親に言わせれば「多少早いが、無理ではない」状態になったようだし、何より二人は互いを大切に思い、愛し合っている。この貴族社会で十二歳の花嫁は別段奇異な存在でも無い。
クヌートがスコウホイの王統で有る事が公表され、初代『スコウホイ公爵』に任じられたこのタイミングは、結婚式を行うのに相応しく思われた。
確かに大宰相は過去の経緯からスコウホイに行くことは難しい。だが、そのうち風向きは変わるだろう。こっそりつつましやかに娘の顔を見に行くぐらいは、許されるようになるのではないかと思うが……
「娘を困らせないように。そして母上や僕も困らせないように、ヨハンをしっかり教育してください」
幼いヨハンは乳母に付き添われて列席した。乳母は鬼瓦の様な顔立ちの女だ。大宰相はわざわざそうした容貌の女を選んだようだ。理由ははっきりしている。母上にいささかでも疑念を持たれる事を恐れての事だ。確かに子供の乳母と「できてしまう」貴族も珍しくないからなあ……
大宰相はウルリカを溺愛していた。蝶よ花よ、とは、まさにああいう状態を指すのだろうと僕が思う程に。だが、娘には「浮ついた贅沢などではなく、民の暮らしを良くするためにもっと役立つ勉強でもさせてくだされば良かったのに」と言われてしまったし、事実その言葉はウルリカの立場に立てば、正しい。
その反省に立っているのか、男女の違いか分からないが、ヨハンは大宰相自ら厳しくしつけようとしているようだったし、事実そうなりつつあった。だが、僕は、このヨハンと大宰相の親子関係がどのようによじれ、後々困った問題につながって行くのかなどと、この時はまったく考え付かなかった。
だから、涙をふきふき娘との別れを嘆く大宰相を、単に微笑ましく見ていただけなのだが……
貴賓席を出られた父上から、お呼びの声がかかり、僕は大宰相の側を離れた。
「お前にこれを見せなくては、と思ってな」
ドランメン伯爵夫人、つまりユリエからの定期報告の書簡だった。
「いつも思うが、ユリエは実に大した女だ。先ごろは厄介な水利権争いを見事にさばいたようだぞ」
実質的な領主としての手際の見事さは、この都にも聞こえている。ユリエは家康師匠が武芸を仕込んだおかげもあって、胆力が有る。そして勘も鋭い。殺気立つ農民たちをなだめ、納得させるのは容易な事では無いのに、ユリエはそれをやってのけたのだ。
だが、噂に上った水利権の話は「皇帝陛下の御稜威により、つつがなく」運んだとしか触れられておらず、内容の大半はユリエが預かっている形の隣国ワッデンの第一王女アネッテに関する報告だった。
「心身ともに御健康を回復され」「医師の診断によれば、御結婚も可能」な状態に体がなったらしい。遠回しに月経が開始した事を伝えているのだろう。
「お前もそろそろ、人ごとにかまけている時期でもなくなってきた。そうは思わんか?」
「はあ」
気の無い返事を返しながら、僕はユリエが恨めしかった。
女性キャラの設定をいじりました。矛盾があるかな?
有りましたら、教えてやってください。