僕と魔女と悪龍の危ういバランス・5
「侯爵夫人の胎内の子は、真実父上の御子だ。だが、それをああ街中でも噂されてしまうとは、困ったものだ」
すでに、宮中では面白半分に相当噂は広がっている。父上は苦笑いなさっていた。
「根も葉もないうわさでしょうか?」
「華やかな人達だから人目につきやすく、当人同士にそんな感情が無くても噂になるのだな。侯爵夫人の好みは、庇護欲をそそるタイプだと僕は見ている。大宰相は強すぎる。まあ、この頃はヨレヨレではあるがな」
『大女亭』を出て、黄金宮に戻り、自室へ戻る途中、僕とサウリはそんな話をした。書斎のドアを開けた途端、善良ではあるが役立たずの侍従の一人が「先ほどから大宰相閣下がお待ちです」と伝えた。
「どのぐらい待たせたのかな?」
「門に殿下がお入りになったと知らせが入ってすぐでしたから」
「ふうん、さほどは待たせていないか。お茶ぐらいはお出ししただろうな?」
「あ、はい」
(ふう、お出ししておいてよかったな。それにしてもどこに出かけられるか、侍従である我々には秘密でいらっしゃるなんて……そりゃあ、サウリは腕っ節が強いんだろうけどさ……)
「僕が微行につれて行くのは、腕が立ち、軽はずみな行動が少ない者だ。外国の言葉や習俗、あるいは法令や医学、農業、漁業などの専門分野に知識が有れば、なおの事良いがな」
(……高等文官試験にも武官採用の実技にも合格しない奴なんて、ダメっておっしゃってるんだよな、たぶん)
「美味い茶を入れる事も、大事な特技の一つだよ。まあ、励みなさい」
ため息をついている、ちょっと間抜けな侍従は放っておいて、客間に入る。
「お待たせしました。何か有りましたか?」
「いえ、あの、その……」
近頃の大宰相は何やら一回り小さくなってしまったようだ。「悪龍がくたばりかけている」と反対派が面白がるぐらい、元気が無い。以前は堂々としていた言葉や振る舞いもオドオドしている。
(困った。だが、殿下に伺うのが一番確かではあるからなあ……困った)
「侯爵夫人の胎内の子の父親の件ですか?」
大宰相は、ビクッ、と一瞬して、頷いた。
「僕はちゃんと分かっておりますよ。あなたと侯爵夫人は巷の悪意ある噂のような関係ではないと。父上も笑っておられました」
「へ、陛下の御耳にまで達しておりますのか! あの噂が……いやはや、困りました」
「侯爵夫人が噂の所為でヒステリックにお成りなので、父上はお困りらしいですが」
「皇后陛下は、いかがおっしゃってましたか?」
「はあ。『エリクが可愛そう』とおっしゃってました。『森の魔女はエリクのタイプではないの』ともね。僕は息子としてどういう顔をすれば良いのか、実に困りましたよ。ハハハ」
すると大宰相は脳裏に、母上に抱きしめられて「可愛そうなエリク」と言われている光景が浮かべた。何とまあ、だらしない顔だなあ。
「あなたを可愛そうなどと言うのは、母上だけでしょうがね」
僕はそれからワザとらしい咳ばらいをした。
「……あ、ど、どうも申し訳ございません」
僕の咳払いの意味合いを近頃は大宰相も理解しているのだろう。妄想はスッと消えた。
優秀でエリート街道まっしぐらの人だったので、大宰相は「可愛そう」などと言われたことがどうやら無いらしい。場合によってはかえって頭にくる言葉だと思うが、大宰相にとって母上に「可愛そう」と言ってもらえるのは、よっぽど嬉しいみたいだ。ちょっと母上に教えておこうかな。ああ、まあ、いらんお世話か。
だが、こんなどうでも良いことで頭を使っている場合では無かったのだ。
「殿下、急ぎの書状が届きました」
こうした場合、秘密保持のためにも来客の前では「どこから」とは言わせないことにしている。侍従の意識からレーゼイ家からだと知れたので、聞く必要もないが。
「あ、御取込み中でいらっしゃるようですから、これにて失礼いたします」
「では、また、明日、お会いしましょう」
大宰相は深々と礼をして出て行ったが、出て行きながら(急ぎの書状とは何だ?)と不審に思っている。
「うむ。返事が必要みたいだ。使いの者をここへ呼んでもらおうか」
家康師匠の手紙の内容は驚くべきものだった。
「本日『スコウホイ解放同盟』の代表と名乗る男が、新型火薬の買い付けを申し入れてきました。総量が500ポルトと桁外れに多いので何に使うのか尋ねますと、答えません。法律で10ポルトを超えると使用目的を届け出なくてはならないと突っぱねると、店を出てゆきました。店の者に追跡させますと、トリア大聖堂にほど近い下町の料理屋らしき『大女亭』という店に入ったそうです」
500ポルトと言えば226から7キログラムに相当する量だ。それは何のためだ? 発破でもかけるのか?
そしてさらにはその男の人相特徴がまとめられている。いかにも師匠らしく行き届いた事だ。
「プラチナブロンドの髪に紫の瞳? 右の手の甲に大きな刀傷?」
ええ? ひょっとして、ひょっとするのか?
「馬引け、急げ、大至急だ! サウリ、サウリッ! 父上にこの書状をお渡ししたら、すぐに出るぞ」
父上は僕の血相を変えた顔を見て、特に腕利きの四人を付けて下さった。
「くれぐれも人命第一にな」
「はいっ」
馬を飛ばして『大女亭』に戻り、兄さんに耳打ちする。
「目が紫で手の甲に傷の有る男っているかい?」
「二階の一番奥の部屋に居る。お前がわざわざ暗い道を戻って来て、いきなり聞くって、アイツ、やばいの?」
「たぶんね。とりあえず捕まえようと思うんだ」
僕とサウリはそうっと忍び寄った。窓の下と、裏口に二人づつ武官を配置している。耳を澄まして様子をうかがうと二人の男の声がする。一人はどこか聞き覚えが有る様な気がするのだが……
「御用商人の所で火薬など、お前は馬鹿か」
「だが、他に強力な火薬を仕入れられる店など無い。ミッケリにでも密航して買い付けないと無理だ」
「都の軟弱な商人など、脅して絞め上げればよかったろうに」
「いや、あの商人は大変な武術の心得が有った。逆にこちらが危なかった」
「ならば、ここも早急に引き払うか」
「そうだな。それが良い。宿のはらいを済ませてこよう」
ドアが開く、途端に僕は足元にスライディングして一人を転ばせ、首に跨り、剣を突きつけた。
(こ、こいつ、皇太子か!)
僕の顔を知っていると言う事だな?
たちまちいつも詰めている五人がなだれこんだ。無事に縄で縛り上げた。
もう一人が窓から飛び降りたが、そこにいた二人が取りつき更に二人が加わって、こちらも無事に捉えた。
「殿下、では、こいつは北の離宮の塔に放り込んでおきます」
「ああ。後から様子を見に行こう」
ホッとした途端、腹が鳴った。
「おい、弟よ、これを食え。何が有っても、食える時にはちゃんと食うんだぜ」
「ありがとう、兄さん」
ハムとチーズを挟んだ黒パンのサンドイッチに温かい蜂蜜入りミルクだ。僕とサウリは貪り食うと、礼もそこそこにまた、宮殿に戻る。
父上の居室に伺うと、まだ起きておられた。
「あの男から、聞き出せる事は聞き出す方がよろしいかと」
「罪人の取り調べなど、お前がせずとも良かろうが」
「ですが、何事か計画をしていたようですし、異変に気付かれれば、連中が身を隠し捜索は困難になります」
「それは、そうだな」
「ですから僕に取調べをお許しください」
「お前に任せっぱなしと言う訳にはいくまいよ」
北の離宮の塔に、秘密裏に皇室にとって不都合な人間を監禁し取り調べる牢獄が有る。通常の監獄とは違い、皇帝が直接その取扱いについて指示し、それが公にされる事は無い。これまでは皇族や貴族のうち謀反や皇位継承の争いの関係者が幽閉される事が多かった。そういうともっともらしいが、皇帝個人に関わる表ざたになると何というか、みっともない痴話げんかの類や恥ずかしい様な内輪もめの関係者を閉じ込めてしまう事ともしばしばだったようだ。言わばこの国の恥部だ。父上の代になってからは、それほど深刻な事例は幸いにして無かったそうだ。
「幾度か微行先で見かけた怪しからん奴らを懲らしめた程度で、本当に幽閉した者などいない」
父上の数多い愛人たちの所で怪しからぬふるまいに及んだり、無礼を働いたような男たちに、少々きつめの仕置きをした程度らしい。だが、今回は事情が違う。事の発端が皇帝皇后の愛人たちの不正で未遂とはいえ、本気で帝国を転覆しようとしたのだ。慎重な対処が必要だろう。
捕えた二人の男は互いに話を出来ないように、それぞれ石の壁と鉄の扉でしっかり防音した部屋にもうけられた独房に入れた。
尋問するにあたって、手錠と足枷を付け鉄格子の中にいる男に尋問するのは、僕と父上だけにした。焼き鏝だの鞭打ちだのは無しにさせている。僕には考えが有った。
「まずはあなたのお名前を教えてください」
男はじっと押し黙っている。
「あなたの髪の色ですが、最近まで灰色に染めてませんでしたか?」
(な、なぜそれに気づいたのだ? 恐ろしいガキだな)
「エゴン・ステノと言うのは本名ですか、やはり偽名ですか? 親しい人は何とあなたを呼ぶのです?」
「どうせ殺すんなら、さっさとして頂きたい」
男の脳裏に浮かんだ名前はほんの一瞬で読み取れなかった。
「ちなみに、夕食は済みましたか?」
(ビールにタラのコロッケ、茹で豆、チーズ……食いはぐれたな)
ご丁寧に、腹まで鳴った。僕はこの男に親近感を覚えた。
「火薬は何に使う予定でしたか?」
(鉄鉱山と製鉄所を壊すのに使います、なんて答えられるかよ)
「スコウホイの民にとって、鉄鉱山と製鉄所はどんな存在でしたか?」
(もうけは全部そちらに持って行かれて、まともな賃金が払われた試しも無いのだ。ありがたいと思う者は居ないだろうさ)
「あなたの故郷はどんなところです?」
(鉱山の排水で畑は滅茶苦茶になった。川の魚は居なくなった。村ごと鉱山に殺されたようなものだ)
「あなたの御家族は、どうしています?」
「妹は死んだし、おふくろも長くなさそうだ」
この問いには、ちゃんと声を出して答えた。
「帝国の役人たちの所為ですか?」
「そうだ」
もう一人の赤毛の男も結果は同じようなものだった。ただ、紫の目の男が今回の主犯で、計画の立案者である事、赤毛の男は紫の目の男をクヌートと呼ぶ事はどうにかわかった。僕は看守に命じて、二人に皇族が普段口にするワインとハム・チーズ・茹で豆・スープ・パンを出させた。
都合三日、二人の男の所で尋問した。と言うよりは話を聞いて、脳裏に浮かぶものを読み取ったのだが、手荒なことは一切差し控えさせている。赤毛の男の仕事は都とスコウホイを行き来する商人で、親兄弟は死に絶え、妻子も無いようだった。「幼馴染に頼まれて片棒を担いだ」のがはっきりしたので、放免にした。この男の交友関係もすべてリストアップできたから、監禁する必要性も無いのだ。
問題はクヌートだ。彼は髪を染めグラーン侯爵夫人の邸に入り込んでいた。あのヒステリックな家庭教師のスザンナ・ハスキルも母親がスコウホイ出身でクヌートとは親戚なのだ。
「こんな外部との連絡を完全に遮断した場所に閉じ込めておいて、鞭を食らわすわけでも、焼き鏝を当てるでもない。妙に上等な酒と食いもんをあてがって、何をたくらんでいるんだ? 最近じゃあ散歩やら入浴まで許して、まるでどこかの王様でも監禁しているような扱いだが。俺は何もしゃべらんぞ」
確かにクヌートの言葉は、サウリの言ったようにかなり強いスコウホイ訛りが有るが、聞きなれるとその訛りが彼の人柄の純朴さと善良さにふさわしく感じられる。
「しゃべらなくても、毎日観察するうちに分かる部分が有るのですよ」
テレパシーが使えるなんて言えるわけがない。おかしなものでクヌートという男は「変な小僧」である僕に段々親近感が湧いてきたらしい。
僕は鉱毒被害を知ってすぐに地元の人望厚い医者を探し出して援助し、鉱毒関連の病人を収容し治療するいわば病院を作らせたが、クヌートの老母はそこに引き取った。検閲を入れるが、息子との手紙のやり取りを自由に許している。どうやら老母の体調は次第に回復しているようだ。
「あなた、ウルリカ・ベルワルドとは、いとこですか? 父方の」
「分かっておいでなら、なぜわざわざ確かめるんです?」
塔に収容してそろそろ三か月になるか。クヌートの言葉遣いは近頃は丁寧で穏やかだ。
「僕の調べ上げた通りなら、あなたは消え失せたと信じられていたスコウホイ王国の嫡流ですね。そうではありませんか? クヌート・エゴン・ステノ・アブ・スコウホイ」
「ハハハ、参ったなあ」
「あなたが義憤に駆られて鉄鉱山と製鉄所の爆破を企てた、その動機は理解できました。だが、余りにもやり方が稚拙ですね。大体、火薬の入手経路もちゃんと調査していなかった。何をするにも、もっと慎重に計画的じゃないと、うまく行く物もいきませんよ」
「何が言いたい、小僧」
ひどく苛立っているという感じの唸り声だ。
「傷ついたスコウホイを立て直すには、もっと知恵が必要だって事ですよ」
「気に入らないやつだ」
だが、クヌートが言葉ほど僕を嫌ってはいないのは、はっきりしていた。
瞳が紫のウルリカの従兄弟はクヌートに名前を変更しました。採用した地名に近い人名じゃ頭ごちゃ付きますよね。すみません!