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僕と魔女と悪龍の危ういバランス・4

「兄さん、一番テーブルに黒ビール二杯と焼き牡蠣二十個、タラのコロッケ十個」

「おい、ステファン、俺もタラのコロッケ五個」

「兄さん、七番テーブルにタラのコロッケ五個追加」

「ステファン、三番テーブルのカニピラフ三皿上がったよ」

「姉さん、三番さんは一つが目玉焼き添えだよ」

「おっといけない。よし、上がったよ」


 僕は近頃時折、下町の海鮮料理が名物の料理屋兼旅籠『大女亭』で働いている。僕はここではステファンというセカンドネームで通している。グスタフという名は皇太子か皇帝の物であるが、ステファンという名の男はあちこちにいるからだ。

 ここに居る事は父上にだけこっそり打ち明けてあるが、僕の侍従も知らない。急用は父上に申し出よと命じてあるだけだ。ただ、僕付きの護衛騎士である二人と、父上がこの料理屋を見張らせている武官が五人、一階の飲み屋兼食堂と二階の宿泊用客室に目立たないように詰めている。

 兄さんも姉さんも共に本当に血のつながった兄と姉なのだ。二人は父上が先代のここの女将スヴィ・アイロとの間にお作りになった庶子なのだった。スヴィは大柄な父上よりも背が高い大女だったそうだ。兄も姉もずっと亡き母親の残したこの店で働き、貴族社会とは無縁で生きてきたのだ。


「元はスコウホイ領内の海女で『どえらい儲け口』を探しに都にやってきた豪快な女だった」そうで「あんたみたいなひ弱でウジウジした奴が皇太子殿下なんて思わなかった」とか「騙された」とか言われながら何やら気が付くと深い仲になっていて、子供が一人ならず二人までできたらしい。即位後貴族に列すると言う話をなさると「あたしの目の黒いうちはお断り。子供二人ぐらい自分で食わせる」とはねのけられたそうだ。

「怪力の持ち主でビールの大樽を二個、軽く担ぎ上げるわ、酔っぱらった大の男二人をひょいひょい掴みあげて、店の外に放り出すわ、武勇伝は数知れずだ」そうな。古い客たちからも幾つもの逸話を聞かされた。

「決して美女ではなかったが、働き者で正直で気風のいい女だった」

「ガサツなようでいて、その実気配りが細やかで、料理上手で綺麗好きだった」

 気風の良い働き者の女将はある日突然倒れ、帰らぬ人となったそうだ。それから二年になるらしい。

 

 ある日父上が突然「共に市中に行こう」と仰せになったのが、ここに来るようになったきっかけだ。店に着くなり父上がいきなり調理場に入られて「ヤン、アニタ、これが弟のグスタフ・ステファンだ」と僕を紹介なさったのには驚いた。

 事情が良く飲み込めぬままに「お初にお目にかかります」と礼をすると、二人には「よせやい」「弟なんだから他人行儀な挨拶は無しだよ、無し」なんて言われてしまった。

 兄のヤン・アイロは十八、姉のアニタ・アイロは十七、共に父上が十代の皇太子時代に生まれている。見るからに善良で働き者なのが良くわかる。


「親父さんたら良い加減だなあ。こういう事はさ、前もって知らせておいておくれよ」

「そうそう。こっちも心づもりってもんが有るのさ」

「御馳走ぐらい、用意したのにさ」

「そうだよ。ケーキの一つも作っておきたかったよ、まったく」


 散々な言われ様だが、スケジュール管理もいい加減な父上らしい。僕がそこそこ料理が出来る事、シーツのかけ方、アイロンのかけ方も悪くない事を父上が紹介すると「じゃあさ、やってみな」といきなりアニタに連れられ二階の旅籠のベッドメーキングをやる事になった。ユリエの仕事を見てきたおかげで、ハウスキーピングは結構まともにやれるのだ。


「あれまあ。驚いた。ぴっしり皺ひとつなく、綺麗に仕上がってんじゃない。あんた皇太子で食いはぐれたら、旅籠で働きなよ」

「今度は俺と調理場の方、やってみてくれ」

 ヤンにエプロンを借りて身に着けると、一人でやってきた旅の商人らしい男がビールと茹でた豆、ポタージュにオムレツを注文したのを僕がサーブし、オムレツまで焼いた。

「妙に美味いオムレツだった。帰り道にまた寄るぜ。釣りは坊主にやるよ」

 釣り銭をやった坊主がこの国の皇太子とは、思ってもみなかったようだった。

「おうおう、上出来じゃんか。あんた、神童だって噂は聞いてたけどさ、何でもできるんだなあ」

 宮中での褒め言葉と違って、何の裏も無いヤンの言葉は純粋に嬉しかった。

 娘と息子二人が散々働いているのに、父上は勝手に手酌でワインを飲んでいた。

「親父さん、それ、家で一番高い酒じゃんか。客の分が無くなっちまったぞ」

「すまん、すまん、あとから代わりの酒を持たせる」

「この前みたいに宮中御用の封印付きは困る。俺らが盗みでもしたように誤解されたら事だぜ」

「わかった。レーゼイ商会の品物を回す」

 そうなのだ。ワインの流通に関してもレーゼイ商会の力は大きいのだった。

「いつぞやみたいに、地下室に入りきらない量ってのも困るよ」

「そうか、どうも適切な量がわからん。そうだ。この弟にどのぐらいの量が良いのか地下室を見せておいてくれれば、大丈夫だろう」

 そういわれて、地下室に降り、ワインを頼むついでにチーズとハム、ベーコンも頼んでしまう事にする。

「良いのかい? そんなどんぶり勘定」

「別に大丈夫ですよ。どこかの愛人の髪飾りかドレスになる分から資金を流用するだけで、まともな税金なんかは手を付けていませんから」

「その辺の事情が分かる七歳って、あんたほんとにすげえな」


 こうして兄と姉のいわばテストに合格して以来、この店で働かせてもらう許可が出た訳で、僕も宮中でのあれやこれやが嫌になると、気晴らしにここにやってくる。何というのか……ここでの会話は本音で温かい。


 だが、ここ三月ばかりは気晴らしのためでは無い。情報収集が目的だ。


 ネードの鉄鉱山と製鉄所をめぐる大規模な不正について詳細な報告書を大宰相自身にまとめさせ、早急に父上に提出するよう命じた。今現在は父上の秘書官たちがその報告書を精査し、事実関係を調べ上げているはずだ。それとは別に、大宰相は侯爵夫人と協力して不正に強制労働をさせられたスコウホイの住民に正当な賃金の倍の金額をそれぞれ支払い、落盤事故の犠牲者の家族にはその家の年収にあたる金額の弔慰金と寡婦・孤児に対する生活資金を負担するようにさせた。


「これでまた不正が横行すれば、スコウホイは大変な事になります。独立戦争が巻き起こるかもしれませんよ。事実、今回の警告をした連中は帝国領からの独立を志向しているようですから」


 昨今の様子を見れば、父上に僕の言葉は重く受け止めていただけたのだろうと思う。

 何しろセルマの乗馬中の騒ぎの一件から三日後に、大宰相と侯爵夫人のそれぞれの邸に警告文が送付されてきたと言う事も有ったから。文面は共に同じで「スコウホイから帝国は完全に撤退せよ」というものだ。そして最後に『スコウホイ解放同盟』とあった。だが、いまだにその同盟がどの程度の組織なのか、誰が指導者なのか、まるで情報が無い。

 

 大宰相と侯爵夫人が結託して不正資金を取り込んだのは、皇帝である父上と皇后たる母上の気まぐれ、あるいは愛人に対する不誠実とも言えなくはない事を、僕は遠回しな表現を使ったが、両親にはっきり理解させた。父上は自覚していたようだが、母上は自分の言動が招いた結果に驚いていた。

「直接的に銭金で父上母上の気を引こうという訳では無いのでしょうが、目新しい事、気の利いた事を立て続けにやろうなどと企てると、相当金はかかるものです」

 お二人ともそれなりに財政とか租税の負担率とか理解はしているが、庶民の金銭感覚を理解できていない。特に殆ど庶民の暮らしを見たことも聞いたことも無い母上は、その傾向が強かった。


「ともかくも有能で、民を思う清廉な人材を選りすぐられて、スコウホイに速やかに配されますように。そして、前任者はすべて退任させるべきです」


 僕のこの提案は言いだした僕自身が驚くほど速やかに実行されたが……大宰相と侯爵夫人の罪状を明らかにする査問会は開かれなかった。本来なら御前会議を開き、更には全官僚の意見も求め事態の収拾にあたるべきだが……両親はそれを拒否した。


 後は侯爵夫人のサロンに集う自然科学系の学者たちを僕に紹介してもらい、鉱山と製鉄所の安全対策と環境汚染に対する対策に関して、調査研究をすすめさせた。既に鉱毒問題が深刻化しつつあったのだ。こちらも対策を急がねばならなかった。

「こうした有益な研究は、あなたの宝石だらけのドレスの何百倍も父上の御気持ちを引き付けますよ」と言ったのは事実で、別に嫌味のつもりは無かったが、侯爵夫人は不快であった様だ。まあ、妊娠中の女性は感情が不安定になりがちなものらしいから、仕方が有るまい。その話を父上にすると、笑われた。


「父親の女にさほど気を使う必要など有るまいが。お前は歴とした皇太子なのだし、アレからすれば自分の不都合な秘密を内緒にもしてもらっている義理も恩も有るはずなのだからな。機嫌がどうなろうと、真実ならば遠慮なく言ってやれば良いのだ」

「僕の弟か妹か知りませんが、ともかくも無事に生まれてほしいですから、侯爵夫人には安らかな気分で居てもらう必要が有ります」


 今回の処置を僕が不満に思っている事と、侯爵夫人の胎内の子が僕にとっても血のつながる『家族』であることは同時に事実なのだ。僕は国を支える人々への重大な裏切り行為に加担したという罪悪感が有るが、良くも悪くも御育ちが良すぎる父上と母上には、そんな感覚はあまり無さそうだった。だからと言って、二人を責め立てても何の良い結果も生まないのも、また、はっきりしている。


 そんな話の後、父上は僕を初めてこの『大女亭』に連れ出したのだった。最初は僕を気晴らしのために連れ出して下さったのかと思っていたが、ここはスコウホイ出身者が多く立ち寄る店であることに後から気が付いた。特に『タラのコロッケ』はスコウホイの人々にとって、大変に懐かしい味であるらしく、常連も多い。その常連も大半が何らかの形でスコウホイとつながる人々のようだった。


「なんか近頃スコウホイに赴任してきた役人連中のお行儀が妙に良いそうだな」

「ああ。踏み倒しは無くなったし、訳の分かんねえ強制労働も無くなった」

「なんか見舞い金も出たって?」

「働き手が死んじまった家には、なんか食い扶持分の年金を寄越すってさ。嘘かと思ったら、ほんとらしい。何だか手のひらを返すようで薄気味悪いって、皆言ってるな」

「帝国のおえらい様の気まぐれで、御慈悲を賜ったんだろうよ。風向きが変われば、どうせまた似たような事がおこるさ」

 そこで同じテーブルの人間が皆頷いた。

「ああ、幾度もそんなことが有ったもんな」

 また、同じように頷く。

「人手が不足すれば、昔みたいに奴隷狩りなんぞおっぱじめるかもな」

「そうともさ。今度のネードの一件だって、張本人はピンシャンしてるんだろ?」

「賄賂をばら撒いて、首の皮をつなげたんだろうさ。ま、ありがちな事さね」

「悪龍を打ち取れるのは、宝剣を持った龍殺しだけさね」

「ちげえねえ」

「悪龍は魔女と手を組んでいるらしいしな」

「手だけか? こっそり懇ろ、ってことはねえのか?」

「さあなあ。それはそれで物騒な話だ」

「魔女の産む子供の父親って、誰だと思う?」

「悪龍だったりしてな」

「けっ、地獄に落ちろってんだ」


 ビールを飲んで盛り上がっている都とスコウホイを行き来する「担ぎ屋」だと思われる五人の男達の話に、僕もサウリも武官たちも聞き耳を立てていた。

護衛騎士の名前はサウリでした。訂正しました!

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