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僕と魔女と悪龍の危ういバランス・2

「大公殿下は皇太子殿下が本当にお好きなのですねえ」


 ぼやいているのはロルフの乳母でどこかの子爵夫人だ。

 ロルフは正妻である母上が生んだ皇子なので、自動的に公爵の位を得た。皇帝の嫡出子であるために並みの公爵と区別して『大公殿下』と呼ばれる。父上の弟たちは全員庶子なので、今現在、大公に該当するのはロルフだけだ。

 乳を含ませ、おむつを替え、発熱も無く、特に虫刺されなども認められないのに泣き続ける身分だけは変に高い赤子を前にして、経験の浅い乳母は今日も途方に暮れていた。そこヘ僕が通りかかりロルフを抱いてやると、すぐ泣き止んだのだ。

 こうした場面にもう十回以上遭遇している。

 乳母はホッとしてはいるものの、自分が抱いても泣き止まないロルフを恨めしく思うと同時に、僕の『お節介』をありがた迷惑に感じているらしい。


「赤子は心もとなくさみしいから泣く事も有るのです。その気持ちに添うてやる様なつもりで抱いてやってください。そうすれば、この子の気持ちも安らぐでしょう」


 僕が毎回注意しても「気持ちに添う」と言う事が、この乳母には理解できないようだ。ユリエにはごく自然にできていたのに。資質の問題なのか心がけの問題なのか、良くわからない。僕が説教をするのも筋違いだし、困った。ともかくロルフを抱いたまま、母上のおいでになる部屋をめざす。そして母上にロルフをお渡しすると、人払いが命じられた。乳母はホッとした顔つきになって部屋を出た。やはり、職務に対する義務感というか心構えに問題が多い。ああも露骨にホッとして見せるとは、乳母としては問題だろう。いや、あの程度が普通なのかもしれない。ユリエが献身的でありすぎ、逆に僕の乳母を罷免されたドロテアは酷すぎた。そう考えるべきかもしれない。


「あれは乳が豊かで健康で身分もふさわしいので決めた乳母ですが、ロルフとはどうやら相性が良くないようねえ。どうしたものでしょう」


 母上は軽い気持ちから僕にこんな話をするが、僕の受け答え次第であの子爵夫人は罷免され、その一族は面目を失う。だからそれがなんだ、というのが母上の思考法だろうが、僕は誰の恨みにせよ買いたくない。


「ロルフはグスタフが好きねえ。前世でも兄弟だったとか友であったとか、何か有るのかしら?」

「さあ、どうなのでしょう。僕には特に何も感じられませんが」

 何というのか、ロルフの思念はまっさらな感じだ。時折、僕を見て「うれしい」と感じてくれている感情の波だけが伝わる。

「よしよし……」

 赤ん坊らしい柔らかな頬を僕が指先で軽く、ちょんちょんと突いてやると、笑い声を上げた。

「まあ、ロルフごきげんねえ」

 僕は母上とロルフに別れを告げると、御前会議の行われる会議室に向かう。


 今日の議題は外交問題だが、当然それに関連して僕の正妃・側妃をどうするかと言う話の流れになった。

 父上が隣国ワッデンから僕の正妃を迎えるべきだと言うお考えを珍しくはっきり表明なさると、大宰相以下誰も反対しない。出来ないのだろうが。国境地帯のドランメン伯爵領における領主の健康問題は誰も知らないようだ。


「恐れながら、殿下のお相手の王女は如何なる方であられましょうか?」


 父上は外交官達から直接の報告を受け、内密に慎重に事を運んでおられるのだし、握っておられる情報の中には並みの貴族では知りようのないトップシークレットも含まれる。それでも、執政官たちには差支えの無い範囲で王女に関する情報が伝えられる。そうでなくては議論のしようも無いから、当然だろうが。


「ワッデン国王には二人の王女が居る。嫡出の六歳の長女と生まれたての庶子だ。六歳の第一王女アネッテは二人の兄に次ぐ第三位の王位継承権を有する。皆も知っての通り、ワッデンには歴史上幾人かの女王が存在した。そして、中にはかつて我が帝国の皇太子を夫に迎えたものもいたわけだ」

「おお。女傑とも魔女とも呼ばれた女王ですな?」

「三度結婚し、あまたの子をもうけ、五人の美しい娘たちをそれぞれ有力な国家の正妃とし、長らくルンド全土に平和をもたらすのに貢献したという女傑ですな」

「最初の夫君であった帝国の皇太子、のちにグスタフ三世陛下となられた方との御縁が円満に続いておりましたら、帝国の所領は大きく広がっておりましたでしょうな」


 その、帝国の所領云々という言葉に父上は大きく頷かれた。


「アネッテの兄二人は極めて体が弱いらしい。季節が変わるたびに度々寝込むそうな。従って第一王女のアネッテが王位を継承する事も有り得ぬ話ではない」

「ならば御婚儀を整えられれば、皇太子殿下がワッデンの王配殿下も兼ねられる可能性も高いのですな」

「英明で忍耐強くあられる殿下の御資質、御器量ならばかつての三世陛下の様な事もございますまい」

「さよう。アネッテ王女と御円満に夫婦として添い遂げていただければ、それだけでも大変な国益となる可能性は大きいですな」

「このグスタフが即位すればグスタフ十一世と呼ばれる事となろうが、我が息子ながら実に将来楽しみだ。生きてその治世を見ることが適わぬのが、いささか悔しいぞ。上手くすれば帝国とワッデンの連合国の主となる事も夢ではあるまい」


 父上のその言葉に、その場は妙に盛り上がったが……父上の死が前提の話で盛り上がる奇妙さ、危うさを皆忘れているようなのが、僕には奇異に感じられた。


「して、そのアネッテ第一王女はどの様な方でしょう?」

「性格までは良くわからぬが、王子たちより賢いと言う噂だ。少なくとも神童として名が通っているグスタフの妻になっても不似合ではないと言う事らしい」

 父上が言うように僕の名がそれほど浸透しているかはいささか疑問だが、愚かな妻は確かに困る。


 聞けば王女はなかなかに大変な境遇で育ったようだ。


 王子二人とアネッテは現在の王の最初の正妃の産んだ子だが、生母の死後父王が迎えた二人目の王妃によって監禁されて育ったらしい。監禁はなんと四年に及んだようだ。

 現在の王は善良ではあるが、大した人物ではないと言うのが帝国での一般的な評価だ。後妻の横暴を抑えられず、世継を含めた三人の子供らを守れなかったのだから、確かに不出来な王だ。

 つい先月宮廷内でのクーデターが成功し、後妻とその協力者らは殺害され三人の子供らは救出された。


「邪な王妃の策謀を最初に探り当てたのはドランメン伯爵の功績だ。その後は我が帝国の近衛武官が密かに忠臣等の組織と接触を続け、このたびの粛清にも手を貸した。だが、先の戦役での敗北で、ワッデンの民の帝国に対する反感は強い。それ故、表向きは帝国の関与は存在しなかった事になっている」


 参ったな。ドランメン伯爵がそんな手柄を立てていたとは。病で臥せっていなければ、今この場で面と向かって語し合う羽目になっていただろう。ちなみに今回の縁組はワッデン側からの申し入れだそうな。


「いわゆる忠臣らも一枚岩ではない。長男の王位継承を確実にしたい連中にとって、兄より賢いとされるアネッテ王女は目障りなのだろうよ」

 父上がそこまで国際的な政治工作に御自身で手を染められたなんて、初めてではなかろうか。お話の趣旨は良く分かったし、執政官どもが言うように「ワッデンに恩を着せ、抑え込む良い機会」「王女にワッデンの王位継承権があるのは悪くない」のだろう。だが、僕は釈然としなかった。

 皆、王女は人質であると受け止めており、僕にはその人質を「飼いならす」役目が期待されているのだ。


「皇太子殿下は女心の機微を良く御存知のようで、側妃候補のお二人も殿下に夢中だと言うではないですか」

「おう、その噂は私も聞きましたぞ」

「年配の御婦人方も皆、皇太子殿下は良くできた方だと褒める事しきりですからな」

「王女とはいっても普通の六歳の少女でしょうからな。殿下なら上手くおやりになれましょう」

「もう一度ワッデンと戦争をやるに事に比べたら、こういっては何ですが安いもので」


 散会後、父上と二人きりで話した。これも珍しい事だ。


「父上、ワッデン戦役の傷跡は、今も大して癒えていないと言う事でしょうね」

「お前のじい様が始めた戦だが、本来ならばやらずに済んだ戦だったと思うのだよ。戦は良くないなあ。どうせ皇帝や皇太子は政略の具である事からは逃れようがないのだ。政略結婚で戦が防げ、人助けにもなるなら、良しとせよ。王女の身の回りにはどうやらろくな者がおらぬようだ。今も食事に事欠き、好きな絵も思うように描けぬ有様らしい」

「本来は王女の手元にあるべき金品を勝手に着服するとか、横流しする不届き者がいるのでしょうか?」

「ああ、そうよな。そうかもしれん」

「真実、食事にも事欠くなら、早めに帝国側に引き取った方が良いでしょうか?」

「おお、それが良い。それこそドランメン伯爵家に王女の世話を命じるか。王女が打ち捨てられたようにして住んでいる離宮から、馬車で半日かそこらの道のりらしいからな」

「……はい」

「ユリエが気がかりか」

「気にかけるべきではないでしょうが」

「ふむ」

 父上は面白いものを見たという様な、ニヤッという感じの笑いを一瞬浮かべてから、こうおっしゃった。

「ドランメン伯爵夫人は僅かの内に、城内の使用人や領内の代官どもを心服させたと聞く。哀れな六歳の少女の面倒を見るぐらい、お手の物だろうと思うがな。どうだ?」 

 父上のおっしゃる通りだろう。ただ、僕の正妃となる少女をユリエに世話して貰うというのが、引っ掛かっただけだ。結局僕は父上の案に同意し、父上と僕の連名で早速ドランメン伯爵家に対して依頼状を送った。


 十日ほどして、ユリエ、いやドランメン伯爵夫人から正式な返書が父上のもとに届いた。僕の所に居た時に公文書の取り扱いの手伝いなどもしていたのが、役に立ったのだろう。皇帝に対する返書としての体裁を整え、格式にふさわしい見事な筆跡の手紙を見ると、ユリエが名実ともに伯爵夫人となったのだと実感する。

 

「アネッテ王女の御希望で近隣の村に潜んでいた乳母と乳母の娘を当家に引き取りました。御身分格式にふさわしい御暮らしぶりは、おいおい御指導申し上げるとして、当面はお心を癒し、お体を労わることを第一にお過ごし頂けるように努めます」

 そんな内容の他、王女のために用意した物品のリストや、都で用意して送ってほしい品物のリストもついていた。帝国での正式なディナーに用いる食器のセットや、宮中での典礼集、などというのはユリエがマナーを仕込んでくれるつもりなのだと思われたし、外国産の珍しい色合いを含んだ水彩絵の具のセットや絵筆などは王女の希望なのかもしれない。


 僕はユリエに大いに感謝しながらも、ますます僕らの縁は遠ざかっているのだと思われて、悲しかった。


 


 

アネッテの設定を四月十九日に変更しました。

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