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僕とユリエの夏休み・2

嵐の予感、ですねえ。

「そこで、その足を相手の出た足の側面に半歩入れて、その足を軸に回り込む」

 僕は家康さんに自分でできるトレーニング法と基礎的な技について教えてもらっている。

「回り込みながら自分と相手の手、肘、肩を揃えて……そう、そう」

 体格の近い組手役の少年と一緒に練習している。彼は家康さんの甥っ子の一人で、ユリエには従兄弟にあたるエイモンと言うか衛門と言う。

「そうそう。衛門はグスタフの手首を掴め、そうだ」

 僕は師匠になってもらう家康さんに修行の間だけでも名前で呼んでくれと、頼んだ。衛門は十二歳だが小柄だ。しかし技の方は大したものだ。こんな初心者の稽古につきあわせて気の毒だが「将来は武術を教える立場」なので、初心者に対する指導法の勉強というわけだ。

「衛門、お前の姿勢が崩れてどうする。背筋はまっすぐが鉄則だぞ」


 ひとしきり稽古が済むと、男三人で一風呂浴びる。それから朝食だ。


「今日は塩田の方で、色々有りまして、お目にかかるのは夕食の時でしょうな」

「そうですか。多忙な時期に、時間を割いていただいてありがとう。それはそうと、ここで出来る塩は、柔らかな良い味ですよね」


 帝国領内で岩塩が採れる場所は殆ど存在しない。それだけに海水から採れる塩は貴重だ。特に専売制度を敷いているわけではないが、レーゼイ家は国内で塩の取引をほとんど独占している。だが、その製法は塩田の粘土で作った防水層に細かい砂を敷き詰め、その砂の上に海水を撒いて太陽光線と風で水分を飛ばす事を、砂をかき混ぜながら繰り返し、濃い塩水を作るというやり方だ。そう、揚浜式っていうのかな。


「自然の地形を利用して潮の干満を使って、海水を取り込む方法は?」

「ああ、確かに。ミズホでは大規模にその方法がとられておりますが、このあたりでは条件が整いませんで」

 そうか、入浜式は自然条件の縛りがきついか。干満の差でうまい具合に海水を取り込むんだからな。


 そこで、僕が更に枝条架塩田について話すと、家康さんは興味を示してきた。そして、その話は朝食の間もずっと続いた。衛門の家は塩田の管理者なのだそうで、こちらも真剣に論議に加わる。


「すると、その、ホウキの様に枝などをまとめた棚の様なものをいくつも並べ、そこに海水を撒き、風をあてるのですな?」

「風の条件などを詰めないとはっきりは言えませんが、上手くいけばお悩みの日照時間が短い季節の塩づくりが、ずっと容易くなります。それを二度三度繰り返すことが出来れば、非常に濃い塩水が出来るでしょう」


 問題はどうやって枝条架っていうか、枝を束ねた棚みたいな物に、均一に海水を撒くかだ。海水面から枝条架へ運び上げるためのポンプなんて無い世界だもんな……人力で担ぎ上げるのは、非効率的だし重労働になる。


「んー、そうだな……」

 僕はミニチュアの塩田を作らせてほしいと申し出た。

「ほほう、雛形を作られるのですな。なるほど。うまくいけば、色々な事も見えてきましょうし、うまくいかなくても、さほどの損失も出ませんな」

 話を聞いていたユリエは、僕の貧乏性に呆れていた。

「殿下、せっかくの休暇ですのに、都に居る時よりも忙しくなるではありませんか」

「殿下はいつも忙しくなさってお出でなのか?」

「ええ。学問はもうすでに並みの文官の方よりもお出来になるのです。毎回、御前会議にも御出席なさって、時には御意見も仰います」

「ほう! 殿下が恐れながら神童であられるというのは、この田舎でも皆が知っておりますが、御前会議で執政官相手に御意見を……これは驚きました」

「いや、単に頭の錆びついた祖父さん連中の思い違いや勘違いを、ちょっと訂正する程度ですよ」

「またまた、御謙遜を。側妃のお話が有って以来、殿下に謁見を求める者も多いと聞きますぞ」

「はあ。大半が利権目当ての腹黒い連中ばかりです。それでも、角を立てずに追い返すのは疲れます」

「本当にお忙しいのよ。お妃候補の姫君方とのお付き合いもお有りだし……殿下、どうか、休暇の間ぐらいごゆっくりなさって下さい」

「良いんだよ、ユリエ。海の側でしか出来ないことだし、前から塩田には興味が有ったし」

 それに、うまくするとユリエにちょっと恩返しできるかもしれないし……とは、言わないが、そんなつもりも有るのだ。


 僕は小さな潮だまりを加工して海水のタンクがわりにして、塩田のミニチュアを十日がかりで作り、家康師匠に披露した。海水を持ち上げるのはサイフォンの原理を応用した。


「満潮時にタンクに入り込んだ海水を逃さないように、この水位が過ぎたら弁を閉じます。そして……この管から枝条架にこの小さな穴を空けたパイプを通して霧状にして撒きます」

「ふむふむ。そして、その海水を更に下段の枝条架に落とすのですな」

「はい。季節風の加減などは、よくわかりませんが、吹き飛ばされない範囲で強めの風が良く吹く場所が、理想ですね」

 ミニチュアはうまく作動した。霧状にというほどには細かくないが、まあまあ均等にホウキ状の棚に海水を撒き、それを集めてさらに下の段のホウキ状の棚に落とす。更にもう一段。都合三段で海水を濃縮した。

「何と、わずかな時間で驚くほど濃縮されていますな」

「これなら、十分使い物になるのでは有りませんか」

「これ、衛門、使い物とはなんだ」

「あ、はあ……」

「ですが、殿下、これは本当に大した物ですな。うむ。この仕組みを我々が使いましても宜しいので?」

 家康さんはアイデア料とかパテントとかを気にしているのだ。僕が銭金を要求するつもりがないのはわかっていても、ただで使うのをためらってくれたようだ。

「どうぞ。まだまだ、実用には色々な課題も多いでしょうし。干満差で海水を満たすタンクの設置場所や枝条架を設置するのにふさわしい場所や、その他もろもろ。でも、本当にお役に立つかな」

「ええ、十分に。冬も塩づくりが出来そうなのが特にありがたいですな」


 本当に実用化を検討するらしい。塩づくりをこれまで担当してきた者や、村の物知りなどを呼び集め、説明会の様な事をして、更に議論を詰めた。そして、このアイデアはレーゼイ家の管轄する塩田だけの物として秘密にされる事になった。


「本当に、レーゼイ商会だけで独占してよろしいので?」

「ええ、構いません。でも、どこかで別の人が同じような事を考え付く可能性は有りますが」

「いやあ、当分は大丈夫でしょう」

 塩の商売、特に製造はレーゼイ家の独占状態なのだ。確かに当分は大丈夫かな?


 最後の三日間は、六歳の子供らしく、蝉取りをして、海で泳いで、スイカを食べて昼寝をして過ごした。武芸は僕の持ち込んだ枝条架式塩田の計画の所為で、お休みだ。都に戻ったら、十日に一度ぐらいはレーゼイ家から誰か武芸の指導に来て貰う事にした。


「ユリエ、あのねえ」

「何で御座いましょう?」

「いや、いいや……良くないか」

 僕はためらっていた。だが、言うべきだろう。僕の得手勝手な気持ちは忘れてくれって。

「君の父上がおっしゃろうっとしていたことは、たぶん、こういう事なんだと思う」

「どういう事でしょうか?」

「流れるべきものは流れる。そして、交わるべきものはまた交わると……」


 ユリエは結婚するのだ。おかしな付帯条件を僕につける権利は無い。結婚したくないらしいが、それでも夫となるドランメン伯爵は好感の持てる人物だと感じているらしい。ユリエが終生メイドで構わないと思っているのは良くわかっている。

 でも、僕は……たかが身分の事でユリエを低く見る連中から守りたいのだ。

 側妃候補たちが、いったいいつから現実に僕と実質的な婚姻関係を結ぶようになるのか、あるいはいつの間にやら話が立ち消えになるのか不明確だ。大宰相や侯爵夫人が思う程確定した話ではないのではないかと僕は感じている。それに、僕自身の皇太子という立場だって、本当に揺るぎないもので有るのかどうか……六歳の『神童』の取り扱われ方は微妙だ。大人並みの責任まで要求される事も珍しくないのに、不都合だと子ども扱いされる。それでも大宰相の場合は『国益』『秩序』といった比較的明快な指針に従った行動だから、わかるのだが、問題は父上だ。憎まれているとは思わない。だが『息子として』愛されているとも思えない。母上は腹を痛めた所為か、それなりの情を感じるが……


 父上の庶子は多い。それに父上の弟たちも皆健在だ。現在は僕が皇太子でいるからどうにかユリエの安全を保っているが、僕の立場が危うくなればユリエも危ない。

 この国では『貴族の権利』『貴族の名誉』は尊重される。一旦貴族階級になれば、たとえ讒言や陰謀で追い落とされても、めったに殺害されることは無い。それが平民となると、権力者にとって不都合な存在ならいともたやすく排除され、消されてしまう。僕はその厳しい現実を間接的にではあるが、知っている。

 僕が讒言で貶められ、反逆罪で牢屋に入れられたとしたら、僕のメイドで平民のユリエは敵対する勢力にどの様に残酷な扱いをされるかわからない。一旦貴族になれば、少なくとも闇から闇に葬る事は難しくなるのに……

 かつての大女官長エマ・ヤイレの場合は、皇帝が表向き独身の彼女に、貴族としての最低の階級である女準男爵の称号を与えて守っていた。出来れば僕だってそうしたい。だけど、今の僕にそれは出来ない。僕は六歳の皇太子なのだから。権限も権力も持ち合わせていない。 


 海辺で過ごした休暇がもう終わるという前夜は、嵐になった。気丈なユリエにしては珍しく震えていた。吠える様な激しい海鳴りが苦手だと言っていたが、まさに幼い子供に戻ってしまったかのようだった。

 僕は……気持ちとしては、ユリエを抱きしめた。可能な限りしっかりと。

「大丈夫、もうすぐ終わるから」

 大した根拠もなく、自信も無いくせに、そんな言葉を幾度も繰り返した。そして、大切な存在を守る力が自分には備わっていないのが悔しかった。悲しかった。


 気が付くと、暴風の吠える様な音に合わせて、僕は泣いていた。

「殿下?」

 僕が号泣すると、ユリエは震えるのを止め、僕をしっかり抱きしめてくれた。

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