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特別なデザート

111話目です。クリスマスのデザートについて

「もうすぐクリスマスだなあ。気がついたら、フロリダで過した回数よりトリアの方が多くなったんだから、俺も結構長生きしたなあ」


 そういうラルフさんの髪は今はもう真っ白だ。隣の太田正平さんはすっかり禿げた。だが、二人とも頭脳はいささかも衰えていない。僕は親しく付き合っている人を、時々午後のお茶に招く。ヤタガラスはわざわざ呼ばなくても、来たければ来るだろうし、来ない時はどこかで御馳走になっているのだから気にしない。そういう訳だからヤタガラス用の煎餅の大きな缶は、手元に常備している。


「まだまだ、もうしばらく、元気に頑張ってほしいよ」

「そうは言うけど、俺の寿命は限られてますからね……この年になると、子供のころ飲み食いしたものが、やたら懐かしかったりするんですよ。俺の家は貧しかったから、クリスマスディナーも品数は少なかったけどね、それでもデカいハムとデザートぐらいは用意してくれたなあ。まあ、それで精一杯だったんだろうが。フロリダのステート・パイはキーライム・パイだが、どちらかといえば夏のパイだな。冬、それもクリスマスシーズンとなると、どうしたってピーカン・パイを食べないと気分が治まらないんだ」


 ラルフさんがいうステート・パイとは、アメリカのそれぞれの州の名物らしい。それぐらいアメリカ人はパイが好きって事なんだろうか。

 キーライム・パイは卵黄やキーライムと言うフロリダあたりの特産のライムを使った爽やかな風味のパイだ。コンデンスミルクを使えば簡単だが、牛乳やコーンスターチ等を使って作る方法も有るにはある。僕はむしろその方が好きなぐらいだ。後はメレンゲが大切で、最後はきれいに焼きを入れる。

 ピーカン・パイは南部の諸州で好まれるものだと聞いた記憶が有る。ピーカンとかペカンとか言われるナッツとコーンシロップや黒砂糖を使った、相当甘いパイだ。だが、ラルフさんはその甘さが懐かしいらしい。

 ラルフさんはローストビーフやらローストチキンなんかは自分でも作るし、バーベキューのソースなんかはなかなかのものなのだが、菓子類は作った経験が無いらしい。従って懐かしいキーライム・パイもピーカン・パイも、もう何年も口にしていないと言う訳なのだった。


「ふーん、そんなものかねえ。日本人はそこまでクリスマスに思い入れは無いけど、一応それらしい御馳走やらデザートやらは食べるよ。特に子供がいる家庭はツリーも飾るよ」

「日本人はクリスマスシーズンに食べるデザートって何か有るのかい?」

「イチゴのショートケーキかな」


 1862年生まれの太田さんはどのデザートも全然食べた事が無いので、話題に入ってこない。明治期の人に取って洋菓子は非常に珍しいものだったのだろうから、当然の反応だろう。もっとも、太田さんは機械か電波や音波に関わる事じゃないと、あまりこだわりも無いし、興味も無いと言う所は有るのだが。


「ショートケーキ?」

 ラルフさんは軍の仕事で日本に赴任した経験はあっても、日本式のショートケーキを知らないらしい。

「ふわふわのスポンジケーキにたっぷりのホイップクリームを塗って、真っ赤に熟れたイチゴを飾ったケーキだよ。なぜそれがクリスマスケーキの代表になっちゃったのか、理由は知らないけど」

「ヴィクトリア・ケーキみたいな味かな」

「まあ、僕はイチゴのショートケーキより、ブッシュ・ド・ノエルの方が好きだけどな」

「フランスの菓子かい?」

「本当のフランス風とは違うかもしれないが、日本じゃ人気が有ったよ。ココアとかコーヒー風味のロールケーキを暖炉にくべる薪の格好に見えるように、ココアクリームやチョコレートなんかで飾り付けるんだ」

「やけに詳しいなあ」

「昔作ったからね」

「私、ピーカン・パイもブッシュ・ド・ノエルも得意よ、作りましょうか?」


 お茶の支度を整えたワゴンをメイドに押させて、エミナが入って来た。今日はアメリカ風のココアブラウニーと、ジンジャークッキーに、黄な粉餅だ。


「正平さんは、何か食べたいものは無い?」

「洋菓子は何でもハイカラに感じます。ハイカラ過ぎるぐらいですな。時々、白玉を入れた汁粉がたまらなく食べたくなりますが」

「そう? ヤタガラスには時々食べさせているよ。言ってくれれば、食べさせて上げたのに」


 どうやら正平さんの妻である芳子は和食風の料理の作り方は知っていても、夫の好物の白玉汁粉の作り方は知らなかったらしい。それでずっと長い間、好物にありつけなかったのだ。気の毒に。

 気の毒だから、ちゃんと白玉汁粉を作って、翌日も正平さんと芳子をお茶の時間に招いた。ヤタガラスも一緒になって、かなり大きな鍋一杯に作った分がすぐに空になった。それからエミナと僕はモミの木の飾りつけをした。


 帝国の十二月二十四日は「開祖降誕祭」で、年末年始の休み期間の開始だ。本当は前世は開祖であったフレッドが、クリスマスが祝いたくて祝日にしたのだが、後世に「開祖様のお誕生日」という具合に誤まって伝わってしまったのだ。クリスマスツリーに相当するものは、「開祖様のモミ」などと呼ばれている。飾る物はまさに地球のクリスマスツリーだが、サンタはいない。十九世紀のカリフォルニアの砂金採りの息子には、サンタはなじみがなかったらしい。


「クリスマスにプレゼントを配る太っちょの妖精の話が有るって、聞いたぐらいで、詳しく知らないや。俺の親たちは糞まじめなキリスト教徒だったもんでな、妖精なんて異教のものだっていうんだ。セント・ニコラウス? いや、知らないなあ、へえ、そんな聖人様がいたのか」

 フレッドはいっぱしに、額に皺を寄せて、いかにも考え込んでいると言う表情で、こんな話をした。

 キリスト教も宗派によって色々で、セント・ニコラウスを聖人として扱う所から、フレッドのアメリカでの両親みたいにサンタ妖精説をとる宗派もあるようだ。

  

 皇室の「開祖降誕祭」は親しい人々を招待し、食事をして歌って踊って酒を飲むのが習わしだ。忙しい年末に気合を入れるために、使用人たちにもしっかり御馳走を出す事にしている。無論プレゼントのやり取りも大事なイベントだ。子供たちがまだ幼いから、僕ら夫婦は夜の宴会より、昼食会に力を入れた。主な貴族・政治家・実業家なども招いたが、その催しが終わった後、ごく親しい人だけ集まってもらって年内最後の午後のお茶会を開いた。ラルフさんが座る席には、星条旗のデザインのクッションが有る。太田さんには同じ素材で日の丸のデザインにした。どちらもエミナからの手作りのプレゼントだが、二人とも非常に喜んだようだ。

 で、このお茶会のケーキとパイだが、僕が指揮を執って、調理場の皆と一緒に作ったものだ。


「ほう! まさに俺が食べたいと思っていたキーライム・パイにピーカン・パイですよ、陛下」

「キーライムは手に入らなかったんだが、ミズホの南の島になる柑橘類で、キーライムとよく似た風味の物が有ったんで、どうにか出来た。ピーカン・パイはメープルシロップを使って仕上げたよ。しっかり甘い割にしつこく無くていい感じじゃないかな?」


 ラルフさんは僕より体が一回りデカいからなのか、今でも体を鍛えているからなのか、若いころとあまり変わらない食べっぷりだ。「どちらのパイもこれまで食べた中で、味も見た目も一番洗練されている」という評価をラルフさんに貰ったから、まあまあ成功だったようだ。欲を言えばピーカン・パイの甘さが少々物足りなかったらしい。


「陛下が日本で馴染んでいたって言うクリスマスのケーキって、これですか。へええ、イチゴの赤とクリームの白で日の丸の形かあ。実にキュートだ。ふーん、非常に軽いな。ふわふわして溶けてしまいそうだ。これはこれで、美味いですなあ」

 ラルフさんの言葉に、太田さんも賛成らしい。特に太田さんは日の丸のデザインに涙腺を少し刺激されたようだった。確かに明治の人は、僕なんかより日の丸に対する思い入れも強いかもなあ。

「美しい日の丸ですね。とても懐かしい。ケーキやらパイやらの事はまるでわかりませんが、このふんわり軽いケーキは非常に美味しいと思います」


 確かに。


 この日のショートケーキは一人分づつ国旗と同じ縦横比率七対十にして、それぞれの分の中央にイチゴを丸く集めた。ルンドの者達は知らないが、地球から来たものにはすぐにわかるデザインだ。僕とエミナの思い入れもこもっている。皆の皿の上には、一つづつ小さな日の丸が乗っている。ちょっと不思議な眺めだ。


「日本は……いや、僕たちの知っているあの国の人たちは、どうなるんだろう?」

「そうねえ。知っている人たちはもう大半はいない訳だけど、特別な国よね。離れてしまったけれど、皆が平和で、ちょっとぐらい困った事が起きても、何とか乗り越えてほしいわ」

「うん。そうだなあ」


 真っ白いクリームと真っ赤なイチゴのケーキは、僕とエミナをしばし幸せな日本の子供だった頃に引き戻してくれた。


「今は幸せで、この帝国も悪くは無いが、生まれた国はまた特別なんだよな」

「そうねえ……あら、私、肝心な事を言っていなかったわ」

「何?」

「だって、ほら、メリークリスマスって、言ってないわよ」

「僕なんかキリスト教徒って訳じゃないけど、やっぱり変だよな、言わないのも」

 それを聞いて、ラルフさんが笑った。

「そうだよ。そうじゃないですか、陛下」

「では皆で、一緒に言いましょう」

 

 太田さんの言葉に、皆が頷いた。見ればその場にいる大半が、地球からやってきた人たちだった。


「皆で一斉に……」


 僕が言うと、全員が呼吸を整えた。


「メリークリスマス!!」 


 イチゴのショートケーキは、それ以降、僕らにとって特別な存在になったのだった。

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