僕とユリエの夏休み・1
夏休みの話は、更にもう一話続く予定です。
「海は良いなあ」
紺碧の大きな海、眩しい太陽、白い砂浜……
ぐちゃぐちゃチマチマした宮廷生活での鬱陶しさを、綺麗に忘れてしまえそうだ。
確かに忘れるわけには行かない立場だけれど、それでも夏の休暇の間ぐらい、許されるだろう。
僕は正式に許しをもらって、ユリエの実家・レーゼイ家が所有する白い浜辺に面した別荘に滞在している。
「馬を乗りついで丸一日がかりでしたが、お疲れは癒えましたか?」
浴衣そっくりの衣装を着て、僕とユリエは大きな日傘の中にいる。
「なんか尻がすりむけたけど、大丈夫だよ」
「まあ、それは大変ではないですか」
するとスイカを食べる支度が出来たと知らせる声がした。僕らは返事をして、縁側に腰掛けた。
「良い感じに冷えておりますよ、さあさあ、どうぞ」
当主のイエンス・レーゼイ自ら、切り分けて勧めてくれる。僕が前世で馴染んできたスイカと味も色合いもよく似ているが、形がフットボール型だ。そうそう、ミズホの文化は聞けば聞くほど地球の日本に似ている。
「私の名前は本当は冷泉家康と申します」
お公家さんと江戸幕府の創始者が一緒くたになった様な名前だ。漢字もほぼ一緒らしい。
「家康さん、か。じゃあ……信長さんとか秀吉さんなんかも居るかな?」
「ええ、おりますとも。殿下はミズホに興味がお有りですか?」
「余り他人に言っていただくと差支えが有るのですが……僕は前世の記憶が多少ありまして、どうやらミズホとよく似た異世界の国に生きていたようなのです」
「異世界、ですか?」
「ええ。この世界の歴史や常識とは噛みあいませんので。僕が前世で知っていた家康という人物は偉大な武人で君主でした。姓は徳川でしたし」
「さようですか」
「そうしたくいちがいは、色々有るのですが、それでもミズホの物には安らぎを覚えます」
「安らぎですか。なるほど。そうした御事情で殿下はミズホ風の食べ物がお好みなのですね」
「風呂も、そしてこの帷子も好きです。でも、黄金宮だと何だかチグハグなんですよね」
「殿下は帝国風とミズホ風の良いとこどりをしたような建物は出来ないかと、お考えなのよ」
「ほおお、それは素晴らしいお考えですね」
「特に、風呂ですね。一応試作はしてみたんですが、まだまだなのです」
「昨夜は御部屋の側のヒノキ風呂をお使い頂きましたが、今日は是非傷や凝り・痛みにも効き目が有ります温泉にお入り下さい」
今年掘り当てたばかりだと言う、海辺の岩場を利用した露天風呂から眺める夕日は最高だった。当然、ユリエと一緒だ。実家の別荘のせいか、ユリエの表情も伸びやかだ。
レーゼイ家の権勢はこの海辺の界隈では大したもので、周囲の村の人々はレーゼイ家が経営する水産物の加工場や塩田での仕事につき、定まった収入を得ている。滞在三日目からは、それらの仕事場にこっそり見学に行かせてもらった。確かに重労働ではあるが、きちんと昼食を食べさせ、日当を支払う。こんな僻地では帝国の行政機関の手も十分に及ばないのだが、村の人たちのための医師を雇い、希望するものに読み書きや計算を教える小さな塾の様な場所も有る。
「読み書きができて帳簿を付けられるようになると、都でも働けるようになりますからね」
教師役の男は、幾度も高等文官採用試験に落ちてあきらめた隣村の網元の息子らしい。レーゼイ家の分家筋らしく黒目黒髪だ。
「それにしても昨日から何なんでしょうね。岬の港から隣村にかけての一帯に近衛軍の兵士が一連隊、詰めているらしいんです。まさか皇帝陛下の新しい愛人がこのあたりの女、って事じゃないでしょうねえ。都からは遠すぎますし……何なんだろうなあ、ユリエさん、御存知ですか?」
「さあ、何でしょうねえ」
「それにしても可愛らしい坊ちゃんだ。お幾つですか?」
(髪は帽子に隠れてわからんが、碧の眼か。都の子かな)
教師役の男は異分子である僕が気になるらしい。ユリエが都で何をしているかについては、知らないようだ。
「六歳です」
「都でお世話になっている方の、坊ちゃんなんです」
それからはユリエがさりげなく話題をそらせてくれて、事なきを得た。別邸へ戻る道すがら、僕は愚痴った。
「だから父上に申しあげたのになあ。付けて下さるにしても、せいぜい百人程度で十分だと申し上げたのに、近衛三千人のうちの半数なんて、目だって困るよ、まったく」
「海賊騒ぎなども御座いましたから、陛下は御心配なのでしょう」
「それはそうなのだろうが、せめて私服に着替えるとか、考えてほしかったなあ」
「そうなりますと、今度は不穏な傭兵集団と思われて、村人が怯えるかもしれません」
以前、寄港した商船に気の荒い傭兵たちが乗っていて、村人たちに暴力行為を働いたらしい。追い出したのはレーゼイ家の者たちだと言う。
「レーゼイ家の人達はミズホ風の武器を使うんだよね?」
「ええ。片刃で少し反りの有りますカタナですね」
「ふむふむ。それと、何か体だけで出来る武術、有るんじゃないの? 前さ、ユリエが酔っぱらった馬鹿に宮廷で絡まれた時、相手の小指かなんか軽く捻って逃げ出さなかったっけ」
「まあ、お恥ずかしい」
「あれ、僕の知っているような武道なら、ぜひ教えてほしいんだけどな。休みは一か月きりだけど、何とか格好にならないもんだろうか?」
何とユリエの武術の師匠は、父親の家康さんらしい。夕食の折に、伝授を願い出たら、快く引き受けてくれることになった。刀の使い方は又の機会にするとして、まずは体術からだ。
「流派も色々と有りますが、私が使いますのは我が家の家伝に従った物でして。明心流と名付けられております」
それにしても、家康さんとユリエが披露してくれた型は美しかった。
着ている物が日本での道着と稽古袴に似ている所為だけではなく、その動きも合気道に近い気がする。もっとも僕は前世で柔道と空手をちょっとかじった程度なのだから、詳しい事は分からないが……
休みの間、早朝は道場の雑巾がけから始まり、走り込み、朝食、海でひと泳ぎ、昼寝、午後の鍛錬、風呂、夕食……多少の自由時間とか間食とかが間に入るが、こんな感じのタイムスケジュールで過ごした。
「やっぱり白い米は美味いなあ」
「誠に殿下はミズホの方かと思うような事を、時折おっしゃる」
「ぜひ、実際のミズホを訪れてみたいものですが、難しいんだろうなあ……」
「今からですと風を待って、半年、更に順風でも一月近い航海が必要ですから」
「自分の目で見てみたいのですけれどね、ミズホを」
「んー、さすがにそれは……使節団を派遣なさる事は可能でしょうが」
大航海時代初期のエンリケ航海王子を真似て、パトロンになるならできるんだろうが、自分で行きたいのに人任せしかできないって、不便な立場だ。
「そういえば、帝国領内ではミズホからの船を見ませんね」
「帝国は神聖教会を国教に定め、ミズホで一般的な緩やかな多神教は認められませんので、皆厄介ごとを恐れて寄り付きません。我がレーゼイ家の場合、初代が個人的に開祖皇帝の功臣の一人と認められましたので、目こぼしされている格好ですね」
「それでも、ミズホの物産は意外と入っておりますけれど、どう言う経路を取っているのですか?」
魚に良く合う醤油の様なソイも、しょっつるの様なガルムも、ミズホの物が一番うまい。
「ほぼ全てのミズホの船は、一旦ミッケリに入港致します。うちの商会の場合もミッケリに支店が御座いまして、そこで取引を済ませ、購入したものを帝国に運んでおります」
「帝国からは何を輸出しますか?」
「鉄ですね。銑鉄のインゴットです。ミズホで鍛造して武器類に加工して、また近隣の諸国に輸出します」
その銑鉄のインゴットを生み出すのがスコウホイに有るネードの鉄鉱山と帝国直営の製鉄所だ。
「大宰相様が始められた事業ですが、たいそう大きな商売になっておりますよ。あの方は目の付け所が鋭くていらっしゃる」
「そして、それを売りさばくのに必要なのがミッケリの港なのですね」
「そうです。その……殿下の側妃候補のお二人がスコウホイとミッケリにゆかりがお有りの方であられるのも、偶然とは思えません。それだけに……いや、出過ぎたことですな」
家康さんは僕と巨大な事業の権益との関連について、用心しないと思わぬ讒言などを食らって失脚しかねないと心配している。
「僕がぼろ儲けする、そう思われるかもしれませんね」
「殿下の御暮らしぶりが簡素であられるのは、実に賢明でいらっしゃると思います」
「家康殿、いや、師匠、僕がこれから進むべき道について教えていただけませんか?」
「いや、その、私は一介の商人に過ぎませんから……ですが」
「ですが?」
「多くの民を救うために財を吐き出されれば、より良い形になって殿下の元に戻るものが御座いましょう」
どうやら、家康殿はいわゆる公共事業や慈善事業について考えているようだ。
「ミズホのことわざで言う所の『金は天下の回り物』と言う訳ですね」
「さようです、殿下。ミズホでは『流れるものは無理にとどめるなかれ』と申します。洪水を防ぐにつきましても、帝国ではひたすら大きな堤防を築きますが、ミズホでは違います。水を遊ばせる池を確保して、余分な水をそちらに逃すのです。あるいは大切なものは船に乗せ、水が引くのを待ちます」
「金の流れも無理やり自分の所に留めてはいけないのですね」
「ええ、左様でございます」
(ユリエも……いや、それこそ出すぎている……)
家康さんが脳裏から振り払った言葉が何であるのか、僕は気になった。
夕食が終わり、割り当てられた部屋に引き上げ、僕とユリエは縁側で涼んで夜の海を見ていた。
「潮騒か。この音、気分が休まるなあ」
「ですが嵐の時は実に恐ろしい音になります。あそこに見える岩場のあたりから、荒い波の時は大きな獣が吠えているような音が響いてきて、幼い時はいつも父にかじりついていました」
「そうか。ユリエはお父さん子だったんだね」
ゆっくり冷たい麦茶を飲んでから、眠ることにしたのだが……
僕はこの別荘では殆ど日本の和室と変わらない作りの部屋で、ユリエと隣同士に布団を敷いて寝ている。
「ねえ、ユリエ……手をつないで良い?」
「御一緒の布団がよろしゅうございますか?」
「ううん、良いよ。これで。だって、ユリエはもうすぐ嫁入りなんだし」
「殿下……」
それ以上の事を、僕は何も言えなかった。僕は本当は欲張りでさもしい奴だから。