白い石・8
山道を降りて、再びスィカスィカ村に戻ったら、ぐったりした。
若奥さんは病人用に取っておいたらしいアヤラという穀物で僕とエミナに粥を作ってくれた。恐らく日本でも健康食材として注目されていたキヌアと全く同じものだと思う。
キヌアはNASAが注目して研究するぐらいアミノ酸バランスが良く、ビタミン・ミネラルも豊富な穀物だが、収穫期は上半期で、秋は品薄のはずだ。こんな所からも、気温や土壌の条件が地球のアンデス山脈の高原地帯に似ているのが伺える。
「この辺りでは、疲れた時はこの粥が一番だと言います」
お産の前後の女の人にも食べさせると言う。癖のない穏やかな味で、何にでも合いそうだ。エミナが言うには、これで植物としてはホウレンソウに近いそうだ。美味いが一粒一粒が直径二ミリかそこらで、脱穀なんかも面倒そうだ。村の人達は僕らのために下界の方で果物を仕入れてくれたようだった。ビタミンの補給になるんだろうと思う。彼らにとって大変な貴重品なのに懸命に勧めてくれる。
「港からうちの村へのお使いの人は、途中の村まで来てくれているそうで、沢山ご褒美を頂けると伺いました。ありがとうございます」
本当に素朴で善良な人達だ。だから悪い奴らにやられっぱなしだった所も有るわけだが……僕はこの村の人たちに、もうちょっと希望を持って生活してもらえるように、ちょっとぐらいは手を貸したい。本当はかつての牧場になってしまった場所を買い戻す計画を考えているが、このスィカスィカ村の人がすんなり元の土地に戻れるかどうかは、まだ、はっきりしていない話なのでそれは伏せてある。
彼らは僕が皇帝をやっている国の国民では無いけれど、今までの経緯からすると、僕にも多少の責任はあるのだと思う。
熱心に勧められたので、ともかくも僕もエミナも見慣れない果物の数々を食べてみた。甘いトマトとか、果肉がふかしたカボチャみたいな実とか、トケイソウの仲間とか、食用ほおずきとか、小さなかんきつ類とか、僕が知らない果物が実に様々揃っている。
「お? 柿か」
「ミズホから持って来られた苗木が育って、最近ようやく美味い実が取れるようになったそうです。知り合いから貰ってきました。ミズホの物なら、きっとお口に合うと聞きまして」
「ありがとう」
まだ、市場などで売るほどの収穫量は無いらしい。柿を食べたこの土地の人たちは美味いと感じたようだから、将来は有望かも知れない。そういえば、以前柿はミッケリでも人気が出てきたと聞いたし、ドーンでも栽培が始まったと言う話を聞いた。地球でも柿は世界的に人気が出てきていたが、ルンドではもっと人気が出るかもしれない。
「この、種が一杯の果物、良い感じの甘さで凄くおいしいのね」
トケイソウと言うかパッションフルーツの仲間なのは分かったが、橙色の皮を割ると、出てくる緑色の小さな種が一塊になった様子がどう見てもカエルの卵みたいで、僕は手を出しそびれていた。エミナが半分僕の口に放り込んだので、食べたが……予想外に美味い。
「爽やかな味で、ちょっと癖になるな」
エミナが言うには種ごと食べられるものなら、ミネラル補給に向いていると言うので、もう一つ食べた。
子供たちが一番喜んでいたのは、果肉がふかした甘いカボチャかサツマイモみたいな味わいの果物だ。外側は緑のミカンみたいな感じだ。チョッと香りに癖が有るが「病み付きになる」美味しさらしい。アイリュの皇帝にも献上されていた高級品のようだ。そっちは主に子供たちに食べてもらった。おかみさんたちはおしゃべりしながら食用ほおずきを食べて、皮をかまどの所で飼っているチビな家畜にやっている。おかみさんたちによれば、新鮮な野菜か草か果物をやると、この小さな生き物たちの調子は良いらしい。
「無駄がないのねえ、エコねえ」
確かに、全く無駄がない。
僕らは村の人に不人気らしい干し魚と、魚の缶詰を食べ、彼らの小さな家畜の丸焼きは遠慮した。
「子供たちも年末の御馳走を、楽しみにしているんだろう? 僕らはこっちの方がなれているから」と伝えると、申し訳なさそうにしたが、断って正解だろう。僕は……あの丸のまんまの焼いたのがデーンと出ても、ニコニコ嬉しそうには食べられないだろう。それはやっぱり、貴重な食料の御馳走に対しても、飼育した人にも調理した人にも色々と申し訳ない事だし……
子供らは「月に一度は肉が食べたい」らしい。そして「学校に行って読み書きを覚えたい」そうだ。モタさんの仕事はどっさり有る。有りすぎる程だ。
村を出て、翌日は問題の牧場の番人頭の家に泊めてもらった。そして、そこで近隣ではココだけだと言う電話を借りて、持ち主とも最終的な条件を詰めて牧場を僕が買い取ることにした。こんなことが出来るのは管理官から前もってグスタフ港の側に住む領主に、話を通したからだ。
僕は領主の強引なやり方を責めたり、今牧場に住み込んで働く連中のもとの住民に対する態度を咎めたりはしなかった。領主には望む分の代価を支払った。管理官は値切るべきだと言ったが、僕は値切るより、元領主が決してもうスィカスィカ村の人たちに干渉しないと言う確約を、速やかに取り付けることに力点を置いた。
領主たちの身分意識や偏見を再教育するのは難しい。ましてや彼らは僕の直接の国民では無いのだし。僕は僕やエミナに心を開いて温かくもてなしてくれた善良な人たちに、少しでも明るい未来が開ければ良いと願って、少しばかり力添えをするに過ぎないのだから。エミナもそんな僕の考えを支持してくれた。
「貴方は世界一のお金持ちなんだから、牧場ぐらい軽いわよね」
「まあな。ドーンのダイヤモンド鉱山は毎年、僕個人じゃ使い切れない程に富を吐き出すから」
考えてみたら僕は、幾つもの鉱山や企業体の創業者でオーナーでもあるのだった。今や寝転がっていてもそこらの国家予算より多い資金が毎年僕の個人的な口座に入ってくる。それに、たとえそれらの資金を使いきったって、僕は皇帝だから今の所は衣食住には困らない。
「そうなりますと、私達はクビですか?」
番人頭はあわてていた。
「皆、引き続き仕事をしたければしてくれて構わない。近く、監督の役人がここに着任するが、その者の指示には、きちんと従って欲しい」
僕が出した条件を聞いて、皆、ほっとしたようだ。
「得手勝手な事を気まぐれにおっしゃる御領主より、歴とした帝国のお役人様のおっしゃる事を聞く方が、あっしらとしてもありがたいぐらいでさ」
「もとの村の連中に泉の水ぐらい、使わせてやりたかったんですが、今までは禁じられてましたんですよ」
そんな感想を述べる牧童もいる。人より領主のための利益を産む家畜が優先と言う状況を、牧童たちも常々理不尽だと感じていたようだ。
ともかくも近隣住民の飲み水・生活用水の確保が最重要課題なのだから、その点を徹底させる事にする。
そもそも水が貴重な環境で牛や馬を飼う事自体、かなり無理が有る。気候に適したリャマやアルパカを導入し、もっと多くの人たちに利益の分配がしやすいように……というのは先の話で、ともかくも近隣住民を含めた人間の、飲み水の確保が最優先だ。
それにしたって、課題は山積みなのだ。
僕は正直な話、アイリュとテツココの支配層をどうするかに関しては関与を避けてきた。丸投げだった。だって僕の国では無いし、そこまで責任をしょい込めないと思ってきた。はっきり言って逃げ腰だった。モタさんと言う偉大な社会運動家もいたから、僕がしゃしゃり出る幕でもないと思っていたのは確かだ。
だが、僕のそんな戸惑いとは全く別の認識がなされていたのだ。
イシュカレの孫のタヤウツィンという男が指摘したように、僕がテツココの真の主権者で、それを暫定的に大王に委ねていると言う受け止め方をされていたのだ。テツココだけではない。アイリュ帝国もどうやら同様の認識だった。エミナの助けも借りて、アイリュの現在の皇帝とテツココの大王、更にそれぞれの周辺人物の意識を、遠隔操作的に覗き込んで確かめたのだから、間違い無い。
何とまあ両国とも、まずい事が起こっても僕にすがれば解決すると認識していて、自分たち自身でどうにかしようと言う意識も意欲も、まるで無かったのにはあきれたが。考えてみれば、僕は両国がミッケリを中心とした勢力に侵略され、民族文化が破壊されるのを防いだ事で、安心してしまった部分が有ったのだと思う。
「そう言えば、生前のイシュカレは元来テツココ大王の臣下であったはずなのに、いつの間にか僕の部下になりきってしまったからなあ。そのイシュカレは僕が真の統治者だと皆に認めさせる為に、恐らくはかなり強引にえげつなく政治工作を重ねたのだと思うよ。彼の中では、そうする事が善であり正義だったみたいだ」
「本当に貴方を神様だと思っていたからじゃないの?」
「そうなんだろうな。まあ、イシュカレが僕を神様だと思い込んだのは、仕方がないとして、いつの間にやら神様規模で責任をしょい込まされたのが、釈然としない」
僕個人としては「統治」には抵抗がある。「管理・運営」程度におさめたいのが正直なところだ。
「釈然としないと言えば、こちらの世界に生まれ変わったこと自体、釈然としないでしょう?」
「それは、そうだが……」
好き好んでこっちに生まれ変わった訳じゃない。このルンドは、そもそもが手違いで来てしまった異世界のはずだった。だが、今は……
「今は、この世界の事が大切なんでしょう?」
「うん」
「モタさんが来てくれる事になって、良かったわね」
「ああ」
今回の登山はアイリュとテツココの人々の幸せについても、僕は深く責任を感じなくてはいけない立場なのだと再認識する良い機会となったのだった。
「一足飛びにとは行かないけれど、この大地の人々が徐々に豊かになれるように、私達も知恵をしぼらないといけないわね」
「ああ。少なくとも飢える事が無くて、将来に希望が持てる状態にしたいな」
政治的な課題をどの程度、どう弄るか。難しい問題だ。
「貴方が本当に神様だって事になっているなら、神様の命令で色々受け入れさせちゃったら良いじゃない」
「だが、多少は近代化しているから、自分の国の主権を、僕が握っているのはおかしいと思う知識人や、既得権益を損ないたくない連中も多いだろうからさ、悩むんだよ」
「悩んでいたって先には進まないでしょう? ともかくも皆がご飯を十分食べられて、全部の子供が学校に通えるようにしなくちゃ。その為の措置だって、皆が納得できれば良いと思うのよ」
エミナは僕の神様としての権威と、モタさんの名声を思い切りアピールして利用しろと言う。その上で……
「国連の信託統治か、第二次大戦後のアメリカによる日本占領みたいな手法を取りましょうよ。今回の登山隊のメンバーを見る限りでは、それなりにこの地域に縁もゆかりも愛着も有る人材を、貴方は抱えているんだし、十分活用するべきだわ」
確かに、良い考えだと思われる。近代的な武力と経済力を背景に、速やかに旧態依然とした非効率的な政治機構を一挙に改めるのは、実現可能な案だ。だが、占領軍か……
アイリュとテツココに駐留軍を配置し、その武力を背景に腐りきった支配構造を改変し、社会的な基盤を整備して行くのは大変な事業だ。それに、他国に大量の軍を配備する事に僕としては道義的に違和感を覚えてしまうのだが……
「貴方は『黄金の髪のパカヤカシック』として信託を受けたのだから、法的・道義的根拠は有るわ」
「なるほどね」
確かに、そういう解釈は出来るのだ。何よりエミナのその言葉は、僕の気持ちをうんと楽にしてくれた。
「国会を開いて、憲法を作るぐらい出来そうじゃない?」
「そうだな。国会が必要だな」
国会が機能し始めたら、占領軍の引き上げ時、なるほどそれは良い考えだ。ものすごく大変そうだが、実現不可能では無いだろう。小さな民族グループが乱立するドーン大陸と違い、アイリュ・テツココと言う曲がりなりにも国家としてのまとまりを保ってきた地域だからこそ、行政区分も明確に出来るし、国会も開きやすい。
「まずはインフラ整備で、分かりやすくて目に見える形で成果を示しつつ、スピーディーに行きたいわね」
「分かりやすいと言うと、道路とか水道あたりか」
「そうね。でも資金の問題が出てくるかしら」
「この土地の鉱山をしっかり管理経営すれば、かなりの資金は出そうだけどな」
「ドーンでの実績が、生かせそうじゃない?」
「ああ。確かにそうだな」
「帰ったら、良くラルフさんとも相談しないといけないわね」
それから僕たちが無事に帰国したのは言うまでも無い事だが、本当に大変なのはそれからだった。
結局、僕らが帝国に戻って半年後、あの牧場の番人頭はスィカスィカ村の人達に対する威圧的、差別的な態度が改まらないので、牧場を出て行かせることにはなったが、他の者達は帝国の管理官の監督下で、村人を迎え入れて平和に共存して暮らしたのだった。そして子供たちは皆、学校で読み書きを学べるようになったし、月に幾度か肉を食べられるようにはなった。僕らは子供らの為に学習に必要な用品を贈った。特にパステルと色鉛筆は喜んで貰えたらしい。
子供たちは僕たち夫婦に手紙と絵を送ってくれた。どの絵も明るい希望を感じさせるもので、僕としては少しホッとした。まだまだ先行きは厳しいが、子供たちは明るい未来を信じてくれているのだ。
「ま、プラテーロはみんなに花輪を作ってもらったのね」
あの土地特有の民族的な衣装を着た子供たちと、野の花の冠を頭に乗せたロバのプラテーロの絵は、エミナをひどく喜ばせた。そこには霊峰ヤナオルコに見守られながら、家族や身近な人たちと暮らす平和な生活の楽しさと喜びがあふれていた。