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白い石・7

「ほらさ、僕ってば足が長いから、全行程ロバはしんどいや」

 実際そうだから、エミナも突っ込まない。日本人やっていたころより確実に20センチは長いのだ。

「そうね、私が途中まではプラテーロとカディションに代わりばんこに乗るわ」


 港からアイリュ領内に入って、四千メートルちょうどぐらいの高原地帯までは、僕らも馬を使ったが、そろそろしんどくはなってくる。

 結局は登山直前のキャンプ地となるスィカスィカ村の人に手紙を言づけて、馬を返しがてら、港で帰りの分の食料をスィカスィカ村に持ってきてもらうように依頼した。無論手紙には報酬としての金銭と、穀物類・リャマ・ロバをちゃんと渡すように伝えたが。僕が担当管理官の意識に集中してのぞき込めば、彼が不正を働くかどうかは一発でわかる。まあ、そんな事はしない清廉な人柄だから信頼もしているのだが。


 それにしても、想像以上に高地は冷える。うっかり無防備な姿で外へ出て行くと、たちまち風邪を引きそうだ。吸血カメムシはどうやら新しい漆喰壁のおかげで、お目にかからずに済んでいる。

 五千メートル近いこの村で、一日半過ごして、体を慣らしてから登ることにする。


「この寝袋は出来がいいわよね。火の気がなくても、平気で眠れるもの」

 エミナは機能的で無駄のない最新型寝袋がお気に入りだが、僕はやっぱり、ちょっと不満だ。

「何が不満?」

「だってさ……」

「あ、わかった。言わなくていいわ」


 だって、寝袋は一人用しか無い。当然ミノムシのような恰好で、一人一人別々にベッドに転がって寝るわけで、やっぱり寂しい。寝袋なら普通は床だと思うが、ベッドの方がより寒くないからと村人に勧められて、その村の一番上等なベッドを使わせてもらっている。そもそもが来客用で、村人たちは寝藁の中で寝るらしい。


「新しい毛布を頂いたおかげで、子供たちが凍えずに済みます」


 村長の息子の奥さんは、嬉しそうにそう言って、アツアツのトウモロコシのおやきを食べさせてくれた。普段はフリーズドライジャガイモみたいなものと塩だけの汁物以外、何も無いらしい。トウモロコシは特別な時の御馳走なのだ。小麦のパンなんて、見たことも無い村人も多いらしい。


「やっぱりものすごくタンパク質が足りないわ。チーズ、もっと持って来れれば良かったわね」

「干し魚と缶詰が、あまり受けなかったな。珍しがってくれたが」

 

 味に関して頑固な人はどこでもいるが、この地域の人は特に保守的で、なじみの食材以外興味を示さない。自分には関係無いものとして最初から視野に入れないようにしているのかも知れない。それでも時代は変わってきていて、学問さえあれば、この土地から外に出て行く事も可能になってきたと言う意識は多少は有るらしく、賢い子どもだけでも学校にやってみようか、ぐらいの事は考えるようにはなっているようだ。


「隣村に帝国に帰化して、豊かになった人がいる」そうだ。

 アイリュ・テツココ両国の心身ともに健康な男子の場合、帝国の直轄領で申請して試験に合格すれば、犯罪歴が無ければ比較的容易に帝国軍に採用される。採用にあたり、帝国は一人当たり所定の金額を両国の政府に支払っている。

「国家ぐるみの人買いだ」と言う反対意見も最近の新聞には出たが、そもそも現地の人間の自発的な行為なので、その論調も下火になっている。

 だが、その採用試験を受けるためには、どうしてもある程度読み書きができなくてはならない。

 

「その隣村の人は十年帝国軍で務めた後、帝国の国籍を取って商売を始めたんです。どうやら上手くいって、村に仕送りしてくれるようなんです。十年は大変でしょうが、かなりの御給金は出るし、服も食べ物も心配要らないと言うじゃないですか。遠い村には大学まで行った人も居るそうで、うちの息子も読み書きを覚えさせて帝国にやりたいものです。そうすれば、村もちょっとは豊かになるでしょうか」



 帝国以外の地域の出身者の場合、十年の兵役を勤め上げると希望すれば国籍を取得できる。更に軍隊勤めを継続することは無論可能だが、退職金を受け取って一般社会に出る者や、非常に認定条件が厳しいが奨学金を受けて大学に進学する者もいる。大学を出て再び軍隊と言う事も有るが、それ以外の道に進む者も多い。

 大学進学率はまだまだ低いので、大卒者はどの分野に進んでもエリートとして扱われる。

 やはり、というか、そうした経歴の者がこのアイリュ領内の村に戻る事は、まず考えられない。


 この奥さんも本当は息子を遠くにやりたくないのだ。一度村を出た者は、送金したり援助したりはしてくれても、村には戻らないから。


「村の生活そのものがもっと便利で楽になると、一番いいよね」

「それはそうですが、これだけ平地から離れていますし、土地は痩せていますし、水汲みも一苦労です」


 どうやら、この村の人たちは、二十年ほど前までは泉の側に住んでいたのに牧場を作ろうとした領主と、領主と組んだ裏組織の人間によって、条件の悪い高地に追い出された恰好のようだ。この奥さんはこの村生まれで、従兄弟と結婚したらしい。小さな村の人は皆、親戚同士なのだ。物静かで我慢強くて小柄な人たちで、顔つきも皆、互いの血縁の近さを感じさせる。


「子供のころ住んでいた泉の側に戻れたら、それが一番うれしいだろうか?」

「とても綺麗な泉ですが、今は牧場の家畜たちの水飲み場になってしまいました。あの水を自由に使う事が出来たら、本当に助かります」


 若奥さんがそう言うと、村長も息子さんも皆頷く。今、水汲みは急な崖を小さな谷川まで下りるか氷河のある所まで登るしか無いらしい。水の確保だけで重労働なのだ。その貴重な水を多少の代価を払っているとはいえ、よそ者の僕らに優先的に振り分けてもらっているのだ。


「高い山に行く前は、ちゃんと水分を取らなくては」


 そう言って、特に高山病に効き目が有ると言うコカの茶を勧めてくれる。高山では脱水症状がおこりやすいものらしい。コカは確かに麻薬であるコカインのもとだが、アイリュやテツココの人々にとっては、なじみの薬草と言う感じの位置づけだ。コカの葉っぱもこの貧しい村ではそれなりに貴重品で、彼らの心づくしだ。


 どうやら牧場の設営自体、相当強引で不当だと思われるので、下山したら必ず善処する事を約束して、僕らはまだ暗い中、村を出た。


 予想はしていたが、傾斜はかなりきつい坂が続く。ろくに草も生えていない砂礫の斜面だ。やはり溶岩ぽいので、ヤナオルコは火山なのだと実感する。地元の住民は噴火などは全く知らないみたいだから、かなり長く休んでいるのだろうか? 

 それにしても、方々から巡礼の人が集まってきているのは驚く。皆、それぞれの願いなり事情なり抱えて、聖地インティプンクの朝一番の陽の光を求めて、路を急いでいるのだ。一般の巡礼者の大半は歩きで、ごくまれにロバを見ると、乗っているのは老人一人か、幼児と相乗りした老人だ。いい若い者は歩くべきらしい。


 夜明け前の高山における刺すような寒さもなかなかのものだが、やっぱり息苦しさが辛い。

 僕もエミナも普通のスピードではとても歩けないので、ロバにしがみついている。登山になれた隊員たちは黙々と歩くのだが、ロバじゃなければペースが合わせられない。皆、タフだ。鳥型のヤタガラスは僕、ケツァールはエミナの、それぞれ肩にとまっている。さすがに空を飛ぶのはしんどい様なのだ。



「陛下、目的地はすぐそこです」


 そう、幾人かに励まされる。歩いて荷物を背負っている彼らより、僕とエミナの方がへばっているのだ。ロバ達は、チビのくせに実にタフだ。特に高地に強いロバとは聞いていたが、改めて大したもんだと思った。


「それにしても夜明けが近いんですな、冷え込みが厳しいですから」


 僕は頷くが、声を出して話すのもしんどい。すると一人の男が僕らに声をかけてきた。途中の村々で話に聞いてきた聖地の番人らしい。ロバを降りて後をついて行くと、既に到着していた巡礼たちの座って並んでいるのを通り越して、インティプンクの巨大な石柱二本の前に出た。


「お持ちになった石を、この、一番陽の光があたる場所に置いていただけますか?」


 石の柱は思ったよりも大きくも高くもない。日本の神社で大鳥居と言えばどこも二十メートルは越えているかと思うけれど、小さな神社クラスの高さだ。せいぜい高さは五メートルぐらいで、柱の太さは一抱えって感じか? 大型の植木鉢が直径六十センチ程度だから、まあ、そんな感じかな。ほんと、灰色の愛想も何も無いちょっと歪な円柱形の柱だ。もっと浮彫とか模様とか彫り込まれているかと思ったんだが、綺麗さっぱり何もない。二本の柱の間には、てっぺん近くで注連縄みたいに縄が渡されている。

 この石の柱を見て、すぐ鳥居を連想したのは、この縄の所為だ。

 ともかくも、ここから先は神の領域と言う、結界を示しているのは確かなんだろう。


「なんか、日本の山岳信仰ぽくないか?」

「その注連縄越しに見える部分が、本当の頂上よね」

「そうだな。やっぱり、ヒマラヤ辺りとせってる高さだよな、たぶん」

「あ、ほら、岩場の色が……」

 微妙に色が変わり始めた。黒々とした巨大な影と言う感じだったのが、微妙に赤みを帯び、輪郭がはっきり見えてきたのだ。日が昇り始める証拠だろう。


 巡礼者たちが、声を上げ始めた。僕の持ってきた石は石の柱の間に作られた階段状の場所の一番上の位置に置かれ、他の皆は僕らに声をかけたあの番人らしい男の指示に従って、二段下がった場所に石を置いて行く。総勢百名ほどが置き終ると、皆行儀よく並んで夜明けの瞬間を待つ。


「おおっ!」

 そんなどよめきが上がった。赤褐色に見えていた巨大な岩場が金色に変化した。この場所が聖地とされたのも納得できるような、不思議な美しさだ。


「ティクシ・イリャ!」

「ティクシ・イリャ!」

「パチャママ!」


 皆、この土地の伝説を思い浮かべたのだろう。

金色の輝く固まりが急に、真っ黒い岩山に戻り、明るい日差しが射しはじめた。そして供えられた石から、煙のようなものが立ち上るのを見た。


「あっ!」


 注連縄の向こうに、人影を見た。真っ白い。だが、それは瞬時に消えた。

 ヤタガラスとケツァールは、僕らの肩から飛び出して注連縄の間を通り抜け、高い岩場へと飛んで行った。


「あれを見ろ!」

 誰かが上空を指さすので見ると、四羽の鳥が上空を舞っている。

「ヤタガラスとケツァールと、あと二羽は何かしらね」

「コンドルじゃないか?」

「それにしては、ヤタガラスたちと大きさが変わらないように見えるけれど」


 朝日の中でくるくると舞い踊る四羽の姿は綺麗だった。

「綺麗だな」

 僕が心からそう思って、言葉を口にした瞬間、光る何かが僕の目の前にポトリと落ちた。色の無い透き通った玉だ。大きさはちょうどビー玉ぐらい。


「まあ、なあに、その透き通った石は」

「何だろうね」

「貴方に持って帰ってほしいものみたいだけど、何かしら」


 僕が石を手にした瞬間に、鳥たちの舞いは終了した。ヤタガラスもケツァールも戻ってきたのだ。


「その注連縄の向こうに、僕らは進むべきだろうか?」


 ヤタガラスに聞くと、否定するように首を振った。かなりエネルギーを使った感じだ。言葉で話せない様なので、テレパシーで話してみる。


(一緒に上空で飛んでた二羽の鳥は、なんだ?)

(我にも分からんが、浄められた想いそのものかもしれんな。あるいはこの地の精霊か。どちらにせよ、グスタフはその透き通った玉を持ちかえるんじゃ。護りの力となり、しばらくはエガス・モタの魂の依り代ともなろう)

(わかりました。私はこちらに移って、しばらく休みます)

(モタさん!)

 僕とエミナが見ている前で、エミナの胸飾りから小さな光が飛び出して、その玉に移った。

(エガス・モタが移ったのなら、グスタフが持ち歩き、寝るときは寝所以外の場所に置くんじゃな)

 それだけを僕に伝えると、ヤタガラスは鳥の格好のまま意識を失った。力尽きたという感じだ。仲良くケツァールも意識を失ってエミナの肩からずり落ちそうになったので、エミナが自分の上衣の内側に入れて抱きかかえた。僕も見習って、鳥型のヤタガラスを抱きかかえる。鳥の親にでもなったような不思議な気分だ。

 人々は注連縄越しに山に向かって拝んだりしていたが、ひとしきり終わったらしい。人の流れは、下界を目指す方に動き始めていた。


「この子達、超高地の上空で目いっぱい動いたから、疲れちゃったのよね、きっと」

「そうだな」


 僕らより年かさかもしれない、人では無い存在に「この子達」と言うのは少々変だが、エミナのそう言いたい気分も十分理解できたので、僕は素直に頷いた。


「でも、あれね」

「何?」

「私、モタさんに気を遣わせちゃったのかしら」

「それはそうなんだろうが、モタさんがエミナを母親に選んだんだから、当然と言えば当然の配慮だ」


 さあ、これで遠慮なく……と思ったら、エミナに睨まれた。それから、声を立てて笑われてしまった。

 エミナがなぜ笑ったのか事情がわかるのは僕らだけだから、他の皆はあっけにとられて、笑うエミナとちょっと憮然とした僕の顔を互いに見比べて、首をひねるしか無いのだった。

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