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白い石・6

 ヒンハン!


 まただ。なんてロバだ。それにしても、鳴き声がデカくて良く響くのには驚いた。エミナの跨った銀色の綿毛で黒い瞳のロバは、綺麗で愛らしい見た目のくせに、僕の言葉には異議を申し立てているつもりらしい。

 青い服が大好きなニーノ爺さんはロバ五十頭と馬十頭を提供してくれたんだが、「頑固ではあるが特別に賢い」というのが、このロバだ。一目でエミナはこのロバが気に入り、頑固だと言うロバの方もエミナが気に入ったらしい。


 ともかくも僕らは提供された馬やロバを見て、ヤナオルコまでどの様に人と荷物を配分して行くか決めようとしていた。細かい点は更に詰めるとして、僕とエミナが主にどの馬なりロバなりに乗るかは、僕らが先に決めてくれって言う話になった。そこで、こうして有力候補の馬とロバを三頭づつ連れてきて、宿舎の庭で最終チェックなのだ。


「ほら、プラテーロが、馬じゃ高山地帯は無理だって言ってるわ」


 そうかな。単に馬が気に入らないだけの様にも見えるがな。僕は人間以外の生き物の気持ちを読む能力は、エミナほどは高くない。と言ったって、どこの馬にもラクダにも乗るのを拒否された記憶も馬鹿にされた事も全く無いが。


「この馬は納得してないけどな」


 僕が跨っている美しい葦毛の馬は、ブルルと鼻を鳴らした。ロバがうるさいと思っているみたいだ。


「でも、足場が悪い所で転んだら、貴方まで危ないわよ」


 ヒンハン!


 エミナの言う通りにしろってか?全くもう、なんてロバだ。聞けばこのあたりでは結構有名なロバらしい。うんと賢いが気難しい所が有って、気に入らないとさっさと命令を放棄して逃げ出すことも有るそうだが、気に入った相手にはとことん尽くすと言うことだった。


 これまでは「あの有名な銀色の五番」という具合で呼ばれていたロバに、エミナが名前をつけた。

 ともかくもエミナがロバを非常に気に入ったのは確かだ。「お月さまの銀の色をしている」ロバのプラテーロの魅力についてエミナが熱く語っても、ノーベル文学賞を受賞したって言うヒメネスって人のことは、僕は全然知らないから、ノリについては行けないが。ともかく、ロバのプラテーロが出てくるヒメネスの詩は「とっても素敵」なんだそうな。

 

「で、その馬の名前はどうするの?」

 馬の方は今は「葦毛の五百五番」と呼ばれている。馬の番号は五百番台以降に決まっているらしい。

「んー、マレンゴ」

「何? ナポレオンの馬の名前? 有名な肖像画で跨っている?」

「そうそう」

「あー、でもその馬、アルプス越えでは乗らなかったんでしょ? 本当はロバに乗ってたって」

「何か、そうみたいだな」

「ほら、やっぱり馬は岩場の多い高地は向かないわよ」

「でも、ニーノのお勧めだから」

「せいぜい海抜四千メートルの平原ぐらいまでじゃない? ニーノさんは全く高地に行った経験が無いんでしょう? 高山の岩場は無理じゃない? やっぱり」

「わかった、わかった。そのヒンハン鳴きに負けた。岩場はロバにする」


 すると黒っぽい色のロバが、馬を下りた僕に鼻づらを摩り付けてきた。自分の出番だって主張しているらしい。鞍を置いて僕が跨っても、実に大人しい。プラテーロと生まれた時から一緒に飼われていたと言う濃い黒褐色のロバ「黒の六番」は、非常に物静かだ。


「この子にも名前を付けましょう」

「エミナに任せるよ」


 いっそ黒の六番のままとか? 割り切っても良い気がしたが、エミナにはつけたい名前が有るようなので、任せる。


「賢いロバと言えばカディションよねー、やっぱり」

「モトネタは何?」

「十九世紀の子供向けの話」


 聞けば火事場で子供を助けたり、泥棒を逮捕するのに協力したりする賢いロバだけど、気に入らない相手にはかなりイジワルという設定らしい。「ちょっとばっかり勧善懲悪の度が過ぎている」が面白い話らしい。筆者がロシア生まれでフランスの伯爵夫人になった人なんだそうで、教訓たらしいのも時代の所為なんだろう。


「そういえばさ、何とかのマレンゴ風って料理なかったか?」


 今度は馬のマレンゴが、ロバから降りた僕に鼻づらをすりよせた。やっぱり綺麗な馬だと思う。


「鶏とか、卵とか? 馬とおんなじ北イタリアの地名でしょう?」

「ヤタガラスが美味そうな名前、っていうからさ」


 昨日、届いたばかりの馬を見ていた時に、そんな話をしたのだ。鶏肉やら卵やらじゃあなあ、ヤタガラスには不向きだ。


「どうせマンゴーかなんかの、勘違いじゃない?」

「あ、そうか。そうだな」


 帝国本土ではマンゴーは高級品だ。ヤタガラスもそう、何度もは食べていないだろう。


「今、泊まっている場所の庭に、マンゴーが生っていたわよ。まだ酸っぱいかな」


 エミナによれば、誰かがこの土地に持ち込んで意図的に植えた感じだと言う。地球だとアジア原産らしい。


「何が、まだ、酸っぱいんじゃ?」


 ヤタガラスは日陰で涼んでいたくせに、食い物の話になるとすぐに首を突っ込んでくる。

 

「マンゴーの実がね、どうかなと思って」

「エミナが熟れると美味いと言っていたので、さっき五個ほどためしに食ったぞ。ウジ虫も一緒に食ったが、美味かった」


 ウジ虫? 僕はさすがにヤタガラスみたいに虫までは食えない。無害だとしても。それにしてもためしに食うのが五個かよ。呆れた。


「マンゴーは受粉をハエの仲間に頼ってるのよ。処理をしなかったら実の中にウジ虫がいても、当然ね。そうねえ、マンゴーも品種改良したら、有望ね」


 ヒンハン!

 まただよ。また文句が有るみたいだ。無駄話はいいから、早く決める事を決めろってか?


「ハイハイ。決める事はこれで決めたから、鞍を外してあげるわね」


 すると銀入りの綿毛のロバは、エミナに鼻づらを摺り寄せる。


「何か、すっごくかわいく見えるな」

「見えるんじゃなくて、本当に可愛いのよ」


 可愛いと褒められたのが分かったかのように、いや分かったんだろう。ピョンと嬉しそうに跳ねた。それからロバ二頭は連れだってトコトコと木陰に入った。ふと見ると二頭とも、館の庭のイチジクの実を夢中で食べて居る。ロバは果物が大好物だなんて知らなかった。


「イチジク、好きなんだな」

「オレンジでもブドウでも、人間が食べる果物類は全部好きね」

 

 アルラトではロバが色々な所で使われていたらしくて、エミナはロバになじみが有るんだそうな。二頭は瞬く間にイチジクを食べてしまい、今度は草やら白い小さな花やらを食べている。


「毒の草でも食べて、お腹壊さないでよ」


 エミナが言うと、二頭とも食べるのを止めてエミナの顔をじっと見た。それから右耳と左耳を順にピクピク動かして、また、草を食べて居る。


「ヤタガラスとケツァールは鳥の格好で行くのか?」


 木陰のベンチで二人は、ぴったりくっついて並んでいる。人間の成人男女ならヤジの一つも飛ばしたくなるのに、どっちも七歳児の姿のせいか、ひたすら微笑ましい。


「その方が場所も食い扶持も、うんと節約になって良かろう」


 それは確かにそうなのだ。何しろ人型のヤタガラスは、凄まじい大ぐらいなのだから。鳥の姿なら食い扶持の現地調達も簡単だし、量も人型の時よりうんと少なくて済むようだ。ケッァールは人型でも非常に少食なのだが。その違いはどこから来るのか、研究すべき課題かもしれない。


 年月がたち、このルンドなりに色々と技術が進歩したおかげもあって、装備も色々と様変わりしている。前回なら撮影機材なんて、有り得なかったしな。


「前回では恐らくさほど問題にならなかったんでしょうが、ヤナオルコに向かう途中の村々では、吸血性のカメムシの仲間が恐ろしい病気をうつす事がわかっております。ひび割れた土壁を好んで住みつく虫ですので、可能な限り、前もって土壁は補修させておりますが、用心のためにもお休みなさる場合は必ずお持ちになった寝袋をお使いになる事をお勧めいたします」


 ミーティングの際にそんな話が出て、びっくりする。エミナは承知していたみたいだが。


「ひび割れた土壁に悪霊が住みついて、乳幼児や老人をとり殺すのだと思われておりましたが、医学的な専門教育を受けた修道士たちが原因を突き止めたのです。日干し煉瓦を使い、煮溶かしたある種のサボテンの煮汁を塗り込むと虫の繁殖が防げるようです」


 乾燥が不十分な虫の卵入りの土を積み上げた壁が、特に危険と言う事らしい。


「ロバや馬を休ませる際にも、気をつけなくてはいけません。ともかくも、この土地は帝国本土では考えられない様な未知の風土病も御座いますので、くれぐれも御用心なさって下さい」


 メンバーに軍医としての経歴を持つ者を数名加えておいたのは、正解だった。植物学や農業に詳しい者もいるので害虫よけに有効な地元の薬草の話や、雑穀類に有望な品種が有る話も出た。この辺りでタンパク質のもととしてテンジクネズミの一種が好まれている話は、僕も全く知らない訳では無い。この土地の子供の死亡率の高さの原因の一つは、慢性的な栄養不足があげられる。特に高地になるとタンパク質が絶望的に乏しいのだ。

 あの「ヒマワリの種」が好きなアニメキャラみたいなのが地球のアンデス山脈一帯では祭りの御馳走だったりして、丸焼きだったり、フライになっていたりする。それはこの辺りも事情は地球と同じらしい。あの小動物は貴重なタンパク源なのだ。


「あれか、かまどの影のあたりでクイクイって鳴いている、小さなモコモコした生き物だね?」

「ええ。排泄物の処理を考えると、かまどの側で飼うのは好ましくないと思われますが、寒冷地ではそうも言ってはおれないのかも知れませんな」


 確かに高地の朝晩の冷え込みは厳しい。祭りにもならない内に御馳走に寒さで死なれては困るだろう。道中世話になる家々には、リャマ一頭と穀物を渡すことにする。ロバや馬ほどの積載能力は無いが、この辺りでは一番馴染みの家畜ではあるし、性格も穏やかで扱いやすい。


「ともかくも人員も定まったし、機材の手配は出来たわね」

「ルートはほぼ確定できたし、行く先の情報も集まった」


 出発前夜はちょっとばかり、落ち着かない気分だった。秋分の日に間に合うかどうかが、一番の心配だったが、地元の事情を知る者たちが「これならば大丈夫です」と言うのだから、まあ、良いのだろう。


「そうそう。もう、良いのよ、やるだけの用意は出来た筈だし」

「でもさ、酸素が薄いとか言う話より、吸血カメムシの方が怖いや」

「サボテンの煮出し液とか消石灰で、きっと大丈夫。かなりの家は費用をこっち持ちで、壁に漆喰を塗って直してもらったはずだし」


 壁の補修に使う漆喰も、そういえば生石灰が主成分で、排泄物を媒介とする色んな伝染病の予防には大きな効果が有るのだ。なら、たぶん大丈夫かな。


「モタさんは、大人しいみたいだね」

「寝ているんじゃない? ヤナオルコの聖地に着いたら、一時的に目を覚ますのかしら?」

「モタさんは大人だし、色々わかっている人だから、開祖さんより細やかに配慮するんじゃないか?」

「実は意識が有るけれど、強いて寝ているとか」

「確かに、そこに寝てるのかなって思うと、ちょっと奇妙な気分にはなるが、彼にデバガメ趣味は無いさ。無いと信じてる」

「貴方がそんな風に言うから、逆に気になっちゃった」

「エミナに気にされちゃうと、モタさんは困るだろうな」

「そうよね。生まれてくる肉体が無いと困るもの」

「だよな」

「あれよね、石の件が片付いてからでいいわよね」

「え? 何が?」

「そのう……」

「ああ、モタさんが生まれ変わる体の件?」


 エミナは、コクコクと首を振った。確かに、石の件は大きい。インティプンクで何がどうなるかは分からないが、地元の人たちは「肩の荷が下りたような、胸のつかえが取れたような」気分になれると言っている。それにしても、エミナ?


「どうしたの、真っ赤じゃないか?」

「あのね、ぎゅゅううと抱きしめて、おでこにキスして」

「それだけでいいの? 僕は相手がエミナなら、いつでもOKだよ」

「それだけでいいの。って言うか、それだけにして」

「そうなの?」

「そうなの。乙女な気分に浸りたいだけなの」


 確かに、エミナの脳裏には少女マンガみたいな情景が浮かんでいる。


「ああ、僕ら、いきなりすぎたのかねえ」

「チョッと、黙ってて」


 確かに、今の僕じゃ、こんな焦れ焦れでもどかしくて初々しい展開は無理だな。言葉を発すると、どうしたってオッサン臭くなる。それにしても、こんな雰囲気がエミナは好きだったのか。


「そんな気分の日も有るって事なの」


 ああ、さようですか。僕は今更そんな中学生みたいなやり取りは、したいと思わないけどなあ。

 あ?あれ?


「グスタフ君、一緒に頑張ろうね」

「ああ、よろしくね、エミナ」


 僕が今の格好で中学の制服? エミナがセーラー服って……ああ、そうか。これはエミナの内面世界の一部なんだな。それにしてもセーラー服のエミナって、月に向かってお仕置きしそうな雰囲気の美少女だな。もう僕もアニメのキャラかなんかになりきっちゃうか、どうせ夢だし。


「僕の心はいつも君の傍にいる」


 あれ? 何だっけ、このセリフ、元ネタを忘れた。

 学生服でセーラー服姿のエミナを抱きしめる……すごい。ヴァーチャルコスプレ? 脳内コスプレ?


 脳内コスプレのおかげで、どこかの緊張がほぐれたのか、欲求が満たされたのか分からないが、気が付くともう朝になっていて、目覚めの気分は爽快だった。


 さあ、いよいよ、出発だ。

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