白い石・4
「おお、これは美味い煎餅じゃ」
ヤタガラスは熱い煎茶片手に、盛大にボリボリ音を立てて固焼き煎餅を貪り食っている。赤ん坊が一人ぐらい入りそうな大きな缶に入った分を、全部一度に平らげそうな勢いだ。ケツァールはニコニコしながら、隣で煎茶を飲んでいる。見た目は七歳児だが、雰囲気は金婚式を越えた夫婦みたいだ。
「あー美味かった」
やはり見事に缶がすっからかんになった。
「で、何か僕らに伝える事が有るんじゃないのかい?」
「そーじゃのう、エガス・モタの魂を一緒にヤナオルコに連れて行け。その方が良さそうじゃ。明日にでも皆で迎えに行こう」
ヤタガラスが言うには、聖地になっちゃっているモタさんの遺骸が安置されている場所に、僕とエミナが行けば、それで大丈夫らしい。
港に作られた商工会館は、僕らの当分の宿舎になっている。
帝国の大都市のホテル程度の室内の設備は整っていて、清潔で悪くない感じだ。地球で言えばクラシックホテルの雰囲気に近いかな。
場所はかつてモタさん以下の探検隊の面々や、チャスカ・キリャ・ヤガー君と一緒に滞在したあの、イシュカレの館兼神殿の敷地内にあたる。
もともとの神殿部分は残して、イシュカレの孫やら曾孫やらは港に隣接する自身の領地に、隣国アイリュに対するにらみを利かせると言った意味合いもあるのかも知れないが、テツココ王国でも最大級だと言う要塞のような邸を構えている。僕が仲立ち役となって、アイリュの皇帝とテツココの大王は今や幾重もの姻戚関係で繋がる親戚同士だが、防衛だの国境だのと言った事柄はどこまで行っても微妙な問題なのだ。
しかし、イシュカレの孫は外交顧問だかの名目で一年の大半を帝国で暮らしているらしいし、曾孫は帝国に帰化したものも幾人かいるらしい。不在地主というか不在領主と言うか、そんな状態なのだ。そのあたりノーチェックだったのは、手抜かりだった。だが、帝国の常識が通用しやすい訳で、逆に言えば話は早いか。
「イシュカレの孫か? あれは今、帝国でテツココの物産を商う商売をやっとるな。花作りが趣味で、時々トシエとマサエの所に来て茶を飲んでいくぞ。手土産は大抵トウモロコシや豆を使った菓子じゃ。どれも美味いぞ。さっきの煎餅ほどではないがな」
ヤタガラスは事態の重大性を十分に認識しているとは言い難い、呑気な調子でそんな話をした。トシエとマサエの御近所さんで園芸仲間なおかつ茶飲み仲間なら、本国の不手際やら不祥事について僕が干渉したとしても事後報告でどうにかなるか。あー、でも……
「電話ぐらい、入れたら?」
エミナに言われて、それもそうだと思い、番号を調べさせて電話をかけたら、出てきた孫だと言うタヤウツィンという男の声が、記憶にあるイシュカレの声そのものだった。
「私の末息子コヨトルは、我が子の中では一番まともな男ですが、今回の登山隊に加えて頂いております」と聞かされて、自分のノーチェックぶりにガックリきたが、当然の様に「テツココでの不都合・不手際の処理も、万事陛下の御心のままになさるべき」と言い切られて、これまた驚いた。
タヤウツィンに言わせれば、僕がテツココ大王からかつて『反省とお詫び』の文書を受け取り認証した時点で、そもそもの国家主権自体が『真の支配者』である僕からテツココの大王に『暫定的に預けられている』に過ぎないと皆が承知しているから、僕の命令には全テツココの民が従うべきだし、従わねばならないそうだ。
電話を切って、僕は軽く虚脱していた。僕はあの『反省とお詫び』を神話を踏まえた儀礼としてとらえていたし、僕自身にテツココという国家の主権が存在するなんて、一度も考えた事が無かった……彼らには主権在民って概念も、あんまりなじみが無いんだろうな……
「ね? 電話かけて良かったでしょう?」
「エミナ、知ってたのか? タヤウツィンとコヨトルの事」
「まあ、凡そわね。ケツァールが『良い人』って言うから、あんまり厳しくチェックはしてないわ」
そのケツァールとヤタガラスは煎餅を片づけた後は、自分たちの部屋で昼寝らしい。
ともかくもテツココ側の事は、かなり僕の自由裁量でやれそうだと言う見通しが立っただけでも気が楽だ。
早速僕は管理官や登山に加わるメンバーに、集まってもらった。当然コヨトル君にも。コヨトル君自身はイシュカレなんてひい祖父さんの事はノーチェックで、意識もしてなかったみたいだ。まあ、それが当然か。山登りが三度の飯より好きな山オタクみたいで、これはこれで使えそうな男だと感じる。イシュカレは金儲けに熱心だったが、曾孫のコヨトルは全然興味が無さそうだ。だが、それでも、スラムの広がりには驚いていた。その驚きは、皆の共通した感想のようだった。
「ここに来たのは三年ぶりですが、スラムの広がりがすごいですね」
「港は以前にもまして、活気は有りますが、何かそのバランスがいけないと言うか」
「以前は無かった殺伐とした雰囲気を、外から通ってくる人々の視線からは感じます」
グスタフ港と周辺の帝国直轄領と外部の間は、かつてのベルリンの壁みたいなコンクリートの壁で仕切られている。そして外部の人も物資も、その壁に設けられた二か所のゲートの検閲を通過してから、グスタフ港に入る。問題のスラムはその壁のすぐ外から相当な広がりを見せているようだ。
壁の設営はかなり以前に要請があって、僕は深く考えずに許可を与えたが……壁で仕切られた二つの世界の断絶の深さを改めて実感すると、胸が痛む。いや、そんな感慨に浸っている場合じゃないのだろう。
タヤウツィンの言う通りなら、この酷い断絶状態に対して、僕には直接的な責任が有るのだ。
「原則は主権在民でいいんじゃないの? 自分たちの土地は住む人自身で改良しようって思わないと、やっぱりいけないと思うわ。何でも人任せ、神様任せじゃね」
エミナは僕が参っているのを見て、余計にそう言うんだろうが、この土地の初等教育も満足に受けられない大半の貧しい人々に、僕はやっぱり重い責任を背負っているのだ。モタさんに生まれ変わってもらわないと、どうにもならないかもしれない。
かつてはアイリュとテツココの間に広がっていた大きなジャングルは、伝統的に両国共、自国領土だと認識して来なかった。漠然と「蛮族の土地」と認識していたに過ぎず、天然の緩衝地帯として機能していた。それが近年は天然資源の問題なども有って、互いに領有権を激しく主張する場所も有るようで、厄介な問題だ。
スラムは双方の国が放置してきた所属の曖昧な密林を焼き払い、掘立小屋を建てて各地から流れ着いた人々が住み付いて出来上がったもので、今やすごい勢いで広がりつつある。
「人道的配慮や公衆衛生的な理由も有って、帝国としては法で定められた範囲の食料や衣料の支援を行いますから、それを目当てに各地から流入する人間の数が余計に膨れ上がって来ている、と言う事情も有ります」
管理官は手をこまねいていた訳では無く、それなりに基礎的な調査を真面目に行ってはいたのだ。だが、ここ数年のスラムの膨張は予想をはるかに超えるスピードらしい。
アイリュやテツココで食い詰めた連中が勝手に住みついて、元来の住民である素朴な暮らしぶりの少数民族を虐待したり、小競り合いの末虐殺したりという問題は、モタさんの死後、特に目立つようになったと聞く。特に昨年あたりからは、ミッケリ方面の犯罪組織の暗躍が目立ち、問題は急速に深刻化しているそうだ。
「はっきり言って、アイリュもテツココも政治は腐敗しきっています。両国とも義務教育も普及しておりませんし、少数民族にも人権が存在するとか、人種差別は犯罪であるとか言う概念自体存在しませんから、密林の中で素朴に暮らしてきた幾つもの小さな民族グループが絶滅させられた可能性が高いです」
このグスタフ港一帯の土地は、僕を『ティクシ・イリャ』つまり始原の光であるとされる創造神の化身、と認定した両国から管理を委ねられ献上された形になっており、帝国の直轄領だ。だが、その小さな点のような整備され適切に管理された場所を外れると、気の遠くなるような広さで無法地帯が広がっている。
帝国国民ではない人たちの不幸をよそに、このグスタフ港の貨物の取引量は増え続け、帝国が管理する市街地に限って言えば大いに繁栄しているのだ。何だかこう考えてきて、僕は自分が吸血鬼の親玉かなんかになったような、嫌な気分になってきた。事実、この土地の人々にとって、僕はそのような存在になってしまっているのかも知れないのだ。
込み入った問題を完全に解消しようとしたら、アイリュ・テツココ両国に対する強烈な内政干渉が必要になってくるが、どこまで踏み込むべきか、このグスタフ港の管理官達にも判断がつかないのだろう。僕だって、正直どうすべきか分からない。ただ、はっきりしているのは、従来修道士会が果たしていた役割は非常に大きかったと言う事だ。
「修道士会の活動が盛んであった頃は、命がけで密林に入り込み、弱き立場の人々を救うと言う情熱を持った修道士が大量にいて、活発に活動していましたからねえ」
「修道士会の主な活動の舞台が、ドーン大陸に移った格好になってから、こちらの方は問題百出です」
僕としても、風土病がはびこり衛生環境も劣悪で犯罪者が跋扈するような場所に、帝国軍の精鋭や有能な官吏をやたら踏み込ませる訳に行かない。少なくとも彼らは本来の任務の範囲内で、最善を尽くしているのだから……
ミッケリ人は犯罪者でも神聖教会に対しては遠慮するものらしいが、聖人エガス・モタが亡くなり、この土地での修道士会の活動がほぼ停止した事で、遠慮なく悪事を働くようになったと言う事情も無視できない。
「ミッケリの犯罪組織の連中は、自分達が悪事を働いていると言う自覚は十分に有って、死後地獄に落とされる事を非常に恐れるとも聞きます。ですから修道士は彼らに妨害される事は稀だったのですが……」
それどころか修道士に要請されると、土木作業や物資の運搬などを手伝う事も珍しくなかったらしい。そうする事で功徳を積み、罪業から逃れられると信じていたのだろう。
「不老の悪魔の手先には、非協力的か」
まだ僕をそう呼ぶ連中は神聖教会の中で、結構な勢力を保っている。
「はあ……」
「ミッケリ系の犯罪組織の親玉は、どの辺に住んで居るのかな?」
「一人は、この港のすぐ外に、瀟洒な白亜の豪邸を建てて住んでおります」
親玉クラスになると帝国領内では全く悪事を働かず、適切に税も支払うので、追及は難しいそうだ。全部で五人の親玉は業態や活動地域・ジャンルで分業が成立している各グループのトップという事らしい。白亜の大豪邸の主は、港湾労働者の取り仕切りと薬物の取引が主な事業内容らしいが、一番古株で一番資金が有るらしい。
「一度その、白亜の豪邸を訪ねてみるか」
「陛下御自身がですか? まさか、そんな。こちらが呼びつける事に致します。ですが……」
帳簿の不備などで管理官が呼びつける事は有るようだが、親玉本人が来る事は、やはり稀みたいだ。
「財務に詳しい子分が来るだけで、本人が来るかどうかは、怪しいんだろう?」
「はあ」
「いっその事、強制的に捉えますか。罪状など後付けで、どうにでもなりましょうから」
年若い管理官の一人がそんな事を言いだしたが、それは、感心しない。仮にもビジネス上の取引に関して、クリアでフェアなのが我が帝国のやり方で、だからこそ帝国の通貨も世界中で信頼されているのだ。すぐに結論が出る話でもないし、親玉の所在を掴むだけでも一仕事だ。
続きはともかくもモタさんの魂を迎えに行ってから、と言う事で、初日の話し合いは解散した。
「対ミッケリと言う事で考えると、皇后の私がアルラト出身の異教徒だっていうのも、不利な条件ね」
「だけどモタさんは、生まれ変わるにあたってエミナに母親になって欲しいんだろう? そのあたりの事情を親玉たちに納得させる事が出来たら、ずいぶん仕事がやりやすいだろうにな」
ミッケリの犯罪者の親玉たちが、これからエミナの産む子がモタさんの生まれ変わりなのだと信じてくれたら、エミナを「けしからん異教徒」として見る事も無くなるだろうが、それは難しいだろう。
「モタさんもさ、僕らの子供に生まれ変わりたいなら、もっと協力して欲しいもんだ」
僕がそうぼやき、エミナが自分の宗教的背景に関する心配について話している内に、二人とも疲れて深い眠りに入ったのだった。その夜の夢にモタさんが現れたかどうか、それすらも分からない程深く。
事態が急転したのは、翌朝だった。二人で朝食を取って、モタさんの所へ出かける準備を始めていた所、筆頭の管理官が血相を変えて駆け込んできたのだ。
「陛下、陛下、連中が……親玉連中が五人揃って、お供すると申し出てまいりました」
「ゴメン、五人って……めったに所在がつかめないって言いう、親分たち、五人全部か?」
「はい。さようです。五人が一堂に揃った所など、見たのは私も初めてでして……」
ともかくも僕は、その五人の大親分達に面会する事にした。