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白い石・3

 よりきめ細かな現地情報収拾と最終的な登山のための物資や人員の調達のために、ミズホで五日間船を停泊させた。船の整備はかつて伊藤正三郎が作ったドックで行う事にした。


「この港の名前は井沢港と言うのね」

「僕が伊藤港としようと言ったら、正三郎が『陛下の前世のお名前を頂きたい』なんていって、こうなった」

「地球の日本だと、横浜あたりかしら?」

「日本列島とミズホはちょっと形が違うから、ぴったり一緒とはいかないが、富士と御山を起点に見ると、そんな感じかな」

「で、鉄道に乗って、ミヤコに急ぐんでしょう? 時間的にはギリギリかな?」

「ああ。何しろ新幹線が無いからね」 


 ミズホにもムサシとミヤコを結ぶ鉄道が通っており、日本の東海道線に相当する幹線だ。年々鉄道網が整備されつつあるが、蒸気機関車なのでどうしたって新幹線のようなスピードは期待できない。


「ムサシ・ミヤコ間は十時間だった?」

「うん。そうだ。今回は途中下車も有るしね」


 最新型機関車で整備されたレールを走っても、それだけかかるのだ。港からムサシの駅までは、ミズホ政府が手配してくれた馬車で一時間ほどだ。迎えに来てくれた宮内庁の伊藤侍従は、正三郎の孫にあたる。顔も声も正三郎の若い頃に似ているので、初めて会った気がしない。

 ミズホも急激な近代化の最中で、ちょんまげ姿の人間はもうどこにも見当たらないみたいだ。伊藤侍従も帝国ではやりの、ピシッとしたフロックコート姿だ。


 ミカドはミヤコの御所で、のんびり御暮らしだと言う。国会も憲法も無かった頃なら、ミカドのお気持ち一つで簡単に譲位出来たが、今はそうもいかない事情が有るのだろう。御子息に譲位なさって故郷のミヤコで静かに生活する事を希望されたが、国会では認められなかったそうだ。


「するとミカドは今はミヤコにおいでなのか」

「はい。ムサシの新宮殿には摂政宮様御夫妻がお住いです」


 伊藤侍従は摂政宮付きの筆頭侍従らしい。新宮殿は地球の日本なら、赤坂離宮とでも言いたいようななかなかに美しい建物らしい。今回は大急ぎなので、摂政宮夫妻との会食もパスだが、そのうち機会が有ったら国賓として宿泊させて貰うのも悪くなさそうだ。


「ふーん。ミカドの御希望に配慮してと言う事なんだろうな」

「御高齢ですがお健やかであられるので、御譲位は時期尚早だと言う事でしょう」 

「御高齢ねえ。僕よりはずっとお若いが」

「確かに、仰せのとおりです。祖父は陛下の御写真を自室にいつも飾っておりました。そのせいか初めてお目にかかる気がいたしません。あのお写真のお姿のままの若々しさであられるのですから」


 どうやら僕の即位十周年かそのぐらいの時の、記念写真らしい。銀板写真が登場したばかりの頃だったし、今からすると色々と装飾過多の気恥ずかしい皇帝スタイルだったはずだ。正三郎はその写真を額に入れ、自分が毎日使う書斎の机の正面の壁に掛けていたと言う。伊藤家の墓は、御山の姿を朝夕望む台地の上にあった。 僕が初めてミズホに滞在したときに世話になった、あの、伊藤総衛門さんの墓の側のようだ。総衛門さんと正三郎は従兄弟同士だったから、墓が側でも不思議は無い。


「正三郎と奥さんはトリアにいた頃も御山を懐かしんでいたよ。良い場所だね」

「さようでございます。お忙しい中、このようにお心配り頂きまして、祖父も祖母も感激しているでしょう」

「もっと早く来るべきだったんだがねえ……すっかり遅くなってしまった」


 ミヤコに到着後、翌日早速に亮仁と碧子の墓に参った。そして、墓が有る寺で縁の人たちと旧交を温めた。まあ、それぞれの家も代替わりしていて、僕と会うのは初めてという人の方が多かったが……それでも、初めて会うような気が互いにしなかったのも事実だ。

 エミナは周囲の雰囲気にしっくり溶け込んで、皆に早くも「身内」として認定されていた。


「こうしたミズホ式の法事など、苦手でいらっしゃるでしょうに、きちんとお坐りになって……」

「お若いのに御立派ですわ」

「素晴らしい皇后陛下がおいでになって、亡くなった方たちも皆、安堵したことでしょう」


 教訓たらしい事を言う爺さん婆さんと見える親戚連中も、考えてみれば僕よりみんなずっと年下なのだ。亮仁の孫も碧子の孫も、こう言っちゃなんだが、足元が既にヨボヨボだ。僕は皆に、亮仁と碧子が最後に帝国に寄ってくれた時に撮影した写真を配った。そうするように提案したのはそもそもエミナだったが。それらの写真と一緒に僕とエミナの結婚した際の記念写真も渡した。帝国の有名写真家が撮影したものだ。


「まあああ、素敵!」


 その場の若い女性たちの反応は、大きかった。エミナのウェディングドレス姿は確かに凄く綺麗だから。

 老人たちは、既に老いた自分の祖父母と共に居る僕の姿と、今の僕の姿をかわるがわる確認して、僕がいつまでたっても年を食わない特異体質なのだと、改めて実感していたようだ。

 その翌日は御隠居状態のミカドにお会いして、お茶を振る舞って頂いた。後は夜行列車でムサシに戻り、さっさと港に馬車で駆けつけると、ギリギリと言う強行軍だった。夜行ではあっても特別仕立ての寝台車だったし、ミズホ側に色々気を配ってもらったが、それでも何だか疲れたのは事実だった。


 船が出港して、二人きりで船室に籠ると、ほっとする。


「肉体的にと言うより、気分的にくたびれたみたいだ。それでも……」

「やっぱり、良かったでしょ?」

「ああ。亮仁は、死に目にも会えなかったからなあ。碧子も一周忌以来だ」


 考えてみれば、碧子の息子・康仁も既に故人だ。随分長い間、ミズホに来ていなかった事になる。考えてみれば、あの頃出会ったラルフさんも、碧子の養女芳子も、芳子の夫の太田さんも、すっかり老人だ。


「ドーンやレイリアの事で色々あったのよね?」

「それは、そうなんだが……」


 もう少し、ミズホの親戚ともマメに付き合っておくべきであったかもしれない。


「みんなに気配りするって、難しいわよね。まあ、ミズホの方たちは貴方の事を今も大切に、特別に思ってくれているようじゃない」

「うん」

「良かったわね」

「うん」


 そう言って、僕は気が付くと涙をこぼしていたみたいだ。


「よしよし、泣きたい気分の時は、泣いても良いと思うの」

「うん」


 僕は……格好としてはエミナを抱きしめていたが、心情的にはエミナにしがみついていたのだと思う。


「井沢亮太は子供のころから、そうだったわよね。ぎりぎりまで何でも自分で背負いこんじゃって、身動き取れなくなっちゃって、苦しいのに誰にも言えなくて……」

「そうだっけ」

「そうだったわよ」

「ああ、思い出した……小学校の文化祭の劇をどうするかって揉めた時だっけ」


 学級委員だった僕は、教師と同級生たちの意見の食い違いをうまくまとめられなくて、困り切っていたことが有った。あれはどっちにも良い顔をしたいという、僕の八方美人的で小心な気性が災いしたんだろう。


「真面目なのよね、貴方は。皆に公平で公正で、教師も生徒も納得できてなんて演目は、そうそう有るはずもないのに、一人で悩みまくっていたものね」

「今は結構アバウトで、いい加減だけどね」

「それでいいのよ。そうじゃないと、貴方が壊れちゃう」

「僕が壊れるって、本気で心配してくれた人って、殆どいないんだ」

「でも、ユリエさんは心配してくれたんでしょう?」

「うん」

「他の人だって、真剣に心配はしたのよ。でも、貴方の弱さなり脆さを直視する事を避けたのね」


 考えてみれば、ユリエだけが赤ん坊の僕の庇護者だった。でも、エミナはもっと強い。メンタルも肉体も。


「頼りにしてるよ、エミナ」

「私は貴方の相方を務める能力を身に着ける為に、余分に転生してるんだもの、掟破りと言うかインチキと言うか……そんな私と他の女性を同じ土俵において比較・評価したら、彼女たちに悪いわ」

「うん。それはそうなんだろうな。でも、余分に転生までして僕のパートナーになってくれたって、感謝してる。ありがとう」


 だが、きっとユリエだって、それにセルマだって、精いっぱい僕の事を大切に考えてくれて、そして僕の所為で苦しんだのだ。その所為で亡くなった後も苦しんでいるとしたら、何とかしなくちゃいけない。


「そうね。貴方の事が大切だから、その石も出てきたんだろうし。貴方も出来る事をしなきゃ、男がすたる、ってもんじゃない?」

「男がすたる、ねえ。僕、そういう、男前な精神構造してないな」


 エミナの側だと、自分を偽らない、いや、偽るなんて出来っこないから、余計に本来の僕が剥き出しになる。本来の僕は相当にウジウジぐずぐずしている。


「高い山にヒーヒー言いながら登れば、要らないことは考えないで済むわよ。きっと」

「酷いなあ。自己反省の最中だったのに、瞬殺か」

「考えてもあまり前向きな解決策が出そうもない方向に意識を持って行くぐらいなら、寝た方が良いわ」

「眠れないよ。あ、でも……」


 僕の頭に浮かんだイメージに、エミナは顔を真っ赤にする。


「男の人って、急にそっち方面に意識が飛ぶから、正直言って戸惑うわ」

「人肌が恋しいって感じからなんだろうけれど、何しろ美人な奥さんとぴったりくっついているんだから、そっち方面に意識が向くのは当り前さ」


 僕はエミナが嫌がっても、怒ってもいないのを十二分に承知しているので、服を脱がせて、キスしまくる。ああ、なんて良い匂いがするんだろう……


「エミナは僕の最高のトランキライザー」

「トランキライザーなら興奮しないでしょうに」

「これは美人に対する条件反射。もう、結構おなじみだろう?」


 エミナは体を真っ赤にさせて、荒い息を漏らしている。


「ねえ、これでは、私の方が眠りに付けないじゃないの。酷いわ」

「じゃあ、お互いの妥協点を探ろう。ね?」


 結果は我が愛する奥様にもご納得頂けた。「チョッとやり過ぎ」と言われてしまったが。おかげで二人ともぐっすり眠れたのは、確かだった。


 グスタフ港までの船の旅の間、昼間は……地図を前に登山ルートに関する相談をする事が多かった。

 ミズホから新たに、一緒に登山する予定のアイリュ出身の帝国軍の兵士らに乗り込んでもらったのだが、参考になる話が色々聞けた。

 ミズホには帝国海軍の施設が二か所存在する。かつては近代化していなかったミズホから場所を無償で借り受け、基地を設営したが、今はミズホ軍との共同使用だ。軍事的指導や災害時の救助活動も、行っている。ミズホの軍需産業は正三郎が産みの親と言って良いし、これまでの経緯もあって、我が帝国とミズホの同盟関係は強固だと言えるだろう。


 インティプンクは正確には頂上ではなく、その先に氷河と万年雪を頂く岩場が続くらしい。一対の石柱の先は「パチャママの聖域」として、通常の人間は足を踏み入れないそうだ。

 しかし、僕らがインティプンクで白い石を供えた後、何がおこるかは誰にもわからない。従って登山用の装備は、やはり必要だと言う結論になった。帝国軍では登山の訓練も頻繁に行っているが、アイリュの軍隊には基本装備も揃っていないらしい。


「アイリュ国内にはザイルやピッケルもろくに存在しません」と言われた時は、ちょっとびっくりした。


「パチャママに招き入れられたら、氷河を越えて頂上に向かうことになるのかしら?」

「ケツァールとヤタガラスなら、そのあたりの事情の見当はつくかな?」

「どうかしらねえ」

「神様にしては、ちょっとばかり頼りないかな」

「それはそうかも知れないけれど、ヤタガラスもケツァールも一生懸命みたいだから、きっと役に立ってくれると期待しているわ」

「グスタフ港で落ち合う事にしたのは、何か事情が有っての事だろうが、どんな事情だろうね?」

「二人で現地調査を早めにしているから、かも知れないわね」


 エミナは、その程度の事ならあの二人でも可能だと見ている。本当に期待できるのか僕は疑問だが……


「そこまで考えてくれているかなあ……特にヤタガラスの方だけど。普段から緻密さが足りないから、行き当たりばったりで、大した効果も期待できない気がする」


 ヤタガラスが聞いたら怒りそうな言い方だが、僕の正直な考えだ。


 やがて、船は無事にグスタフ港に入港した。波は静かで、空は青い。


「あら、ヤタガラスとケツァールじゃない、あれ?」


 エミナの指さす方向に、二羽の鳥がこっちに向けて飛んで来るのが見えた。


「煎餅でも用意してやろうか」

「そうね。この辺じゃ、醤油味の固焼きせんべいも貴重でしょうからね」


 僕らは食い意地の張った友のために、お茶の用意をする事にした。ミズホの名店でわざわざ買いいれたものだから、きっと気に入ってくれる事だろう。

×ドッグ

○ドック

ですよね。すみません

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