複雑すぎる僕の家庭事情・6
「森の魔女の娘が、なぜ側妃なのだ? 大宰相の姫君は紛れもないスコウホイの王統であられるから資格に疑問は無いが」
グラーン侯爵夫人は森の狩場で負傷した父上を看護したことから世に出たので、反対派は彼女を『森の魔女』などと呼ぶ。僕は時折黄金宮内の手ごろな樹に登り、気晴らしをするのだが、時にはこんな内緒話を耳にできる。だから、余計に木登りはくせになる。
「それは皇帝陛下の御寵愛を笠に着て『側妃扱い』とせよ、と言う事に過ぎないのではないか?」
「有りもしない由緒をでっち上げて、ただの平民の娘を皇太子殿下に押し付けようなど、魔女殿の手腕も大したものだ。横車の押しっぷりも色っぽいから、脂下がって魔女殿に従う腑抜けも多い。嘆かわしい限りだ」
木の下で話し込んでいる三人の門閥貴族は天晴れ憂国の士を気取っているが、その実、自らの不正をグラーン侯爵夫人にとっちめられたり、後ろ暗い儲け話を潰されて恨んでいたりというレベルの連中なのだ。三人で言いたい限りの陰口をきくと、気が済んだらしく、また宮殿内に戻って行った。
皆知らないが、由緒は有る。ただ、セルマの実父オーレ・トマソンが自分を追い出した故国に対して強烈な愛憎半ばする感情を抱いていて、自分の血統について世の人に知られる事を嫌っていたのだ。
オーレ・トマソンは元来、帝国とは通商協約を結んでいる都市国家・ミッケリの三元老を務めるサマロキ家の嫡子であったが、双子の片割れであったらしい。双子は神聖視される国も有るが、ミッケリでは忌み嫌われている。サマロキ家のメイドが生まれてすぐに殺害するように命じられた双子のうちの体の小さな方を、密かに地下室に匿い、三歳まで育てたのがオーレであるそうだ。トマソンと言うのは元来はそのメイドの姓らしい。
四歳ごろからメイドの伝手で、遠く離れた帝国領内の商家に預けられたが、その商家が後に破産し、今度はどこかの貧農の所にやられたそうだ。体は小さいが、聡明で負けん気の強かったオーレは、貴族の息子とつまらぬ事で揉め、謝る謝らないの押し問答の末、貴族の子供に腰に帯びていた剣で顔面を切り付けられたらしい。それからは更なる災難を恐れてその農家を飛び出し、都にやってきて物乞いを始めたと言う。
ふとしたきっかけで教会の孤児院に引き取られて読み書きを覚え、印刷屋の見習いとなり、そこで小さな劇場の座付き脚本家と知り合い、更には脚本を書くようになった。そしてその芝居が次第に評判をとるようになった。劇作家オーレ・トマソン誕生の経緯は、彼の作品より劇的なわけだ。
現在、皮肉な事にサマロキ家は途絶える寸前だ。オーレの片割れのサマロキ家当主には子が無かった。近しい血縁者には未成年者が一人もおらず、もっとも近い血筋の者でも当主の又従兄弟か何からしい。商業国家ミッケリは帝国と異なり、女子にも相続権が有るし、女が才覚で商売を行い、町の政治に参加する事も珍しくない国柄だ。つまり、セルマは皮肉な事に現在の所、唯一のサマロキ家の正当なる相続人と言う事になる。
ミッケリの領土自体は吹けば飛ぶような狭苦しさだが、その制海権の及ぶ範囲は広大で、貿易により蓄えられた富は大きい。この世界で大きな影響力を持つ神聖教会の本山に多大な献金をし、神聖教会のトップである歴代の大聖猊下を多数輩出したミッケリだが、現在の大聖猊下は何とサマロキ家出身なのだ。セルマから見ると大叔父にあたるとか。
短期間でここまで詳細に事情が知れたのは、大宰相の力だ。
事の発端はグラーン侯爵夫人が何と自分自身で亡夫が残した産着の袖の一部と懸け守りを持ちこみ、知る限りの事実関係を告げたかららしいが……そんな限られた手がかりだけで、よくもまあ調べ上げたものだ。だから大宰相は恐ろしい。ちなみに大宰相は『灰色の悪龍』というありがたくないあだ名を付けられている。灰褐色の髪を振り乱しながらグレーの瞳で反対派を睨み付け、しばしば恫喝し、震え上がらせるからだ。
ちなみに魔女殿と悪龍殿の関係は、皆が信じているほど険悪では無い。互いの能力を認め合った好敵手、といった所か。
まあ、諸々の環境整備は二人に任せて、僕は側妃二人を迎える支度に努める事にした。そうこうする内に、ユリエの嫁入り先にふさわしい貴族の目星もついてきた。
一人は古い家柄のブレッケ子爵で糞まじめな男やもめだ。年齢は二十五歳だから、ユリエとは似合いの年頃だ。イヴァルの親父さんであるハーラル伯爵の兄の息子で、幼馴染であった亡き妻との間に二歳の息子がいる。ちなみにハーラル伯爵は正妻腹の二男で、学者として身を立て、兄と同格の貴族にまでなった。
そのハーラル伯爵の息子はイヴァルも兄も弟も全員正妻腹だ。どうやら血統的に正妻一筋の糞まじめな家らしい。多少面白味には欠けるが、妻となる女性にとっては悪くない資質だろう。
「その息子はわずか二歳ですから、ユリエ殿のお人柄なら十分に懐くでしょう」
イヴァルの言うように、確かにユリエなら立派に継子を育て上げるだろう。
もう一人はかつて父上の侍従を務めたドランメン伯爵だ。実年齢は五十で若くはないが、かつて帝国一の色男と言われただけあって、姿形は今も若々しい。子供は三人居るが全員母親の身分が低い庶子で、成人している。「女たちの間を渡り歩くのに疲れた」と言うぐらい、若い頃は遊び人で、父上の色事の師匠でもあったとか。
「平民と言えど建国以来の名家・レーゼイ家の令嬢で、お前に忠義を尽くしてくれた立派な女だ。結婚して生まれた息子は、当然ながら正当なる相続人となるだろう」
父上がそう請け合って下さるのだから、ユリエを粗略に扱う気遣いは無さそうだ。何でも家政をきっちり取り仕切り、安らぎを与えてくれそうな女性が望みらしい。浪費家で見栄っ張りの女には嫌気がさしているそうだ。僕の住まいが常に清潔で、隅々まで目が行き届いているのがユリエのおかげだと知って、大いに乗り気だと言う。
「後はユリエ本人に選んでもらうか」
男の方も、いつまでも待つわけにもいかないようだから、一か月の猶予を貰って考えさせる事にした。その間、ユリエなりに色々調べるかと思ったが、そんな様子は無かった。ユリエにその話を振っても、意識も話題もすぐに切り替えられてしまうので、どうする気なのか読み取れなかった。いや、本心はわかっている。いつまでも僕の側に居たいと考えてくれているのだ。
「どう、決めた?」
約束の期限の前夜に僕が尋ねると、ユリエははっきり「ハイ」と答えた。そして、口には出さなかったが、その理由がはっきり読み取れた。
(ブレッケ子爵は良い方だしお子様も可愛いけれど、殿下とのお約束を守るなら……お歳でもドランメン伯爵様の所にした方が気兼ねが無さそう。内々ではあるけれど皇帝陛下のお声がかりなのだし。その事で殿下に御迷惑をかけられないわ。ブレッケ子爵の方はナタリエの嫁ぎ先の親類なのだから、お断りしても、さほど角も立たないでしょう)
忠義者のユリエは、父上のお声がかりを軽視したと取られる事で、僕に不都合な状況が生じないかと言う事まで懸念してくれているのだ。だが、父上は適当に思いつきを口にしたに過ぎない。ドランメン伯爵の方を断ったって、グラーン侯爵夫人がセルマと僕の縁組を望んでいる今のタイミングならば実害は無いと僕は踏んでいる。
「ユリエ、どちらを断ったって、僕に迷惑なんて掛からないから……心配しなくていいんだからね」
(殿下は、やはり本当に私の事をよく御存知だわ……でも、やはりドランメン伯爵様にしておきましょう。私の淹れて差し上げたお茶を喜んで下さったし。結婚後も私の好きなようにさせて頂けるそうだし)
何とまあ、年季の入ったプレイボーイのドランメン伯爵は、僕との間の「公式愛人云々」と言う話を手際良くユリエから聞き出してしまったようだ。そして更に驚いた事にそれでも自分は構わない。自分の所は先代も先々代も六十歳かそこらで、心臓病で死んでいるから、自分もそうなるかもしれない。そうなれば全部ユリエの好きにしてくれれば良い、とまで言ったらしい。ただし、こんな言葉を付け加えての上だが。
「ただ私の生きている間は、たとえお相手が殿下でも、目立たぬように細心の注意を払って欲しい」
確かに妻を寝取られたとあっては、プレイボーイの、いや貴族としての沽券に係わるからな。
「ですから、ドランメン伯爵様の所に参る事に致します。そして……もし、未亡人となりましたら、また、殿下にメイドとしてお仕えしたいです」
「公式愛人は、嫌かい?」
「その……昔の大女官長様みたいな感じが……」
「なるほど。確かに僕にとってはありがたいけれど、良いの?」
「はい」
大女官長と呼ばれたエマ・ヤイレは、二代の皇帝とその家族全員に大変信頼された偉大なメイドだ。
実は若いころに皇帝の愛を受け入れ、息子も生まれたらしいのだが、すぐに養子に出されたようだ。表向き皇帝とは、あくまでメイドと主人という一線を崩すことは終生無かったと言う。
その死に際して「朕は真の母ともいうべき存在を失った」とまで即位して間もない皇帝に言わしめ、国中が長く喪に服したと伝えられている。死後特別に公爵夫人の称号を賜り、その血縁者は死ぬまで税を免除されたと言う。更には神聖教会によって聖女に列福され、メイドや女の奉公人の守護聖人とされた。これは教会が庶民からも抜かりなく献金を集めるためのあざとい手段なのは見え見えだが……
「そうか。エマ・ヤイレか……ドランメン伯爵は、きっとユリエを大事にしてくれると僕は思う。結婚の支度はユリエが自分ですると、何でも地味にしてしまいそうだから、ナタリエに頼むよ。ナタリエは結婚してから、若い貴族の奥方連中の中に幾人か友人も出来たようだから、流行とかデザインとか諸々詳しそうだしね。大事な姉さんの嫁入り支度も抜かりなくできるだろう。ドランメン伯爵家は古い家柄だ。本人はさばけた気楽な人だが、使用人たちに、たかが嫁入り道具の事で軽く見られてはいけないからね。それに、余りに粗末だと僕の体面にも関わる。だから、鬱陶しいだろうけれど家格に見合ったものは持たせるから、そのつもりでね」
何とも、六歳児にしては可愛げのない発言だ。どう考えても二十六歳か三十六歳ぐらいの男の発想かな。
(殿下、ありがとうございます)
ユリエには僕がしっかりした支度をさせたいと願っている本当の理由が分かっているのだ。体面なんて、本当はどうだって良い。僕が出来る事は全部して、送り出したいのだ。そして、ユリエには、それなりに幸せな結婚生活を送ってもらわなければ困る。
「つきましては殿下、お願いがございます」
「何だい?」
すごくドキドキするなあ。ユリエが脳裏に思い浮かべているのは……青い海? スイカ? 何だろう?
「今年の夏の休暇ですが、私の実家の海辺の別荘で御一緒にお過ごしになれませんか?」
「良いの? じゃあ、海で泳げるかな?」
泳ぎ疲れたら、地球の浴衣とほとんど変わらないミズホ風の服を着て、涼しい部屋で蝉の声を聞きながらユリエの膝枕で昼寝がしたいものだ。
「ええ、是非、そういたしましょう」
ユリエと共に過ごす最後の夏休みになるかもしれない。楽しい想い出をたくさん作れるだろうか?
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