新世界には欠席者がいない――アングロサクソン・ミッション〈日本継承区〉調査報告書
※本作はフィクションです。実在する動画と公開資料を着想の入口にしていますが、作中の秘密組織、流出文書、地下施設、取材関係者、事件は創作です。実在の国家・民族・団体による陰謀を事実として認定するものではありません。
編者付記
本稿の掲載を決めてから、編集部には三件の連絡があった。
一件目は、建物の管理会社を名乗る男からだった。記事に登場する研修施設は存在しないという。まだ施設名は公開していなかった。
二件目は、取材に応じた人物の代理人からだった。証言の撤回を求める内容で、本人の署名と印鑑があった。筆者によれば、その人物とは二週間前から連絡がつかなくなっている。
三件目には、差出人の名前がなかった。
封筒に、赤鉛筆で訂正された本稿の目次が入っていた。
第七節の見出し「地下二階」に、二本の線が引かれている。
その上に、こう書かれていた。
あなた方が降りたのは、そこではありません。
筆者は、掲載の中止を求めなかった。
ただし、同行した編集者の名前だけは、必ず残してほしいと言った。
奥村奈央。
弊社の人事記録に、その名前はない。
一つだけ付け加える。本稿の初校は、二人分の校正記号が入って戻ってきた。一方は筆者の字である。もう一方は、弊社の誰の筆跡とも一致しなかった。
その訂正は、すべて正しかった。
二〇二八年十一月 調査記録誌『別冊・境界』編集部
一 公開されている秘密
あの動画がまだ見られるということを、私は安心の材料にしていた。
本当に世界を動かすほどの秘密なら、とっくに消されているはずだ。消されていないのだから、大した秘密ではない。
取材を始めたころ、何度もそう考えた。
いまは、その安心も、彼らが用意したものだったと思っている。
私は相良聡という。地方紙を辞めて八年になるフリーライターだ。本稿は、二〇二八年六月から九月までに行った取材と、その後に入手した資料をまとめたものである。
取材には、編集者の奥村奈央が同行した。
打合せの日、彼女は会議室へ入るなり「五人」と言って、折り畳み椅子を一脚取りに戻った。人数を数えてから座るのが癖だった。
帰りの時刻も先に決めた。取材先で「最後にもう一つ」と私が言うと、彼女は机の下で携帯電話の時刻を見せてきた。
「帰る時間を決めない人は、ほかの人まで帰さないんです」
私のことだった。
雨の日には、濡れた傘を必ず自分の足元へ置いた。他人の鞄を濡らすのが嫌なのだと、最初に会ったときに聞いた。
顔の細部は薄れつつあるのに、そういう動作だけはよく覚えている。
企画の出発点は、「アングロサクソン・ミッション」と呼ばれる陰謀説だった。二〇一〇年に公開された発表で、匿名の証人が聞いたとされる筋書きが語られている。戦争と感染症、人口の減少、厳しい社会統制、そして大災厄のあとの世界を誰が継承するのか。
公開原稿には、証人が聞いたとする話と、証人や解説者の推測が混在する。私たちはまず、その区別を確かめた。
奥村は付箋を二色使った。聞いたとされる話には黄色。推測には青。
原稿は、青だらけになった。
ただ、今回の取材で問題になったのは、動画の予測が当たったかどうかではない。
日本で、その話を「実施要領」に書き直した人間がいた。
きっかけは、編集部の資料募集に届いた一通の手紙だった。
父は、アングロサクソン・ミッションをもとにした研修資料の翻訳をしていました。
動画の字幕ではありません。国内の会員向けのものです。
研修に父と弟の航が参加し、帰ってきたのは父だけでした。
父の葬儀で、知らない男の人から「これで人数が合いました」と言われました。
弟は死んだのでしょうか。それとも、今もどこかにいるのでしょうか。
差出人は、瀬尾理津子。地方の印刷会社で働いているという。
手紙には、研修会の集合写真が添付されていた。
前列が着席し、後列は立っている。私が地方紙時代に何百枚も撮った、業界団体の記念写真に似ていた。
裏には父親の筆跡で、こう書かれていた。
平成二十四年度 復旧継承演習
全員無事。三十二名。
奥村が写真を数えた。
「十六人です」
もう一度、今度は指で押さえながら数えた。数字は変わらなかった。
前列中央に一人分の隙間があり、後列の右端では、男が誰もいない空間へ顔を向けて笑っていた。
私は、企画書の仮見出しに「消えた十六人」と打ち込んだ。
奥村が画面をのぞいた。
「まだ、写真にいないだけですよね」
「見出しだよ。取材で確かめる」
「その見出し、瀬尾さんに見せられますか」
私は手紙を読み返した。差出人の質問に、まだ一つも答えられていなかった。
「まず、航さん一人を捜しましょう」
彼女は写真を封筒へ戻した。前列の隙間を、親指で隠さないように持っていた。
仮見出しを消し、瀬尾航、と打ち直した。
二 翻訳者の遺品
【訪問日時】二〇二八年六月十四日、十三時四十分
【対応者】瀬尾理津子、五十二歳
【同行者】奥村奈央(編集)
【受領資料】集合写真原本、翻訳草稿、会合案内状、録音用メモリーカード
瀬尾さんの家は、川沿いの細い道の突き当たりにあった。
玄関には、男物の靴が二足並んでいた。
「弟のです」
瀬尾さんは先に言った。
「帰ってきたとき、自分の家がわからなくなると困るので」
弟の名前は航。一九七九年生まれ。二〇一二年十一月、父親の手伝いで研修施設へ出かけたまま戻らなかった。
行方不明になった当時の相談記録を見せてほしいと頼むと、瀬尾さんは、何も残っていないと答えた。
「相談には行きました。ただ、本人から連絡があったことになっているんです。自分の意思で家を出たって」
「連絡は、あったんですか」
「ありません。父は、私が忘れたんだと言いました」
瀬尾さんは台所へ行き、冷蔵庫の献立表を指さした。十六年前の日付のまま、貼り替えられていない紙だった。
航の分は玉ねぎを大きくしない。
「でも父は、ずっと二人分作っていました。私がいない日も、です」
父親の瀬尾礼一氏は、二〇二六年十二月、七十九歳で亡くなった。工業機械の取扱説明書などを訳して暮らしていた。
問題の仕事を受けたのは二〇一一年。依頼元の名称は「復旧計画支援室」。請求書の宛名は別の会社になっていた。
届く原稿も不揃いだった。
公開情報を貼り合わせた解説。英語の議事要旨。用紙の半分が黒く塗られた一覧表。最後に、日本語だけで作られた確認票。
草稿の余白には、礼一氏の訂正が残っていた。
出典未確認。
仮定を事実として訳さない。
「生存者」と「継承者」は別語。
依頼元は赤字で書き戻している。
会員は前提を理解している。留保不要。
最終版は「継承者」に統一。
私は、二つの筆跡を見比べた。礼一氏の字は、行の外へはみ出しても消していない。赤字は、余白の中にきれいに収まっていた。
表紙の隅には、半分だけ昇った太陽のような図形があった。水平線の下に、短い縦線が三本並んでいる。
「葬儀に来た人の封筒にも、これがありました」
瀬尾さんは、黒い箱から会葬者の名刺を取り出した。
白い厚紙に、木戸、という姓だけが印刷されていた。
肩書は「継続調整」。裏面には、同じ図形が空押しされている。
案内状が入っていた古い封筒には、別の図形が残っていた。鉛筆で描き、一度消したらしい。光を斜めに当てると、直角定規とコンパスを重ねた形が浮かんだ。
「フリーメイソンの印に見えますね」
奥村は、太陽の図形と並べて撮影した。
封筒の折返しには、礼一氏の字で短いメモがあった。
表には旧図案を出さない。「夜明け」に統一。
旧図案、という言葉が気になった。会の名称が変わったのか。それとも、誰かが借りていた看板を掛け替えたのか。
奥村が、案内状の折り目を伸ばした。
表向きの催事名は「地域インフラ継続研究会」。宛先ごとに番号が振られ、出席者の会社名や役職は持ち込まないよう指示されていた。
その下に、小さな字がある。
家族帯同は事前承認者に限る。
帰路の手配は事務局で行う。
初日と最終日の乗車名簿を混同しないこと。
私は最後の一行に印をつけた。
「普通は、同じ人が帰りますよね」
奥村が言った。
帰り際、瀬尾さんは玄関まで送ってきて、私ではなく奥村に言った。
「二人で来てくださって、よかった。一人だと、私の話は、思い込みに聞こえるでしょうから」
奥村は、傘を自分の足元へ引き寄せてから、はい、と答えた。
三 二枚の支払記録
【訪問日時】六月二十六日、十五時
【対応者】施設運営会社の元社員(清算担当、匿名希望)
【閲覧資料】二〇一二年十一月分の支払記録、電気料金請求書
研修施設の運営会社は、すでに解散していた。
清算を担当した元社員が帳簿の一部を保管しており、事情を説明すると閲覧に応じてくれた。
当日の宿泊代は十六名分。弁当は十六食。貸切バスは一台。
写真の人数と一致している。
だが元社員は、別の封筒から、もう一枚の支払記録を出した。
「これは研修費では処理していないんです。施設調整費なので」
同じ日、同じ金額。科目だけが違う。
支払者は「環境記録整備機構」という別の法人だった。付属する内訳に、食事十六食と車両一台が記載されていた。
合計すれば三十二名になる。
誰かが消えたというより、初めから二つに分けて扱っていたのではないか。
そう考えると、写真の隙間も説明できそうだった。
会合に来たことを知られたくない人間を、あとから画像処理で消した。記録上は十六名。残りは、別名目の費用で動かした。
奥村が、二枚の内訳を並べて置いた。
「退所日が、ありません」
研修費の宿泊欄には、入所日と退所日が並んでいた。施設調整費の宿泊欄には、入所日だけがあり、退所日の枠は空白だった。
案内状には、一泊二日とあった。
「下の人は、帰りのバスに乗り遅れたんじゃなくて」
奥村は、そこで言葉を切った。
「初めから、帰る日が書かれていなかった」
しかし支払先をたどると、関係はさらに複雑になった。
研修施設、バス会社、宿泊を取りまとめた業者。この三者の請求書に、同じ照合番号がある。
C17―R2
法人間の関係そのものは証明できなかった。それでも、独立した三社が同じ会合の別々の部分を担当していたことはわかった。
元社員は、私たちが番号を撮影するのを見ると、声を落とした。
「これ、何の取材なんですか」
私は、失踪した参加者を捜していると答えた。
「それなら、施設より、帰りのバスでしょう」
「二台とも、戻ったんですか」
彼は、その質問には答えなかった。
代わりに、電気料金の請求書を机へ置いた。
施設閉鎖の四か月後のものだった。
客室も厨房も使っていないのに、使用量は営業時の七割近くあった。
「地下の換気を止めるな、と言われたんです」
「地下は機械室ですか」
「図面上は」
元社員は、それ以上の資料提供を断った。
面会の帰り、奥村が貸切バス会社へ電話した。
二台目の運行記録について尋ねると、担当者は、古いため保管がないと答えた。
まだ、いつの運行かは伝えていなかった。
四 晴れた日の二台目
土地の噂を集めたのは、そのあとだった。
山の研修所には、時々、同じ塗装のバスが二台来る。
先に来たバスは夕方に帰る。二台目は日が暮れてから裏へ回り、翌朝になっても出てこない。
車庫へ入ったのを見た人はいる。出てきたところを見た人はいない。
そこまでなら、よくある話だった。
私が気になったのは、晴れた日だけだという部分である。
近くで雑貨店を営んでいた男性は、洗濯物を干した日を覚えているからだと言った。雨の日にも来ていたのかもしれない、と付け加えた。
一方、古い地域掲示板には、別の説明があった。
山側の坂の下に、鏡みたいな扉がある。
濡れると継ぎ目が見えるから、晴れた日しか開けない。
投稿の真偽は確認できなかった。
だが、その書き込みに付いた返信を、奥村が見つけた。
扉は見たことない。
朝四時に弁当だけ運んだ。
「地上十六、下十六」で伝票を分けろと言われた。
C17なら、地元の避難所じゃないよ。
照合番号が一致していた。
私たちは投稿者に連絡を試みたが、アカウントは削除されていた。
同じ掲示板には、「イルミナティカード」の絵と事件の写真を並べ、予言が実現したと論じる投稿もあった。実在のカードゲームの図版だというが、転載を重ねた画像は、題名や説明文を切り落とされていた。
「元のカードを確かめないと」
奥村は、画像の保存先に「未照合」と付けた。彼女の付箋は、三色目に増えていた。
その日の夜、編集部の公開窓口にメールが届いた。
下の分を数えないでください。
上にいる人の数が変わります。
添付は、半分だけ昇った太陽の図形だった。
奥村はメールを印刷した。
「脅迫ですかね」
「いたずらの可能性もある」
「どこまで取材したか、知ってますよね」
私は答えず、資料を机の引き出しへ入れた。
鍵をかけてから、何を防いだつもりなのか、自分でもわからなくなった。
奥村は、まだ机の前に立っていた。
「上にいる人の数が変わります、って」
メールをもう一度読んでいた。
「上にいるのは、私たちですよね」
五 録音媒体R―一
瀬尾礼一氏が残した録音は、四十三分あった。
編集部の会議室は、七月に入っても冷房が強すぎた。奥村は薄手の灰色の手袋をはめて、イヤホンをつけた。冬の手袋ではなく、夏に持ち歩くためのものだと言った。
初めの三十七分には、複数の男による資料の読み合わせが入っていた。個人名はほとんど出てこない。発言者は、役職か担当分野で呼ばれている。
通信、配電、輸送、住民照合。
兵器についての会話はなかった。
どの設備を停止したままにするか。復旧の許可を誰が出すか。避難してきた人を、どこで引き返させるか。
そういうことを話していた。
【一四分五一秒】
男性A:各区画の収容数は確定しています。
男性B:家族分は。
男性A:確認票に記載された方だけです。
男性B:子供が増えた場合はどうするんですか。
男性A:その方の枠内で調整してください。
男性B:自分が出るということですか。
男性A:ご家族のことは、ご家族で決めてください。
誰かが笑った。
ほかの参加者は笑わなかった。
三十七分を過ぎると、椅子を動かす音が増える。
【三七分〇九秒】
男性A:このあと、復旧段階に入ります。
男性B:災害はまだですか。
男性A:本日は、復旧の演習です。
男性B:いや、何のあとなんですか。
男性A:説明した範囲で記録してください。
【三八分二二秒】
男性A:地上十六名。異議のある方。
男性C:隣にいます。
男性A:記録対象の方だけ、お答えください。
男性C:隣に、妻が。
[約十一秒、判読不能]
【三九分〇一秒】
男性A:窓を閉めていただけますか。
女性A:はい。
[重いものが閉まる音]
その後の四分間、何人もの声が氏名を述べている。
姓、名、生年月日。
録音機へ近づきながら、一人ずつ、順番に。
礼一氏と思われる声がした。
「名前を書いてくれ。誰でもいいから」
最後に、別の男が答えた。
「残らなかった人の情報は、引き継ぎません」
そこで録音は終わっている。
私は、地下へ移す人間に新しい身分を与え、以前の名前を処分する手続きではないかと考えた。
瀬尾航は、身元を捨てて地下で暮らしている。
そう仮定すれば、父親が口を閉ざした理由も、行方不明の相談が取り下げられた理由も、理解できそうだった。
奥村だけが、末尾の数十秒を繰り返し聞いていた。
「この人、何と言ってますか」
女の声だった。
名前を言っているらしいが、聞き取りにくい。
「わからない」
「私もです」
奥村は目を閉じて、もう一度再生した。
唇が、わずかに動いていた。声に合わせて、というより、声より少しだけ先に。
先回りして聞き取ろうとしているのだと、そのときは思った。
奥村は耳からイヤホンを外した。
「でも、この人、誰かに話しかけてますよね」
私は、誰に、とは聞かなかった。
六 継続調整担当者
【面会日時】七月九日、十四時
【場所】郊外のホテル、喫茶室
【相手】木戸(姓のみ。身分証の提示は拒否)
【同席者】奥村奈央
木戸と会えたのは七月九日だった。
こちらが連絡先を見つける前に、向こうから電話があった。
私の携帯電話ではなく、編集部の代表番号だった。瀬尾家で受け取った資料の表紙に、編集部の名前を書いたことを思い出した。
喫茶室に入ると、奥村は三人掛けられる席を選び、空いた椅子に置こうとした私の鞄を床へ下ろした。
木戸は、まだ来ていなかった。
現れた木戸は六十代に見えた。白髪を短く刈り、どこにでも売っていそうな紺色の上着を着ていた。
名刺と同じ姓を名乗ったが、身分証の提示は断った。
「私は資産の維持管理をしていただけです。国を動かすような立場ではありません」
最初にそう言った。
「資産に、人間が含まれていたんですか」
木戸は水を飲んだ。
「入居者のいない避難施設に、値段がつくと思いますか」
私は瀬尾航の写真を見せた。
「生きていますか」
「少なくとも、私が担当していた時点では」
「どこに」
「そこを調べるのが、あなたの仕事でしょう」
奥村が口を挟んだ。
「何を話すために、来たんですか」
木戸は上着の内側から、茶封筒を取り出した。
中には、施設の修繕図面と、会合の配席表があった。
配席表には十六の枠がある。個人名はなく、録音に出てきたものと同じ担当分野が書かれていた。
「この人たちは、災害を起こす側ですか」
私が尋ねると、木戸は首を振った。
「自分たちだけは、起きる前に知らせてもらえると思っていた側です」
「誰から」
「連絡会から」
「連絡会の正式な名称は」
木戸は答えなかった。
ただ、仲間内では「夜明け会」と呼んでいた、と言った。
「会合はいつから」
「私が初めて呼ばれたのは二〇〇六年です。ホテルの小さな部屋でした。料理が出て、酒も出た。金融の話をしているうちに、災害時の復旧資金の話になった」
木戸によれば、紹介者はその集まりを、フリーメイソンの関係者による内輪の会だと説明したという。
参加者の何人かは、互いを「兄弟」と呼んでいた。挨拶のために立った男の指輪には、定規とコンパスに似た刻印があった。
「どこのロッジの方だったんですか」
奥村が尋ねた。
「知りません。私は会員ではないので」
「本当に関係者だったかは、わからない?」
「ただ、こちらの銀行も、家族構成も知っていました。母が階段を上がれなくなったことまで」
木戸は、指輪をしていない自分の手を見た。
「向こうが誰なのか聞くより、自分のことをどこまで話されたかが気になったんです」
誰も最初から世界の終わりを話したわけではなかった、と木戸は言った。
優先して電力を戻す地区。通信を維持する施設。避難者を受け入れる条件。それぞれの担当者が、担当できることだけを持ち寄った。
そのうち、家族の人数を聞かれた。
「母の部屋を確保してもらいました」
木戸は、テーブルの上の写真を裏返した。
「断れば、母が外に残るんです」
「それで、ほかの家族を外へ出した?」
木戸は何も言わなかった。
封筒にあった紙の一枚を、私の方へ押した。
J地区 継承対象の照合
一 通信・電力・移送・記録の継続要員を指定する。
二 家族枠を確定する。
三 旧身分による外部照会を終結させる。
四 名簿上の欠席者を残さない。
本手続きは、災害の発生確認を開始条件としない。
奥村が、最後の一行を指さした。
「災害が来る前に、やるんですか」
「避難を始めてから選んでいたら、間に合わないでしょう」
「来なかったら」
木戸は、そこで初めて奥村の顔を見た。
「あなたは、来ないと思っているんですか」
問い返されたときの口調が、忘れられない。
脅しているのではなかった。
どうして電車が来ないと思うのか、と尋ねるような声だった。
「連絡会の人たちは、誰から知らせてもらうんですか」
「協力者、と呼んでいました」
「国外の組織ですか」
木戸は、水の入ったグラスを少し遠ざけた。
「地球外だと説明する人もいました。私たちの配席表には、人間側、と書いてあった」
私は、机の上の配席表を見直した。上端はコピーの途中で切れていた。
「宇宙人ということですか」
「私は会っていません。そういう話を信じれば、自分たちだけ助かる理由ができるんです」
木戸は、会合のあとで聞いた話を付け加えた。
「レプティリアン。爬虫類に似たものが、人間の姿を借りているんだと」
「会合で、そう説明されたんですか」
「帰りの車の中です。同乗した人が、小声で。翌朝、続きを聞こうとしたら、そんな話はしていないと言われました」
私はその呼称を括弧で囲んだ。会合で共有された話なのか、一人の参加者が持ち込んだ噂なのか、木戸の証言では分けられなかった。
私は、公開動画と、この連絡会の関係を尋ねた。
「動画の発表者が関係しているという証拠は、私は持っていません」
「では、なぜ同じ名前を使うんですか」
木戸は、少しだけ笑った。
「あなたは最初、この取材を誰に頼まれましたか」
私は答えなかった。
「陰謀論の記事でしょう。そういう欄に載る。その名称の資料が出ても、陰謀論の資料として片づく。わざわざ回収する必要がないんですよ」
奥村が、机の下で私の靴に触れた。
これ以上は話させず、証拠を確かめよう、という合図だった。
木戸は席を立つ前に、私たちを交互に見た。人数を確かめる目だった。
「研修所へ行くなら、地上の記録を先に取ってください」
「なぜ」
「降りたあとでは、比較できなくなる」
伝票を持って立ち上がり、最後に言った。
「帰りも、お二人で」
その三日後、木戸の番号は使われなくなった。
約束していた追加資料も届かなかった。
ホテルへ問い合わせると、当日の会見自体は確認できた。ただし予約の人数は一名で、支払いも一人分だった。
木戸が一人で予約していたのだろう。
そのときは、そう思った。
七 地下二階
【立入日時】七月二十三日、十四時二十分
【許可範囲】地上二階まで(管理担当者立会い)
【申請者】相良聡、奥村奈央
施設の所有者は、書面上、さらに別の会社へ変わっていた。
現在は資材置場として使っているという。取材を申し込むと、管理担当者が二階までの立入りを認めた。
七月二十三日、私たちは山へ向かった。
車を降りる前に、奥村は日没の時刻を調べた。十八時五十四分。
「それまでに出ましょう。山道は、暗くなると帰りが読めないので」
建物は、草を刈ったばかりの斜面にあった。
窓は汚れ、玄関の看板は外されている。ところが建物の裏では、室外機が動いていた。排気に手を近づけると、温かかった。
管理担当者は、保管物の湿気を防ぐためだと説明した。
奥村は玄関の前で管理担当者に私の携帯電話を渡し、私と並んで写真を撮ってもらった。
「地上の記録です」
木戸の言葉を、彼女は覚えていた。
第三研修室には、座面の青い椅子が積まれていた。
奥村が数えた。
「三十二」
壁の白板には、消し残した名簿の跡があった。配膳用の小窓は閉まっており、その下に台車の擦り傷が何本もついていた。
奥村が室内を撮影した。
私は木戸から受け取った図面と照合した。壁の位置が合わない。収納棚のある側だけ、室内が一メートルほど狭かった。
担当者に尋ねると、古い設備用の通路だと答えた。
「見せてもらえますか」
担当者は携帯電話を取り出し、離れた場所で話した。
戻ってくると、棚の脇の扉を開けた。
「階段の下までなら」
奥村は、開いた扉より先に私を見た。
「申請した範囲を出ます」
私は担当者へ、立入りの許可を録音に残してよいかと尋ねた。担当者は、構いません、と答えた。
その返事を録音してから、私は階段へ足をかけた。
帳簿では、食事が運び込まれていた。換気も止まっていない。そこに人がいるなら、扉が開いた今しか会えないと思った。
奥村は担当者に、一緒に下りてもらえますね、と確かめた。
私たちは、許可と証人を得たつもりで階段を下りた。
階段は二度折れ曲がっていた。地下の踊り場に着くと、さらに一段下へ続く扉が開いている。
壁の表示はB2だった。
床に青い線が引かれ、その先に、白いドアが並んでいた。
廃施設の地下というより、開院前の病院に似ていた。消毒液ではなく、炊飯中の米の匂いがした。
奥の壁にテレビがある。
音は出ていない。普通の天気予報が流れていた。
廊下には、一人用と表示された小さな個室が十六並んでいた。ドアの脇に、履物が一足ずつ置かれていた。
奥村が数えていた。声は出さなかった。
掲示板には、食事当番と清掃当番の表がある。氏名の代わりに番号が使われていた。月の欄がなく、日付だけで一周する表だった。
その下に、別の一覧表が貼られていた。
C17 地上維持要員 十六
C17 継承待機要員 十六
外部照会 終結済
私は振り返った。
管理担当者はいなかった。
上から扉の閉まる音がした。
「相良さん」
奥村が、掲示板の端を指さしていた。
今月の新規要員受入表だった。
私たちの名前がある。
相良聡 記録
奥村奈央 広報
取材申込書には、二人とも取材者と書いた。
名前の右に、もう一列あった。室、という欄だった。私の側は空白で、彼女の側には数字が入っていた。紙の折れ目にかかり、廊下の照明を反射していた。
奥村が紙の端を押さえ、携帯電話で撮影した。
「入居の申込みなんて、してませんよね」
私は階段の方へ声をかけた。返事はなかった。
予定表の右端には、別の欄があった。
帰還者、一名。
八 先に来ていた人たち
廊下の奥で、ドアが開いた。
六十歳くらいの女が顔を出した。買物袋を持ち、足元には赤いサンダルを履いていた。
「上からですか」
私がうなずくと、女はほっとしたように笑った。
「今、何月でしたっけ」
「七月です」
「そうでした。二十三日でしたね」
日付は知っていた。
月だけが、わからないようだった。
「放送で、日にちは教えてくれるんです。月は、いつからか言わなくなりました」
女は奥村を見ると、買物袋を床へ置いた。
「よかった。交代の人が来た」
「取材で来ました」
「私も、最初はそうでした」
奥村の肩が動いた。
女は言い直した。
「いえ、私は視察だったかな。ずいぶん前なので」
私は録音機を見せ、話を聞きたいと伝えた。
女は首を振った。
「担当の方に聞いてください。名前の話は、ここではしないんです」
「家族はどこに」
「一緒に入れるという説明でした」
女は、その答えで質問に答えたつもりだった。
私は瀬尾航の写真を見せた。
女の顔から笑みが消えた。
何も言わず、十四号室を指さした。
ドアをたたくと、中で何かが床へ落ちた。
何度か呼びかけてから、男が出てきた。
五十歳前後。頬がこけ、髪に白いものが混じっていた。身につけているのは、襟に番号を縫いつけた作業着だった。
私は姉の名前を伝えた。
男は、すぐには答えなかった。
「玉ねぎ」
やがて、それだけ言った。
「姉さん、まだ大きく切りますか」
奥村が、自分の口元を押さえた。
「瀬尾航さんですか」
男は廊下を見た。
「ここでは、言わないでください」
その瞬間まで、私は彼がすべてを知っていると思っていた。
連れ去られた場所。首謀者。ここで何をしているか。
しかし男は、ほとんど何も知らなかった。
父親の手伝いで来た。事前審査に通ったと言われた。数日だけ設備を見学すると説明された。携帯電話を預け、身分確認の紙に署名した。
そのあと、帰りのバスに名前がなかった。
「次の便と言われました」
「いつの」
「次のです」
彼は十六年間、その言葉で待っていた。
何度も抗議したという。地上へ上がったこともある。しかし外部へ連絡すると、担当者が代わりに説明した。家族は承知している。本人も納得した。署名がある。
「父には会えたんですか」
「最初の何年かは。途中から、父も来なくなりました」
父親の死は伝えなかった。
航は、片手をもう片方の脇へ挟んでいた。寒いのかと聞くと、ここはいつも寒い、と答えた。
「寒くて、眠れませんか」
「起きるのは、放送のときです」
「夜も点呼があるんですか」
航は、廊下のスピーカーを見上げた。
「名前じゃありません。水の中で、何かが息をしているみたいな音です。長いと、一時間くらい」
一度、眠れないと職員に訴えた。そのときの返事を、航は低い声で繰り返した。
「すみません。人間用に戻します」
どこかで水が流れていた。配管の音だろう。航は、それが止まるまで口を閉じていた。
私たちが滞在した間に、彼の言う放送が流れることはなかった。
その職員はどんな人かと尋ねると、航は自分の目の前で、人さし指を横へ動かした。
「謝ったとき、一度だけ。まぶたじゃなくて、目の端から、白いものが、すっと」
「照明の反射では」
「そうだと思います」
航はすぐにうなずいた。その職員は食事を運び、薬を渡し、帰りのバスの相談にも応じてくれる人だった。
「それからは、顔を見ないで話しています」
奥村が鞄から手袋を出した。
編集部で見た、灰色の薄い手袋だった。右手の分を、航へ渡した。
「片方で、ごめんなさい」
航は、そんなものをもらってよいのかという顔をした。
そこへ、廊下のスピーカーから音が出た。
穏やかな男の声だった。
「帰還者の照合を開始します。対象の方は、地上へお進みください」
十四号室の札が裏返った。
退室、と書いてあった。
いつ、誰が裏返したのか、見ていない。
赤いサンダルの女が、自分の部屋の札を見た。
裏返っていなかった。
女は買物袋を拾い、何も言わずにドアの内側へ戻った。
九 帰りの名簿
帰りは、私、航、奥村の順になった。
航は廊下の端まで歩き、階段の手前で止まった。
「また、名前がないんじゃ」
姉が待っていると伝えても、足が動かなかった。扉の先をのぞき、それから自分の胸を探った。名簿に見せるものを捜しているようだった。
奥村が横へ回った。
「私たちと一緒です。相良さんに、つかまって」
私が伸ばした腕に、灰色の手袋が触れた。
そのとき、扉の下で、金属が擦れる音がした。
壁際に固定されていた防火扉が、戻り始めた。
奥村が航の背を押した。私は彼を階段側へ引き寄せ、空いた手を扉へ伸ばした。
縁に指が掛からなかった。
閉まる直前まで、小窓の向こうに奥村の顔が見えていた。彼女は私の手元を見ていた。私が開けると思っていたのだ。
レバーは下がった。
扉は動かなかった。
小窓をたたくと、奥村が携帯電話を持ち上げた。
私の電話が鳴った。通話をつなぎ、耳に当てた。
「別の階段を探します。先に、航さんを」
「ここで待つ」
「戻されたら、また十六年ですよ」
彼女は航にこちらを見せないでほしいと言った。私は体をずらし、小窓を隠した。
奥村が振り返った。誰かに呼ばれたようだった。
「担当の人ですか。開けてもらえますか」
受話器から、男の声が小さく聞こえた。
「その方は、地上には戻りません」
私は扉をたたいた。
「奥村」
廊下のスピーカーが、扉越しにくぐもって聞こえた。
窓を閉めていただけますか。
受話器の中で、誰かが、はい、と答えた。女の声だった。小窓の向こうの奥村は、口を開いていなかった。
窓の向こうが暗くなった。
私は携帯電話を持つ手を壁へ押しつけた。落としそうだった。
「相良さん。名前、ありますよね」
「ある」
「私、申請しましたよね」
「二人で出した。写真もある」
彼女は息を吸った。
「いま送ります。私のところ――」
通話が切れた。
一枚の画像が届いた。
さっき撮影した受入表だった。私は指を二本広げ、室、という欄を拡大した。
奥村奈央。一四。
航が出てきた部屋だった。
上から管理担当者が降りてきた。後ろに、作業着の男が二人いた。
「開けてください。中に一人います」
「承知しています」
担当者は扉に手を掛けなかった。
「帰還される方を、先に確認します」
「三人です。私と、この人と、中の人」
「相良様は外部の方です。入所されていません」
担当者は、航だけを見た。
「この方の帰還手続きを進めてよろしいですね」
「奥村さんは、あなたたちが出してくれるんですね」
「まず、こちらの方の確認を」
航は壁に背をつけ、しゃがみこんだ。手袋をしていない左手で、首の襟を何度も引っ張っていた。
私は、担当者が二つ目の質問に答えていないことに気づいていた。
それでも言った。
「航さん一名です。先に、出してください」
担当者が、持っていた紙に線を引いた。
「一名。確認しました」
私は航の脇へ腕を入れ、立たせた。
階段を上がりながら、電話をかけ直した。呼出音が鳴った。上へ行くほど、扉をたたく音が遠くなった。
外で助けを呼べばいい。警察に説明すれば、今度は一緒に入ってもらえる。そう考えて、建物を出た。
警察へは、敷地の入口から電話した。
駆けつけた警察官に、管理担当者は、地下には機械室しかないと答えた。
警察官は航にも、どこにいたのか尋ねた。
航は管理担当者を見た。
「自分の意思で、滞在していました」
場所を尋ねられているのに、それを繰り返した。左手は、まだ襟をつかんでいた。
私は姉から聞いた失踪の経緯を説明し、家族にも確認してほしいと頼んだ。そのあと、警察官と階段を下りた。
給水タンクと配電盤があった。
B2という表示はない。
タンクの裏へ回っても、壁が続いていた。掌で押し、拳でたたいた。音の変わる箇所を探した。
警察官に名前を呼ばれ、私は手を止めた。
同行者の名前を尋ねられ、奥村奈央、と答えた。
管理担当者が許可書を差し出した。訪問者は一名だった。
「お帰りになる方は、全員です」
私は携帯電話を見せようとした。
申込書の控えには、私の名前しかなかった。
奥村から届いた画像は残っていた。受入表も、室の欄もある。ただ、彼女の名前が載っていた行には、空いた部屋を示す斜線が引かれていた。
さっき見た、と言った。
警察官は、いま画面に何があるかを確かめていた。
日没は、十八時五十四分だった。
私はそれより前に、航を連れて山を降りた。
助手席は空けておいた。航は後部座席へ座った。
隣の席に誰もいないのに、私は膝に鞄を載せた。運転できず、後ろへ渡した。
航が手袋を外そうとした。
「返さないと」
そのままでいい、と答えた。
彼は、誰へ返すつもりだったのかを、説明できなかった。
十 照会先なし
航を瀬尾家へ送り届けたとき、理津子さんは、しばらく玄関から動けなかった。
航は靴を脱ぐと、玄関の隅に並べられた自分の古い靴を見た。
「捨てなかったんだ」
瀬尾さんは答えず、何度もうなずいた。
瀬尾さんは弟の頬へ触れ、老けたねと言った。
航は笑った。
そのあと二人とも泣いた。
私は居間の端から編集部へ電話した。
奥村が帰っていないことを伝えると、電話に出た社員は、外部のカメラマンかと尋ねた。
担当編集者だと説明した。
自分の部署にはいない、と言われた。
部署も担当も、奥村本人から何度も聞いている。何度も会社で待ち合わせをした。受付で彼女の名前を言えば、いつも通してもらえた。
人事へ照会しても、在籍は確認できなかった。
やりとりしたメールは残っていた。ただ、差出人はすべて編集部共通のアドレスになっている。個人名の署名もなかった。
以前届いた「帰りの時刻だけ先に決めてください」という一行まで、共通アドレスからの事務連絡になっていた。
消されていれば、削除されたと説明できた。文章はそのままで、彼女が書いたという部分だけがなかった。
削除や改変は可能だろう。
会社ぐるみで圧力を受けたのかもしれない。
私はそう考え、独立した手掛かりを探した。
まず、自分の携帯電話を開いた。
施設の玄関で、管理担当者に撮ってもらった写真がある。
私が写っていた。少し左に寄って立ち、右側に、人一人分の場所を空けていた。
空いた場所には、草を刈ったばかりの斜面が写っていた。
私はその写真を拡大し、縮小し、撮影日時を見た。七月二十三日、十四時二十四分。改変の痕跡を探す知識は、私にはなかった。
次に、資料の付箋を見た。
黄色と青と、「未照合」の三色目。彼女の字で書かれた札が、資料の束に何十枚も残っている。
編集部の別の社員に見せると、相良さんの字ですよね、と言われた。
違うと言いかけて、私は自分の手帳を開いた。
見比べると、似ていた。癖のある「未」の一画目まで。
彼女の字だと言い切るために必要な、彼女のほかの字が、もうどこにもなかった。
喫茶店。バス会社。瀬尾家を最初に訪ねた日のタクシー。
店員は、もう一人いた気がすると言い、別の店員は一人だったと言った。タクシーの運転手は覚えていなかった。
瀬尾さんには、女の人と来たでしょう、と尋ねた。
「そうでしたっけ」
台所で、弟のために玉ねぎを刻んでいた。
私は、彼女を責めるような声を出した。
「玄関で、二人で来てくれてよかったと言ったでしょう。手袋を渡した人です。航さんを連れてきた」
包丁が止まった。
瀬尾さんは、隣の部屋を見た。
弟が座っている。湯飲みを両手で持ち、足元に膝掛けをかけている。
「もう帰ってきたんです」
瀬尾さんは、静かに言った。
「それでは、駄目なんですか」
私は、その家で奥村の名前を言えなくなった。
帰る前に、瀬尾さんは包丁を置いた。
「弟を、もう一度連れていかないでください」
私を見て言った。
そのとき初めて、彼女にとって私は、航がどこから戻ったかを知っている側の人間なのだとわかった。
「連れていきません」
今度は、確かめ直すためという言い訳もつけずに答えた。
帰還確認票を見せてもらうと、姉弟二名の名前があった。航が胸のポケットに持たされていたものだという。
末尾の欄には、印字されていた。
欠席者:〇名
理津子さんの署名も、加わっていた。
冷蔵庫の献立表だけが、十六年前の日付のまま貼られていた。
十一 日本継承区
八月二日、編集部に、木戸のものと思われる封筒が届いた。
差出人欄は空白だった。ただ、封をしたテープの切り方が、ホテルで受け取ったものと同じだった。本人が出したと断定する根拠にはならない。
中には、見開きの地図と、六枚の内部文書が入っていた。
地図の余白に、青字で「ILLUMINATI」とあった。三角形に囲われた片目が添えられ、拠点図の外にある空白の承認欄へ向いていた。
イルミナティ。夜明け会の上にいる者の名が、ようやく出たのだと思った。
ペンを持ってから、印刷された部分と書き込みを分けた。私はこの字を書いた人間さえ知らない。
「書込者不明」
四色目の付箋を貼った。
地図は、国境ではなく番号で区切られていた。
北大西洋沿岸に三つ。南半球に二つ。東アジアに四つ。国内にはJという大きな区分があり、その中にC17を含む複数の点があった。
点と点を結ぶ線には、資金、搬送、認証、という三種類の文字が付されている。
瀬尾礼一氏の訳語と一致していた。
私は図の下部に、初めて「日本継承区」という日本語の表記を見つけた。
政府機関の名称ではない。公的な制度とも確認できない。
それでも図を眺めると、地下の廊下が、あの建物だけで終わっていないように感じられた。
六枚のうち、一枚は予算の配分表だった。
発電設備、水処理、種子保管、地上連絡。私たちが入ったC17には、地上連絡と身分照合の二つが割り当てられていた。
避難者を守るために、名簿を作る施設。
私はそう読みかけて、手を止めた。
備考に、違うことが書かれていた。
復旧後の照会は、継承台帳を起点とする。
旧台帳との不一致は、旧台帳側の欠損として処理する。
もし新しい台帳に名前がなければ、どれだけ昔の写真や記録を出しても、訂正されるべきなのは昔の方になる。
私は、玄関の写真を思い出した。人事記録。取材申込書の控え。
私は、受入表の空いた行をもう一度開いた。
奥村という人がいなかったことにすれば、写真も申込書も、いまの形が正しくなる。
資料には、昔の方を直せと書いてあった。
それがどう実行されるのかは、どこにも書かれていなかった。
その仕組みを持つ人間が、水を配り、電気を戻し、誰がどの土地へ帰ってよいかを決める。
武装した兵士より先に、名簿が用意されていた。
配分表を裏返すと、前提条件が小さく印刷されていた。
第一期人口調整
移行完了時の管理対象人口:基準期の五〇%以下。
上記は被害予測値ではなく、到達目標とする。
人口削減計画。
私はその言葉を手帳に書き、「管理対象」の四文字に線を引いた。
何人を基準とする五割なのか、対象の地域も期間も、この紙にはない。殺す人数を決めたのか。台帳から除き、食料も電力も渡さなくするのか。
地下の十四号室には、航がいた。翌朝は、奥村の分の食事が運ばれたのだろうか。彼女の名前が地上から消えても、腹は減る。寒ければ手袋が要る。
三十二人分を支払い、十六人として報告する。
私は二枚の請求書を並べた。そこに世界全体の計画を証明する力はない。ただ、帳簿の人数を半分にしても、食べる人間まで半分になるわけではなかった。
誰の分を、別の名目で養っていたのか。あるいは、いつまで養うつもりだったのか。
別の紙には、公開情報の取扱いが記載されていた。
周辺言説の全面的な否定・削除は行わない。
所在、接続経路、候補者名簿の三点を同一資料上で成立させない。
単独の証言は、既存の終末言説と並置する。
私は、木戸の言葉を思い出した。
陰謀論の記事でしょう。
私は、自分の取材メモをめくった。
未確認の扉。秘密結社。地球外の協力者。人間の皮膚を借りるもの。
その間に、航が言った「次の便」が埋もれていた。
見つけた人間より、見つからない黒幕のために多くの頁を使っていた。
その紙の裏には、カードを三枚並べたような図版のコピーがあった。片隅に「イルミナティカード」と書き添えてある。どれも題名と説明欄が切れており、正規のカードなのか模作なのかは判別できなかった。
一枚には、同じ塗装のバスが二台描かれていた。片方の窓には人の顔が並んでいる。もう片方の窓は黒い。
私は、絵の中の人数を数えかけて、途中でやめた。
コピーの下には、図版とは別の筆跡で一行が加えられていた。
配る順番は変更しない。
事件に似た絵を、あとから選んだのか。それとも、先に配られた絵に合わせて、誰かがバスを二台、手配したのか。
私はすでに、この図版を記事の冒頭に置こうとしていた。写真より、人を引きつけると思ったのだ。
配る順番は変更しない。
カードの画像を、原稿から外した。資料としての所在と、確かめられていない点だけを記した。
六枚目を読むと、なぜ私にこの封筒が届いたのか、別の意味が見えた。
人員の配属表だった。
新規要員 二名
地上記録 一名
区内広報 一名
公開経路 雑誌記事を第一候補とする。
日付は、二〇二八年五月一日だった。編集部が資料の募集を始める前である。
私は、奥村が担当するはずだった仕事を調べた。
区内広報。
待機者向けの日付、天候、外部情勢の伝達。
地下の女は、今日の日付を知っていた。
何月なのかは、知らなかった。
私は机から離れ、窓を開けた。
向かいのマンションで、何人かが洗濯物を取り込んでいた。
日常を見ておけば安心できるという考えは、もう役に立たなかった。
地下のテレビにも、同じような空が映っていた。
十二 残された録音
九月の初め、瀬尾航が手袋を返しに来た。
奥村の名前を伝えると、何度か口の中で繰り返した。
「その人だったと思います」
「覚えていますか」
「地上の、最後のほうは」
航の記憶は、時々、順序が入れ替わった。
父親に会ったのがいつか。地下へ入ったのは何月か。食事当番を始めたのは何年目か。
尋ねると、答えはその都度少し違った。
私は検証のために聞いているつもりだった。だが彼には、また本人確認を受けているように感じられたのかもしれない。
途中から質問をやめた。
航は、手袋の入った封筒を机に置いた。
もう一つ、小さな封筒があった。
礼一氏が家に保管していた録音の複製だという。理津子さんが遺品を調べ直して見つけた。
中にはCDが入っていた。
封筒は、礼一氏が自分宛てに郵送したものだった。二〇一二年十二月の日付があり、封の上に本人の署名が重なっていた。
封緘や日付が真正でも、中身の作成時期まで証明できるとは限らない。私はその留保を、鑑定依頼のメモに書いた。
収録されていたのは、同じ四十三分の録音だった。
女の声も、同じ場所にあった。
私は最初、イヤホンを外した。
次に、部屋のスピーカーで再生した。
そのあと、もう一度、イヤホンで聞いた。
机の上には、返された右手袋があった。私はその指を一本ずつ伸ばした。何かをしていなければ、最後まで聞けなかった。
女性:奥村奈央です。
[衣服の擦れる音]
女性:相良さん。名前、ありますよね。
[短い無音]
男性:残らなかった人の情報は、引き継ぎません。
私は机に手をついた。
地下の扉の向こうで、奥村が私に聞いた言葉だった。
だが、同じではない。
あの日、彼女は焦っていた。すぐに電話を切られてしまうかもしれないと、言葉を急いでいた。
録音の声は、落ち着いている。
何度も読んだ文章を、ゆっくり読み上げている。
名前、ありますよね。
私への質問だったはずの言葉を、誰かに教えられた台詞として言っている。
そして、そのあとの無音。
あの日、私は、ある、と答えた。
録音には、その返事がない。
私が答えるはずの位置に、何も入っていない。
次に男が言う。残らなかった人の情報は、引き継ぎません。
私は、その無音が、自分のために空けてある場所のように思えた。
ただ返事が記録されなかったのか。まだ、返事をしていないことになっているのか。
三九分〇一秒へ戻した。窓を閉めていただけますか。はい。重いものが閉まる音。
小窓の向こうが暗くなったときも、女が同じ返事をした。奥村の口は動いていなかった。
誰に言わせていたのか。
七月の会議室で、この録音を聞いていた奥村の唇を思い出した。
声より少し先に動いていた。
私は再生を止めた。止める直前の言葉を、自分の口もなぞっていた。
私は、二〇一二年の封筒を見た。
日付を信用しなければいい。
誰かが古い封筒へ、新しい録音を入れた。
だが、私と奥村は、彼女がいなくなる前にこの声を聞いている。七月、編集部の机で。彼女は、この人は誰かに話しかけている、と言った。
あのとき再生したカードも、手元に残っていた。
そちらにも、同じ声があった。
誰が、何のために録音したのか。
奥村自身が、何年も前からこの計画に関わっていたのか。
地下で聞かされる日付の方が、間違っているのか。
あるいは、地上で私たちが使っている日付の方が。
私はそこまで書き、最後の一行に取り消し線を引いた。
証拠から離れ始めていた。
彼らの資料が、私をどこへ向けて歩かせたいのか、もうわからなかった。
ただ、一つだけ、線を引かずに残した。
彼女は録音の中で、私の名前を呼んでいる。
私は、その中で、彼女の名前を呼び返していない。
十三 報告の扱い
以上の資料から、公開動画の主張全体が正しかった、と結論することはできない。
私が見た地下通路も、瀬尾航の帰還も、世界規模の戦争や災厄が意図的に計画されていることを証明しない。
ただ、限られた人間を選び、そのために他人の名前を処分する準備をした者はいた。
少なくとも私は、その準備に使われた部屋へ入った。
彼らが世界を支配しているかどうかは、わからない。
だが、私が帰るときの人数を、彼らは決めた。
それを世界と呼ぶには小さすぎると、私には言えない。
奥村にとっては、あの扉のこちら側が、世界の全部だった。
私は本稿に、木戸が渡した文書の全文を載せないことにした。
内容を隠すためではない。手に入ったものをそのまま配ることが、地上記録係に割り当てられた仕事だったからである。
自分で確認したこと、証言として聞いたこと、真偽を確定できなかったものを分けた。
黄色と青は、私が分けた。
そして、奥村の名前を残した。
傘を自分の足元へ置く編集者が、二〇二八年七月二十三日、私と同じ車に乗って山へ行った。まず、そのことの裏づけを探している。
手書きなら残るのかと思い、手帳に何度も名前を書いた。だが、付箋も彼女の手書きだった。いまでは、その筆跡さえ自分のものに見える。
何に記せば消されないのか、まだわからない。
灰色の右手袋は、机の引き出しに入れてある。指先の一か所に、糸の飛び出したところがある。それを切らず、毎朝、同じ場所にあるか触っている。
それが証拠になるとは思っていない。私が忘れたあと、誰かが引き出しを開けたら、手袋を片方だけしまっていた理由を考えてほしい。
帰りの車で座った場所を尋ねると、航は、ときどき助手席を指さす。
私が運転していた車の助手席には、誰も座っていなかった。
それでも航は、右手をその方向へ差し出す。
「ありがとうございました、と言ったと思います」
何を見て言ったのかは、思い出せないという。
私は、その答えを訂正しなかった。
九月二十四日、初稿を送る前に、第九節を読み返した。
職員に促されて外へ出た、とだけ書いていた。
私はその前に、一名と答えている。
その言葉を原稿に戻した。
航さん一名です。先に、出してください。
「先に」と言えば、そのあとがあることになると思っていた。
末尾には、別の一行を加えた。
未帰還者 一名。奥村奈央。
修正した原稿を送った。編集部には、私から削除を頼んでも、その場では消さないでほしいと伝えた。本人確認では足りない理由を説明するのに、また原稿の初めから話す必要があった。
【継続調査事項】
一 奥村奈央の所在および在籍記録の再確認。
二 瀬尾航が滞在した施設の特定。
三 木戸から提供された資料の作成者、作成時期、原本の所在。
四 録音媒体R―一の成立過程。
五 筆者の携帯電話に保存された施設玄関の写真について、撮影時の人数の確認。
六 C17以外の拠点が実在するかどうか。
刊行直前の追記
九月二十九日、編集部宛てに、細長い封筒が届いた。
中には一枚の乗車券が入っていた。
鉄道会社の名前はない。行先も印刷されていない。
あるのは、相良聡、という名前と、C17の番号だけだった。
乗車日の欄には、二十三日、とある。月は印刷されていなかった。
券面の下に、小さく条件が添えられていた。
本券は、災害の発生を乗車条件としない。
同封された紙には、欠席者の確認を行うので来場してほしい、とあった。
予定人数は十六名。
来場済みは十五名。
十五名は、名前ではなく担当で書かれていた。通信、配電、輸送、住民照合。録音で聞いた呼び方だった。
残る一名の欄にだけ、担当のほかに名前があった。
記録、相良聡。
私はその紙を、編集部へ持っていった。
記録として原稿の末尾に加えるか、担当者と相談した。
担当者は、よくできた嫌がらせだと言った。記事が出る前に不安を煽り、取材をやめさせるつもりだろう、と。
私も、その説明に同意したかった。
封筒の中を、もう一度確かめた。
券は、一枚しかなかった。
「帰りの分は、ないんですか」
私がそう言うと、担当者が券を裏返した。
表と同じ字体で、二文字だけ印刷されていた。
帰還




