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君がくれた声  作者: 中村雅
season2
12/12

最前列のヒーロー

朝6時。

目覚ましが鳴る前に、春人は目を覚ました。


隣に夏帆はいない。

分かっているのに、手が無意識に空いたスペースを探す。

少しだけ冷たい布団。


(あと二日)


小さく息を吐き、起き上がる。

キッチンへ向かうと、昨日の夜に洗いきれなかったコップがひとつだけ残っている。


夏帆がいれば、きっと気づいて笑っていただろう。


「雑だなあ、はるは」って。


春人は静かにそれを洗った。




「奏、朝だぞー」


ドア越しに声をかける。


「……うん」


元気のない返事。

ドアを開けると、奏は布団の中で丸くなっていた。


「ママ、今日もいない?」

「いないな」


正直に答える。

奏は少しだけ唇を噛む。

春人はベッドに腰かけた。


「なあ、奏」

「なに?」

「ヒーローってさ、いつもそばにいると思うか?」


奏は首をかしげる。


「……うーん...わかんない。ママが戦ってるの?」


春人は笑う。


「歌でな」


奏は少し考えてから、小さくうなずいた。




学校の送り迎え。

保護者の視線が、少しだけ違う。


「あ、春人さんですよね? 夏帆さんの」


悪気はない。

でも、その一言はいつも同じ。


“夏帆さんの”


春人は笑顔で返す。


「はい、そうです」


家に帰ると、どっと疲れが出る。


(俺は、誰だろうな)


平凡な学生生活を送ってきて、今は会社員。

そして、人気歌手の夫。


でも、それでいい。

それが今の自分なのだと。




夜。

奏が宿題を広げる。


「パパ、これ分かんない」


算数の文章問題をやっていた。

春人は横に座る。


「どれだ?」

「“ある人が三日間で――”」

「お、ちょうどいいな」

「なにが?」

「三日間ってのはな、長いようで短い」


奏はむっとする。


「真面目にやって」


春人は笑って、きちんと解き方を教える。

不器用だけど、ゆっくり。


「できた!」


奏の笑顔が戻る。

その瞬間、胸が少し軽くなる。


(これでいい)




その夜、会社の同僚からメッセージが届く。


「テレビ見たよ。すごいな、奥さん」


続けて。


「プレッシャーとかないの?」


春人はスマホを見つめる。

あるか、ないかで言えばある方だと感じた。

街で声をかけられることも増えていた。


「支えてるんですね」

「大変でしょ?」


大変かどうかは、春人には分からなかった。

ただ、必死だった。


返信を打つ。


「誇らしいよ」


送信。

それは嘘じゃない。




その頃、ホテルの部屋。

夏帆は一人、窓の外を見ていた。

メッセージを打つ。


「奏、今日どうだった?」


すぐに返事が来て、動画が入っていた。

再生すると、奏が映っている。


「ママ! 算数できた!」


後ろから春人の声。


「俺の指導な」


奏が笑う。


「パパ、ちょっと自慢してる」


画面越しの笑い声。

夏帆の目が潤む。


「ありがとう」


短い返信。

でも、その一言に全部を込める。




三日目の夜。

奏が小さく呟く。


「パパ」

「ん?」

「パパはさ、ママがいなくてさみしくないの?」


その問いに、一瞬言葉が止まる。


「……さみしいよ」


正直に答える。


「でもな」


春人は奏を見る。


「ママが夢を追う姿、俺は昔から一番最前列で見てきた」

「うん?」


奏は首をかしげる。


「最前列?」

「ステージのな。誰よりも近い席」


少し照れくさいが、続ける。


「応援するってのは、支えるってことだ」


奏は静かに聞いている。


「パパもヒーロー?」


春人は笑う。


「ヒーローってのはな、目立たないやつだ」


奏がくすっと笑う。




最終日。

帰宅の時間。

玄関の前で、春人と奏は待っていた。


ドアが開く。


「ただいま」


その声だけで、家の空気が変わる。

奏が走る。


「ママ!」


抱きつく小さな体。

春人は少し後ろで見ている。

夏帆が顔を上げる。


「はる...」


その呼び方に、昔の時間が一瞬よみがえる。


「おかえり」


それだけ。

派手な言葉はいらない。



夜。

三人で食卓を囲む。

何気ない会話。

何気ない笑い。

でも、夏帆は気づく。


自分がいない間、この家を守っていたのは春人だ。


「はる…いつもありがとう」


夏帆が不意に言う。


「なにが?」

「全部」


春人は少し照れくさそうに笑う。


「最前列の仕事だ」


奏が言う。


「パパ、ほんとにヒーローだね」


春人は少しだけ目を細める。

目立たなくていい。

拍手もいらない。


でも

守っている場所がある。

それで十分だ。


リビングの灯りが、静かに揺れている。

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