隣には君がいる
結婚から、八年が経った。
夏帆は三十代に入り、1stアルバムである『隣には君がいる』は爆発的に売れ、単独での全国ドームツアーも開催された。
シンガーソングライターとして、“トップアーティスト”と呼ばれる存在になっていた。
代表曲である『君がくれた声』や『最前列の約束』はもう知らない人はいないぐらいだ。
それでも……
自宅での朝は、少し寝ぐせのついたままキッチンに立つ。
「ママ、今日の発表会ね!」
小さな声がリビングから響く。
夏帆と春人の娘である“ 奏 ” だ。
夏帆は笑って振り向く。
「うん、絶対行くよ」
ソファには、春人がコーヒーを片手に座っている。
「俺も午後から休み取った」
「え、仕事大丈夫なの?」
「娘の発表会より大事な仕事はない」
そう言って、少し得意げに笑う。
娘は、音楽が好きだった。
リビングには小さな電子ピアノ。
夏帆がツアーでいない日も、春人が隣で聴いている。
あの日の音楽室みたいに。
午後。
小さなホールの舞台袖で、娘は少し緊張していた。
「大丈夫?」
夏帆がしゃがんで目線を合わせる。
「うん……でもちょっとドキドキする」
その言葉に、夏帆は懐かしい気持ちになっていた。
「ママもね、今でもドキドキするよ」
「ほんとに?」
「ほんと……でもね、応援してくれる人の顔を思い出すと、ちょっとだけ強くなれる」
そう言って夏帆は客席の方へ指をさす。
娘が客席のほうを見ると、そこには春人が手を振っていた。
「……パパだ」
「そう。だから大丈夫」
やがて名前が呼ばれる。
小さな背中が、ステージへ歩いていく。
夏帆と春人は、客席で並んで座る。
「緊張してるな」
「うん。でも……似てる」
「どっちに?」
「両方」
春人は笑う。
ピアノの音が流れる。
少しだけぎこちないけれど、一生懸命に音を奏でる。
その姿を見ながら、夏帆はそっと手を握られた。
春人だった。
昔とは逆だ。
あの頃は、彼が支えてくれた。
今は、二人で誰かを支えている。
演奏が終わり、拍手が広がる。
娘は少し照れながらお辞儀をした。
その姿に、夏帆の目が潤む。
「泣くなよ」
春人が小声で言う。
「泣いてない」
でも声は少し震えていた。
夜。
娘が眠ったあと、二人はリビングで並んで座る。
窓の外には、静かな街の光。
「なあ」
春人が言う。
「俺ら、ちゃんとやれてるかな」
「何が?」
「夫婦も、親も」
夏帆は少し考えてから、笑った。
「完璧じゃないけど、悪くないと思う」
春人も笑う。
「ねえ...はる」
「ん?」
「もし私が、歌手じゃなかったらどうなってたと思う?」
少し考えてから、春人は答える。
「どうなっても、たぶん好きになってた」
夏帆は吹き出す。
「なにそれ」
「事実」
夏帆は、そっと春人の肩にもたれる。
「私ね」
「うん?」
「夢を叶えられたのも、今こうしていられるのも、全部つながってると思う」
音楽室で歌っていた日。
別れた日。
再会した日。
プロポーズの日。
結婚式。
全部が、今に続いている。
春人が、静かに言う。
「最前列、まだ空いてる?」
夏帆は笑って答える。
「ずっと予約席だよ」
何年経っても。
スポットライトの中でも、
静かなリビングでも。
夏帆の隣には、春人がいる。
そしてその物語は、
これからも、少しずつ続いていく。
〜fin〜
これにて「君がくれた声」season1は完結となります。season1は夏帆の夢と恋のお話でした。
物語はseason2へと繋がりますが、次回からは家族と絆のお話になります。season1をずっと見て下さった方、続きもどうぞご覧ください。




