3話 平凡を望む
レオンの授与式から2年がたった。
父の書斎から聞こえてきた会話が、その違和感を確信に変える出来事の始まりだった。
「…『堅守の騎士』は確かに名誉なスキルです。ですが、伯爵様、近年の辺境の魔物の活動を考えると、単なる防御だけでは…」
「何を言う。我が家の伝統と栄光が、レオンのスキルに込められている。それで十分だ」
「ですが、次男アルド様の授与式も来年です。もし、レオン様と相補的な、あるいは…より強力なスキルが現れた場合――」
「アルドか」
父の声が少し間を置いた。
「あの子は…レオンとは少し違うようだ。成長も遅めで、物静かだ。妻も心配している。特別なスキルは期待していない。むしろ、そうであってほしいとさえ思う。この家に、一人の『普通』がいても悪くはないからな」
僕は廊下の影に隠れ、息を殺して聞いていた。
(そうだ…その通りだ。僕は普通でいい)
けれど、家臣の次の言葉が、僕の背筋に冷たいものを走らせた。
「しかし、もし『平凡』を超える何か――例えば、記録に残るような『役立たず』のスキル、あるいは禁忌とされるような稀代の『負のスキル』を授かった場合、それは家名の汚点となり、レオン様の将来にも影を落とすかもしれません。場合によっては、アルド様自身が…厄介者として扱われる恐れも…」
長い沈黙が流れた。
「…その時は、その時だ」
父の声は、どこか遠く、事務的だった。
「ウェイブリッジ家のためには、必要な措置もある」
足音が近づき、僕は慌ててその場を離れた。小さな足で、できるだけ静かに廊下を走り抜ける。
胸が痛い。前世で味わった、あの無力感に似た感覚がよみがえる。大きな組織や運命の前では、個人の意思など軽んじられる。それは、どの世界でも変わらないのか。
ただ一つ、違うことがある。
前世の僕には、逃げ場がなかった。しかし、この世界には、まだ見ぬ広大な土地があり、僕の知らない魔法や技術があるかもしれない。
(平凡を選ぶ…それも一つの戦いなんだ)
(だが、そのためには、ただ目立たないふりをするだけじゃ足りない。この世界のルールを、もっと深く知らなければ。そして、いざという時のための「保険」を、そっと準備しておかなければ)
僕は、自分の部屋に戻り、窓辺に立った。二つの月の光が、僕の小さな手のひらを照らしている。
遠くで、兄レオンがまだ剣の型を練習する音が聞こえてくる。規則正しい、力強い音。
僕はそっと手を握りしめた。
(兄さんは兄さんの道を進む。僕は…僕の道を探す。それがたとえ、誰にも気づかれない、地図に載っていないような細い道だとしても)
(来年の授与式まで、あと一年。)
(その時、僕はどんな「平凡」を手に入れるだろうか。それとも…「平凡の先」にある何かに、足を踏み入れることになるのだろうか。)
僕は月明かりに照らされた庭を見つめながら、新たな決意を胸に刻んだ。この世界で生き延びるために、学び、観察し、準備することを。たとえ、それが「平凡」を装うためであっても。
夜、月明かりが石の床に落ちるのを見つめながら、僕は誓った。
どんなスキルが与えられようとも、僕は僕の人生を生きる。英雄にも、救世主にもならない。ただ静かに、平和に、この第二の人生を全うしたい。
窓の外では、二つの月が異世界の空に浮かんでいる。一つは青白く、もう一つは淡い金色を帯びている。この世界は美しい。だからこそ、もっと長く、安全にこの美しさを眺めていたい。
眠りに落ちる直前、ふと思った。
もしも「平凡」を選ぶこと自体が、この世界では最も非凡な選択だったら?
そしてその考えが、少しだけ、怖かった。




