②スライムと神の領域、そして新たな世界へ
いつからそこにいたのか、気づけばトーマスがそっと俺の肩を支え、うつむく俺を立ち上がらせてくれていた。
「久しぶりだな、地獄の爆熱裁断者様」
俺はまたしても顔を覆い、床に崩れ落ちるしかなかった。
「やめて……その二つ名は、やめてくれ……」
〜〜〜
研究者の説明は簡潔だった。スライムの世話を頼まれていた冒険者トーマスが、スライムが増えていることに気づき、魔物研究所に連絡。研究所はすぐに家を封鎖した。人口飼育下でのスライムの分裂は初めての事例だという。その噂を嗅ぎつけたあのジジイも、どこからか現れたらしい。
スライムの飼育は謎だらけで、普通は餌を食べても少しずつ小さくなり、やがて消えてしまう。なのに、俺のスライムはなぜか分裂して増えていた。
「まさか、水を与えていたとは……盲点でしたね」
いや、普通ペットには餌と水だろ? と思ったが、これは地球の常識。こっちの世界では違うのかもしれない。そもそもスライムをペットにする発想が稀だから、誰も試さなかっただけなのだろう。
結局、一匹を手元に残し、残る二匹は研究所が引き取ることになった。みんなは何事もなかったように解散していく。「あまり増やさないように」と研究者に釘を刺され、トーマスは「また必要なら世話するよ」と爽やかな笑顔で去っていった。はあ……イケメンは絵になるな。
最後にジジイに文句を言おうとしたが、老紳士は風のように消えていた。
「それじゃあな、リリアちゃん」
一人、部屋に残された俺は考え込んだ。あのクソジジイを小一時間問い詰めてやりたい。胸パッドはまだしも、お股カップはないだろ。いや、もうこの際だからお股カップも百歩譲って認めよう。だが、なぜあんなにキツく縛る必要があった?
……待て。
あるぞ。
アリエール。
王子との件だ。
俺のお股を圧迫
→ 俺の思考を圧迫
→ 王子に同情
→ プロジェクト発動
→ 王子の秘密を知る
セレナとの件だ。
俺のお股を圧迫
→ セレナの握りが空振り
→ 殺されかける
→ 転生者であることがバレる
→ セレナの秘密を知る
ジジイは、お股カップをキツく縛るというただ一つの行為で、見事に二人を結びつけた。勇者と王子が次期政権を担う。王国は安泰だ。計算されていた……すべてが。もはや神の領域じゃないか。
俺は恐ろしさに震えた。ガクガクと。
「そんな訳ないじゃろ、考えすぎじゃ」
いないはずのジジイの声が、確かに耳元で聞こえたような気がした。
ふと目をやると、スライムがドアの前をゆっくりコロコロと転がり、ウロウロしている。まるで外に出たいと訴えているようだ。スライムは癒しだ。俺はお前を絶対に離さない。
幸せとは、
こういうものなのかもしれない。
去った者の足音が消えたあと、
残された空気が、静かに自分の股間をキュッと締めつけること。
そしてその締めつけさえ、いつしか愛おしく思えてしまうこと。
開いた窓から風が入ってくる。
冷たく、湿り気を帯びた風が。
どこか遠い海の匂いと、
焚かれなかった薪の煙の記憶を運んでくる。
耳元で、またジジイの声がした気がした。
振り向けば、誰もいない。
誰も答えず、誰も追わず、
ただ世界が、ゆっくりと扉を閉めていく音だけが聞こえる。
もう、いいさ。
すべてが計算づくだったとしても。
この締めつけが愛おしいと思える今この瞬間、
新しい世界の扉を開こうとしているのだ。
END
ありがとうございました。これでもう完結です。




