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デビュー

掲載日:2025/10/20

 サッカー少女が、プロレスラーとしてデビュー戦を迎える。

 多山春子は、女子サッカー部で活躍している高校3年生だ。残念ながら、インターハイは県予選でライバル校に惜敗した。その時点で、ほとんどの3年生部員は引退したが春子を含め5人は、高校女子サッカー選手権を目指して、残留した。中でも、ストライカーの小村ゆずはWEリーグのチームへ入団が、決まっていた。そして、ほかの3人も、なでしこリーグのチームに、入ることが決まっていた。

 しかし、春子にはそのようなオファーはなかった。春子の高校は、ゆずを中心にした攻撃陣は評価されていたが守備陣は、無失点で終わる試合などほとんどなかった。その1人が、春子なので仕方ない。それでも、サッカーを続けたいので、理解してもらえる企業に就職をして、働きながらサッカーチームに、入ることにした。もちろん、最後の試合で活躍して、格上のチームへ行けるのも夢見ている。

 それは、春子だけの夢ではなく、山谷貴司のものでもあった。山谷は、春子より4歳年上の幼馴染だ。元々、山谷が、サッカーをしていたため、春子も、小学4年生の時から地元のクラブで、始めた。春子は、サッカーのポジションなど、知らなかったが、山谷がやっていたサイドバックを、熱望してやるようになった。そして、春子はしょっちゅう、山谷の家に行きサッカーのトレーニングや、ポジショニングを教わっていた。お互いの親同士も、仲が、よかったため、公認だった。

 また、春子は都合の良い時は、山谷の学校の試合も観戦しに行った。山谷は、どの試合もディフェンスでは確実に、相手の攻撃の芽を摘み、オフェンスでは、敵陣でドリブルやセンタリングで、貢献した。春子は、その姿を見るのが、好きだった。そして、自分の試合でも、山谷になった気分で同じようにやろうとするが、度々失敗して、監督に、怒られた。それを、山谷に、話すと状況などを、聞いてアドバイスをくれた。そこまでは良いが、トレーニングになると厳しくて、春子が、ぶっ倒れる寸前まで、続いた。夜の公園を、何周も走らせられたこともある。その甲斐あって、春子も、チームの中心選手になっていった。

 春子は、中学生になると、柔道部に入った。それは、中学校に、女子サッカー部がなかったためだ。それでも、部活は、強制加入だったので、練習時間が短く、サッカーで、倒された時のために、受身は役立つような、気がしたからだ。そして、サッカーのクラブは、所属し続けて、都合がつく時に、出ようと思っていた。


 春子は、中学2年生のある日曜日に、県内最大のサッカー場にいた。この日は、サッカーのインターハイ県予選の決勝戦だった。もちろん、山谷の応援だ。春子は、クラブなどの友人を誘ったが、興味を持つ人がいなかったので、山谷の両親と、訪れた。これまでにもそういうことは、何度もあった。スタンドに、3人で並んで座った。春子は、試合開始まで、時間があったので、トイレと飲み物を買いに行った。すると、戻る途中で、知っている顔の2人組に、遭遇した。ゆずと、大駒佳子だ。2人とも、春子のサッカーチームのライバルチームだ。今まで、何度も、マッチアップしたので、話したことはない。春子は、そのまま通り過ぎようとしたが、声をかけられてしまった。

「多山さんだったよね」

 ゆずが、自信なさそうに、言った。

「そうです」

 同級生と、わかっているのに何故か敬語になってしまった。

「そんな、怖そうな顔しないでよ。こんなところで、何してるの? 」

「応援です」

「あっ、私たちと一緒だ。お兄ちゃんが、出るんだ」

 春子は、もう話が終わったと思い、歩きかけると、再び止められた。そして、春子は気が乗らなかったが一緒に観ることになった。山谷の両親に、事情を話して、3人で、応援席ではないところへ、座った。応援する高校が、違うことが、わかったからだ。

「多山さんのチームって、ほかのチームの人と、話したりするのを、禁止されていたりする? 」

「そんな決まりは、ありません」

「それなら、どうしてそんなに、警戒しているの? 私たちが、喧嘩売るとか思っている」

 春子は、自分でもどうしてこんな、対応になってしまうのか、わからなかった。試合で、何点も献上して監督に怒られたのが、最大の原因だとしか考えられない。しかし、2人は、試合後には結果がどうであれ、笑顔で握手してくれる。おそらく、とてもいい人なのだ。

「ごめんなさい。2人が、悪いわけじゃないけど、シュートを決められてコーチに何回も怒られたから急に声かけられて、戸惑ってしまった」

「それは、私たちだって同じだよ。点を、獲れなくて怒られている。多山さんは、その最中と試合中は一番憎たらしい。でも、数少ない女子サッカーをやっている、仲間じゃない。いつか、同じチームになるかもしれないよ。県内で、女子サッカー部は、4校しかないからその確率も、高い。コートの外では、仲良くしてよ」

「そういうこと。よろしく」

 2人が、握手を、求めた。春子は、それぞれと握手した。その時、試合開始のホイッスルが鳴った。3人の目はコートに、釘付けになりながらも、口と、耳は3人だけの世界だった。

「うまい。今、どうやったの? 」

「今のファウルじゃないの? 」

「今のは、ナイスだね? 」

 誰かが、発した言葉に2人の解説者が、答えた。こうして、いつのまにかそれぞれの下の名前を呼び捨てにするようになった。そして、ちょうど試合が動いた。山谷が、ディフェンスして、得たボールを中盤の選手が受けると何本かのパスを経て、右サイドを、駆け上がった、山谷に通った。そして、ゴール前に、センタリングを上げると味方の選手の頭に、ドンピシャで、ゴールネットを、ゆらした。春子は、残念がる、2人に、遠慮しながら、

「ナイスシュート」

 と言って、拍手した。先制点は、山谷の学校に入った。その後、両校とも膠着状態だったが前半のロスタイムにゆずと、佳子の兄の学校のコーナーキックになった。おそらく、これが、前半の最後のプレイだと思われた。両校の選手が、作戦を伝え合いボールが蹴られた。狙いは、ニアだったようで、山谷がヘディングでクリアーしようとジャンプしたが、相手の選手もそれに反応して飛び込んでいた。山谷は、ジャンプした後、その選手との接触によって、バランスを崩して、ゴールポストに後頭部をぶつけて倒れた。ボールは、クリアーされて、ホイッスルが吹かれた。春子は、それがスローモーションのように、見えた。

「貴ちゃん」

 春子は、思わず、叫んで走り出した。自分には、何もできないことはなんとなくわかった。コートにいる、山谷に、近づくことさえできないことも、わかっていた。でも、じっとしていられなかった。まもなく、救急車が到着した。救急隊員が、手際よく担架を用意して、コートに入った。春子は、救急車のそばで、立ち尽くしていた。その後ろには、かける言葉を、探しているゆずと、佳子がいた。しばらくして、山谷が担架に乗って、出てきた。心配そうに、山谷の名前を呼ぶ、両親と共に。春子も、一緒になって、呼んだ。

「貴ちゃん」

 しかし、何も、反応がなかった。救急車には、お母さんも乗った。お父さんは、辺りを見回して春子を発見すると、

「春ちゃん、申し訳ないけど1人で、帰ってくれるかな」

「私は、大丈夫なので、貴司さんのところへ、早く行ってください」

 春子は、心配かけまいと、冷静を装った。ゆずと、佳子は元いた席に、春子を連れて行き座らせた。

「帰りは、うちの親に頼んであげる」

 その後も、ずっと春子を励ました。春子は、それを聞いているようで聞こえなかった。試合も、見ているようで見ていなかった。結果も、帰る前に電光掲示板を、確認して山谷の学校が逆転負けしたのを、知った。


 翌日、春子は山谷の意識が、戻っていないことを、山谷のお母さんからの電話を受けた母から聞いた。また、面会は、親族以外は、できないことも、聞いた。春子は、今まで休んだことがない部活や、クラブに出なくなった。学校は、休まなかったが、元気がなかった。

 春子を、知るものはみんなが、心配したが、どうにもならなかった。両親も、少しでも気晴らしになればといろんなところへ、出かける提案をするが、全く乗らなかった。すっかり、困り果てていた時、ゆずと佳子が訪れた。

これまでも、1度訪ねてきたことがあったが、母に帰ってもらうように、伝えた。今回も、そうしようと思ったが母は、

「遠くから、きてくれているから断るにしても自分で言いなさい」

 と言われたので、仕方なく玄関に行った。2人は、春子を見ると、すぐに頭を下げて謝罪した。

「どうして、ゆずと、佳子に謝られないといけないの? あれは、試合中に、起こった事故で誰かが、悪いとかそんなんじゃない。そんなことは、私だってわかっている」

「それなら、映画に行こう」

「今の私なんて、誘っても楽しくないよ」

 2人は、何を言っても、折れなかった。春子は、根負けして行くことにした。母に、出かけることを言って外に出た。映画館は、電車に乗って、隣の街に、いかなければならない。ちょうど、2人が、住んでいる街と春子の街の間だ。着くまで、いろんな話をするが、2人は、サッカーのことには、あえて、触れないようにしていた。春子はほとんど、会話に、参加せず聞かれたことだけ、答えた。

 映画は、コメディになった。春子は、なんでもよかったので、2人のチョイスだ。しかし、春子は2人が自分を元気づけるためなのは、伝わった。おそらく、2人とも自分たちの好みではない、映画だったはずだ。今なら、話題作が、たくさんあった。しかし、思ったより、面白く観客も自分たちだけだったので、気兼ねなく笑えた。終わると、フードコートで、飲み物を飲んだ。映画の話で、盛り上がっていると口数が減った、ゆずが、重い口を開いた。

「春子。サッカーの話をしていい」

「いいよ。2人が、その話題を避けているのは、わかっていた。でも、私はサッカーが嫌いになったわけじゃないし、それがなかったら、今日の私たちもないと思う」

「今日って、本当は私たち、試合してるはずだったでしょ? 私と、佳子も怠けた。春子が、出てない試合なんてつまらない。たとえ、シュートを、決めても嬉しくない。すぐにとは、言わない。でも、いつかまた、春子と試合したい」

 佳子も、頷きながら聞いていた。春子は、試合の予定などすっかり忘れていた。

「ごめん。まだ、そんな気分にならない」

「待っているよ」

「気晴らししたかったら、私たちすぐに付き合うし」

 春子は、お礼を言って2人と、別れた。その間際に、LINE交換をした。電車に、乗ってから確認するとグループも、できていた。


 家に、帰ると見慣れない靴が、玄関にあった。その正体は、すぐにわかった。山谷のお母さんだ。

「おかえりなさい」

「こんにちは。貴ちゃん、どうですか? 」

「それが、意識は、戻って、春ちゃんに『サッカーを、頑張って続けてくれ』って」

 お母さんは、笑顔で、言った。春子も、自然に笑顔になった。

「良かった」

「だから、春ちゃんも、いつまでも落ち込んでないで頑張って」

「わかりました。頑張ります。それで、貴ちゃんはいつまで入院なんですか? 」

 お母さんから、笑顔が消えた。

「それは、まだわからない。もうしばらくかかるかな」

「そうですか。貴ちゃんに、会いたいな」

「また、帰って来たら、遊びに来てね。そうでなくても、来てもいいよ。美菜も、いるし」

 美菜は、貴司の妹だ。サッカーを始めるまでは、1つ上で、年も近いので、美菜と、遊ぶことの方が、ずっと多かった。しかし、美菜は、陸上部で毎日遅くまで練習していたため、学校であった、時くらいしか、話もすることが、なくなってしまった。だから、春子はお母さんが言ったことは社交辞令ぐらいに、思っていた。

 春子は、翌日から部活に、復帰した。しかし、1か月以上何もしていなかったせいで、足を捻挫してしまった。柔道部は、女子は少ないので、だいたい、男子とやらなければならない。体重も、重くて、小学生からやっている人も、多くて、そんな人たちに、容赦なく、投げられたり絞められたりするのだから、当然の結果でもあった。それでも、少しは、心配ぐらいしてくれてもいいのに、監督の木藤圭一郎は冷たく言った。

「1か月以上も、怠け休みするからだ。テーピングして、練習を続けろ。もう、お前には、休みはやらない」

「はい。すみません」

 春子は、左足を引きずりながら、救急箱のところへ辿り着いた。テーピングを、そこから出して急いで巻いた。もちろん、それで痛みがなくなるわけではない。少し、マシになる、程度だ。再び、畳に立つと春子との順番で待っていた、田村一太が、

「多山さん、大丈夫? 」

「大丈夫だと、思う。お待たせしてごめんなさい」

「監督に、バレない、程度に軽めにやろう」

 春子は、頷いた。田村は、小学校からの同級生だ。監督の方針で、男女も体重も関係なく技を出す部員が多い中で、乱暴な、技は絶対にしないし、相手に技を出させてくれる。それなのに、試合では強い。強いから、優しいのか、優しいから、強いのか春子は何度も、考えたがわからなかった。しかし、木藤は見ていたようだ。

「田村。そいつは、足を痛めてるんだ。そこを、徹底的に攻めるんだ」

「試合なら、そうしますが、練習なんですから」

「それなら、代われ。俺が、相手してやる」

 そう言うが、早いか、木藤は、春子の襟を、掴んだ。左足に、体重がかかるような体勢にされて投げられたり倒されたりした。そして、そのあと絞技に移行された。

「多山。逃げてみろ」

 春子は、手足を必死で、動かすが木藤の力は強い。意識が、遠のく寸前でようやく離してもらえた。結局、このような、練習が、恒例になった。もはや、筋肉痛もあり、どこが痛いか、よくわからなかった。もう1人の女子部員の中山香緒里は、自分のことのように悔しがった。

「木藤のやつ、最悪。多山先輩が、かわいそう」

「私が、悪いんだから、仕方ないよ」

「だからって、ひどすぎます。だいたい、女子にだけ厳しすぎます。どすけべが」

「それは、どうか知らないけど」

「木藤と、組んだり寝技になるとやたら、手が胸に当たりませんか? 」

「うーん。でも、偶然じゃないかな? 部員同士の時も、やっぱりあるよ」

「先輩が、寛大すぎるから、エスカレートしていってませんか? 私が、入部する前に、経験者と未経験者を含めて、7人が、見学に来たのを、覚えてますか。あの時、やっぱり同じ、女子である、多山先輩を、みんなが見ていたんです。そうしたら、多山先輩が次々と、投げられて、絞められて、触られて。みんなが、ドン引きしていました」

「私も、入部したばかりの時は気になって2つ上の先輩が3人いたから相談した。そうしたら、偶然当たることはあるから、そんなことでワーワー騒ぐなって怒られた。我慢しろって。私も、初心者だったから、そういうものだと、思っていた。香緒里は、そんな状況でも入部してくれたんだね。ありがとう」

「私は、多山先輩が、そんな中でも、大きい人を投げられたところが印象に残ったんです。かっこいいって、思ってしまったんです」

「ありがとう。でも、ごめんね。後悔させてしまって」

「別に、後悔は、していません」

 春子は、香緒里の成長を、喜んでいた。入部した当初は、部活中にいつも泣いていた。それを、しなくなってからは、部室でだった。まあ、無理もないだろう。木藤は、教え方が、乱暴なのだ。技の掛け方が、わからなかったり、違っていたりすると、技を、受けるのが一番覚えられると、何回も、受けなければならない。春子も、何度も泣きたくなったが、堪えた。それだけに、香緒里の気持ちもよくわかった。


 一方、サッカーも、怠けた、代償は大きかった。監督の西木真樹も、コーチの羽藤梨子も事情は、知っていたが無断欠席を、繰り返したことを、許してくれなかった。西木と、羽藤が、春子に言い渡した処分は当分の間、ボールを、蹴ることを、禁止された。もちろん、レギュラーも、剥奪された。つまり、練習に出ても走ったりトレーニングするか、ボール拾い、審判するかだ。

 春子は、このことを決めたのが、梨子だということを、知っていた。西木は、女子のことは、全て梨子に任せている。試合の選手発表も、西木がするが、実際には梨子が、決めている。それは、梨子が自分の責任ではないと言っているようで、春子には、逃げているように、感じられ好きになれない。

 しかし、従わざるを得ない。悪いのは、春子だから。春子は、まず命じられた、グラウンド10周を走る。すると、梨子が、呼んだ。

「今から、シュート練習だ。今日から、しばらくは専属のボール拾いがいるからほかの者はしなくていい。春子、今、何周走ったんだ? 」

「7周です」

「まだ、終わってなかったのか。じゃあ、後から走れ。もちろん、1周目からやり直しだからな」

 春子は、絶望的な気分になった。今まで、走って気づいたが、連日の激しい部活で、体があちこち痛い。サッカーの練習着になって、腕や脚にあざが、できていることを、知った。その上、10人以上が、次々にシュートを、打つので、たくさんのボールが、右へ左へと、飛んでくる。

「春子。ちょっとこい」

 梨子に、呼ばれた。今度は、何? と思いながら、返事をして、駆け寄る。

「さっき、ボールを蹴っただろう。監督からの命令を、守らないつもりか? 」

 この間も、ボールはどんどん転がっている。梨子が、まだ何か言っているがそっちに、気を取られていた。どうせなら、もう少し、ちゃんとゴールに入れてよ。練習でこんなだから、試合で入るわけないでしょ。そんなことを思っていると、梨子の声が、途切れた。

「すみませんでした。今後は、気を付けます」

 春子は、ボール拾いに、戻ろうとすると、

「まだ、終わってない。まあ、いいわ。説教も、後でまとめてにしてあげる」

 こんな感じで、サッカーの方も、出ると、暗くなるまで、走らされ説教された。でも、辛くても耐えてレギュラーを、取り戻さないと、ゆずと佳子が、待っている。2人と対戦したい。勝敗なんて、関係ない。3人が、同じコートで、試合をするのが、一番の恩返しだ。

 しかし、グループLINEで、春子は現状を伝えると、2人も同じような状況だった。どうやら、春子が休んでいた間の練習試合が、原因のようだ。やる気のなさと、怠け休みを、指摘されレギュラーから、落とされたそうだ。それでも、後悔はしていない。次に、対戦する時に無駄な、時間じゃなかったことを、証明して見せると、力強いメッセージが、返ってきた。


 今日は、1学期の終業式だ。つまり、明日から夏休みになる。春子は、サッカーに集中できるのを何より喜んでいた。と言うのも、昨年の夏休みは、柔道部の練習は、多くても、週に2日程度しか、なかったからだ。そのため今年もその程度だろうと、思っていたからだ。ところが、木藤から、夏休みの練習日程が、配られて、

「今年の練習日程だ。男子は、基本的に水曜日だけにする。しかし、それだけだと体も鈍るし、女子は、毎日やっているからなるべく、鍛えるために、出てきてくれ」

 春子は、驚いたが怠けた、罰だと思うから、仕方ない。でも、私のせいで香緒里がかわいそうだと思っていた。それだけで、反抗するような、顔はしていない。

「なんだ、多山。何か、文句があるなら、言ってみろ」

「いいえ。よろしくお願いします」

「中山。お前も、不満そうな顔をしたな」

「いいえ。よろしくお願いします」

「もし、怠けたりしたら、1日中になるからな」

 そう言って、解散になった。部室に、戻るとすぐに、香緒里に謝った。すると、香緒里は別に気にしていないようだった。

「私は、昨年のことは、知らないですから毎日あると思っていました。それに、男子がいないなら気が楽です。私は、柔道部の男子って、嫌いです。私たち、女子をマネージャーみたいに、こき使っておきながら、練習になると強引な、技ばかり使って」

「そうだね。でも、男子の中にも、優しい人はいるよ」

「ほんの2、3人ですね。でも、男子の部室や、トイレまで、女子にやらせるなんて納得できないです。それも、部活が、終わった、後じゃないといけないなんて、おかしいです」

「それは、私も最初は、思った。それで、私も同じように、先輩に言った。でも、先輩は私なんかと違ってできた人で、『じゃあ、春子は、しなくていいよ』って言った。でも、先輩にやらせて、後輩がしないわけにはいかないじゃない。だから、私も理由は、知らないけどそんなものなんだと、思っている」

「先輩も、立派な大人です」

「私の場合、はっきり言って、サッカーがメインだから部活はなるべく時間が短いのを選んだら柔道部になった。その願いを、叶えてもらっているから、多少のことは我慢するしかない。同じ、サッカークラブで隣の剣道部に入った人なんて、休みがないからやめてしまった。結構、上手かったのにもったいない」

「先輩は、根性があるから、続いているだけです。たとえ、その剣道部に入った人が柔道部に入っていたとしても私は、続けておられなかったと、思います」

「そうかな。サッカーのコーチからは、根性なしと、よく怒られているよ」

「えっ、先輩が。私、サッカーの試合を、見に行きたいです」

「私が、怒られるのが、そんなに楽しい。まあ、当分試合には、出させてもらえないけどね。怠け休みのせいで、レギュラー剥奪されてしまった」

「それでも、よく続けられますね? 」

「好きだからね。サッカーも、一緒にやっている仲間も」

「一緒に、柔道やっている、後輩は、嫌いですか? 」

「なんで、妬いてるのよ。香緒里のことも、好きだよ」

「私は、先輩のファンなんです」

 春子は、そんなことを言うタイプじゃないと、思っていたので照れ臭くなった。それを、悟られないよう目を伏せて、

「そろそろ、帰ろうか。明日からも、よろしくね」

 と言った。


 忙しい、夏休みが、始まった。春子は、目覚めると準備をして部活に向かった。武道場では、既に剣道部が練習していた。改めて、柔道部にして、よかった。だから、辛くても頑張らなきゃと奮い立たせる。そこへ、猪村真子と、入口で会った。この真子が、剣道部に、入ってしまい、サッカーを諦めた。

「あれ? 春子、今日は、何」

「部活だよ」

「柔道部にしては、珍しいね」

「怠けた罰で、毎日になった」

「でも、私たちより、ずっとマシじゃない。朝の涼しい時から、と言って始まるのに暑い時間までだよ」

 その時、剣道場の扉が、開いた。その音を、聞いて真子は慌てて、走っていった。剣道場から、出てきたのは、3年生のマネージャーだった。竹刀を、持っている。春子は、挨拶して、すぐに柔道場に、入った。剣道部のマネージャーは、柔道部員にもなにかと、文句を言って、ひどい時には、竹刀で、叩かれる。剣道部員に、対してよりは、軽くだが、それでも痛い。

 春子は、逃げるように、部室に、入って驚いた。香緒里が、着替えていたからだ。

「うわっ。びっくりした。着替えるなら、鍵をかけないと」

「おはようございます。今更、先輩に見られても、大丈夫です。私だって、見せてもらっていますから」

「もし、男子がドアを開けたら、どうするの? 」

「今日は、どうせ来ませんよ」

「わからないわよ。来てもいいんだし」

「私が、男子の状況なら、絶対に出ません」

「真面目な、男子もいるかもしれないよ」

「というか、すみませんでした。ドアは、閉めたつもりだったんです。今日、来た時に剣道部の友達に会って話していたら、マネージャーに、見つかって、叩かれそうになったので慌てていたんです。どうして、あんなにおっかない人ばかりなんですかね。あっ、私の同級生は、優しいですよ」

「私も、さっきそういう状況だった。私の同級生のマネージャーも、1年生の時は優しかったよ。でも、そういう環境みたいで、2年生になってから、竹刀を持って、バシバシやっている」

「えっ、あの子もそうなってしまうのか。というか、部員がかわいそう」

「勝ちに、こだわるとそうなるのかなぁ。実際、結果も、残しているから、誰も何も言えないかも」

 春子と、香緒里は柔道場に出たが木藤はまだ、来ていなかった。そして、香緒里の予想通り男子部員も、誰も来ていなかった。2人で、練習を始めて15分ぐらい、たった頃に木藤が、柔道場に、入ってきた。何をするつもりか、準備運動をしていた。そして、少しだけ2人の練習を、眺めていた。

「よし、中山。代われ。お前は、休憩していていいぞ」

「嫌です。私は、先輩と、練習したいです」

「お前は、多山のせいで、毎日出ないといけなくなったんだ。お前には、その恨みを晴らすことはできない」

「私は、先輩を、恨んでなんていません。普段は、先輩とやらせてもらえませんので、技を盗むチャンスだと思っているんです」

「こんな、下手くそから、技を盗んでも仕方ない」

「先輩は、大会で優勝されたじゃないですか。決して、下手ではないと思います」

「人数が、少ない階級でな。そんなので、自慢しているのか? こいつは」

「先輩が、自慢なんてしているのを、聞いたことないです。私が、先輩のような、スピードやタイミングで勝負する、スタイルを、学びたいです」

「そんなのを、目指しても、ダメだということを、教えてやる。多山、かかってこい」

 香緒里は、負けずに、反論しようとするが、春子が、制した。

「香緒里。私たちが、やる時間はたっぷりある。ここは、監督の言うことに、従おう」

「ほう。覚悟は、できてるんだな」

 そう言って、木藤は、春子の襟を掴んで、投げると絞めた。春子は、必死になって動いて逃れ逆に固めようとする。すると、木藤は、待てをかけ、春子を立たせて、投げて絞めた。それを、何回か繰り返すと香緒里の方を向いて、言った。

「どうだ。多山なんてちょろいもんだ。こんなふうに、攻めるんだ」

「嫌です。というか、私には無理です。監督と、先輩だと、体格差もありますし、男と女の力の差があります。先輩の受けは、完璧でしたし、絞技の後の固め技で、試合だったら、先輩の勝ちじゃないですか? 」

 木藤は、香緒里の髪を、引っ張って、畳にあげようとする。それを、春子が止めた。

「監督。香緒里には、やめてください。私が、受けますので香緒里には、何もしないでください」

「俺を、怒らせたらどうなるかわかっているか? 本気で、やってやるからな」

 それからの木藤は、めちゃくちゃだった。春子を、何度も、投げるが柔道にはない、プロレス技も飛び出した。春子は、時々うめき声を、上げた。香緒里は、止めに、入ろうとしたが、春子が黙って、見ておくよう懇願すると大人しくしていた。

「よし。今日の練習は、終わりだ。明日も、絶対こいよ」

 木藤は、満足そうな顔で、部室に入っていった。香緒里が、春子に駆け寄る。

「先輩、大丈夫ですか? すみませんでした」

 香緒里は、今にも泣きそうな顔で、春子を起こそうとする。春子は、香緒里の肩をかりながら立ち上がった。

「ありがとう」

 春子はそう言って、お茶を飲むと部室に入った。香緒里も、入ってきた。

「私のせいで、すみませんでした」

「香緒里のせいじゃないから、気にしないで。私が、怠け休みした時からこうなることは決まっていたから」

「でも、今日は私が監督を怒らせたから」

「監督は、きっかけを待っていただけ。むしろ、今までよく辛抱されていた。香緒里は、初めてあんな場面を見たと、思うけど、怒らせたら何をされるか、わからないから、気をつけて。特に、軽量の女子は、狙われるから」

「先輩は、今までにもやられたことが、あるんですか? 」

「何回かは。でも、私に先輩がいる時は、庇ってもらった。だから、後1年ぐらいは香緒里や来年入ってくる子は私が、守らなきゃ」

「重量級の女子は、どうなるんですか? 」

「わからない。私の先輩も、軽量だったから。でも、男子だとあそこが見えるそうなショートパンツを穿かされているのや、坊主頭になった人がいるけど、関連があるかは、知らない。でも、坊主は多分間違いない。私も、バリカンでやられそうになった」

「ということは、助かったんですね」

「髪の毛はね」

「それで、先輩のあそこは、綺麗なんですか? 」

「やだ。気づいていたんだ。そう、監督にしょっちゅう、剃られてる」

「恥ずかしくないですか? 」

「そりゃ、恥ずかしいよ。でも、最初なんて暴れるとか言って何人かの男子に押さえつけられたから監督だけなら我慢する」さあ、帰ろう」

 2人は、武道場を出た。


 サッカー場に、着くと既に、8人ほど集まっていた。日陰で、喋っていてまだ練習する気もないらしい。春子は早速、ランニングを、始めた。夏の日差しが、容赦なく、照りつける。それでも、走り続けるしかない。ボールが蹴れるなら、さっさと、何かすればいいのにと、喋っている人たちを、訳もなく、恨む。

 梨子が、来て、春子に聞いた。

「今、何周だ? 」

「4周です」

「まだ、2周か。あのな、私が見てないところで走って周回を誤魔化そうとしてもダメだ」

「本当です。あっ、あの子たちが、見てました。早く来て、走らないとまたシュート練習に、間に合いません」

「そんなのは、全力で、走れば間に合う。後、8周だ」

「わかりました」

 春子は、また走り出した。すると、練習が始まった。みんなが、メニューをこなしていく中黙々と走り遂に残り2周になった。そのとき、梨子の声が、聞こえるが指導しているような、感じじゃない。なんだろうと思って、見ると、誰かと話している。サッカーの格好じゃないので、一般人だと思うが、梨子が怒っている。そういう人に対して、珍しいと思ってよく見ると、思わず声を上げてしまった。

「香緒里」

 何しに、きたんだろう。サッカーには、興味無さそうだったのに。とにかく、早く走り切らないと。そして、最後の力を、振り絞って終わらせ、2人の元へ、ダッシュした。

「コーチ。終わりました」

「こいつは、お前の知り合いか? 」

「はい。柔道部の後輩です。香緒里、どうしたの? なんで、ここにいるの」

「お前に、ボールを蹴らしてやってくれだと」

「香緒里。私が、悪いんだから仕方がないの」

「でも、先輩は、辛いことがあって休んだのに、さらにひどい仕打ちを受けるなんてかわいそうだ」

「香緒里。私のために、ありがとう。でも、ごめん。帰って」

「わかりました。失礼します」

「また明日」

 香緒里は、寂しそうに帰っていった。春子は、それを目で送って梨子の方を向いた。

「すみませんでした」

 梨子は、よほど機嫌が、悪いようで何も言わなかった。この日の練習終了後、ゆずと佳子のチームとの練習試合と、試合の日程が、発表された。家に帰って、スマホをチェックすると、グループLINEに、そのことが入っていたが、春子は出られない、可能性が、高いことを、送った。


 翌日の木藤は、春子と、香緒里の練習を、黙って、眺めていた。香緒里は、それを意外に思ったようだが基本的に、木藤は発散した後は、当分静かになることを、教えた。香緒里は、昨日とは、違い満足そうな顔をして帰っていった。

 しかし、香緒里はまたサッカー場に現れた。すると、今日は田本優子も梨子のところへいった。優子は、センターバックで、ずっと春子と共にチームの守備を、支えていた。春子は、ランニングを終えて3人のところへ駆けつけた。

「コーチ。ランニング終わりました」

「お前は、毎日私に頼むように言っているのか? そんなことで、許されると思うな」

「私は、先輩からは、何も頼まれていません。自分の意思で、きました」

「私も、春子から頼まれていません。試合で、春子がいなかったら守備は、ぼろぼろです。実際、春子がいなかった、練習試合は、相手がエース2人を、外しても、8点も取られたんですよ。お願いします。春子を、許してください」

「ダメだ。その試合も、こいつをスタメンに入れようと思っていた。それを、連絡もせずに休んだんだ。今度も、裏切られるかもしれない」

「それなら、今度の試合のディフェンスは、誰がやるんですか? 春子がいないと、相手のダブルエースを誰も止められません」

「田井妙子と、大南妙子。ダブル妙子。この前と一緒だ」

「田井と、大南だと、2人の個人技を、止められないんです。お願いします。春子を、使ってください」

「優子、ごめん。私も、出たいよ。でも、私が悪いから仕方ない。3人でどうやって、ゆずと佳子を止めるか、一緒に、考えよう」

「その2人だけじゃないんだよ。相手の強力な、攻撃陣は。実際、ダブルエースを外されても4点も取られたし」

「私が、出ていても結果は同じだったかもしれない。それにそれを、経験したことによって次は0点に抑えられるかもしれない」

「その通りだ。多山は、出さない。田本。お前が、守備陣をどうまとめるかだ」

 梨子は、3人から、離れていった。優子は、春子を見て、言った。

「春子も、出させてほしいって、お願いしてよ。出たいんでしょ? 」

「もちろん、出たいよ。でも、みんなを、裏切るようなことをしてしまったから、罰を受けて当然だと思う」

「先輩は、柔道部でも、罰を受けられたし、サッカーでも受けられた。もういいんじゃないですか」

「それは、コーチが決めること。香緒里、今日もありがとう。もう、帰って」

 香緒里が、寂しそうに帰っていく中、梨子の大きな、声が聞こえた。

「試合も、近いから、紅白戦をするよ。一旦集合」

 みんなが、梨子の周りに、集まるとレギュラー組と、控え組に分けられた。春子は、審判だ。

「レギュラー組も、不甲斐ない、プレイをしたら落とすし、逆に控えでも良かったら、レギュラーになれる、チャンスだよ。特に、ディフェンスは、最近大量失点してるから、田本だって安泰じゃない。まあ、決めるのは監督だけど」

 試合は、レギュラー組が5対1で勝ったが守備に関してはよく1失点で済んだという感じだった。梨子も、それについて、優子を随分責めていた。一方で、春子の審判については良かったのでずっとやってくれと、言った。春子は、練習が、終わってからスマホを、見た。グループLINEに、うちのチームの練習時間と場所を聞かれていたので、返信した。


 翌日のサッカー場にも、香緒里が来た。過去の2日と、同じように春子のランニングがもうすぐ終わるタイミングだった。早く、走り終わらなければと、一生懸命走っていると、春子の前を塞ぐ人がいた。邪魔だなと、思いながら、避けようとした。

「春子。来たよ」

 春子は、顔を上げて、驚いた。

「ゆずと、佳子。何しに、きたの? 」

「おたくのコーチと、話がしたくて」

「コーチと? 今、私の後輩と、話している。後、1周で終わりだからまってて」

 春子は、走る、ペースを、あげた。そして、走り終えると、コーチのところへいった。

「コーチ。2人が、話がしたいそうです」

 コーチと、優子は、驚いた。それもそうだろう。今度、試合をするチームのダブルエースが乗り込んできたのだから。特に、優子にとっては、顔も見たくないだろう。

「お願いします。多山さんを、試合に出してください」

「こらっ、多山。お前は、毎日、いろんな人に頼んで試合に、出ようとしているが反省しているのか? 」

「私たちは、頼まれて、来たんじゃないです。親友で、ライバルの多山さんと、対戦したいです。あっ、多山さんが、私たちのことを、どう思っているか、知りませんが」

「うちのチームのディフェンスは、多山なんていなくても、あなた達を抑えられる。ちょうど、今から紅白戦をやるけど、出てくれない」

 それは、無理だろうと、春子は思っていた。

「いいですよ。そのかわり、多山さんと田本さんのコンビとは、対戦させてください」

「わかった。でも、多山は後半だけ。それで、結果を残せなかったら、試合には出さない。それでいい? 」

 みんなが、承諾した。春子は、みんなに、お礼をいった。春子は、控え組のメンバーに、ゆずと佳子を紹介してポジションについても、アドバイスした。そして、前半のポジションの審判になる。試合開始のホイッスルを、吹いて、レギュラー組のキックオフで、試合が、始まった。

 レギュラー組が、ボールを下げディフェンスラインが、押し上げていく。佳子が、ボールについてゆずが少し下がって、パスカットを、狙っている。大南が、ドリブルで、上がろうとしたところへ、佳子がついた。そして、2人に、囲まれそうになると、慌てて前戦に、パスをすると、ゆずにカットされてしまった。ゆずは、落ち着いてキープすると、ディフェンスを、おびき寄せ佳子に、パスをした。優子が、シュートは打たせないようにすると、味方に、パスをした。ゆずと夏井智子が、走りこんでいたが、ゆずが、スルーして、智子が決めた。

 ゆずと、佳子は決定力もだが、ディフェンス力、キープ力、パスセンスも、優れている。春子は、プレイヤー以外で、2人のプレイを見て、改めて、怖さを知った。また、智子は、春子と同じ頃からやっているが、まじめに頑張っているのに、大人しく控えめなため、目立たずチャンスに、恵まれなかった。こういう、試合でも、ゴールを決めたのは、初めてだ。春子は、立場を忘れて、ハイタッチした。

 この後も、控え組がゆずと佳子の活躍で、5対3で、リードして、前半を終えた。しかし、春子はゆずと佳子が1点ずつしか、とってないのが不気味だった。きっと、春子が出てから、どんどん狙ってくるつもりだろう。しかし、それを許したら、試合には当分出られない。優子は、かなり疲労していた。梨子は、追い討ちをかけるように優子を、責めた。

「田本。お前は、何をやっているんだ。また、大量失点じゃないか。それも、大駒と小村だけじゃなく控え選手に3点も、取られて」

「すみません」

「多山。お前の復帰戦は、大敗になりそうだ。明日からも、ランニング頑張れよ」

 春子は、悔しかった。特に、優子が梨子に責められてるのに、自分の責任じゃないから、関係ないみたいに聞いている、チームメイトが。

「あの。私みたいな、怠けてて、処分中の者が言うのも申し訳ないけど前半の失点は優子だけの責任じゃない。ゆずと、佳子が、献身的に、守備をして、ボールを奪って得点に繋げているの。だから、最強のストライカーコンビと、言われるの。それに対して、うちの攻撃陣はどうなの? 優子だけが、疲れてる。控え組のディフェンスは、あまり、疲れているように、見えないよ」

「多山にしては、いいこと言った。試合が、終わったらミーティングをしよう」

 まもなく、後半が、始まるので選手は、コートに、出た。もちろん、春子もいる。久しぶりの試合なので、多少の緊張感がある。後半開始のホイッスルが、鳴った。ゆずと、佳子は息のあった、パスで、じわじわとゴールに、迫ってくる。しかし、春子と優子も息のあった、ディフェンスで、シュートまで持ち込ませなかった。春子は、開始早々から、何度もパスカットして、攻撃の芽を、摘み取り優子は、ゴール前のボールを跳ね返した。

 しかし、このままでは、控え組に負ける。春子は、失点してしまうと、試合に出場できなくなる。しかも、相手には、ゆずと、佳子もいる。どうしようか、迷っていると、優子が決断させた。

「春子、上がって。久しぶりに、点とってこい」

 春子は、敵陣に上がって、パスを受けた。そして、味方に預けてゴール前に走った。そこに、タイミングよくリターンパスが、来た。迷わず、左足を振ると、ボールは、ゴールに突き刺さった。

「ナイスシュート」

 みんなが、春子に、よってきて言った。しかし、まだ負けている。自陣に、急いで戻ると相手の攻撃に備える。優子が、無茶を言った。

「春子。相手の攻撃は、軽く返してもう1点」

 しかし、たしかに控え組は、足が止まってきて、パスもゆずか佳子に集中している。それでも、なんとかする2人だから、怖いが春子はそのパスを、カットして味方に渡して、上がった。そして、何人か、経由して、ペナルティエリア付近で、パスを受けると迷わず、シュートを打った。ゴールバーに、当たった、ボールは、地面に、強く叩きつけられた後、ネットを揺らした。これで、同点だ。

 まだ、安心しては、いられない。実際、こうなってからのゆずと、佳子の集中力はすごい。今までも、何回もそれに、屈した。この場面で、何か2人が、話している。試合が、再開されると、2人がパス交換しながら、上がってくる。そして、春子と優子の間に、ボールが、転がってきた。一瞬、どっちが、とるか迷いかけたところ、佳子が、シュート体勢になっていた。春子は、身を呈して、ブロックしたが、運悪くゆずの正面に、飛んでいった。今度は、優子が体を張って止めた。しかし、ことごとく相手ボールになる。怒涛の攻撃を、なんとか、凌いだ。春子は、生きた心地が、しなかった。

 もう、タイムアップだろうと、思った時にレギュラー組にコーナーキックのチャンスがきた。全員が、控え組のゴール前に、集まった。ホイッスルが、鳴ってコーナーキックが蹴られた。春子は、マークしていたゆずをかわして、ニアポストに、入ると、低い球がきた。体ごと、飛び込むと頭にあたり、ゴールに、吸い込まれた。見事な、ダイビングヘッドだった。その瞬間、試合終了のホイッスルが、鳴った。

「今日の試合、うちの監督に、見られていたら、やばかった」

「ディフェンダーに、ハットトリック決められて、自分達はシャットアウトされた」

「まさか、私のために、手を抜いてくれた」

「最後、あんなに必死でシュート打ったのに」

「しかも、隠していた作戦まで使って」

「ありがとう。2人とできて、よかった」

 全員が、コーチを、囲んだ。

「今日は、思わぬ来客で、いい勉強に、なったと思う。せっかくなので、感想とか聞かせて」

「やっぱり、多山、田本のコンビを崩すのは、難しいですね。それと、控えにも、いい選手がいて、層の厚さを感じました」

「多山、田本コンビは、もっと練習しないと、簡単に点を取らせてくれないですね。今度の試合も、いい試合をしましょう」

「他にも、何かあれば聞かせて」

 2人とも、首を傾げた。そして、帰っていった。梨子は、2人が見えなくなるとみんなを座らせた。

「まずは、多山。正式に、復帰を認める。ただ、そんなに、目立ちたいか? お前には、攻撃陣に点をとってもらおうという、考えは、ないのか」

「すみません」

「それから、控え組に聞く。大駒さんと、小村さんと一緒なチームになって感じたことを教えて」

「楽でした。どちらかに、パスを、入れたら、チャンスにしてくれました」

「それに、フリーの人を、見つけるのが、上手かったです。前半の3点は、シュートを入れてくださいというような、パスでした」

「前戦で、ボールを、奪ってくれるのでディフェンダーは助かりました。それに、なるべく相手の攻撃を遅らせてくれました」

「そうだな。私も、審判したら2人の凄さがよくわかった。多山や、控え組のメンバーが言うように2人はチームのために、よく動き、よく見ている。うちの攻撃陣はそこまでしないなら、あの2人より点を取れ。田本、何か言いたげだな」

「この際だから、言わせてもらうと今日の試合のレギュラー組で私と春子以外に最後まで勝ちを諦めていなかった人っている? 春子は、点を取られたら試合に出場できなくなるのに勝ちたいからリスクを負ってでも点を取りに前に、出た。よく、そのパターンで、負けたこともある。たしかに、私の判断ミスでもある。でも、私と春子がいれば、よほど、アンラッキーじゃない限り、失点しない。前戦で、少しだけ、時間稼ぎをしてくれれば、春子は戻ってくる。苦しいのは、わかるけど最後まで、動こうよ。春子みたいに」

 優子は、堪えきれず泣き出した。春子は、よく聞いていた、不満だった。もちろん、春子も同じ不満を抱えていたが、2人だけに、とどめていた。

「そうだな。最後の方は、4人で試合していたのと、変わらなかったな。私も、見れてないことが多かったな。悪かった。明日から、みんなが、今日の試合を反省して、試合に向けて課題を克服してくれ」

 みんなが、俯き加減で、更衣室に、向かっていた。春子は、優子と歩いていて智子に声をかけた。

「初得点、おめでとう。智子は、結構いいポジション、とっているね。ごめん、今頃になって初めて、気づいた」

「私は、春子みたいに、上手くないから、レギュラーどころか、ずっと控えの控えだから、仕方ない。春子や、優子は、凄いな。あんなに、上手な人たちを、抑えてライバル視されて」

「でも、審判してて、ゆずと、佳子はよく味方を、見ていると思った」

「あれは、無理だ。2人で、攻められた時点でどうしようもない」

「でも、少し、苦言を言うと、智子がもっと、積極的に点を取りに来たら、危なかった」

「私も、春子に、点を取って来いなんて、言わなかった」

「智子は、ゆずや、佳子とプレイするのは、初めてで遠慮したかもしれないけど、2人の怖さは個人技もあるのに周りも、使えることなんだ」

「田井には、ケアするように、言ったけど当てにならない」

「春子はどうして、あの2人と、仲が良いの? 」

「実は、私が怠け休みをするきっかけになった、試合を、一緒に観てた。その時、LINE交換してグループを作っている。怠け休みを、やめたのも2人の励ましがあったからだね」

「そうなんだ。私の悪口とか、書かれてない」

「そんなことしないよ」

「いいな。私に、フォワードの技術とか、教えてくれないかな」

「聞いてみようか? 案外、教えてくれるかも。2人が、OKしたら、グループに誘うね」

 帰ってから、今日の試合のお礼と、智子の件を、送信した。すると、別のグループを作ろうと、提案された。そっちは、気軽に、女子サッカーをやっている人が、プレイだったり、悩みなどを、相談できるようにしようとのことだった。春子は、智子とついでに優子も招待した。智子は、すぐに、参加して今日の試合での感想を聞いた。すると、春子が、指摘したのと、同じような内容が返ってきた。


 翌日の部活に、出ると香緒里が、挨拶もそこそこにして言った。

「先輩、よかったですね」

「香緒里、ありがとう」

「結果的に、私は何もできませんでしたが。でも、かっこよかったです。守りでは、相手のシュートをことごとく跳ね返して、攻撃ではハットトリックって言うんですよね」

「正解だけど、見てたの? 」

「実は、昨日も一昨日も、帰るフリしてずっと見てました」

「せっかくの夏休みなのに」

「先輩が、サッカーされるのをどうしても、見たかったんです。でも、本当に見てよかったです。感動しました」

「ただのクラブ内の練習だよ」

「でも、あの強烈なシュートを、打っていた2人は同じクラブじゃ無さそうでしたね。先輩のことを、勝手にライバルとか、言っていた」

「あっ、そう言えば、2人が、来てたの知っていたね。あの人たちは、凄い人なんだよ。ライバルって、思ってもらえるのが、光栄なんだよ」

「へー。ところで、妙子は本当に、名ディフェンダーなんですか? よく、自慢していたけどあまり活躍していなかったな」

「妙子が、ディフェンダーに2人いるからどっちだろう」

「ずっと、出ていた方です。私、小学校で一緒でした。引越したから、私はここの中学なんです」

「そっちの方ね。香緒里が、見てどう思ったかで、合っていると思う。私から、チームメイトのことをどうこう、言うつもりはない。メンバーも、少ないし」

「やっぱりそうなんですね。だいたい、なんでも口だけだったから」

「でも、うちのクラブは最初に、攻めか守りで、どっちになりたいか、聞かれるの。私みたいに、守りを選ぶ人は稀なの。やっぱり、みんな点をとりたいからね。それで、何人かは希望が、通らず守りになるの。それで、やめてしまう人もいる。守りは、地味だからね。妙子も、確かそうだったから、続けてるだけでも、立派だよ」

「私は、どんな人も、褒めてあげられる、先輩が一番立派だと、思います」

 部活を、終えてサッカーの練習に、行くと、すぐに智子がやってきた。

「春子、ありがとう」

「私は、2人に許可を、とっただけだよ。試合では、憎たらしいけど優しいよね」

「でも、2人とも春子と、優子は認めているんだね」

「私たちも、認めているよ。でも、智子もいい動きをしていたし、落ち着いて先制点を決めたから自信持ってやるよう言ってくれてたよね。変わらずやってみたら」

「頑張ってみる」

 この日の紅白戦では、レギュラー組が何人か入れ替わった。フォワードに、智子が入ってディフェンダーが田井から、大南になっていた。少し、戸惑い気味の智子に春子は声をかけた。

「やったね、智子。私が、上がったら、パスするからね」

「私が、レギュラー組なんて、どうしよう」

「自信持って。そう、言われていたでしょ」

 智子は、自信なさそうに、頷いた。

「春子。ちょっと、ディフェンスの打ち合わせしよう」

 優子のところには、守備側のメンバーが集まっていた。ほとんど、大南側から攻められた場合のフォーメーションの確認だ。優子は、大南には常にフォローがあるようにした。これは、田井の時と同じだ。しかし、春子は大南と、一緒に守ったことが、なかったので確認できてよかった。

 試合が、始まると両チームとも、昨日の試合が刺激になったのか、みんなの動きが良い。しかも、激しかった。

そのため、いくら控え組との対戦とはいえ、ディフェンダーは暇だった。春子は、優子からの指示が、出る気がして、近くに、行った。

「智子と、美央のコンビ、いいね。控え組が、パス出せなくて困っている。でも、最初からそんなに頑張って体力持つか。仕方ない、助けに行くか」

 優子は、ディフェンスラインを、上げた。ちなみに、美央とは林松美央。チームのエースストライカーだ。控え組のディフェンダーは、レギュラー組のディフェンスの裏を狙って、大きく蹴るが、春子がカットした。そして、味方に、パスを出してオーバーラップした。すると、パスを受けた春子は、智子が走り込んで、くるところへ、出して、先制点を、とった。

「智子、やったね。2戦連続先制点」

「ありがとう。ナイスパス」

 これが、きっかけになり、レギュラー組の怒涛の攻撃が始まった。大南も、優子に促され攻撃参加してアシストもした。また、守備でも大きなミスもなく、貢献した。智子も、初の複数得点になった。梨子も、この2人の活躍と、全体的に、みんなが最後まで動いていたことに、満足していた。

 ところが、田井は、納得していなかった。

「コーチ。大南より、私の方がよかったですよね。私は、今まで辛くてもディフェンスでチームに貢献しました」

「多山や、田本に聞いてくれ。私は、知らん」

 春子は、困った顔をして優子を、見ると、同じような顔を返された。田井が、2人に聞いた。

「やっぱり、大南なんかより私の方が、いいですよね? 」

「私は、悪いけど、大南の方が安心だった」

「私も、大南だな。だいたい、昨日の試合も、何していたんだ。私と、春子しかシュートブロックしてないじゃないか。ゴール方向に、転がっても、クリアーするのも、私たち。攻撃参加して、得点に絡むこともない。今日の大南は、完璧ではなかったけど、私の指示したことをこなそうとしていた」

「私は、ディフェンダーにはなりたくなかったんです。それなのに、コーチが、レギュラーを約束してくれたからなったんです。酷いと、思いませんか? 」

「思わない。それなら、攻撃参加して得点に絡むような、活躍すればそっちに配置転換される可能性だってあるはずだ。私が、指示しても、攻撃の一員になれていない」

「ディフェンダーは、相手に、ボールを奪われたら戻らないといけないじゃないですか? だから、そんなにあがれないし、せっかくそこまでしても、パスしてもらえない」

「当たり前だ。攻撃参加していても、相手ボールになったら、戻ってディフェンスだ。それと、攻撃はただ立っていれば、パスしてもらえるわけじゃない。だから、パスしてもらえそうなところへ、走るんだ。春子が、そうしているじゃないか」

「わかっています。でも、私はそこまで走れないです。全力で、戻ってシュートブロックやタックルみたいな痛い思いをしなきゃいけないんですか」

「もういい。控え組で、がんばれ」

「私たちのプレイって、見っともない? ゴールを、守るために体を張っているのに。でも、攻めの人もゴールに入れるために、滑ったりする。そんな、スポーツだよ。サッカーは。どっちも、そのときは、痛いだろうとか考えていない」

「多山さんも、田本さんも私には何も期待してくれないじゃないですか。私だって、指示されたらそれに応えようとする」

「いつも、してるじゃないか。流石に、春子と同じような要求はしないよ」

「田井が、頑張ってレギュラーに戻りたいなら、LINEのグループに招待してあげる。相手から、田井がどんな風に見られてて、何が足りないのか聞いてみたらいい」

 春子は、田井を、グループに招待した。田井は、素直に聞いていた。すると、ゆずと佳子は田井をディフェンダーとして、見ていなかった。


 数日後の部活で、香緒里が、嬉しそうに聞いてきた。

「先輩。明日の練習試合は、何時から、どこであるんですか? 」

 春子が、答えるともう一つ、質問してきた。

「田井って、レギュラー外されたんですか? 最近、先輩たちのチームに入ってないですね」

「最近も、練習を、見にきてたの? 練習なんか、見てても、つまらないでしょ」

「いいえ。私は、先輩を、見てるだけで、楽しいですよ」

「私、そんなに、珍プレーしてた? 」

「そんな、意味じゃないです。先輩を、見ていたいんです。かっこいいし。昨日のシュートなんて、最高でした。田井が、先輩を、止めようと滑って、それを、あっさり避けてのシュート」

「お願いだから、そんなに喜ばないで。田井も、レギュラー復帰を目指して、必死になってる。今まで、タックルなんてしようとしなかったのに」

「すみません。明日も、先輩のゴールを、期待しています」

「私の役目は、失点しないことなの。ゴールは、期待できない」

「ところで、試合の日の部活は、どうなるんですか? 」

「しまった。まだ、監督に何も言ってなかった」

 春子は、木藤に、サッカーの試合があることを、話すと部活は夜に変更された。珍しく、木藤はそれを怒ったりしなかった。

 そして、午後は、練習試合だ。今日も、猛暑のため試合開始時間が遅くなった。春子が、アップをしているとゆずと、佳子が、握手をしに、来た。

「よろしくね」

「こちらこそ、よろしく。2人とも、うちのチームメイトの悩みとか真剣に聞いてくれてありがとう」

「春子のチームは、真面目で、素直な、メンバーばかりでいいな。うちのチームなんて、他人の意見を、聞いたりしない」

「うちのチームも、一緒だよ」

「もしかしたら、うちのチームも、春子たちの意見なら聞くかな」

「どうだろう。でももしかしたら、お願いするかも。その時はよろしく」

 そこに、智子と、田井も来てお礼を、言った。ゆずと、佳子が自分のチームメイトのところへ、戻ると智子が言った。

「あの2人、本当にいい人だね。参考になりそうな、動画とかもたくさん送ってくれた。まだまだ、私には真似できないけど」

「私も、いろいろ、アドバイスをもらいましたが今更意味がないです」

「田井も、スタメンからは、外れたかもしれないけど途中出場の可能性も、あるんだからしっかり準備してね」

 そして、試合が始まった。開始早々から、ゆずたちが猛攻を仕掛けてきて、春子たちは防戦一方だった。しかし大南の頑張りで、なんとか凌いでいた。そんな展開で、春子がボールを奪って、前戦にロングフィードすると、美央に通った。美央は、ディフェンスが自分に、集中してきた、タイミングで智子に、パスすると見事にゴールを、決めた。

 このまま、前半が終わるかと思われた頃に大南に異変があった。急に、足が止まりあっさりゴールに向かって突破された。そして、慌ててフォローに行った優子だったがセンタリングを、上げられた。ゆずが、これを豪快に蹴り込み、同点になって、前半が終わった。

 大南は、熱中症のようだった。春子と、優子の肩に掴まってなんとか歩いてベンチに戻った。

「すみません」

 何度も、大南は、言った。そして、泣いていた。後半は、田井に交代することが決まった。優子は、簡単にディフェンスの打ち合わせをした。

「わかりました。後半は、無失点で、抑えましょう」

「前半で、かなり、うちのディフェンスは、体力を消耗しているから、口だけじゃなく頼むよ田井」

 後半も、開始早々から、ゆずたちが攻め込んできた。この日の田井は、気迫のこもったディフェンスで、ピンチを防いでいた。ところが、佳子が放ったシュートがペナルティエリア内で、田井の手に当たってしまった。ホイッスルが、鳴らされ、PKが、与えられた。田井は、落ち込んだ。

「すみません」

「仕方ない。ドンマイ。まだ、決められたわけじゃない。ひとみが、止めてくれるかもしれないよ」

 ひとみとは、ゴールキーパーの須田ひとみだ。優子は、ひとみも鼓舞した。しかし、キッカーの佳子は、落ち着いて、決めた。優子は、落ち込んでいる田井にゴーサインを、出したら上がって、得点に、絡むよう指示した。しかし、ゆずたちは、攻撃の手を、緩めない。シュートが、何度も、飛んでくる。春子と、優子が、跳ね返していると、そのボールが、田井のところへ、転がった。

「そこだ。味方に出して、そのまま上がれ」

 優子の勝負勘は、さすがだった。田井に、もう一度パスが入ると智子にパスを出した。智子は、タックルを受けながらも、美央に繋ぐと、シュートが、決まった。その後は、両チームとも決め手を欠き、引き分けになった。

 勝てなくて、完封も出来なかったが、春子と優子は、満足していた。ゆずと、佳子も言っていたように、両チームとも、過去最高の試合だった。それでも、4人以外は、悔しがっていた。泣いてる、メンバーも多かった。梨子も、失点のことを、責めなかった。


 夏休みが、終わって、運動部は新人戦が、近づいていた。もちろん、柔道部もだ。木藤は、エントリーするのに体重を、測ると、体重計を、持ってきた。

「全員乗れ」

 木藤は、全員の体重を、測ると何キロかを発表する。男子が、終わって次は春子の番だ。

「あの。体重の発表は、やめてもらえませんか」

 春子は、体重計に、乗った。すると、男子と、同じように大きな声で発表した。その上、余計なことまで。

「多山。また太ったな。このままだと、1階級上になるぞ」

「先輩は、元々そんなに、太っておられるわけじゃありません。そんな、失礼な言い方しないでください」

「中山。次は、お前の番だ」

 香緒里も、体重計に、乗った。

「お前も、太ったじゃないか。どうして、女子だけそんなにぶくぶく太るんだ。練習が、足りないみたいだな。よし、今日から、女子だけ居残り練習だ」

「私は、1つ上の階級で、勝負します。香緒里も、1つ上でもそんなに人数が多くないのでいいんじゃないですか? 」

「お前は、馬鹿か。1つでも、階級が上がれば相手も強いんだ。だから、俺が、特別に鍛えてやると言っているんだ。夏休みに、毎日付き合ってやっても、太るんだからお前らは、どうしようもないな」

 春子は、腹が、たったが何を言っても無駄だと思って、香緒里を、宥めた。夏休みに、あれだけ痛めつけられたので、新学期は、通常通りの練習で勘弁してもらえると思ったが、間違いだった。

 男子が、帰った後、木藤は春子と香緒里を座らせた。

「お前らを、居残りにさせた、理由はわかっているな。夏休み中の練習試合、女子だけ全敗だったな」

「はい」

 2人で、返事をする。たしかに、夏休み中に3回あった練習試合では勝っていない。しかし、その内女子とやったのは、1校だけだ。その中学の女子は、2人いたがどちらも春子より随分と上の階級だった。そんな人たちや、男子とやったのを、勝てなかったと、責められるのは、納得できなかった。

「隣の剣道部なんて、夏休み中に女子の全勝者が、いなかったということで、朝練は1時間早くなって放課後は1時間遅くまでになったそうだ。それに比べて、柔道部は、俺が監督だから優しくて、よかったな」

「はい」

 比べるところが、間違ってる。校内一、厳しいと、言われている、剣道部なのに。それにしても、全国大会常連の渋倉千香が、負けたんだ。

「ということで、文句はないな」

「はい」

「じゃあ、多山からかかってこい」

 木藤は、春子を投げたり絞めたりするが、珍しく指導もした。そして、春子も香緒里も癖が治り攻めのタイミングなども、良くなった。

 迎えた、新人戦では2人とも、少し体重が減っていて前回の大会と同じ階級で出場した。そして、2人とも優勝した。春子は、香緒里のそれを自分のこと以上に喜んだ。しかし、木藤は少しも喜んでいなかった。

「監督。香緒里は、始めて半年で優勝したんですよ。少しは、誉めてやってください」

「レベルの低い階級で、優勝しても誉めるようなことはない。それに、昨年お前も始めて、半年でまぐれ優勝したじゃないか」

「香緒里の優勝は、まぐれじゃありません。完勝だったじゃないですか」

「あんなに、手こずってばかりで、何が完勝だ。お前は、言葉の意味を知らないか」

 結局、木藤は、褒めることも祝福することもなかった。香緒里は、春子が喜んでくれたので、木藤からの言葉はいらないと言った。

 その帰りに、春子は、衝撃的な場面を見た。車椅子に、乗っている山谷をお母さんが押していた。春子は、別人だと、思いたかったが、間違いなかった。

「貴ちゃん」

 2人が、春子を見て、立ち止まった。正確には、お母さんが立ち止まった。2人は、しばらく何も言わなかったが、山谷は、意を結したように、言った。

「俺、こんなことになってしまった。だからもう、サッカーのことは教えることもできない。もうその話は、したくない」

「わかった。もうしない。でも、貴ちゃんのためにいろいろしたい。お母さん、私に押させてください」

「いいよ。恥ずかしいじゃないか」

 春子は、それが聞こえなかったかのように、お母さんと車椅子を押すのを代わった。

「柔道の話ならしていい? 」

「いいけど、何も教えられないぞ」

「私ね、今日の新人戦で、優勝したんだ」

「すごいなぁ。たしか、昨年も、優勝したって、言っていたよな? 」

「そう。2年連続の優勝。階級は、変わったけどね。監督から、太ったって、さんざん言われた」

「じゃあもう、柔道だけで、頑張ってみたら。オリンピックに、出られるかも」

「そんなの簡単に、出られるわけないし、出るとしたら、柔道じゃない」

 いつのまにか、山谷の家に、ついた。

「もういいわ。春ちゃん、ありがとう」

「家の中まで、送ります。どうやったらいいですか? 」

 お母さんが、段差の越え方を、教えてくれた。春子は、言われた通りやってみた。

「上手じゃない。私が、都合が悪い時には、春ちゃんに、お願いしようかな」

「危ないよ。機嫌を、損ねたら、車椅子ごと、投げ飛ばされる」

「そんなことしないよ。いいよ。どこか、行きたいところがあったら、私が連れて行ってあげる」

「行きたいところは、自分だけで、行くよ」

 春子は、しばらく山谷と、話してから、帰宅した。


 春子は、部活とサッカーだけでも、忙しかったが、雨や雪が降っていない日の明るい時間帯に空きがあれば山谷を、連れ出した。なかなか、時間がなく、近場が中心だったが、時にはバスや電車も使った。山谷は、出かけるまではいつも、嫌がったが、出かけて仕舞えば、喜んでいた。

 それでも、以前は2人の共通の話題であった、サッカーのことを、口にできないのはつらかった。また、山谷もサッカーの話題を、口にしそうになって話を逸らすことが、度々あった。春子は、何度もサッカーのグループLINEで、相談しようと思って、途中まで打ちかけて消した。

 春子は、悩んだ末なんでも、全力でやることに決めた。サッカーも、柔道も勉強も。山谷の分も、やってやるんだ。そうすれば、山谷もいつか、春子のサッカーを観てくれる。春子の全てから、目を背けないでくれるはず。山谷の方から、振り向かせる。

 そして、中学生活は、あっという間に、最後の夏休みを迎えた。今年は、もうサッカーは引退したので柔道だけに、専念できる。というのも、全中に出場することになったからだ。春子は、ほとんどの大会で優勝しているにも関わらず、全中の予選だけはしていなかった。木藤は、それを春子が、夏休みに、練習したくないからわざと負けていると、決めつけた。春子と、香緒里は新人戦が、終わると、全中に向けて、木藤に、鍛えられた。それは、4月に、入部した、2人の1年生の女子も、例外ではなく、付き合わされた。

「どうして、女子だけ、普段の練習時間も長くて、休みもないんですか? おまけに、トイレと部室それに道場の掃除。お茶の用意まで」

「ごめんなさい。私のせいで」

「先輩が、悪いわけじゃありません。先輩は、私が入部するまでの半年以上も1人で頑張ってこられたんだよ。他の部だと、1年生だけがやっているところもあるんだよ。多山先輩を、悪く言うな」

「香緒里。1年生もよく頑張ってくれてる。未菜と、彩子は、私が柔道部に、入ったのと、同じ理由だから本当に申し訳ない」

 山木未菜と、中谷彩子は春子と同じサッカークラブにも入っている。春子が、柔道とサッカーを両立していることから、柔道部なら、両方とも続けられると思ったそうだ。

「だいたい、あんたたちみたいな根性なしが、先輩の真似できるわけないでしょ。それでも、隣の剣道部よりはずっと、マシだと、思いなさい」

「香緒里って、言うことが、監督に、似てきたね。監督に、話してみるけど期待しないでね」

 春子は、木藤に、後輩の練習の休みを、要求した。案の定、木藤の機嫌を損ね春子は何度も、投げられた。未菜と、彩子は、恐怖で、体が震えていた。香緒里は、2人を、一瞥して、立ち上がった。

「監督。これは、先輩が悪いわけじゃないです。お願いですから、許してください」

 そう、言うが早いか、香緒里も豪快に投げられた。

「香緒里には、やめてください」

 春子が、そう言いながら、木藤の前に、立った。春子は、もう一度投げられた。すると、木藤は道場の出口に向かって、1年生に言った。

「お前らの先輩は、馬鹿だな。俺に、逆らうとどうなるか知っているはずなのに。お前らは、賢そうだからそんなことしないと、思うが」

 木藤が、出て行くと、春子と香緒里の近くに未菜と彩子が駆け寄った。

「大丈夫ですか? すみませんでした。私たちが、あんなこと言ったから」

「ごめんなさい。交渉失敗。香緒里まで、受けることないのに」

「先輩だけが、悪者になるのも、おかしいです」

 部室に、戻ると、さらに2人は、何回も謝罪した。

「なかなか、先輩みたいに、他人のために、自分を犠牲にする、人はいないよ。こんなに、優しい先輩と一緒に練習できるのも、この夏休みだけなんだ。毎日、ありがたく出てきなさい」

 2人は、力強く、頷いた。そして、翌日から、何の文句も言わなくなった。そして、無事に全中も終わり2学期が、始まった。

 春子は、高校を、決めなければならなかったが正直なところ女子サッカー部が有ればどこでもよかった。当然、柔道部の強豪校からも、オファーはあった。しかし、当然そのつもりはない。そのタイミングで、ゆずと佳子のLINEに、メッセージが入った。

『私たち、同じ高校に行って、最強のチームを作ろう』

『賛成。ぜひ、春子も』

『もちろん、春子は、絶対必要。私たちだけだと、クラブと同じで守りがガタガタのチームになってしまう』

 2人は、既に、話し合っているようで、返信が早い。春子も、早く返信しようと思うがいざ決めようとすると、自分だけでは、決められない。当然、親にも、相談しないといけない。うちのクラブのメンバーは、場所的な関係で、離れてしまうだろうけど、うまくやっていけるのか。その前に、偏差値はどうなんだ。少子化で、定員に満たない、学校でも不合格になることもあるし。

『ごめんなさい。すぐには、答えられないけど、第一志望候補にしてみる』

『やった。じゃあ、近いうちに、会おうよ』

 この後は、いつどこで、何をするかに切り替わった。


 学校では、進路について、3者面談が始まっていた。今日は、春子の番だ。担任の森岡宏介が、春子と母を呼んだ。志望校を、聞かれて春子が、答える。

「高校でも、柔道を、続ける気になったんだね」

「いいえ。サッカーをやります」

「柔道を、続けたら。あの高校は、柔道の強豪校だし。それに、監督をはじめ君は各方面から期待されてるよ」

「柔道は、この学校に、サッカー部がないので、仕方なく、入ったんです。もちろん、監督や他の先生方などには支えていただき、感謝しています。でも、3年間やったんですから、もう勘弁してください」

「柔道を、続けるなら、推薦もできるから、考え直してくれ」

「私は、柔道やらなければ、志望校に入れないんですか? 」

「そう言うわけではない。せっかく、柔道を頑張って何回も優勝したんだから、高校でも頑張れば良い。監督には相談したのか? 」

「いいえ。私は、サッカーを、やりたいです。どうして、先生は私に柔道をやらせようとするんですか? 」

「ここまで、頑張ったのに、もったいないじゃないか。他の先生が、担任だったとしても同じことを言うと思う」

「部活は、学校の活動なので、先生方はそっちだけを評価されますが、サッカークラブだって頑張って続けたんです。それに、私は柔道は優勝もしましたが、強くはないです。全中では、初戦敗退でした。県のレベルが、低かっただけです」

「わかった。とりあえず、保留にしておく。もう、次の番だ。もう少し、考えてみてくれ。お母さんも、春子さんが、柔道を続けるよう、説得してみてください」

「誰から、言われても私の考えは、変わりません」

 森岡は、追い出すように春子を外に、出した。春子は、お母さんにも言った。

「私、高校では、絶対に柔道はやらない。サッカーをやるから」

「私は、春子が決めることだから、何も言わないけど、柔道を辞めるのも、大変そうね」

 後日、木藤から呼び出された。春子は、気が進まなかったが、従った。

「お前、高校では柔道をやらないそうだな」

 いきなり、迫力がある声で言われると怯んでしまいそうになる。

「はい。高校では、どうしてもサッカーをやりたいです」

「今まで、鍛えてやって、試合でも優勝できるまでにしてやったんだぞ」

「監督には、感謝してます。私が、優勝できたのは監督のおかげです」

「それで、高校で、やらないのは、俺のせいか? 」

「いいえ。サッカーを、続けていなかったら、柔道を、やると思います」

「俺のせいじゃないんだな。俺が、お前に厳しくしたから、柔道を嫌になったんだと、思っていた。そうじゃないなら、俺はお前を後押ししてやる。ただ、そう簡単じゃないことは、間違いない。負けるなよ」

「ありがとうございます。授業の選択に、柔道が有れば絶対にやります」

 それからは、学校の先生から、もったいないとは、言われても柔道をやれと、言うことは聞かなくなった。これであとは、無事に、合格するだけだった。


 今日は、ゆずたちと、会う日だ。3人が、来年から通う予定の高校の女子サッカー部の新人戦を観に行くのだ。待ち合わせの駅には、ほぼ同時に、着いた。春子が、ベンチに座ろうとした時に声をかけられた。まだ、時間があるので、歩いて会場に、向かう。いろいろ、話しながら、歩いているとゆずが春子に聞いた。

「春子って、柔道やっていたよね? しかも、かなり強いんでしょ」

「そんなに、強くないよ」

「全中にも、出たんでしょ? テレビに、出たのも見たよ」

「私も、見た。かっこ良かった」

「そんな、恥ずかしい話しないでよ。それに、私は見てないけど後輩の香緒里がメインじゃなかった? 」

「どっちかというと、春子じゃなかった。各大会で、優勝しているのに全中だけ出れなくて悲願の初出場みたいな作りだった」

「なお、恥ずかしい。それで、初戦敗退」

「それも、ニュースで、言っていたけど、第一シードだったんでしょ? 」

「そうなの? だから、強かったんだ。全く、試合にならなかった」

「知らなかったの? それに、そんな相手を、苦しめたって言っていたよ」

「相手のインタビューも、放送されて、無名校なので、油断していたのか危なかったって」

「へー。そんな場面が、あったかな」

「それで、確認だけどサッカー部に、入って大丈夫なの? 」

「何で? 私は、サッカー部に入るよ」

「柔道部が、黙ってないんじゃないかと、思った」

「だって、柔道の強豪校なんだよ。私なんか、必要じゃないよ」

「それならいいんだけど」

 会場は、それほど観客は、多くなかった。新人戦の決勝だと言うのに、寂しい。しかし、そんなことはどうでもいい。自分たちと、同じチームになる先輩が、どんなプレイをするかが、重要だった。開始早々から、春子たちが応援する、高校は個人技や、組織的な攻撃で試合を、支配した。また、守備も、統制がとれていて隙がなかった。

「すごい。こんなチームでできるなんて、今からワクワクする」

 思わず、つぶやくとゆずが反応した。

「攻撃も、守備もレベル高いしバランスも、とれてる。今のうちのクラブと、春子のクラブを足して2で割ったような、感じ」

「私なんか、3年間レギュラーになれないかも」

「春子は、大丈夫だよ。まさか、やっぱり柔道にするとか、言わないよね」

「それはないけど、練習に、ついていけるか、不安になった」

 結局、試合は6-0だった。それも、後半には、主力メンバーが、退いたにも関わらずだ。3人は、満足そうに会場を、後にした。そして、この高校のサッカー部での活躍を、誓い合った。


 3月になり、春子は、受験に、挑んでいた。ついに、この学校のサッカー部に、入るための第一歩を踏み出したのだ。朝、偶然出会った、ゆずと、佳子とも健闘を、誓い合った。緊張が、漂った、教室で試験が始まった。春子は、落ち着いているのか、柔道の試合より、マシだと、感じた。誰に、見られるわけでもない。何より、失敗しても、監督に怒鳴られることもない。こんな時にも、柔道をやった、経験が、生かされるとは思いもしなかった。まだ、結果はわからないが。

 そして、卒業式があった。春子は、それが終わると柔道場に向かった。どうしてそうしたのか、わからない。未練など、全くない。ただ、なんとなく、一番嫌いな場所だったのに足がそこへと、動く。何度も、開けた扉の前で深呼吸して、それを開けると、木藤と女子柔道部員がいた。

「どうしたの? みんな揃って」

「先輩は、きっとここに来るって、予感がしたんです」

「私、卒業写真をここで、撮った後、もうここには来ないって、言ったよね」

「言っておられました。でもここは、先輩が一番嫌いな場所であり、一番好きなのも、知っていました。たくさん辛いことが、詰まった場所ですが、良い、思い出もたくさんありますよね。さあ、着替えてください。写真を、撮りましょう」

「柔道着なんて、持ってきてないよ」

「用意しています」

 春子は、部室に入って、驚いた。入ってすぐのところに、柔道着がかけてありそれには寄せ書きがされていた。そして、壁には、春子の写真が、たくさん、貼られていた。大会で、優勝して賞状やトロフィーを持っているものなどだ。着替えて、道場に出ると、春子は照れ臭そうに言った。

「みんな、ありがとう」

「その柔道着、監督からのプレゼントです」

「お前が、高校でも、続けると思って買っていたんだ。それなのに、もうやらないって言うからみんなで落書きした」

「監督も、私と一緒で先輩のこと大好きだそうですよ」

「俺が、いつそんなこと、言った」

「いつだったか、今までで、一番手を焼いて、生意気だけど根性があって結果を残して夢を見させてくれた。そして、可愛くて大好きだって、言っておられました」

「最後のところは、デタラメだ。あまり、調子に乗っていると、ぶっ飛ばすぞ」

「私も、監督のこと、大好きです」

 春子が、木藤に抱きついた。すると、見事に投げられた。

「やっぱり、監督は香緒里の方が、好きなんですね。私以上に、結果を残していますから」

「最近、こいつは、ダメだ」

「そうなの? 」

「実は、体重が先輩に追いついて、階級が上がってから優勝から遠ざかっています。先輩は、よくあんなに人数がいる中で、勝てましたね」

「だから、ぶくぶく太るなって、言っただろう。さあ、写真を撮ってしまおう」

 春子は、全員だったりツーショットだったり、何枚も、撮られた。柔道場と、みんなに、別れを告げた帰り道はたくさんの写真と、メッセージがLINEに入った。

 それから、数日後、春子は高校に合格発表を見に、行った。今の時代、別にわざわざそんなことしなくてもスマホで、知ることができる。それでも、行くことにしたのは、ゆずと、佳子に、会うためだった。3人とも、しばらく、サッカーどころか、運動自体を、全くしていなかった。そこで、どこかで、ボールでも蹴ろうということになったのだ。

 駅で、待ち合わせ、一応緊張して高校へ向かう。不合格なら、事前に連絡があることになっていたが3人ともなかった。だから、3人は、合格していることは間違いない。それでも、最初から笑顔で行くのもどうだろうと演技をしている。そして、自分の番号を確認して、必要以上に喜び、写真を、撮り合った。

 帰り道に、近くの公園では、サッカーをしている、子供を見つけた。少し、眺めてから、混ぜてもらうようお願いした。聞けば、今度から中学生になるので、もう春休みだそうだ。1人の男の子が、対応する。

「人数的には、22人になるから、ちょうどいいけど、女か」

「いいじゃない。邪魔にならないように、頑張るから」

「ちょっと、待って」

 みんなに、聞きに行く。大きな、声だから全部聞こえる。

「あの人たちが、一緒に試合しないかって」

「女か。しかも、3人」

「何よ。あんたらも、私たちより、下手じゃない」

 女の子が、その男の子たちに、抗議している。すると、1人の女の子が近づいてきた。

「あっ。やっぱり、ゆずちゃんと、佳子ちゃんだ」

「明日菜ちゃん。私たちも、混ぜてよ。こっちは、多山春子ちゃんね。すごい、ディフェンダーなんだよ」

「よろしくね」

「こっちは、歩村明日菜ちゃん。同じクラブの子」

 明日菜が、男の子たちのところに、走っていった。

「男と、女で、試合しようよ」

「そんなの男が、勝つに決まっている。つまんない」

「あんたら、多分、負けるよ」

「そんなわけないだろう。全員、ハットトリックしてやる」

「じゃあ、そうなるかやってみよう」

 男の子たちは、乗り気じゃなさそうだったが、明日菜が3人を呼んだ。そして、人数の関係で男の子のうちジャンケンで、負けた、3人が女の子チームに加わった。その3人は、嫌そうだった。そして、軽く話し合ってポジションを、決めた。センターサークルに、集まると1人の男の子が、言った。

「手加減しないからな」

「ゆずちゃんたちにも、手加減してもらわなくていいの」

「明日菜。お前、馬鹿か。いくら、歳上だからって俺たちが、女に負けるわけない」

 試合が、始まった。男の子たちが、キックオフから女の子チームのゴール前に、蹴り込んだ。春子は、これを落ち着いて、カットすると、司令塔の明日菜に、パスした。明日菜は、ドリブルで2人を、かわすと、ゆずに、パスした。ゆずは、相手ゴール前まで、持ち上がり、味方の男の子に、パスした。その男の子が、シュートを、打つとゴールに、吸い込まれた。

 その後も、女の子チームが、固い守りと明日菜の見事なパスワークと攻撃陣の決定力で9-0で圧勝した。最初に、威勢の良かった、男の子は、女の子チームに行った3人が男の子チームの主力を出したからだと言い訳した。そして、男の子チームから、出す3人を、交代して再戦することになった。

「あのね、出す人を変えたところで、こっちが、勝つよ。ゆずちゃんたちに、もう少し手加減してもらうようにお願いしたら」

「このメンバーなら、勝てる。それに、さっきの試合も、そのお姉さんたちには、そんなに決められていない」

「あんたら、馬鹿だね。ゆずちゃんたちが、本気出したら、さっきのより点取られるよ」

「俺たちも、今度は本気出すから、何点取るかわからないぞ。明日菜のパスなんて、もうお見通しなんだ」

 第二試合が、始まった。最初の試合と、男の子チームの攻撃パターンは、ほぼ同じだ。そして、こっちにきた男の子は、さっきより、劣るようで、パスを出しても、簡単に逸らせたり長く持ちすぎて、奪われたりした。春子がカバーしていなければ、失点に繋がりかねなかった。春子は、バックラインでのボール回しはやめて、早めに、前戦へのパスを、選択した。ゆずや、佳子も自ら打つようになった。2人は、確実にゴールを決め5-0で、勝利した。男の子たちは、諦めが、悪かった。

「お姉さんたち、まだ、時間あるでしょ? とりあえず、飯食ってくるからもう一回しよう。明日菜たちは、どうせ暇だろ」

「私たちは、クラブの練習がある」

 男の子たちは、明日菜に何時からあるか、聞いて、

「もう1試合できるな。よし、じゃあ逃げるなよ」

 そう言って、男の子たちは、散っていった。女の子も、また後でとか言いながら解散した。と思ったら、明日菜は、その場にいた。

「明日菜ちゃんは、ご飯は? 」

「うちは、帰っても、誰もいないし、ご飯もない。どこかで、買うしかないんだよね」

「じゃあ、一緒に行こうか」

 春子たちは、4人で牛丼チェーン店に、入った。

「明日菜ちゃん、上手だね」

「でしょ。おまけに、可愛いし、スター性抜群」

「U-12の話も、来たんだよね。断ったけど」

「どうして? もったいない」

「今の時代、司令塔みたいなの置く、チームって少ないもん。だから、ポジションを変えようと勉強中」

「今日は、そのポジションじゃなくて、大丈夫なの? 」

「私、ゆずちゃんや、佳子ちゃんにパスするのが、好きだったから、司令塔になった。少々、私のパスが悪くてもきっちり、決めてくれる。そして、ナイスパスって。それが、嬉しかった。今日は、すごく楽しい」

「春子ちゃんも、上手だね。男の子に、全くチャンスを、与えない」

「そうじゃない。男の子の攻撃が、ワンパターンだから、意外と守りやすい」

「そりゃそうよ。私たちが、一番苦戦した、ディフェンダーだよ。高校では、味方になることになったから安心した」

 4人が、食事を済ませると公園へ戻った。あの仕切っていた、男の子が戻っていて明日菜に聞いた。

「このお姉さんたち、何者? ちょっと、うますぎないか」

「私と、同じクラブで、ストライカーだった、2人とライバルのディフェンダーだって」

「それは、汚い。男の中には、サッカーは遊びでしかやってない、奴がいるのに」

「あんたが、男対女とか、言ったんでしょ? だから、手を抜いてもらうように、お願いした方がいいとも言ったのに」

「でも、もう大丈夫だ。こっちも、助っ人呼んだから」

 午後の部が、始まった。男の子チームの助っ人は、たしかに、小学生レベルでは上手いかもしれないが自分だけで、ドリブル突破するだけだった。女の子たちとの1対1では、抜くことができても春子には、全く通用しなかった。

 春子も、攻撃参加をすると男の子チームはなす術なく12-0で圧倒した。例の男の子は、なおも食い下がったが、明日菜たちが、クラブの練習のため帰ったので全員が解散になった。春子たちも、3人の調子の良さを、確認できて、満足して別れた。


 いよいよ、高校の入学式を、迎えた。春子は、佳子と同じクラスだった。春子は、クラスでのオリエンテーションが、終わると、早速担任の麦井健也から、呼ばれた。

「多山。女子柔道部の顧問の松田先生が、呼んでおられるから、行ってくれ」

 まだ、校内がよくわからないので麦井の後を、歩く。松田麻美は、柔道の大会で、何度か会っている。その度に柔道部に、入ることを勧めてきたが断った。まだ、諦めていないようだ。体育館の一角にある、体育教官室と、書かれたところで、麦井は立ち止まった。

「松田先生は、わかるか? 」

「はい」

「じゃあ、この中におられる」

 麦井は、そのまま引き返してしまった。春子は、ノックして扉を開けた。

「失礼します。1年5組の多山です」

 麻美を、探すため、見回すと怖そうな、教師が多い。そんな人たちに、一斉に見られると思わず逃げたくなる。そんな中、麻美を見つけた。顔は、笑っているが、目つきは、鋭い。恐る恐る、近づくと一枚の紙を渡された。柔道部の入部届けだ。

「早く、名前を書いて」

「私は、以前から言っていましたが、サッカー部に入部します。申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いします」

「そんなことが、許されると思っているのか」

「お願いします。私は、一般入学ですのでサッカーをやらせてください」

「とりあえず、柔道場を、案内してやろう」

「結構です」

 そう、言っているのに、制服のネクタイを掴まれ引っ張られる。春子は、必死で抵抗するが麻美の力が強くて敵わない。そして、連れてこられたのは、柔道部の部室だった。

「着替えろ」

「柔道着を、持ってきていませんし柔道部には入らないと言っています。お願いします。許してください」

「その覚悟を、確認してやろうと思っているんだ。柔道着は、その辺に卒業生のとか、残っている」

「じゃあ、どんなことをするかわかりませんが、今から、松田先生を、認めさせたらサッカー部に、入れますね」

「そういうことだ」

「じゃあ、着替えますので、出ていただけませんか」

「女同士だから、別にいいだろう」

 春子は、ちょうどよさそうな、柔道着に、着替えた。それを見て、麻美は春子の襟を引っ張る。

「そんなことされなくても、逃げません」

 そう、言っても麻美は緩めない。そして、畳の中央付近で投げられた。そして、腕を固められた。

「どうだ。痛いだろう。柔道部に、入らせてくださいと、言えば離してやる」

 春子は、動き回って逃れると、逆に、麻美の腕を固めた。そして、すぐに絞め技に、移行した。

「諦めていただけるなら、離します」

「この程度の技で、私が諦めるわけない」

 しかし、しばらくして、麻美は動かなくなった。春子は、少し焦ったが呼吸が確認できたので麻美の意識を戻すと、すぐに、着替えて柔道場を、出た。麻美は、朦朧としていたので、追いかけては来なかった。早く、サッカー部に、いかなければ、佳子が待っている。

 一旦、教室に荷物を、取りによる。そして、サッカー部に行くと、佳子の姿があった。春子は、佳子の肩を突いて、聞いた。

「お待たせ。もう、入部手続きはしたの? 」

「まだ。それが、2年生が、少ないから1年生が、9人は入らないと廃部の予定なんだって。今、そのことでゆずが、説明を、受けてる」

「3年生は、あんなにいるのに、2年生は少ないの? 」

「なんか、今年卒業した、先輩が、今の2年生をいじめて、大半がやめたんだって。それで、残ったのは、5人だけだって」

「さすがに、それはリサーチ不足だったね。同級生を、勧誘するしかないか。と言っても、うちのクラブでこの高校に、入った人はいない」

 その時、ゆずが出てきた。代わって、春子が入った。中には、顧問で監督の早瀬有香とキャプテンの奥木真紀がいて、佳子から、聞いた内容と、同じことを言った。部員集めを、考えながら外に出ると2人がいた。どうするか考えていると、柔道着の3人が、春子の前に現れた。

「お前が、多山春子だな。ちょっと、柔道場に来てくれ」

「すみませんが、嫌です」

「お前、松田先生に、何した」

「柔道着に、着替えさせられて、畳に連れて行かれて投げられました。その後、腕を固められたので必死で逃れて逆に、腕を固めて、絞め技に移行したら、動かれなくなったので意識を、戻してから、出ました」

「嘘つくな」

「本当です」

「じゃあ、柔道場に、来てもらおうか」

「嫌です。松田先生に、いきなりあんなことされたんです。指導者が、強引に力づくでというのには正直落胆しました。なので、サッカー部に入らないとしても、柔道部は選択肢から完全に消えました」

「ごめんなさい。先生のやり方が、悪かったのは謝る。でも、松田先生を落とすなんてすごいよ。考え直してくれないかな」

「すみませんが、考え直す気はありません」

 3人は、肩を落として、戻って行った。

「春子、すごい。あんなに、怖そうな人に」

「いざとなったら、助けてくれると、信じてたよ」

 2人は、苦笑いをしていた。


 高校にも、少し慣れてきた頃、初めての柔道の授業があった。親に、買ってもらった真新しい柔道着に袖を通した。一緒に、柔道を選択した佳子は、初めて着る柔道着が、恥ずかしそうだった。

「私、似合ってる? 」

「似合ってるんじゃないかな」

「何、そのどうでもいいような反応は」

「ごめん。私、柔道着をそんな視点で見たことないから、わからない」

 春子は、ほかの生徒たちも、柔道着姿を見せ合っているのを、見て羨ましかった。確か、中学生の時に初めてきた時も、先輩しかいなかったのでそんなことしていない。その後は、戦闘服でしかなかった。柔道場に、入ると麻美が、怖そうな、顔をして座っていた。

「ペチャクチャ、やかましい。いいか。道場では、私語は厳禁だ。気を、引き締めてないと怪我するぞ。まずは、柔道が、どんなものか、模範試合をしてもらう。松山と、多山。出ろ」

 松山紗弥加は、柔道部に、入っている。中学の時にも、顔は見たことある。しかし、紗弥加は春子よりは階級が上のはずだ。他に、経験者が、いないから、仕方ないか。そう、思いながら前に出た。すると、春子はまだ始まっていないと、思っている時に、投げられた。それから、腕を、固められた。

 おそらく、紗弥加は麻美から、指示されていたのだろう。それなら、紗弥加には悪いが、麻美と同じ目にあってもらうしかない。春子は、固められた、腕をなんとか解いて、逆に腕を、固めた。そして、紗弥加がタップしそうになったら、絞め技に、移行した。すぐに、紗弥加は動かなくなった。

「多山。外せ」

 春子は、すぐに、外して立ち上がった。麻美は、紗弥加の頬を叩く。すると、紗弥加は目を開けた。

「多山。模範試合で、絞め技を出すとはどういうつもりだ」

「私だって、絞め技なんてするつもりなかったです。でも、まだ始まっていないのに投げられたりしたら仕方ないです。先生は、私を柔道部に入れたいかもしれませんが、こんな、暴力的な方法しか考えられないんですか」

「うるさい。今は、授業中だ。固め技、絞め技禁止で私と組め」

「最初から、そうすれば、良いじゃないですか。体重差がありますので、私は投げられるだけになりますので」

 実際、春子が、ほぼ一方的に、投げられた。時々、春子も投げた。5分ぐらいやっただろうか。麻美は、みんなに、言った。

「多山が、投げられる時、受け身をとっていたのは見てた? 肩が、つく前に手で畳を叩くの。これが、大事だから、その練習をするよ。多山、やってみなさい」

 春子がやって、みんなも、畳に上がってやった。すると、麻美が来て、

「多山は、もういいわ。松山を、更衣室に運んで着替えさせて」

 春子は、紗弥加に肩を、貸した。紗弥加は、まだ足取りがおぼつかない。ふらふらしながら、更衣室に運ぶと紗弥加は、泣き出した。

「ごめんなさい。私、松田先生に命令されて逆らえなかった」

「私の方こそ、ごめんなさい。絞め技なんて、私はしたくないんだけど、松田先生から何か命令されているのはわかったから、私がどうなるかわからない」

「固め技で、折ってもいいから離すなと言われてた。上手く、逃げられたけど」

「痛かったからね。私の中学のときの監督も、怖かった。何回も、投げられ絞められた。でも、それは私が悪いことした時。でも、松田先生のは、わからない。愛情が、感じられない。もし、私が柔道部に、入るって、言った時怪我していたらどうしようもないでしょ。このままだと、柔道自体を、嫌いになりそう」

「本当に、その通り。ごめんなさい」

 紗弥加の着替えが、終わるとチャイムが、鳴った。紗弥加は、涙を拭った。すると、みんなが帰って来た。

「紗弥加、大丈夫? 」

 みんなが、紗弥加を心配していた。そして、春子は避けられていた。唯一、佳子は春子も心配した。それを、紗弥加は、感じたようだった。

「みんな、心配かけたけどさっきのは、私が悪いから。春子は、全然悪くない」

 すると、春子にも何人かが声をかけた。

「どうやったら、その体で大きい先生を投げられるの? 」

「春子、強すぎて、怖いわ」

 翌日、紗弥加は春子に、言った。

「昨日、松田先生や先輩から、リンチされた。私も、松田先生のこと嫌い。もう、柔道部にいたくない」

「辞めれるなら、ぜひサッカー部に、来てほしい」

「辞めるって、言ったらどうなるかな」

「昨日とか、男子部の先生は、どうしてたの? なんて、名前だったかな。あの先生は、県の役員もされてるでしょう。中学の大会でも、挨拶されたり、賞状をもらったりしたから」

「岸野寿明先生。もう、帰っておられた。いつも、男子の方が終わるのが、早い」

「岸野先生なら、なんとかしてくれそうな、気がする」

 春子と、紗弥加は、昼休みを待って岸野を、訪ねた。岸野は、体育館の怖い部屋にはいない。周りの先生も、優しそうだ。岸野は、春子を、見ると、

「多山さんだね。君の柔道は、素晴らしい。もう、柔道はやらないのか? もったいない」

「すみません」

「それで、今日は、どうした? 」

「実は、彼女が、柔道部なんですが、松田先生や先輩からいじめられてます。そのことで、相談に乗っていただけないかと」

「柔道部の松山紗弥加です」

「柔道場で、見ているから顔は、わかっている。詳しく、聞かせてくれ」

「実は、多山さんが、入部するようにしろって、松田先生から、命令されていたんですが、親しくないですし何も出来ずにいたのを、毎日、投げられたりしていたんです。そして、昨日の柔道の授業で松田先生に、言われてたように、多山さんを始めの前に、投げて腕を固めたんです。すると、見事に返されて絞められて意識を、失ってしまいました」

「それは、気の毒に。相手が、悪かった。ごめんなさい。続けて」

「それで、昨日の部活では、投げられただけでは、終わらず、みんなから、殴られたり蹴られたりしました」

「かわいそうに。どうも、松田先生はそういうところがあるな。よし、任せてくれ」

 春子は、夕方にまた、来るように、言われた。


 夕方、待っていると、岸野は誰もいない、部屋に、春子を招いた。岸野は、柔道場にカメラを仕掛けたと言ってそれを、モニターに映した。録画もされているようだ。春子は、岸野が、なぜここに、呼んだのかわからない。2人で、モニターを見ながら、

「多山さんは、柔道は嫌いか? 」

「嫌いではなかったですが、嫌いになりつつあります」

「俺は、2年前から道場をやっている。後、3年で定年を、迎えるからその後の楽しみにと思って。俺は、強制するのは、好きじゃない。もし、その気があれば、来てくれないか? 君が、好きな時に来てくれたらいい。君の柔道が、気に入っているんだ」

「私は、サッカー部に入りますので、行けません」

「1年に、1回だけでもいいんだ」

「そんなことでいいなら」

「ちょっと待て。いよいよ、始まったな。行くぞ」

 春子は、岸野に、引っ張られて、柔道場に行った。岸野は、扉を勢いよく開けて大声で言った。

「松田先生。柔道に、キックやパンチは、ありません。1人に対して複数人が相手することもありません」

「そんなことはしていません。普通に、稽古していました」

 岸野は、カメラを取り外して、タブレットを取り出した。

「全て、録画しています。これを、観ますか? 」

 麻美は、急に岸野の前で、土下座した。

「すみませんでした。それは、消してもらえませんか? 」

「どうするかは、もう少し、考えます。それから、多山さんと、松山さんは私の道場で預かることにしました。ですから、部活に入らないとか、出てこないとか、言わないでください」

 岸野は、柔道場から出ようとした。春子は、慌てて、紗弥加を連れてきた。

「ありがとうございました」

 春子と、紗弥加は何回もお礼を言った。そして、所属したのかどうかは不明だが道場を案内してもらうことになった。岸野は、自分の車に2人を乗せた。

「柔道で、高い、段位を持っていてもなかなか、心まで強くなっている者は少ない。指導者も、大半がそうだ。俺も、昔は手を上げた。練習も、遅くまでやらせた。もう、亡くなった妻は俺とは逆だった。そして、妻の葬式の時に、妻の教え子たちは、だいたい、大学でも続けていた。それに、引き換え俺の教え子はほとんど、辞めてしまった。その時、気づいた。柔道人口は、そんなに多くないのに、俺の指導で、嫌いにさせていたんだと。だから、その時の教え子で、指導者になったやつは、とんでもないのばかりだ。木藤とかな」

「私の中学の監督ですか? 」

「そうだ。だから、君もかなり酷い目に、あったと思う。3年前に、木藤が俺についに教師人生で最高の逸材に会いました。と言った。それが、君だった。試合を見て、俺も、そう思った。俺は、心を鍛えてやりなさいと言ったが、あいつは、馬鹿だから、ビシバシ鍛えてやってます。と言った。でも、君はそれを、教えられなくても強い心を、持ち続けていた。さあ、着いたよ」

 そこは、高校から1駅、春子の家に、近いところだった。広い、敷地に立派な道場が建っていた。その横の住宅は、お世辞にも、立派とは、言えない古くて、小さなものだった。

「ボロ屋で、驚いただろう。妻が、亡くなって、娘は出てしまったし、家は建てても仕方ないと思って道場にしたんだ。中も、見るか? 」

 2人が、返事をする前に、岸野は鍵を開けた。中は、広くて綺麗だった。

「ここを、使っていいんですか? 」

「君たちは、門下生だから当たり前だよ」

「あの。月謝とかは、いくらですか? 」

「君たちは、いいよ。もし、それが気が引けるようなら、100円でも置いていってくれ。それと、使う日時をあらかじめ、知らせてくれ」

「ありがとうございます。今からでも、使ってみたいけど紗弥加は部活でやったんだよね」

「少しぐらいなら、付き合うよ」

「それなら、やっていくがいい。柔道着も、あるぞ」

 春子と紗弥加は、着替えて道場に出た。2人は、楽しそうに、稽古をした。時々、岸野はアドバイスした。いつまでも、やっていたかったが、お腹が空いていることに、気づいた。

「君たちが、楽しくやっているのを、見ていると幸せだ」

 岸野は、満面の笑みを、浮かべて2人を、家まで送った。


 岸野の力は、絶大であれから、麻美や柔道部員からは、何も、言われなくなった。紗弥加も、そうだった。2人は、よく岸野の道場に、行くようになった。一方で、サッカー部の人集めは、苦戦していた。春子と、佳子が、頭を、悩ませていると紗弥加が、やってきた。

「サッカー部って、初心者でもいいかな」

「もちろん。誰か、心あたりがあるの? 」

「私でもいいかな。春子には、本当に感謝してるから、力になりたいの。でも、見た目の通り太っているし走るのも、自信がないよ」

「それぐらいで、太っているとは、言わないでしょ。なんとかなるよ」

「私も、同じ中学だった、人とかに、声を掛けてみる」

「ありがとう。紗弥加の中学は、最大勢力だから、頼もしい」

「春子と紗弥加って、仲良くなったんだ。あの件で、犬猿かと思っていた」

「今、2人で同じ柔道の道場に、行っているんだ」

「春子とだと、すごく楽しいよ」

「まさか、あの時みたいなことしてないよね」

「そんなことしないよ」

「あれは、私が松田先生の命令に、従ってしまったから春子は悪くない。春子は、自分がよほど危なくなかったらあんな、乱暴な、技は使わない」

 紗弥加は、サッカー部に、入ってくれる、人をたくさん見つけてくれた。中でも、2人は経験者で春子も対戦したことがあった。これで、9人を、上回る11人になった。春子たちは、この人数を、引き連れてサッカー部に行った。有香は、全員の入部と、女子サッカー部の継続を、認めた。

「よく、こんなに、集めたね。ただ、初心者が多いから経験者は、しっかり教えてあげてね」

 急だったこともあり、サッカーをする準備をしているものだけは練習することになった。春子たちは、サッカー場の隅で初心者たちに蹴り方などを、教えた。また、経験者は先輩に混じってシュート練習などにも、加わった。

有香は、久しぶりに大所帯になった女子サッカー部に、よろこびを感じていた。


 女子サッカー部が、本格的に始動したが春子と紗弥加は、岸野の道場には2日に、1回ぐらいのペースで行っていた。すると、さまざまな、門下生と一緒になった。もう、何十年もやっていそうな、ベテランの方や始めたばかりの小学生など、年齢層も広い。基本的には、春子は、紗弥加と、練習していれば良い。しかし、時々ほかの門下生から、声をかけられて、一緒にやったりもした。

 ある時、春子たちの方を、じっと見ている同年代ぐらいの女性が2人いた。春子は、見たことあるような気もしたが、思い出せなかった。その後は、気にせず練習に集中していた。そろそろ、終わろうということになり、道場を、後にしようとしたところ、紗弥加が、2人に気づいた。

「真崎先輩と、真子。どうして、ここに? 」

 春子は、再び、脳を、回転させた。真崎めぐみだ。確か、中学生の時に大会で試合したことがある。それと、サッカー部のところに、3人で、春子のところへ、きた柔道部員のうちの1人だ。どうして、ここにいるんだろう。真子は、ほかのクラスにいる、宮久保真子だ。

「紗弥加が、居なくなってから、真子がいじめの標的になったの。それで、2人で岸野先生に助けを求めた」

「2人も、抜けたら、女子柔道部は、どうなるんですか? 」

「知らないわよ。私は、多山さんへの松田先生のやり方が、気に入らなかった。それで、そこからいじめが始まって。私が、昔から、可愛がっていた、真子にまで手を出して。もう、許せなくて」

「しばらく、松田先生には、柔道部は、休んでもらうことにした。どうする。柔道部に、戻るか? 」

「私は、この道場で、やらせてください」

「私もです。ここには、ずっと、試合をしたかった、多山さんがいるんです」

 春子は、びっくりした。確か、中学1年の時の新人戦の決勝で、当たったがそれ以降、春子の階級が上がった。

「多分、階級が、違いますよ。私、中学生の時には毎年階級が上がっていました。もしかしたら、また上がっているかもしれません」

「もう、試合はしなくてもいい。多山さんの強さは、よくわかった。岸野先生が、おっしゃられるようにあなたから、柔道を通して、心の強さを学びたいの」

「私は、真崎先輩が、思っておられるような、人間ではありません。でも、せっかく同じ道場にいるので一緒に稽古をしていただきたいです」

「それから、もう私は松田先生側じゃないから、絞め技は辞めてね」

「私は、すっかりそういうイメージなんですね。私を、怪我させることが、目的じゃない限り絞め技なんて使いませんし、使いたくないです」

 めぐみが、手を差し出したので、春子が握った。真子とも、握手を交わした。岸野は、その光景を笑顔で見ていた。

「みんな、お互いを尊重して稽古に励んでくれ」

 4人は、大きな声で返事をした。


 サッカー部は、インターハイに向けて、練習試合が組まれることが多くなった。入部してから、知ったが控えのディフェンダーは、3年生と2年生に1人ずつしかいない。それも、2年生の藤井愛里は、高校から、サッカーを始め、試合に出場したことはないそうだ。そのため、春子は、毎試合控えになり、試合展開によっては、途中出場をしていた。今後を、見据えてのことだ。

 しかし、春子は、3年生が、引退した後が、不安だった。練習を、見る限り愛里は1対1でも簡単に抜かれることがあるし、ゾーンでも、ポジショニングが、悪いことが多かった。有香は、愛里をディフェンスの中心に据えようと、考えているようで、3年生の藤井蓮真から、ベンチでポジショニングなどを、細かく説明されていた。この2人は、姉妹なのだ。蓮真は、レギュラーになっていたこともあるらしいが、先を見据え、愛里に教えることを、優先している。

 春子は、蓮真の話が、聞こえるところに座って一緒に学んでいる。ところが、肝心な愛里は本当に聞く気があるか、疑問だ。さっきも、相手のコーナーキックの場面で蓮真が一生懸命説明しているところで、突然笑い出した。

「向こうにいる、観客のおじさん。興奮しすぎて、椅子から転げ落ちてた。ウケる」

 一体、どこを見ているのだろう。どの試合でも、こんな感じだ。それでも、ディフェンダーが、いないので3年生が、抜けたら、レギュラーは確定だろう。1年生の経験者にも、春子だけだ。流石に、1年生の初心者は、試合どころか、ポジションも、決まる段階ではない。

 試合が、3-0でうちの高校が、リードしているところで、春子は有香に呼ばれた。愛里が、春子に言った。

「春子。この経験を、しっかり活かせよ」

 ツッコミたくなるが、返事だけして有香の話を聞く。今日は、左サイドでの起用だ。そして、初めて攻撃参加も解禁された。アップして、出番を待つ。そして、4点目が、入ったところで、交代した。春子は、コートを縦横無尽に、走って、アシストも、決めた。有香や、チームメイトからも、よかったと、言ってもらえた。

 春子は、1年生の初心者組から、ディフェンダーを、育てると決めた。しかし、なかなか言葉だけでは、伝えきれない。そうなると、山谷を頼りたい。貴司は、本とか、DVDをたくさん、持っていた。まだ、持っているだろうか。そうだとしても、なかなかサッカーの話はしづらい。とりあえず、今日は、柔道はやめて、山谷に会うことにした。紗弥加は、道場に行って、めぐみたちがいれば相手になってもらうと、言った。


 山谷は、まだ、サッカー関連の本など、捨ててはいなかった。何度も、春子が、見た時と、同じように本棚にずらりと、並んでいた。以前、春子がサンジョルディの日などに、送ったのも、見つかった。

「それ、全部やるよ。もう、俺には必要ないし」

「うちに、こんなに置く場所ないよ。それに、何冊か、私が贈ったのもある」

「そうだったな」

「私は、この頃からずっと、貴ちゃんが好きだよ」

「春子。俺のためにいろいろしてくれているのには、感謝してる。でもな、本気だとしたら俺は辞めとけ」

「どうして? 」

「当たり前だろ。俺は、こんな体なんだ。春子に、迷惑ばかりかけるようになる」

「そんなことない。私は、貴ちゃんにしてあげられることなら、迷惑だなんて思わない」

「ありがとう。それより、何か調べるなら早くしてくれ」

 春子は、本を、パラパラと、めくった。何冊か、選んで、テーブルの上に置いた。

「どうしたんだ? 初心者向けのばかりじゃないか」

「高校のサッカー部が、そういう人が多いの。特に、ディフェンダーを育てなきゃ」

「ふーん」

「全然、どうでも、よさそうな感じだね」

「俺には、何もできないからな」

 山谷は、ずっとタブレットで何かを、真剣に観ている。

「もう。何を、観てるの? 私の話は、全然興味無さそう」

「プロレス。面白いぞ。春子も、観るか? 」

「プロレスなんてつまらない。貴ちゃんも、何か、スポーツでも始めたら。サッカーもあるでしょ? 」

「あるけど、何かサッカーとは、違う気がする。さて、サッカーの話しかしないなら、帰ってくれ」

「わかった。帰る」

 春子は、山谷を、車椅子からベッドに移した。まだ、下手だと山谷から言われるがやり方は教わっていた。山谷はどうせなら、一本背負いした方が、早いと冷やかすが、そんなことはできない。


 女子サッカー部は、インターハイを終え1、2年生が、中心のチームになった。ディフェンス陣は、愛里が、センターに、入り両サイドに、春子と紗弥加が固めた。しかし、愛里の指示はめちゃくちゃで、優子のように、いざとなったら、自分が止めるというような、自信が全くない。

 また、ゴールキーパーの青川凛子の指示とも、食い違う。春子は、経験上自分で判断するが紗弥加は度々戸惑っていた。そのため、ゆずと佳子の最強コンビが点を、とっても、失点も、積み重ねる試合が多かった。そして、新人戦で、急遽春子が、センターになった。

 不安なまま、試合が、始まった。初戦は、6-2で勝ったがそれほど攻撃力のあるチームでもないのに失点してしまった。それも、凛子のファインセーブで、2失点で済んだのだ。次の試合は、優子や智子などクラブの時のチームメイトが、多く攻守とも、安定している強敵だ。今のままだと、勝ち目はない。そこで、頼るのは山谷しかいない。

 とりあえず、まだ明るいので山谷を車椅子に乗せて近所を散歩する。しかし、これをしたからと言っても山谷が以前のように、サッカーのことを教えてくれるわけではない。ただこうしていると、春子の気分は落ち着いた。最初は、知り合いに、偶然会ったりすると恥ずかしくて急に向きを変えて、山谷を驚かせたこともある。それが、慣れたせいか、今では、全く気にならない。

「まだ、外は、暑いな。ついでに、後ろから、うちわで仰いでくれてもいいぜ」

「このまま、川に、入れば、涼しくなるかな」

「やめろ。溺れる」

「じゃあ、贅沢言わないで」

 毎回、少しずつ、コースを変えるが、いずれも難所がある。歩道が、狭くて通れないところや歩道に停められた車など、障害者に優しくないと、感じることがある。春子自身も、他人のことを、考えることができる人にならないといけないと、戒めにもなる。

 山谷家に、帰ると、春子は本棚を、眺めた。

「最近、勉強熱心だな」

「学校の勉強は、こんなに、熱心にはしないけどね」

「そんなこと、自慢そうに、言うな」

「自慢しているわけじゃないけど、今は、新人戦が最優先」

「今更、そんなの見ても遅いだろ」

「この大会で、ポジションが変わったから、焦っているの」

「ふーん。それは、大変だ」

「全然、関心がないんだね。そんなに、プロレスって楽しいかな」

「楽しいから、春子も観ればいいのに」

 春子は、何も、言わずに本に集中した。山谷も、プロレスの動画に没頭した。そして、気づいたら結構な時間になっていたので、山谷をベッドに移してから、帰った。


 次の試合は、決勝戦で、7-6という、サッカーの試合とは、思えないスコアで、勝った。優子も、春子と同じように、チームのディフェンス陣に、苦労しているようだった。

「どうして、春子はうちの学校に、入らなかったんだよ。私だけで、ゆずと佳子を止められるわけないじゃない」

「学校を、決める前に、ゆずと佳子と、一緒にうちの学校の試合を、観に行ったんだよ。そうしたら、すごくいいチームだったから、入ったんだけど、2年生が、こんなに少ないのは、予想していなかった」

「うちの学校って、経験者は私たちがいた、クラブの人が、ほとんどじゃない。だから、ディフェンダー不足も、クラブと一緒」

「優子って、高校では、サッカーやらないって言ってたから誘わなかったんだよ」

「私は、春子がその高校に、行くってことはサッカーより柔道を選んだと思っていた」

「学校の柔道部じゃないけど、柔道も続けてるよ。先生が、やっている道場で」

「相変わらず、タフだね」

「でも、サッカーで、悩みが、多すぎて。そうだ。あのグループLINEに、いろいろ書き込むから優子答えてよ」

「なんで、私が。春子が、私の悩みに、答えてよ」

「今更ながら、優子は、すごかったと、尊敬しているんだから」

「私だって、春子の偉大さを、感じてる」

 そこへ、佳子が、やってきた。

「春子。監督が、呼んでる」

「なんだろう。失点しすぎたことなら、随分言われたけどな」

 春子は、有香のところへ、行った。

「多山さんは、うちのチームのディフェンス陣について、どう考えている? 」

「私は、4バックで、守りを固めた方がいいと思います」

「そのためには、もう1人か、2人はディフェンダーを、育てないといけないな」

「そうですね。手っ取り早いのは、ボランチをディフェンダーに、転向してもらうことですね」

 有香は、頷いていたが、実際には、どうなるかわからない。その後も、有香は部員の意見を聞きながら、さまざまな、システムを、試して見るが、解決には、繋がらなかった。


 春子は、サッカーでのストレス発散を、柔道でしていた。と言っても、固め技や絞め技を出したりはしない。ただ、柔道着で、柔道場に立つだけで落ち着いた。それがほぼ、日課のようになっていた。紗弥加は、流石に毎回付き合ってはくれない。めぐみや真子も、同様だった。

 春子が、1人でいると、いろいろな人が、相手をしてくれた。しかし、春子より体重が遥かに重い人でも強引に投げたりはしない。きちんと、体勢を崩してから、技を出された。男性とやっても、春子の大事なところを触られることもない。岸野の指導もあるだろうが、この道場は、本当に居心地が、よかった。めぐみとも、稽古をして仲良くなった。

「最近、以前よりも、さらに熱心に稽古に励んでいるが何かあったのか? 」

「なかなか、サッカーで、思ったような結果にならなくて。もやもやしたりして、ストレスなんですかね。溜まっているんです。それが、ここに来ると、落ち着くんです。すみません。岸野先生は、私がこんな気持ちで来てるのを、良く思われませんね」

「多山さんは、そういう気持ちで来て、相手してくれる人に対して何を思っている」

「とにかく、感謝ですね。組んでくれて、技をかけてくれてまたかけられてくれてありがとうです。でも、岸野先生の門下生さんだからですね。部活では、私のような軽量の女子は常に怪我の恐怖とも戦わなければならなかったのにそれがないから、安心できます」

「それでも、油断すると、怪我はするから、気をつけてくれ。しかし、多山さんはさすがだよ。ストレスがあったりすると、相手を、投げて、発散したくもなるが、いつも安定した、稽古をする。今度、道場の大会に、出場して見るか? 」

「みんなが、出るんですか? 」

「君が、出ないなら、誰も出さない」

 春子は、首を傾げた。

「私が、出ると、言ったら、みんなも出るんですか? 」

「それは、本人の自由だ。君は、うちの道場を代表する人材だ。いや、県を代表する柔道家だ。本当は、もっと大会にも、出て欲しいが、君はそういうのは、興味がないような気がしたんだ」

「私は、そんなに立派じゃないですし、自分の試合の勝敗はどうでもいいです。でも、仲間たちが勝つのは嬉しいですね。誰かが、出場したいのなら私も、出ます」

「そうか。それなら、ほかのものにも聞いてみよう」

 岸野は、笑顔で言った。春子は、岸野が喜んでくれたのが、嬉しかった。その後、女子高校生が集められ、みんなが、大会に、出場することになった。岸野は、出場するにあたって、注意事項を、言った。

「俺は、いつも言っているように、この道場は、試合に勝つことを教えてはいない。相手を、敬い周りの人に感謝しなさい。それから、ほかの道場には、勝つためなら、手段を選ばないところもある。くれぐれも、怪我には用心してくれ」

 大会当日、岸野に連れられて4人は会場に着いた。すると、入口のところで木藤と香緒里たち部員に会った。

「岸野先生、お久しぶりです。多山を、先生が面倒見ているんですね? こいつは、生意気だし、根性はないしどうしようもないやつです。鍛え直してやってください」

「お前は、相変わらず失礼だな。多山さんは、私の門下生の中で、一番の自慢だ」

「こんなやつがですか? 冗談は、やめてください」

「うちの道場の顔である、多山さんを、悪く言うのは、私の道場の悪口を言ったのと同じだ。私を、不快にするだけなら、二度と話しかけるな」

 岸野は、木藤の隣にいた香緒里の方を、向いた。木藤はどこかに、行ってしまった。

「中山さんだね。高校でも、柔道を続けるのか? 」

「多分、やらないと思います」

「もし、少しでも続ける気があるなら、うちの道場に来ないか? 君が、尊敬する多山さんもいるぞ」

「はい。行きます」

「香緒里。少しは、考えて。香緒里は、才能あるんだから高校の柔道部を目指さなきゃ」

「私は、先輩の追っかけなので、道場の方がいいです。今日は、先輩が試合に出られるのを、キャッチして先生と後輩たちも、連れてきました。どうしたのよ、彩子。せっかく、先輩の試合が観れるのに嬉しそうじゃない」

「先輩の試合が、観れるのは嬉しいですよ。でも、その後から、部活なんです」

「そうなんだ。香緒里、後輩たちが迷惑してるでしょ。巻き込まないの」

「こうなったら、多山さん。後輩たちが、観に来てよかったと、思える試合をしなさい。部活のことは、私に任せなさい」

 岸野は、会場に入って行った。

「あの人って、誰ですか? どうして、私のことを知っているんですか」

「うちの道場の代表で、高校の先生でもある。県の柔道連盟の役員もされている。木藤先生の師匠でもあるみたいだよ」

 春子たちも、会場に入った。受付をすると、プログラムが渡された。春子はそれをみて、嬉しそうに言った。

「この大会って、私たちよりも、ずっと経験値が高い、一般の方とも当たるんだね」

「そうみたい。それなのに、春子は、嬉しそうだね」

「きっと、私が予想もしていないような、すごい技を、かけられるかもしれないんだよ。楽しみ。紗弥加は、そう思わないの? 」

「全然。怖くないの? 」

「私たちより、早くてキレがある、うまい技の使い手だよね。そんなのを、食らったら感動するよ」

「どうやら、柔道の試合においては、春子と私は気が合わないみたい」

 試合が、開始されて、紗弥加たちは、初めての一般の人との戦いに、戸惑い敗れた。一方、春子はタイミングの良い、投げや、相手の腕を、巧みにとって、固め勝ち上がり優勝した。春子は、祝福する、仲間たちに、言った。

「ありがとう。楽しかった。一般の方々って、すごく強い。試合中も、顔が自然とにやけるのを、堪えてた」

「春子。優勝したのわかっている? 春子の感覚、よくわからない」

「そうなんです。時々、凡人にはわからないことを、言われるんです。先輩の魅力の一つです。でも、優勝したのは、わかっておられますよ」

 岸野が、役員席から春子のところへやってきた。先に、声をかけたのは春子だった。

「先生。ありがとうございました。今日は、本当に楽しかったです。もっと、精進しますので、またこのような場を、用意してください」

「おめでとう。部活の大会との違いを、わかってくれたようだな。流石だ」

「はい。私は、まだまだ弱いです。これからも、よろしくお願いします」

 この会話を、聞いていた全ての人が、首を傾げていた。道場には、春子が、賞状とトロフィーを持った写真が貼られた。


 この日から、春子はサッカーにも柔道にもより一層励んでいた。春子は、日課のように山谷を訪ねてサッカーの本を、読んでいた。すると、いつものようにYouTubeを観ていた山谷が、大笑いしていた。春子は、無視をしていたが、あまりにも耳に入るので、観念して聞いた。

「何を、観てるの? ゲラゲラ、笑って」

「プロレスだよ」

「嘘でしょ? プロレスで、そんなに笑うことある」

「それがそういうのもあるんだ」

 山谷は、タブレットを春子の前に置いて、ボリュームを上げた。

「そんなことされても、私は観ない」

 そう言って、サッカーの本に、集中していたが、元気な女の子の声が聴こえてきた。

「何これ。女の子が、プロレスしてる」

「女子プロレスだから、当たり前だ。たまに、男が上がることもあるけどな」

 春子は、初めて観る女子プロレスに、釘付けになった。細栗祐未が、誰のかはわからないが、コスプレしたり変な、メイクをして、面白いことを言っている。試合が、始まっても、言うことや、動きがやることなすこと、面白い。こんなにふざけて、大丈夫なのかと思っていると、相手の技を上手く、切り返したり、強烈な技を食らっても返した。

「春子も、大笑いしているじゃないか」

「この人、面白すぎる。こんな、プロレスもあるんだ」

「こいつは、特別だ。コミカルの代表的な、選手だ」

「あれ。祐未が、勝った。すごい」

 春子は、夢中になって、次々祐未の試合の動画を観た。

「サッカーの勉強に、きたと思っていたのに」

「貴ちゃんが、こんなの見せたからだ」

「プロレスなんて、野蛮だの言っていたくせに」

「そうよ。プロレスなんて、嫌い。私は、サッカーの勉強に、きたのに。この本、借りて帰る」

「家でも、プロレス観るなら、意味ないだろう」

「家では、本に集中する」

 そう、言ったものの春子は、すっかりプロレスに魅了されていた。祐未の試合だけでなく、ほかの選手のも観てみた。可愛い、女の子が大きくて、強そうな選手に立ち向かっていく。可愛い子が、技を食らって、苦痛な表情を見せる。それでも、カウントが数えられると、スリーの寸前で返した。こんなの公開のいじめだ。春子は、堪らず動画を、切ろうとすると、可愛い選手がタイミングよく、投げて関節技を、決めた。春子は、再び、映像を、食い入るように、観た。

 結局、借りた本は、ほとんど見てない。春子は、プロレスから得られるワクワクドキドキする感覚が好きになった。体重が、軽くても、背が低くても受け身が、うまいから、簡単にはやられないとわかると安心して観られるようになった。むしろ、そういう選手が、大技を食らうのを、ゾクゾクしながら、観るようになった。しかし、春子はこのままでは、サッカーも、柔道も勉強も、手につかなくなりそうだった。そして、山谷に相談した。

「貴ちゃん。私を、プロレスに、連れて行ってください」

「どうした、春子。そりゃ、俺は、誰か付き添いで行ってくれないかと思っていた。でも、祐未みたいな試合ばかりじゃないんだぞ。選手が、流血することもある」

「わかっている。そういう、試合の動画も観た。その上でどうしても生で、観たいと思ったの。そうしないと、ほかのことに、集中できないの。お願いします」

「そんなに、はまったんだ。ちょうど、近くで、祐未のタイトルマッチがあるはずだ」

 山谷は、ネットで、日程を、調べチケットを、予約した。春子は、大喜びした。

「これで、ほかのことも、頑張れるな。そうしなかったら、キャンセルするからな」

「もちろん。絶対行くんだ」

 春子は、サッカーの本を、開いた。山谷が、プロレスの動画を観ていたが気にならなかった。


 プロレスの試合の日、春子は、午前中に、部活に、行った。今日は、ミニゲームをやったがひさしぶりに、ゆずに、得点を許さなかった。

「今日の春子は、気合いが、違う」

「珍しく、勘が冴えてる」

「それに、嬉しそうだね。デートでもあるの? 」

「デートじゃないけど、プロレスを、観に行くんだ」

「プロレス? 春子は、変わった趣味だね」

「面白いんだから」

 プロレスの魅力を、伝えようとしているのに聞く気がないらしい。ゆずは、損したと思う。春子は、せっかくだから、紗弥加に教えることにした。柔道をやっているからきっとわかってくれるはず。

「紗弥加。私、今日プロレス観に行くんだ。次の機会には、一緒に行こうよ」

「どうして、私を、誘うの? 私は、プロレスなんて、行かないよ」

「プロレスは、柔道にも、通じるものがあって」

 あれ。紗弥加がいない。みんな、プロレスを知らずにつまらない、人生を送るんだと春子は思った。

 部活が、終わると春子は、駅へダッシュした。会場の最寄駅を一旦過ぎるようになる。山谷は、駅まで、1人で向かうと、言ったが春子が迎えに、行くと言った。時間的には、ぎりぎりになるが車椅子での移動は、危険だからだ。山谷は、春子が迎えに行くとすでに、玄関先で、待っていた。

「貴ちゃん、ごめん。お待たせ」

「だから、駅まで、行くって、言ったのに」

「あぶないから、ダメ。散歩の時も、車椅子に、優しくないといつも感じるのに」

「大袈裟だな。1人でも、あちこち行っているのに」

 いろいろ、話しながら、会場に着くと入口で何人かのレスラーがいた。春子は、この時点で大喜びだ。しかも、車椅子の山谷を、見て親切に、席まで案内してくれた。さらに、一緒に写真まで、撮ってもらえた。このレスラーは、体が大きくて、YouTubeでは、アイドルレスラーに、強烈な、技をしていた方だ。観客からもブーイングを、たくさん、浴びていたのに、リング外では、優しくて春子は、すぐに、ファンになった。しかし、名前が思い出せない。

「貴ちゃん。さっきのレスラーさんって、誰だっけ」

「北崎さゆ」

「試合の動画だと、嫌な人だと思っていた。だから、応援しちゃう」

「今日は、祐未とのタイトルマッチだぞ」

「そうなの? 困ったな。どっちも、がんばれだね」

 試合が、始まった。第1試合から、春子はのめり込んで、観た。レスラーは、ちょくちょく、観客に声援を求めた。観客は、それほど多くはないが、会場は盛り上がる。熱気がすごくて、春子は、汗をかいていた。選手たちはみんなが、いろいろな技を、繰り出して、相手は受けたり、返したり。生だと、音も、すごい。チョップも、会場中に、パーンと、響く。投げられた時は、地鳴りのような音が、広がっていく。何もかも、とても新鮮だった。アイドルレスラーと、呼ばれる人は、本当に、可愛い。そんな人に、今日の相手は、執拗に顔を、攻撃した。そればかりか、椅子を持ち出して、頭に振り下ろした。それは、一発で壊れ、綺麗な顔に、赤い血が流れる。それでも、まだ、足りないようで、容赦なく、殴って蹴った。ほぼ、サンドバッグ状態だ。しかし、意識を失ったように、倒れても、カウントが入ると、スリーの前に、肩を上げた。そして、一瞬の隙をついて、必殺技を、繰り出して勝った。春子は、それほど応援していたわけではないが、涙が流れた。

 そして、春子が、最も楽しみにしていた祐未とさゆのタイトルマッチだ。祐未は、大切な試合にもかかわらずいつもどおり、笑いもとる。さゆは、無視をしていたが会場中からブーイングを、浴びた。さゆが、仕方なく応じると、ペースを、祐未が掴んだ。祐未は、その後もお決まりの笑いを誘いながらも、まともな技も、出していった。

さゆも、力強い技で、一発で祐未を追い詰める。祐未は、すっかり技が出なくなった。しかし、さゆが、決め技を出そうとすると、祐未は、上手く返して関節技に、移行した。すると、さゆはタップした。会場が、割れんばかりの歓声と、拍手に包まれた。

 表彰式が、終わり祐未が挨拶をした。観客や、相手のさゆなど関わった人に何度もお礼を言っていたのが印象的だった。そして、祐未が退場すると場内アナウンスが、観客を出口へと向かわせた。春子も、山谷の車椅子のロックを、外した。

「春子。最後まで、待て。こんなに、混んでるところだと迷惑になる」

「そうだね。ごめんなさい」

 春子は、もう一度座って、初めてのプロレス観戦の感想を語った。山谷は、嬉しそうに話す春子を笑顔で見ていた。

「良かったな。また、来ような。でも、春子も何にでも全力で取り組めよ」

 春子は、大きく、頷いた。そこへ、さゆが、やって来た。

「まだ、車椅子のお客様が、出ていらっしゃらないと、思って、お手伝いに来ました」

「ありがとうございます。お疲れのところ、すみません」

「妹さん、偉いですね? お兄さんを、連れてくるだけでも大変なのに、私にまで労いの言葉をかけてくれるなんて」

「俺たちは、兄妹ではありません。それに、俺が付き合ってやったんです」

「そうなの。彼女は、高校生? 誰のファン」

「すみません。細栗選手です。でも、今日北崎選手も好きになりました」

「若いのに、口が、上手ね。さあ、出ようか」

 さゆは、車椅子を、押した。そして、その間にも、話すことができた。春子には、夢のような時間だった。


 春子は、プロレスの動画を、観るのはやめた。結果は、山谷に教えてもらっているが、生で観ないと伝わらないことも、多いと、知った。そのためには、山谷に、全てにおいて、全力でやっていることを、認めてもらう必要がある。あれからも、友人の中に、プロレスの魅力を、わかってくれる人を探したが、見つからない。

 春子は、学校の成績も、上がったし、柔道でも出場する、試合は少ないものの優勝した。しかし、サッカーだけは、なかなか結果に、結びつかなかった。もちろん、自分だけで、解決できるものではない。そのため、ディフェンダーで、コミュニケーションを、取ろうと、愛里に、食事会とかの提案をするが、断られるか、食事が、終わるとさっさと、帰ってしまった。

 そのため、試合でもなかなか、連携が取れない。有香に、相談したところ衝撃の事実を知った。愛里の家は、地元では、名が知れている。有香の家は、貧しく愛里の家に、助けてもらっていた。蓮真が、1年生の時、レギュラーにしなかったことで、有香は、教師を、続けるのが危ぶまれるまで、追い詰められたそうだ。

「私はもちろん、ディフェンス陣の崩壊が、誰の責任かわかっている。あなたたちを、責めてもどうにもならないことも。でも、愛里の家には逆らえない。ごめんなさい。ダメな、教師で」

「それは、先生だけの責任じゃない。わかりました。辛いことを、話してくれてありがとうございました」

 春子は、すっきりした。有香も、わかっていたのだ。しかし、愛里は、誰にもどうすることもできないとなると方法がない。愛里は、サッカー部の同級生とも、親しそうではない。みんなが、愛里には遠慮しているような感じだ。

 これは、岸野から聞いた話だが、今の2年生がいじめが原因で大量にやめたのも上級生からではなく愛里だったようだ。有香は、転勤を申し出たが、それを知った愛里の両親によって叶わなかった。そこで、サッカー部の顧問をやめようと、決心していたので、積極的に、新入生を入れようとしなかったのだ。さらに、有香は、愛里の家からなにかと、因縁をつけられて、家政婦のようなことをさせられているという。

「岸野先生。早瀬先生を助けてもらえませんか? 私たちが、入部したから苦しませているんです」

「俺も、救おうとしたよ。でも、早瀬先生がそんな、事実はないと、頑なに否定されるからどうしようもない。おそらく、藤井家を恐れてのことだと思う」

「後1年ちょっと、辛抱されるつもりですか? 」

「それがまだ、中学3年生の女の子が、藤井家には、いるらしい」

「その子もこの高校に、入るんですか? 」

「それは、わからないが、おそらくそうだろう。そして、サッカー部に入るんじゃないかと思う」

「早瀬先生は、後3年も苦しまれるんですね。気の毒です」

「俺は、関わっている、君たちも気の毒だと思う。早瀬先生は、自分だけが我慢すれば誰にも迷惑がかからないと思われているかも、知れないが、実際はそうじゃない。早く、気づかれたらいいが」

 春子は、とりあえず、愛里の引退までは、解決しないと、知った。そして、愛里の妹がこの高校のサッカー部に入らないことを、祈るしかない。


 春子は、高校2年生になった。そして、サッカー部には愛里の妹の莉奈を含む7人が入部した。しかも、優子以外は、経験者で、1人は待望のディフェンダーだった。しかも、クラブでほとんど失点を許していない、チームの一員の藤間まえだ。

 ところが、新入生が、入った最初の練習試合のスタメン発表で激震が起きた。2、3年生に混じって唯一1年生で、選ばれたのが、莉奈だったのだ。これには、普段は素直に従うゆずや佳子も、黙ってはいなかった。

「先生。1年生を、試すことは悪いことではないです。しかし、4月からサッカーを始めて、思ったところに、ボールを、蹴ることもできない、藤井さんというのは納得できません」

「私も、相手に対して失礼だと、思います。しかも、ライバルチームですよ」

「この段階だからです。ほかの1年生は、試合経験は、充分ある。藤井さんは、お姉さんの後にディフェンダーを引っ張ってもらうようになる。将来を、見据えてのことよ」

「そんなに、先のことをどうして、今やるんですか? 今年も、インターハイはあります」

「それなら、私のポジションは、山田直子さんに、譲ります。私の出身クラブの後輩ですが、将来性ありますよ」

「私も、藤間さんに、譲ります。そうしないと、守備は、崩壊してしまいます」

「みんな、少し冷静になって。とりあえずのスタメンよ。もちろん、交代もしてベストの布陣を、模索していく。そして、インターハイには、最強布陣にする」

 有香は、今にも泣きそうな、表情だ。また、藤井家に脅されているのだろう。気の毒な、気もするが有香が1人で、背負うつもりだから、どうしようもない。それより、1人だけ嬉しそうにその状況を、見ている愛里には腹が立った。

 そして、当日になった。優子が、春子に近づいてきた。

「そっちには、誰が入った? 」

 春子は、優子が、聞いている意味が、わからない。

「ディフェンス最強軍団のことよ。うちには、福尾愛子が、入ったんだけどあいつら仲が悪かったらしく別々の高校を、選んだんだって。しかも、誰が、どこに行ったか、覚えてないんだ。だから、私と春子も仲が悪くて高校で別れたと思っていたらしい」

「それなら、藤間まえ」

「一番いいのが、入ったのか」

「うちの場合、誰が、入っても、変わらなかったかも」

 試合は、4-6で、春子の学校が、敗れた。思ったより、失点が少なかったのは危機感を持ったボランチの2人が、守りに、専念したからだ。その分、攻撃力が、落ちた。そして、藤井姉妹はと言うといないのと同じようなものだった。

 春子と、紗弥加がサイドを捨てて中を固めていたが相手のロングボールをクリアもできない。相手のドリブルも止められない。それも、すぐに諦めるのでシュートを打たれた。それよりも、問題なのが春子や、紗弥加がボールを、奪ってもセンターに、パスができないことだった。普通なら、そこが守備から、攻撃へとなるが、必要以上に長く持って、奪われて失点に繋がった。

 試合終了後、有香は全員を集めた。

「失点は、少し多かったけど、何人か、1年生も試すことができたし収穫は多かったと思う」

「本気で、言っておられますか? 全員、試合はもちろん練習試合だって勝ちたいんです。今日も、みんながそうだったから、7人が守備になっていた。しかも、ボランチと両サイドバックがそれで疲弊するような試合で、収穫なんてありましたか」

「今日の試合では、攻撃らしいものは、ありませんでした。ロングパスから、ゆずと私だけでなんとか得点になりましたが、こんなの通用しません」

「ディフェンス陣は、それについて、言うことは? 」

「本来なら、パスやドリブルで、相手から、奪ったらセンターバックに渡して、その間に陣形を整えたり攻撃の起点にするのに、ピンチになるんじゃ、ロングパスを、蹴るしかないです」

「それしか、選択肢が、なかったと思います。その原因を、先生の本音で、話してください」

「みんな、よく頑張った。次こそ、勝てるようにしようね」

 有香は、泣き出した。みんなが、困惑する中で愛里は笑っていた。

 その後、春子は2年生の部員を、集めた。そして、岸野から聞いた話を、伝えた。みんなが、藤井家への怒りや有香への同情はしたが、解決策は見つからなかった。


 それからも、有香はスタメンを、変えるが藤井姉妹は、外すことがなかった。2年生は、呆れていたが何も言わなかった。しかし、今度は1年生から、不満が噴出するようになっていた。特に、まえは出場した試合で、失点すると、春子と、共に、叱責されるから当然だ。もちろん、春子も言いたいことは、山ほどある。しかし、有香に、何を、言っても、無駄だとわかっていた。しかも、最近は、すぐに泣き出してしまうのだ。

 まえは、試合後に、春子と紗弥加を呼び出した。

「どうして、最近2年生の人たちは、何も言わなくなったんですか? 早瀬先生は、藤井姉妹には何も言わないし最終的には、泣き出して話にならない」

 春子は、知っていることを、全て話した。そしてこのことは、2年生は全員知っていて解決策を考えるが思いつかないことも。まえは、黙って聞いていた。

「私、お父さんに、話してみましょうか? というか、多山先輩から話してください」

「まえのお父さんって、何やってる人? 私が、話しても、ダメじゃない」

「警察官です。私のお父さん、多山先輩のファンなんです」

「そんなこと、言われても私は、知らないよ」

「多山先輩って、柔道やられてましたよね? お父さんは、警察で柔道を教えてるんです。それで、試合でたまたま、見かけてセンスの良さに、惚れたそうです。私も、子供の頃はやっていたというよりやらされていたんですが嫌いだった。だから、やめてからは、あまり仲良くないんです」

「柔道は、今でもやってるよ。紗弥加と、一緒で岸野先生の道場で」

「今も、続けておられたんですね。お父さん、喜びますよ。じゃあ、近いうちに設定しますので松山先輩と一緒に来てください」

「私も、行くの? 」

「当然です。お父さんは、多山先輩を見たら何をするかわかりませんので用心棒です。私じゃ、止められないですので」

 紗弥加は、青ざめていたが春子と行くことにした。そして、その日は予想より随分早く翌日だった。春子は、あまりにも、急で、驚いたが長く待たされるよりマシな気がした。

 まえの家は、学校から、少し離れたところにあった。割と、新しいようで、綺麗な家だ。玄関に、入るとすぐにお父さんが、出迎えた。春子は、確かに見覚えがあった。柔道の試合で、役員席におられた。そして、声をかけられたこともあった。

 ソファのある、部屋に、通され座るとテーブルに用意してある寿司や料理を勧められた。

「多山さんと、松山さんだね。君たちが、柔道を続けているとまえから聞いて本当に嬉しい。特に、多山さんはサッカーをやるから、柔道はやらないと、言われた時には、本当にショックだった。岸野先生か。本当に、丸くなられた。俺も、高校の時に、習ったが怖くて、恐れていた」

 まえが、お父さんを、突いた。そして、本題の早瀬先生の噂について、春子が話した。

「なるほど。それが、事実なら、藤井家は、犯罪だ。それを、立証するには、少し時間が、必要だ。あらゆる手段で、早く解決するようにしてみるよ」

 話の間、お腹を空かせた高校生3人は、箸が止まらずほとんど平らげた。春子と、紗弥加は謝罪した。

「いいんだよ。君たちのために用意したんだから。それより、多山さんと松山さん。まえに、柔道を教えてやってくれないか? もちろんまえの気持ち次第だが。俺は、子供の頃から、毎日まえに柔道をやらせた。泣こうが、喚こうが、お構いなしで。結果、まえに柔道も俺も、嫌いにさせた。でも、まえにはどうしても多山さんのような、礼儀正しく、真面目な子になって欲しかったから、同じ高校に行くように、妻に言わせてた」

 まえは、お父さんを、制して言った。

「多山先輩と、松山先輩。私に、サッカーだけじゃなく、柔道も教えてください。私、本当は柔道をやめたことを後悔していたんです。お兄ちゃんや、お姉ちゃんは私と同じ環境でも、耐えて警察官になったんです。私は、1人だけやめたから、劣等感がありました。でも、サッカーもやりたいし、柔道の厳しい、道場だとまた逃げてしまいそうで、葛藤していました」

「そうだったんだ。じゃあ、一緒にやろうよ。岸野先生は、好きな時に好きな練習をすれば良いっておっしゃるので、私も続けていられる」

「春子は、毎日のように行くし、大きい人でもバタバタ投げるからあまり相手しない方がいいよ」

「そんなことないよ」

「試合なんて、見たら、怖くなるよ」

「試合も、出ているんだ」

「年に、数回です。道場に、行っている人だけの大会です」

「一般の人も、参加されていますが、春子は余裕で優勝します」

「余裕なんて、あるわけないじゃない」

「まえも、是非出させてもらいなさい。そうすれば、多山さんの試合を堂々と見に行ける」

 まえの家を出て、お父さんの運転で岸野先生の道場に、行く。お父さんは、岸野にまえを、紹介した。春子と紗弥加は、少しだけ稽古をすることにした。すると、まえも、やりたがったので、春子が教えた。まえが、真剣にするのを、お父さんは笑顔で眺めていた。


 有香の件は、すぐに解決した。警察官が、藤井家を張り込んでいると有香が庭の掃除をしていた。そして、事情聴取をすると、藤井家との事件を、有香が話した。それを、藤井家のお爺さんが見て息子夫婦に謝罪させて、示談が、成立した。これで、とりあえず、サッカー部を、悩ませた、藤井姉妹問題は解決した。しかし、ディフェンダー不足は、解消されたわけではなく、愛里はスタメンになるため、相変わらず失点は多かった。

 それは、時がたっても続き春子が、3年生になっても変わらなかった。愛里が、抜けた後には、莉奈にせざるを得なかった。藤井姉妹の愛里と、莉奈は、努力とかそういうことは苦手のようで、非常に成長が遅かった。その上有香から、言われることも、聞いているのか、同じミスを繰り返した。まえは、同級生でもある、莉奈とコミュニケーションを、取ったり精神面を、鍛えようと、柔道にも誘ったがうまくいかなかった。そして、冒頭のような結果になった。

 春子は、意を決して、山谷をサッカーの試合を観に来てほしいとお願いしたが断られ続けた。プロチームから、誘いが、来なかったことより、春子にはそのことがサッカーに対しての未練だった。相変わらず、プロレスなら一緒に、観に、行ってくれるのに。そして、春子は1人でプロレスの道場を見に行くようになった。高校から、意外と、近いところにそれはあったのだ。別に、その時点ではプロレスラーになるつもりはなかったがどんな、練習をしているのか、興味があった。もしかしたら、春子や山谷を魅了するなにかがあるかもしれない。それを、見つけたかったのだ。

 いつものように、開いている窓からこっそり覗いていると背後から声をかけられた。

「そんなところで、何やっているんだ」

 春子は、びっくりして、腰が抜けそうだった。ゆっくり、後ろを振り返るとさゆだった。

「あれ。よく、車椅子の彼氏と、観にきてる子じゃないか。どうしたんだ」

「私、サッカーをやっているんですが、彼が試合を観に来てくれないんです。それで、プロレスラーってどんな練習をしたら、観客を集めて感動させられるんだろうと、気になったもので」

 さゆは、腹を抱えて笑った。

「そんなのは、いくら見てもわからないと、思う。彼氏に、見てもらいたいのは、サッカーじゃなきゃ、ダメなのか? 」

「別に、サッカーじゃなくても柔道でもいいんです」

「柔道もやっているのか? じゃあ、プロレスやればいいんじゃない」

「そうですね。全然、考えてなかったです。でも、練習についていけるか、不安です」

「それなら、中に入って、見てみたら」

「いいんですか? 」

「大丈夫だから」

 さゆは、春子を、連れて入った。中では、リング上で4人とそれ以外に6人がいた。どうやら、リング外にいるのが、練習生のようで、若くて動画でも、見たことない人ばかりだ。そして、さゆはリング上にいた、広子未菜を呼んだ。未菜が、こっちを見た。

「どうしたんだ」

「新しい、練習生候補。柔道経験者みたいだから」

 未菜が、リングを降りた。そして、春子に言った。

「柔道着は、持っているの? 」

「はい」

「じゃあ、着替えて」

 春子は、予想していなかった、展開に戸惑いながらも柔道着に着替えた。

「ここには、畳がないからあそこで、柔道やってみようか」

 未菜が、指を、さした先にはマットが、敷いてあった。

「私も、柔道やっていたから、本気でかかって来て」

 そう言われても、未菜は柔道着じゃない。Tシャツを、掴んでも投げに行けない。春子は、投げられ続けるしかなかったが、隙をついて、腕を固めに入った。流石に、未菜は、腕力がありなかなか、決められない。そこで、別のものに、変更すると、決まった。

「わかった。離せ」

「ありがとうございました」

 すると、さゆもリング上から、見ていた。そして、拍手した。

「こいつ、何者だ? 受け身も、完璧だ」

「よく、車椅子の彼氏と、観戦に来てくれていた子。それ以上は、知らない。本人に、聞いたら」

 未菜は、春子に向かって、質問した。

「柔道は、いつから始めた? 」

「中学生になってからです」

「戦績は? 」

「一応、県の大会では、何回か優勝させて頂きました」

「今でもやっているのか? 」

「高校の部活は、サッカーなので、柔道は道場でやっています」

 未菜は、リングに、大声で言った。

「あゆか、こいつは逸材だ。絶対、入ってもらえ」

 伊田あゆかは、リングを降りて、春子をソファが、置いてある部屋へ通した。

「お前、すごいなぁ。これ、よく読んでから、記入してくれ」

 渡された紙は、入門申込書だった。

「少し、時間をください。それに、練習について行けるか、不安なんです」

「柔道で、強くなるためには、相当、頑張っただろ? それに、耐えたなら、大丈夫だ」

「じゃあ、その言葉を信じます。しかし、まだ親にも話していませんので、正式には、後日返事します」

 そう言って、名前と電話番号を、教えて、道場を出た。


 春子は、あゆかに、渡された書類を、一通り、眺めた。すると、日増しにプロレスラーになりたい想いは強くなった。しかし、両親はもちろん、友達、先生からも、反対された。しかも、山谷もだった。

「貴ちゃんは、私がプロレスラーになったら、観に来てくれるよね? 」

「春子が、蹴られたり、殴られたりするのを観れるわけないだろう。しかも、凶器を使われて頭から血を流したりすることもある。一緒に、行った時も何度もあっただろう」

「もちろんそんなこともあるのは、わかっている。でもそれは、相手を信用して耐えられると知っているからしているんだと、思う」

「そのはずだ。それでも、事故はある。大怪我した人もいるし、命を落とした人もいる。それだけ、危険なんだ」

「私、柔道を6年間やった。受け身も、できる。もちろん、プロレスは、それより技も多いし、強いと、思う。それでも、挑戦してみたい。そして、貴ちゃんに、絶対観に来てもらう」

 山谷は、黙っていた。春子は、山谷を、ベッドに、うつした。そして、キスをした。

「貴ちゃん、ごめんね。入門したら、外に、連れて行ってあげられなくなる。それまでは、なるべくいろんなところに、行こうね」

 山谷は、天井を、見つめたまま動かなかった。春子は、そのまま家に帰った。そして、毎日の恒例になったプロレスラーを、目指すための交渉をしたが、この日も、許可してくれなかった。

 翌日、春子は、有香とチームメイトに高校女子サッカー選手権を、目指さないと、話した。つまりそこで、春子は、サッカー部を、引退することになる。みんなが、惜しんでくれるが、春子の決心は、変わらなかった。泣いている、部員もいた。

「春子、今までありがとう。私たちがこの学校に、誘ってしまったのが失敗だったね」

「そんなことないよ。中学の頃のライバルだった、ゆずや佳子と一緒にサッカーできて、嬉しかったし、楽しかった。今まで、ありがとう。選手権、頑張ってね。応援に、行けるかわからないけど」

 春子はいつまでも、手を振りながら、帰った。部員も、いつまでも何か言いながら、手を振っていた。これで、一番の問題は、両親だ。春子は、今日も、説得するつもりだ。今日こそはと、覚悟を決めて、家に帰ると、山谷が家の前にいた。

「貴ちゃんどうしたの? 」

「春子の家に、入れてもらいたいけど、一人では玄関に行けなかったしチャイムにも届かない」

 春子の家の前には、段差がある。しかも、チャイムは少し高いところにあった。車椅子の山谷には、厳しい環境だ。春子は、周りのことには、優しくない環境で、批判していたのに自分の家もそうであるのを、恥ずかしいと、思った。

「ごめんね」

 春子は、山谷を、家に入れた。そして、ダイニングに通すと母がいた。

「あら。貴ちゃん、いらっしゃい」

「貴ちゃん、久しぶりだね。うちに、きたの」

「お母さん。春子を、プロレスラーにさせてください。たしかに、プロレスは安全とは言えませんが大怪我することでさえ、数パーセントです。人間がいつか、動けなくなる確率は、100パーセントです。俺も、好きなことをやって、大怪我をしました。大好きな、サッカーを、やり続けた結果です。思い通りにならなくて、周りの人に当たったこともあります。それでも、春子は、俺の行きたい所に、連れて行ってくれました。それで、サッカーを思う存分やったことを、後悔ではなく、よかったと思えるようになりました。俺も、反対していましたが、春子だけ夢を、追いかけちゃいけないと、いうのは、おかしいと思ったんです。春子なら、厳しい練習にも耐えて、怪我をしにくい体を、手に入れるはずです。お願いします。春子の夢を、一緒に、応援してもらえませんか」

「貴ちゃん」

 春子は、堪えていたが、涙が出てきた。母も、泣いていた。

「私は、春子が、怪我したりするのは、耐えられない。怪我しないようにしっかり、鍛えてもらいなさい。それで無理だと、思ったらすぐに、諦めなさい」

「お母さん。ありがとう」

 母は、書類に、署名した。父には、母から説得してくれることになった。そして、高校だけは卒業することになったので、2学期中は、家から、道場に、通い冬休みから寮に入ることになった。


 春子は、プロレスの道場に、通い始めた。トレーニングなどは、想像以上にきつい。それでも、春子は柔道をやってきたので、受け身については、ほかの練習生より、基本ができているため、新たに、覚えなくてもいいので、少し、楽だった。

 レスラーの高倉真希子は、新人の教育係だ。毎日のように、みんなが竹刀で叩かれて、罵声を浴びせられる。7人いる、練習生は真希子を恐れていた。特に、西谷美知子はいじめられていた。美知子は、春子よりも少し早く練習生になっていた。しかし、たしかにほとんどのトレーニングに、ついてこれないし、受け身もなかなか、上手くできないようだった。

 春子は、美知子のように、寮に住み込みだともっと大変なのだろうと思っていた。強い、覚悟を決めて入らなければならないと、気持ちを引き締めた。そんな時に、美知子が春子に声をかけてきた。

「多山さん。私に、受け身を教えてください」

「私なんかから、教わったら、高倉さんから怒られませんか? 」

「ここじゃまずいです。どこか、ほかの場所でお願いします」

 春子は、岸野先生の道場に、連れて行くことにした。春子も、練習生になってからも通っていたのでちょうどいい。2人は、電車に乗った。

「寮って、厳しいですか? 私も、冬休みから入るのでよろしくお願いします」

「基本的には、通いの人とそんなに、変わりませんよ。ただ、時々レスラーの方の技の練習に、付き合わされますけど」

「そうなんですね。ところで、西谷さん。私が、後輩ですので敬語はやめてください」

「私、多山さんのこと、知っています。中学生の時、私のお姉ちゃんに柔道の試合で勝たれましたよね。お姉ちゃんが、負けたのはショックだったけど、多山さんに憧れてしまったんです。もちろん、お姉ちゃんたちには、内緒ですが」

「ごめんなさい。全く、覚えてないです」

「お姉ちゃんが、中学2年生の新人戦の時です。それまで、結構勝っていたので今回は優勝できるということで家族で、応援に行ったんです。そして、順調に勝ち進んだ、決勝戦で、多山さんと当たった」

「すみません。私がまぐれで、勝ったんですね」

「まぐれなんかじゃないですよね。お姉ちゃんも、1年生のよくわからないやつに完璧に負けたとすごく悔しがってました。私は、その後の多山さんが、かっこよかったです。お姉ちゃんに、何回も申し訳なさそうに頭を下げて部員のところに、戻ってからも勝って当たり前みたいな、表情されて」

「それは、誤解です。私も、監督から人数が少ない階級だから、優勝して、当たり前みたいに言われていたのでホッとしていたんです。それでも、監督が怖い顔して睨みつけていたので、喜べなかったです。私も、初優勝だったし、学校で唯一の優勝なので、誰か、1人でもおめでとうって言ってくれてもいいじゃないですか。それどころか学校に、帰ってから調子に乗らないようにって、みんなから投げられたんです。当時は、女子部員が、私だけだったから、マネージャーみたいな役割もしていたんですよ。ひどくないですか? 」

「それは、かわいそうですね。でもそれで、受け身が上手いんですね」

「それは、普段の練習からそうでしたから。男の人の中では、軽量でも、私よりは重いですし必死で堪えても周りの人達が、アシストするから結局投げられるんです。だから、柔道は嫌でした。でも、後々サッカーと掛け持ちしていたから、両方とも乗り越えられてよかったと思っています」

「中学2年生のインターハイはどうされていたんですか? お姉ちゃんも、リベンジするって頑張っていました」

「あの時は、出ていません。ちょっと、事情があって怠けていたんです」

「そうだったんですね。お姉ちゃんは、残念がっていましたが私にとっては、よかったです」

「多分、出ていても対戦することは、なかったと、思います。私ほとんど、大会に、出るごとに、体重が増えて階級が、上がっていたんです。監督には、デブって随分言われました」

「そのくらいで、デブなんて、失礼な監督ですね。でも、階級が上がっても、優勝しておられましたよね。私、多山さんの試合を、お姉ちゃんが、引退してからも観に、行きました。それで、無謀にも私も柔道をやってみたくなって、高校から始めたんです。そうしたら、先輩達にしごかれて、毎日のように、泣かされたんです。それで、耐えられなくて、怠け休みしたら、さらにひどくなって、退部届を出したら、もっとひどくなってしまいました。もう、退学しか選択肢が、なくなってしまったんです」

「そこから、プロレスですか? 」

「その前に、バイトはいくつかやりました。コンビニや、ファミレスとか。どれも、長続きしなくて家族からいろいろ、言われました。それで、プロレスです。このままじゃ、どこも雇ってくれなくなるし、挑戦してみたくなったんです」

 岸野の道場に、到着すると美知子の足取りが重くなった。

「なんか、立派な、道場ですが先生は怖くないですか? 」

「大丈夫ですよ。そんな、先生なら私も続けていませんでした」

 不安そうな、美知子を、岸野に紹介した。

「受け身なら、多山さんに、教われば良い。多山さんは、上手だから」

 春子は、美知子の時間が、許す限り教えた。美知子は、門限があるのだ。美知子は、柔道部でほとんど受け身を教わっていないようだった。そして、プロレスでも、柔道をやっていたなら、特に教えなくてもいいだろうと、教わっていないそうだ。

 そんな、美知子を投げていたのかと、思うと春子はゾッとした。美知子は、素直に春子の言うことを聞き実践していた。おそらく、真希子の前では恐怖と、緊張で上手くいっていないと、感じた。


 春子は、暖かい日差しが、降り注ぐ中で卒業式を、迎えていた。しかし、出席しているのは、既に進路が決まっている人ばかりだった。春子も、プロレスラーを目指しているもののまだ、真希子から何も言われていない。それに、先輩から合格をもらわないといけない。

 まだ、焦ってはダメ。きちんと、トレーニングを積んで、先輩レスラーの技を受けても大丈夫な体を作らなければ。そして、受けてばかりでも、面白くないので、技を使うようにならなくてはいけない。同級生からは、筋肉がすごいと、言われたが、レスラーはもっとすごい。春子なんて、まだまだなのだ。今日も、真希子に無理を言って休ませてもらわなくても、よかったかな。

 思い出の詰まった、高校を、後にすると、春子は家に帰った。久しぶりの家は、懐かしい気持ちだったがこの居心地の良さに、浸っていたくなかった。デビューするまでは、家に、帰るのはやめよう。春子はそう、決心して山谷の家に、行った。

「貴ちゃん、久しぶりに、出かけよう」

「春子。プロレスを諦めて、帰って来たのか? 」

「今日は、卒業式だったから、帰って来たの。でも、無理して出席するより寮でトレーニングをしていた方が良かった」

「いいじゃないか。高校を、卒業するとなかなか会えなくなるぞ」

 春子は、山谷の車椅子を、押した。なんとなく、軽く感じた。

「貴ちゃん、体重減った? 」

「いや。変わってない。春子の筋力が、ついたんじゃないか」

「そうかな。あまり、変わってない、気がする」

「そうでもないぞ。レスラーっぽい、体格になって来た」

「でも、先輩たちと、比べるとまだまだ。いつになったら、デビューできるのか」

「焦らなくても、俺はいつまでも、待っているぞ。しっかり、怪我をしないように、鍛えてもらえ」

「わかっているよ。そのために、きつい練習に、耐えているんだから」

 春子は、山谷に会って、良かったと、思った。正直なところ、美知子と、道場に向かう途中このまま逃げようと何回も、思った。しかし、2人とも寮に、帰った。実際、寮を抜け出して、戻ってこなかった練習生もいる。その度に、残ったものが、叩かれた。それは、おそらく、責任感を、持たせるためだと、思っている。プロレスラーとして、リングに上がったらどんなに、痛くても、逃げる事は、できない。それを、教えてもらっていると、思う。春子は、常にポジティブに考えるようにしていた。

 翌朝、春子は寮に戻るため電車に乗った。卒業式には、運転免許を取った人は車に乗って来た。本当は、禁止されていたが、見つかっても大目に見てもらえた。春子は、教習所なんて行かせてもらえないから電車に乗るしかない。1人だと、本気でこのままどこか遠くまで行ってしまおうと、考えてしまう。しかし、春子がたどり着いたのは、寮だった。まだ、静かな道場を抜けて練習生の狭くて暗い部屋に、入った。美知子達が、嬉しそうに声を掛けてくれた。

 その日の練習後に、真希子が春子を呼んだ。春子は、事務所に行くとそこには真希子と高藤清子がいた。

「多山。よく、帰ってきたな。ご褒美に、清子の付き人にさせてやろう。一歩、デビューが近づいたわけだが、今まで通り、真面目に、練習しないと、私と清子から、ボコボコにされることを、忘れるな」

 清子は、タイトルも、とったことがあって、ビジュアルもいいので、人気選手だ。春子にとって、これほど嬉しいことはない。

「ありがとうございます。多山です。よろしくお願いします」

「よろしく。真希子、ありがとう。ちょっと、2人で話したい」

 真希子は、春子を睨んでから、出ていった。

「本当に、ありがとうございます。私、高藤選手のために、全力で頑張ります。よろしくお願いします」

「あなたは、頑張っていたからね。私は、真希子みたいに厳しくするつもりはないけど、試合で負けた後とかは、何するかわからないし、承知していると、思うけど試合中は付き人だろうが練習生だろうが、手を出すレスラーもいる。だから、今までより、忙しくなるけど、トレーニングだけはしっかりやってね」

 春子は、清子に、付き人としてやることを、聞いた。しかし、春子は他のレスラーが、付き人をこき使っているのを、見ているが、清子はあまりそんな感じではなかった。


 それから、数カ月経ってついに、春子のデビュー戦が決まった。清子が、春子をタッグパートナーに指名してくれたのだ。さらに、清子は自分のファンに、呼びかけて春子のコスチューム代を、集めてくれた。そして、清子のコスチュームに近い、真っ白なものが届いた。清子のものより、少しハイレグなのが、気になるが、嬉しさの方が圧倒的に、優った。

 このことが、決まるまでも、春子にもいろいろあった。練習生の先輩からは、シカトされた。それも、美知子にもされたのは、ショックだった。同じ、付き人をやっている、仲間たちは春子が、楽過ぎると文句を、言った。清子はそう言うことを、耳にすると、本気で、怒った。それを、春子が止めるようとするが、聞き入れてはくれなかった。

 また、試合中に春子が狙われていると体を張って守ろうとしてくれた。しかしどうしようもない、状況もあるので、椅子などの攻撃も、受けた。それでも、清子は試合に負けても春子にあたることはなかった。ただ、トレーニングや、練習の時の清子は、厳しい。トレーニングで、課されたメニューの途中でできないと少し、休憩して、最初からやり直しになるし、練習では、周りが引くほど本気の技を、受けさせた。

 春子は、清子の技を何回も、受けたが、技を教えてもくれた。サッカーで、培った、蹴り技や柔道で覚えた関節技など、相手がどういう体勢になった時に、仕掛けるか体で覚えさせた。また、ダブルの攻撃も、いくつか練習した。これは、清子が春子を認めてくれたようで、すごく嬉しかった。

 清子は、デビュー前日の練習後に、春子を食事に誘った。もちろん、断るはずがない。清子は、春子がまだろくなものを、食べていないだろうと度々誘う。巡業などの時も、ほかの選手の付き人は、選手と、同じものは、食べさせてもらえないのに、清子は春子をいつも、隣に座らせた。清子は、先輩後輩問わず、多くのレスラーから、慕われているので、春子は、何も言われなかった。

「高藤さんの付き人になって、私は幸せです。こんなに早く、デビューを迎えるとは思っていませんでした」

「多山が、頑張ったからだよ。私の付き人でデビューまで、たどり着いたのは、初めてだ」

「そうなんですか? てっきり、高藤さんは付き人とか必要とされていないかと、思っていました」

「そう、思っていた。でも、多山なら、良いかと思ったんだ」

「ありがとうございます。これからも、高藤さんのために頑張ります」

「これからは、自分のためにも、頑張れよ。デビューが、ゴールじゃないだろ」

「はい。明日は、高藤さんの足を、引っ張らないようにします」

「あやみも、忍子も、多山よりキャリアは、上だ。しかも、技術もある。そんなことは、気にせず思い切って技を出せ」

 今岡あやみと、三藤忍子が、明日の相手だ。2人とも、3年目で、プライベートでも仲が良い。だから、息もぴったりだ。

「わかりました。私の技を、全部受けてもらえるようにします」

「よし、勝つよ。多山にとって、大事なデビュー戦だ。きっと、2人は多山を狙ってくる。耐えれば、チャンスは来るから」


 いよいよ、試合開始のゴングがなった。

 カーーン!

 プロレスラーとして、デビュー戦を迎えた多山春子はどんなレスラー人生を歩むのか。

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