9話125cmの支配者
「ユキちゃん、やってくれたわね」
スマホから聞こえる青木さんの声は、ずいぶんと疲弊している。当然でしょうね。「やってくれた」?あの文芸誌へのリークのことなら、自業自得だわ。理想ばかり語って、足元がお留守だったのよ。
「何の事かわからないけど、ご自身の甘さでは?取り込み中なので失礼しますね、青木さん。懲戒がどうなるかわかりませんが、がんばってくださいね」
一方的に通話を切る。障壁だったが利用できた、あの女の声を聞いているのは時間の無駄だ。
「失礼しました。よろしくお願いします」
店員さんに事務的に告げる。これで、私の明王義塾の制服が手に入った。試着室で袖を通す。濃紺のブレザーに、チェックのスカート。姉さんの通っていた公立の制服も、実は可愛らしいデザインだったと記憶している。もし私がそちらの高校の生徒だったら、あの制服に袖を通して通う日々も、案外悪くなかったかもしれない。もっとも、実際に入学するのはこちらの明王義塾だけれど。姉さんは全国統一能力テストで失態を演じて幼稚園に落第。代わりに私が、姉が本来通うはずだった高校の3年生として迎えられる可能性もあったのだと思うと、黒いユーモアを感じるわ。
採寸には母親と来た。成長を見越して、と母親は言っていたけれど、125cmの私には明らかに大きすぎる。特にブレザーの袖は手の甲まですっぽりと隠れてしまうほどだ。もっとも、私がこの制服を着るのは、飛び級で入学する高校の1年間だけ。そんなに急激に成長するはずがない。まるで、今の私の小さな身体を嘲笑うかのように、オーダーメイドで作られたはずの制服は大きすぎた。それでも、袖を通した時の満足感は大きかった。この制服が、私の新たなステージへの切符なのだから。
11歳でこの名門校に入る。姉さんとは違う、選ばれた人間だけが進むことができる道。
再びスマホが震える。画面には母親の名前が表示されている。再び小さく息をつきながら、通話に出た。
「もしもし、お母さん?」
『ユキ?ごめんね、急なんだけど、ちょっと熱が出ちゃって……』
母親の声はいつもより弱々しい。
「熱?大丈夫なの?」
『うん、まあ、大丈夫だと思うんだけど……今日、サトミのお迎え、お願いできないかな?』
(やっぱり)
私の飛び級と、姉さんのまさかの落第。あれ以来、母は職場でも近所でも、好奇の目に晒されているのだろう。その心労が祟ったのかもしれない。
「わかった。迎えに行くよ。熱あるなら何か買って帰ろうか?」
『ああ、そうそう。サトミちゃんのおむつ、幼稚園から言われていたの。ドラッグストアで一袋買って、幼稚園に届けておいてくれる?お金はスマホに転送しておくわ』
「わかった。おむつ買って、そのまま幼稚園に行くね」
『ありがとう、本当に助かるわ。無理しないでね』
「大丈夫だよ。お大事に」
通話を終える。制服のまま、私服を体操服とともに紙袋に入れてもらい、店を出る。
そして、アプリでタクシーを呼ぶ。
「すみません、まず近くのドラッグストアまでお願いします。そのあと、附属幼稚園で1人拾って、この住所まで」
タクシーに告げ、私はシートに深く腰掛けた。
サトミちゃんの診断は過活動膀胱。あれは私が利尿剤で作り出したもの。病院での説明も、そう診断されるように誘導した。私の目的は、抗コリン薬。あれのおかげでサトミちゃんはもう、溢流性尿失禁に近い状態のはず。『気がついたら漏れている』って感じ。毎日、水筒に入れている利尿剤が、さらにそれを酷くしている。
1週間続ければ、尿道括約筋にも影響を及ぼし、溢流性尿失禁の症状から括約筋がうまく閉じない状態になるはず。そうなれば、普通におもらししちゃう子になる。同様におねしょも毎晩だろう。
おばあちゃんの家にあった利尿剤は1週間分。抗コリン薬は1ヶ月分ある。それが切れても、括約筋は緩いままだし、我慢しなければ、膀胱自体も小さくなる。何より本人がもう『おむつでおしっこするのが当たり前』の精神状態になっているはずだ。
ドラッグストアに到着し、私はすぐにベビー用品コーナーへ向かった。目当てのスーパービッグのサイズのおむつを一袋手に取り、会計を済ませる。再びタクシーに乗り込み、運転手に告げた。
「次は、附属幼稚園までお願いします」
タクシーが、あの特徴的な黄色の看板の幼稚園の門を通過する。
「泉です。姉のサトミちゃんのお迎えで来ました」
そうして案内された教室には意外な人物がいた。
「竹中先生、姉がお世話になっています」
私が年長の時の担任だが、その時とは幼稚園が違う。目元に皺が増え、髪の毛に白いものが混じり、月日の流れを感じる。
「あら、ユキちゃん?すっかり大人になっちゃって!あれ?でもなんかおかしいような?だって、ユキちゃんが卒園したのは6年前よね?もう高校生なんだ……」
竹中先生は、そう言って懐かしいように笑った。
「はは、先生にお世話になったのは 6年前ですからね。飛び級です。明日から高校3年生になります」
そう言って、横目でサトミちゃんを見る。驚愕した表情に満足感を得て、私は笑った。




