5.ユキの暗躍(後編)
「サトミちゃんを病院に連れていこうと思うのですが?」
青木さんの言葉に、母親は少し言葉を濁した。
「もちろん、最終的な判断はお任せいたします。しかし、もしご希望でしたら、こちらで費用は全て負担いたしますし、今からでも、連携している医療機関を受診することが可能です。いかがでしょうか?」
母親は少し悩んだ後、サトミちゃんの顔を見た。
「……わかりました。ただ、今日は私も」
「でしたら、お母様の代理として、ユキさんとサトミちゃんでお越しいただくのはいかがでしょうか?私もご一緒させていただきます。」
私は内心でほくそ笑んだ。病院行きは当然、私の計画のうちだ。
「はい、構いません」
すぐに話はまとまり、私たちは青木さんの運転する灰色の高級車に乗り込んだ。
「能力テストのこと聞いたわ。おめでとう」
サトミちゃんに関してかと思ったら、私の話だった。
「ありがとうございます。でもまだ内緒で」
私は後ろに座るサトミちゃんを気づかれないように指差した。一瞬、虚を突かれたような顔になった青木さんは、
「そもそも、こんなテストがなければいいのに」
と呟くように言った。
「私はいい制度だと思いますけど?能力テストができて、イジメは減ったし、年功序列なんて言葉は完全に死語になった。メリットの方が多いと感じますけど?」
そう、この法律ができてイジメは減った。正確には、テストでワザと留年すれば学年が変わり、イジメから逃げやすくなった。先輩・後輩なども曖昧になり、部活も実力主義になった。もっといえば、留年・落第した人数が500人程度に対して12万人が飛び級している。それは各家庭の子どもにお金を取られる期間が圧縮された事を意味する。その結果出生率は少しだけ向上した。
「相変わらず、合理的ね。イジメだって被害者が逃げてるだけで、根本的な解決にはなってないし。年功序列だってセットだった永年雇用がなくなったせいで、収入が不安定な人が増えたじゃない。それにサトミちゃんやユキちゃんみたいな子もいるわけだし」
青木さんのこういうところに騙されてはいけない。理想論を語りながら、この人こそがサトミちゃんの落第をマスコミにリークし、原因をでっち上げの「膀胱炎」とする事で世間からサトミちゃんが世間から冷たい目で見られるのを防ぎつつ、自分の目的である制度そのものへの批判も加速させた人物なのだ。
「何でも犠牲者はつきものだと思いますけど?それこそ、交通事故死者をなくすために、自動車を禁止するようなものかと」
青木さんが何か言い返すために息を吸った瞬間。後ろから、笑い声がした。
「あははは、2人とも仲が、ううん。相性がいいんだね」
呑気に後部座席からサトミちゃんが言った。
そうしているうちに、目指す国立病院が見えて来た。車を駐車場に停めて、建物の中へ。受付を青木さんが済ませると、看護師の案内ですぐに尿検査が行われ、各種検査もスムーズに行われた。
(これが国家権力か!)
私は内心驚いた。私がインフルエンザで高熱の時でも、1時間以上待たされて、やっと順番だった事がある。明らかに他の患者さんより進行が早い。
そして、医者の問診となった。サトミちゃんは恥ずかしいのか口を開かないので、私が答えた。
「急に尿意が来て、トイレに間に合わなかったらしいです。それが今日だけで複数回起こってます」
症状と検査結果をみて、女性医師は、
「過活動膀胱でしょうね」
医師の診断に、サトミちゃんは黙ったまま。青木さんがすぐに口を挟んだ。
「この症状、ストレスが原因だと思うんですが…学校のことで、かなりプレッシャーがかかっていたので」
医師は頷きながら答えた。
「確かに、精神的な負担が引き金になることは多いです。ただ、症状の改善には少し時間がかかるかもしれません」
「治療ですぐに治りますか?」
と私。
「いいえ、薬で症状を和らげることはできますが、すぐに治るわけではありません」
私はさらに質問を続けた。
「薬って、一ヶ月分とか処方できますか? 次回の受診が月末になるかもしれません」
医師は一度青木さんを見てから、頷いた。
「可能です。しかし、もし症状が悪化した場合は早急に来院してください」
青木さんはうなずきながら、静かに口を開いた。
「それで、お願いします」
診察を終え、会計を済ませて車に戻ると、私たちの間にはしばし静かな空気が漂った。後部座席で舟を漕いでいたサトミちゃんを横目に私が問いかけた。
「青木さん、あの女性医師、明らかに青木さんを意識してたよね?」
青木さんは少し苦笑いを浮かべながら答えた。
「ユキちゃんにはバレバレか。でも、診察自体は本当よ」
私は冷たく言葉を返した。
「これも週刊誌に言うの?」
青木さんは少しだけ視線を外してから、返事をした。
「サトミちゃんには悪いけどね。けれど、今回も『落第のストレスで過活動膀胱を発症した』となるはずよ。そうすれば世間はまたサトミちゃんに同情するわよ」
私は黙って、内心ではスマホが確実にこの会話を録音していることを願った。青木さんはそのことを気にする様子もなく、続けた。
「病気の件は、幼稚園にも報告しておくね。病気ならわかってくれると思うわ」
その瞬間、私は確信した。計画のすべてのピースが揃ったのを感じた。私も着々と次のステップに進んでいた。
家に帰り、青木さんの報告を受けた母親は、サトミちゃんの病気を聞いて少し安心した様子を見せた。
そしてその夜、ネットニュースに次のような記事が出た。
『幼稚園に不当に落第させられた女子高生、ストレスにより病気に!』
青木さんのキャリア官僚としての仕事の早さに、私は少し驚いた。しかし、私は負けていられない。心の中で次の手を打つ準備をしながら、私はスマホを取り出した。
『文芸秋春編集部様。匿名で失礼します。文部科学省の課長補佐が全国統一能力テストの件で機密情報のリークをしている証拠の音声データを添付します』
送信ボタンを押した瞬間、私は静かに心の中で呟いた。
「さよなら、青木さん。理想論は寝て言おうね。」




