2.ユキの独白
姉さんのこと?ああ、ゴキブリと一緒だよ。視界に入るだけで鳥肌が立つ。あの優等生ぶった顔、私を見下す時の冷たい目。思い出すだけで、胃の奥が黒いドロドロとしたもので満たされる。
去年の今頃。全国統一能力テスト。私はインフルエンザでボロボロだった。熱で頭は回らないし、体は鉛のように重い。それでも必死に解答用紙に向かった。少しでも点を取らなければ、また一年、あの酸っぱい毎日を繰り返すことになる。結果は散々だった。30点。偏差値25。無情にも、私の留年は決定した。
卒業式の日。今日で着納めとなる制服に身を包んだ同級生たちが、希望に満ちた足取りで学校を後にするのを、私は一人、教室の隅から見ていた。姉さんはというと、私の留年が決まったことをどこか喜んでいるような、優越感に浸っているように見えた。姉さんの存在は、私にとってさらに重い現実を突きつけるものだった。
姉さんのインフルエンザが私にうつった。直接的な証拠はないけれど、あの時、風邪気味だったのは姉さんだけだった。あのインフルエンザさえなければ、私は留年なんてしなかった。目指していた姉の通う高校よりも偏差値の高い高校への進学も、夢で終わることはなかったはずだ。それからの1年間は地獄だった。姉さんは私のことを、会うたびに嘲笑った。
「また今年も中3か。本当にだらしないな」
その言葉が、私の心に深く突き刺さった。姉さんの存在が常に目に付き、自分の無力さを突きつけられる毎日だった。私の未来を奪ったのは、間違いなく姉さんだ。
そして、1年後。復讐の機会は予期せず訪れた。おばあちゃんの部屋で見つけた、小さな白い錠剤の瓶。ラベルには見慣れない化学的な文字が並んでいる。何気なくインターネットで調べてみると、『利尿作用』の文字が目に飛び込んできた。これだ、と思った。
試験当日の朝。私はいつものように朝食の準備をした。姉さんのマグカップに、錠剤をそっと忍ばせる。溶けるのを待って、何食わぬ顔で差し出した。
「はい、お姉ちゃん。今日も頑張ってね」
姉さんは何も疑うことなく、それを一口、二口と飲んだ。
「ありがとう」
と言って出ていく姉さんの背中に、私は心の中で低い声で囁いた。
(今年はアンタの番だよ!)
試験中、私は自分の席で、姉さんの状態を想像していた。腹痛、そして抑えがたい尿意。集中なんてできるはずがない。
帰宅した姉さんは、いつものように自信に満ちた顔をしていなかった。制服のブレザーの下に着ていたジャージを見て、私は姉さんの計画がうまくいったことを悟った。
「今年は大丈夫そうだよ。お姉ちゃんは?」
と私が尋ねると、姉さんは言葉を濁した。その様子を見て、私は小さな勝利を確信した。せいぜい、私と同じように高2をもう一度やればいい、と。
しかし、3週間後。担任の先生から告げられた姉さんの結果は、私の想像を遥かに超えるものだった。「幼稚園への再編入」。私は自分の耳を疑った。まさか、そこまで罰が下るとは。少しやりすぎたかもしれない、という小さな罪悪感が胸をよぎった。
姉さんの幼稚園の制服が届いた。小さな黄色い帽子、見慣れない子供服。入園準備が進むにつれて、私の心は複雑な感情に捕らわれていった。
それでも、どうしても納得できないことがあった。それは、世間の論調だ。
数日後、ネットニュースで姉さんの記事を見つけた。『全国統一能力テストで前代未聞の事態!女子高生が膀胱炎で失禁、幼稚園に落第』。信じられない。膀胱炎?そんなわけがない。利尿剤を飲ませたのは私だ。それなのに、世間は姉さんのことを運の悪い子だと同情し、幼稚園に落とされたことをセンセーショナルに面白がっている。
私が去年、インフルエンザで不当に留年させられた時は、「だらしない」と周囲に後ろ指を指されたのに。この二重基準に、私の内なる黒い炎が燃え上がった。
4月の入園初日。私は、再び錠剤の瓶を手に取った。今度は、もっと効果的な方法を考えていた。姉さんは新しい制服に身を包み、重い足取りで家を出て行った。世間の同情など、簡単にひっくり返してやる。姉さんの不幸は、まだ始まったばかりなのだから。




