1、全国統一能力テスト
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張り詰めた全国統一能力テストの会場。サトミは息を殺すように
「……っ」
と小さく呼吸を詰めた。握りしめたシャーペンが、滲む脂汗で滑りそうだ。迫り来る波に、全身が硬直する。
(だめだ……!ここで気を緩めたら、すべてが終わる……!)
得意の国語でさえ、今は頭の中で文字が踊り、集中など到底できる状態ではない。しかし、それ以上にサトミを困惑させていたのは、急に襲ってきた強烈な尿意だった。
(な、なんだろう……この急な感じ……)
普段なら容易に解けるはずの最初の漢字の書き取り問題が、今日は霞んで見える。冷や汗が額から流れ落ち、呼吸は浅く速い。周囲のページをめくる音、誰かの小さな咳払いさえも、今のサトミにとっては意識を掻き乱す騒音でしかない。
(まさか……こんな時に。どうして急に……?)
トイレに行きたいという抑えがたい衝動が、サトミの意識を支配していく。しかし、ここで席を立つわけにはいかない。全国統一能力テストは、彼女にとって将来を左右する重要な試験なのだ。
(耐えろ……!耐えるんだ……!まだ、大丈夫……!)
しかし、一度意識してしまった生理的な欲求は、もはやサトミの理性など容易に超越する、意地悪な獣のようだ。ゆっくり、しかし確実に、彼女の自制心を内側から破壊していく。
(もう……限界、かも……!)
次の瞬間、サトミの呼吸は完全に止まり、彼女の自制心は、小さな滝の音と共に、脆くも崩れ去った。
普段通い慣れた高校の教室。全国統一能力テストの張り詰めた空気の中、小さく、けれど確かに響く液体の漏れる音。
高校二年生の冬、サトミは人生最大の失態を犯した。
シャーペンを握る手に脂汗が滲んでいた。見慣れた教室、見慣れた机。得意の国語が始まったばかりだったが、その異変は突然訪れた。焦りと不安が押し寄せ、腹部に奇妙な圧迫感を感じ始めたのは、試験開始から間もない頃だった。
(まさか……こんな時に)
サトミは必死に気を紛らわせようとした。深呼吸を繰り返し、問題文に目を凝らす。しかし、一度意識してしまった生理的な欲求は、まるでダムが決壊するように、彼女の自制心を軽く奪い去った。
温かい液体が椅子を濡らし、スカートに染み込んでいく感触。周囲のクラスメイトたちが奇妙な視線を向けてくるのが分かった。前方の試験監督を務める担任の先生が、奇妙な音に気づき、こちらを見ようとしている。顔がカーッと熱くなり、サトミは意識が遠のくのを感じた。
「す、すみません!」
震える声で挙手し、サトミは試験監督の先生に言うのがやっとだった。状況を察した担任の先生の顔が険しく歪む。
当然、試験は途中退席となった。全国統一能力テストの規則では、発熱が37.5℃を超える場合や、事前に診断書を提出した入院中の場合を除き、いかなる理由であれ途中退席した科目は0点となる。体調不良や生理現象も例外ではない。サトミは規定の条件に該当せず、全教科0点という評価が下された。残されたのは、拭いきれない羞恥心と、濡れた制服の冷たさだけだった。
数週間後、サトミは母親と共に担任の先生に職員室に呼ばれた。重苦しい雰囲気の中、担任の先生は通知書の内容を改めて説明した。
「ご存知かと思いますが、近年、少子高齢化による人手不足や教育現場の課題が深刻化しており、政府は優秀な人材の早期育成と教育水準の維持を目的として、この『能力別適正教育推進法』を制定いたしました。今回の全国統一能力テストは、その法律に基づいて実施されたものです。そして、今回の結果、高校生が幼稚園児相当と判断され、実際に幼稚園への再編入を命じられたのは、サトミさんが全国初のケースだというのです。」
「全教科0点という結果も異例ですが……」
担任の先生は、言葉を選びながら言った。
「それに、途中退席の理由が……その、失禁、つまりおもらし、という点が、総合的に判断されたようです。『能力別適正教育推進法』では、表向きにはAI技術を活用した個別最適化教育を目的としていますが、学力だけでなく、年齢に応じた自己管理能力も重要な評価項目となっております。過去には、小学生のケースで同様の理由で下位の教育段階へ再編入された事例が10例ほどございますが、高校生ではサトミさんが初めてとなります。」
母親は信じられないといった表情で担任の先生を見つめ、サトミは顔から火が出るほど恥ずかしかった。
(そんな……
おもらしで幼稚園に落第なんて信じられない……
しかも、高校生では私が初めて……)
まさか、学力だけでなく、そんな理由で幼稚園に逆戻りすることになるとは。
一方、妹のユキはというと、昨年の全国統一能力テストでインフルエンザによる体調不良が重なり、30点を獲得したものの、中学三年生全体の偏差値で換算すると25と落第寸前だったため、現在中学三年生をもう一年やり直している。サトミは、普段から成績が伸び悩むユキのことを内心では少し見下しており、「また今年も中3か。本当にだらしないな」とさえ思っていた。
まさか、そんな妹の昨年の状況とは全く異なる理由で、自分の高校生活がありえない方向に変わってしまうとは、この時のサトミは想像もしていなかった。
ごく普通の女子高生だったサトミの、全国初のありえない幼稚園生活が、こうして幕を開けることになった。しかし、彼女はまだ知らない。この不運の裏には、妹の隠された復讐心が潜んでいることを……。




