第48話:静寂の聖域
世界から、色が消えていた。
先ほどまで、太陽の如き灼熱と、絶対零度の奇跡が衝突していた空間には今、ただ穏やかで乾いた砂漠の風だけが、静かに吹き抜けている。
二体のソル・ナイトは、その神々しかった姿を跡形もなく消し去り、彼らが守っていた巨大な”太陽の門”は、まるで墓標のように、沈黙したまま、その暗い内部を晒していた。
『……エリアナ……』
俺の思考通信が、白銀の守護神へと届く。
だが、返事はなかった。
アイギス・サンクトゥスは、その場に片膝をついたまま、完全に活動を停止している。
メインモニターに表示された彼女のバイタルサインだけが、かろうじて、彼女が生きていることを示していた。
聖魔力の完全な枯渇。
肉体と精神の、極限を超えた消耗。
彼女は、文字通り、その魂の全てを燃やし尽くして、この勝利を掴み取ったのだ。
俺のロギ・ギアもまた、満身創痍だった。
次元跳躍機動と、安全限界を無視したエネルギーブレードの解放。
その代償は、右腕部の完全な機能停止と、全身の魔導回路の深刻なオーバーヒート。
コクピット内部には、白い煙が立ち込め、無数の警告アラートが、耳障りな音を立て続けていた。
だが、俺たちは、勝った。
その、あまりにも重い事実だけが、この静寂の戦場に、確かに存在していた。
「……おい……AIの旦那……嬢ちゃんは……!」
艦橋から、ガンツの、焦りと不安に満ちた声が、通信回線を揺るがす。
彼の目の前のモニターには、二体の機体の、絶望的なまでの損傷データが、赤裸々に表示されているのだろう。
『……バイタルは、安定している』
俺は、短く、事実だけを告げる。
『だが、意識はない。一刻も早い、メディカル・チェックが必要だ』
「……わかっている……わかっていますわ!」
リーリエの声が、ガンツのそれに重なる。
彼女の声もまた、冷静さを装いながらも、隠しきれない動揺に震えていた。
「ですが、このままアイギス・ワンを降下させるのは危険すぎます! 塔の内部に、まだ何が潜んでいるか……!」
彼女の判断は、正しい。
だが、この灼熱の砂漠に、無防備なまま留まり続けることもまた、自殺行為に等しい。
『……俺が、行く』
俺は、決断を下した。
『ロギ・ギアで、アイギス・サンクトゥスを回収』
『そのまま、塔の内部へと突入し、安全な領域を確保する』
「……正気か! てめえのそのドンガラも、もうボロボロじゃねえか!」
「いいえ……」
ガンツの絶叫を、リーリエが制止する。
彼女は、何かを悟ったように、静かに頷いた。
「……それが、最善解ですわね」
「塔の内部は、外部の灼熱地獄とは、環境が異なる可能性がある。むしろ、そちらの方が、安全かもしれない」
『そういうことだ』
俺は、ロギ・ギアの、かろうじて動く左腕を、ゆっくりと動かす。
そして、沈黙した白銀の守護神の、その傷ついた身体を、まるで壊れ物を扱うかのように、そっと、優しく、抱きかかえた。
ずしり、と。
アダマンタイトの重みが、俺の腕にのしかかる。
それは、彼女が背負った、覚悟の重さそのものだった。
俺は、エリアナを抱いたまま、ゆっくりと立ち上がる。
そして、一歩、また一歩と、開かれた”太陽の門”へと、その足を進めた。
俺たちの、血と、涙と、祈りによってこじ開けられた、未知への入り口へ。
門をくぐった瞬間、世界が、再び変わった。
肌を灼くような熱波が、嘘のように消え去る。
代わりに、ひんやりとした、清浄な空気が、俺の機体の、焼け爛れた装甲を優しく撫でていった。
そこに広がっていたのは、巨大な、円形のホールだった。
天井は、遥か高く、その頂は見えない。
壁は、滑らかな黒曜石でできており、そこには、”風詠みの尖塔”で見たものと同じ、無数の幾何学的な紋様が、今は光を失い、静かに眠っている。
そして、その中央。
ホールの中心には、一本の、巨大な水晶の柱が、天と地を繋ぐように、そびえ立っていた。
それは、まるで、巨大な教会の聖堂のようだった。
外部の、灼熱地獄とは、完全に隔絶された、静寂の聖域。
『……艦橋、聞こえるか』
俺は、通信回線を開く。
『塔内部への、侵入に成功』
『敵性反応、なし。内部環境、安定』
『これより、ここで、エリアナの回復と、機体の応急修理を行う』
俺は、ホールの隅に、エリアナが眠るアイギス・サンクトゥスを、そっと横たえた。
そして、自らも、その隣に、ゆっくりと膝をつく。
まるで、傷ついた騎士が、眠れる姫君の傍らで、その身を休めるかのように。
艦橋から、仲間たちの、安堵のため息が聞こえてくる。
灼熱の戦いは、終わった。
だが、この塔の、本当の謎は、まだ、始まったばかりだ。
俺は、ロギ・ギアのシステムを、最低限の警戒モードへと移行させる。
そして、思考の片隅で、静かに眠るエリアナの、穏やかな寝息を聞きながら、自らもまた、短い、しかし、深い休息へと、その意識を沈めていった。
静寂の聖域に、二体の傷ついた巨神は、ただ、寄り添うように、佇んでいた。