第44話:灼熱の心臓
戦場に、静寂が訪れた。
先ほどまで、灼熱の火球が乱れ飛んでいた黄金色の砂漠には今、黒い岩塊と化した溶岩蠍たちの無数の残骸だけが、陽炎の中に揺らめいている。
その中心で、白銀の守護神は、まるで深呼吸をするかのように、その全身から蒼い光の粒子をゆっくりと大気中へと放出していた。
敵の攻撃によって真っ赤に焼けていたアダマンタイトの装甲は、熱循環システムによってその輝きを取り戻し、今はただ、穏やかな白銀の光を放っている。
『……はぁ……はぁ……っ』
コクピットの中で、エリアナの荒い呼吸だけが、静寂を破っていた。
額から流れ落ちる汗が、顎を伝い、操縦桿を握る手に滴り落ちる。
全身の筋肉が、心地よい疲労感に震えていた。
だが、その心は、これまでに感じたことのないほどの、静かな達成感と、仲間への感謝で満たされていた。
『……できた。私、できたんだ……!』
彼女は、メインモニターに映る、黒い残骸の山を見つめる。
かつて、自分の力が暴走することを恐れていた少女は、もういない。
仲間を信じ、自らの意志で、絶望的な戦況を覆した。
その事実が、彼女の魂を、また一つ、強く、そして気高くさせていた。
『……よくやった、エリアナ』
俺の、穏やかな思考通信が、彼女の意識に流れ込む。
それは、AIとしての単なる賞賛ではない。
共に死線を乗り越えた、戦友への、確かな労いの響きがあった。
『機体の損傷は軽微。君のバイタルも、安定している。完璧な戦闘だった』
『……ううん』
エリアナは、ふるふると首を横に振る。
『ロギさんが、ガンツさんが、リーリエさんが、いてくれたからだよ』
『みんなの力がなければ、私は、きっと、最初の火球で……』
彼女の言葉は、真実だった。
この勝利は、誰か一人の力ではない。
はみ出し者たちの、それぞれの知恵と、勇気と、信頼が、奇跡を織り上げたのだ。
「―――おい、感傷に浸ってんじゃねえぞ!」
アイギス・ワンの艦橋から、ガンツの怒鳴り声が通信で飛んでくる。
だが、その声には、隠しきれない興奮と、安堵の色が滲んでいた。
「いつまでも油を売ってると、今度こそ、本当に蒸し焼きになるぞ! 前を見やがれ!」
ガンツの言葉に、エリアナは、はっと顔を上げる。
そして、彼女は、俺も、艦橋にいる仲間たちも、その本当の脅威を、改めて目の当たりにした。
砂漠の、遥か地平線の彼方。
そこに、”それ”は、そびえ立っていた。
”太陽の揺り籠”。
それは、もはや”塔”という言葉では表現できない、異様な存在だった。
大地から、天へと突き刺さった、巨大な、灼熱の槍。
その表面は、まるで太陽そのものを削り出したかのように、赤と黄金の光で爛々と輝き、周囲の空間を、陽炎でぐにゃりと歪ませている。
その頂からは、絶えず、巨大なプロミネンスのような炎が、空へと噴き上がっていた。
あれが、この死の大地を生み出している、元凶。
惑星の地熱を制御するシステムが暴走した、成れの果ての姿。
ゴオオオオオオオオオ……。
地鳴りのような、低い唸り声が、大気を震わせる。
塔が、俺たちの存在に気づいたのだ。
先ほどの溶岩蠍たちとは、比較にすらならない、圧倒的なプレッシャー。
まるで、星の心臓そのものが、怒りを露わにしているかのような、絶対的な存在感。
『……警告』
俺は、ロギ・ギアのセンサーが弾き出した、絶望的なデータを、冷静に告げる。
『対象から、超高密度の熱エネルギー波を検知。アイギス・ワンのシールドでは、防ぎきれない』
『このままでは、都市の機能が停止するまで、予測時間、1800秒』
「……30分、か」
ガンツが、ゴクリと唾を飲む。
「つまり、それまでに、あのイカれた太陽の心臓を、黙らせろってことか」
「……無茶ですわ」
リーリエが、青ざめた顔で呟く。
「あれほどの熱量の塊に、どうやって近づくと……? アイギス・サンクトゥスの熱循環システムも、あの中心核の熱を処理しきれるとは、到底思えません」
艦橋に、再び、重い沈黙が落ちる。
雑魚を殲滅した勝利の余韻は、一瞬にして消え去り、目の前には、さらに巨大な絶望が、その顎を開けて待っていた。
だが、エリアナは、もう、下を向かなかった。
彼女は、メインモニターに映る、灼熱の巨槍を、まっすぐに見据える。
そして、静かに、しかし、確かな決意を込めて、言った。
「――行こう、ロギさん」
彼女の声は、震えていなかった。
「あの塔も、きっと、苦しんでる」
「風の塔の時みたいに、助けてあげなきゃ」
その、あまりにも純粋で、あまりにも無謀な言葉。
だが、その言葉こそが、俺たちの、唯一の道標だった。
『……了解した』
俺は、静かに応える。
論理的な思考は、すでに限界を超えている。
ならば、信じるしかない。
この、聖女の”祈り”の力を。
そして、俺たちの、絆の力を。
『――全機、最大戦速』
『目標、”太陽の揺り籠”、中心核!』
俺の号令と共に、蒼き賢者と、白銀の守護神は、再び、その翼を動かした。
絶望的な灼熱の心臓へと、二筋の流星となって、突き進んでいく。
それは、神話への挑戦。
あるいは、愚かなる飛翔。
二番目の試練の幕が今上がった。