第一話 あまり考えないで、魅魔は口の位置が人と違うだけだ
気がつくと、彼は薄暗い路地の端に立っていた。そして、その右側には、汚水の流れる排水溝があった。
なぜそれを最初に目にしたのかと言えば、単に体調不良と混乱から足元がふらつき、そこへ落ちてしまったからに過ぎない。
排水溝は膝丈ほど深く、肩幅よりわずかに広いため、彼は全身を汚水に浸すことになってしまった。幸い、即座に反応し、手を溝底につくことができたため、うつ伏せになって汚水をがぶ飲みする事態は免れた。
冷たい水が体内から発せられる灼熱を短時間で鎮めることはできなかったが、このわずかな時間で、突然の変事から我に返るには十分だった。
彼は排水溝から這い上がるのに苦労した。石畳の路面はまだ濡れており、雨が上がったばかりのようだった。深夜の通りは人っ子一人おらず、ぽつんと立ち並ぶ街灯だけが空虚な路面の両脇にそびえていた。
街灯の様式は少し風変わりで、彼の知る一般的な街灯に比べると光は弱い。電球の中には、蛍石のような発光体が入っているようだ。彼はそんなことにはあまり気を留めず、代わりに、まだ幾つか灯りのついた商店街の建物を遠くに見やった。
彼が知る現代建築の様式ではない。ここにあるものはすべてが非常に見知らぬもので、まるで異世界に来てしまったかのようだった。
街灯の中に入っているのは、発光する魔石かもしれない? 何せ灯柱は中実の木の棒のようなもので、電線が通っている様子は全く見えないのだから。
とにかく、今自分がどこにいるにせよ、まずは一時的に身を寄せられる場所を探さねばならない。寒さはさほど感じなかったが、裸でびしょ濡れのまま大通りに立っているのは、どこであっても良いことではないだろう。
まだ誰にも見つかっていないうちに。
彼には既に漠然とした危機感があった。自分は本来、ここにいるべき存在ではない。そして今の姿は、異端者として見られかねない。
もし今、自分が誰かに見つかったら、どうなるだろうか? 街の管理者に捕まってしまうだろうか? おそらくそうだろう。裸で街を歩いていれば、捕まるのは当然だからだ。
彼はそんな事態は望まなかった。
冷たく硬い灯柱にもたれかかり、彼は次に自分が行くべき場所をどう選ぶべきか思索を巡らせ始めた。
もちろん、それ以前に、彼がもっと気にかけていたのは、この体の内側から発せられる灼熱の源だった。彼は本能的に下を向いた。
さて、さらに硬いものを見つけた。
へそを割るように開いた物体の向こうに、彼は自分の下腹部にある刺青を目にした。
薄暗がりでは刺青の細部までは見えなかったが、そんなものは自分の身体に起きた変化と比べれば、取るに足らない些事に過ぎなかった。
サキュバス。
自分の下腹部にあるあの独特な刺青を見た瞬間、彼の脳裏には自然にこの言葉が浮かんだ。
何せ人間は、こんな奇怪な物体を生えさせるはずがない。彼に下腹部に刺青を入れる趣味もない。刺青というよりは、生まれつきそこにあったと言ったほうが近い。
そして、その物体を見た瞬間、彼は自分が最早人間ではないことを悟ったのだった。
そして明らかに、この物体はおそらく将来、彼の身体が生き延びるために頼る中核器官となるであろうものだった。
なぜなら、彼ははっきりと感じ取っていた。自分の腹は空っぽだと。
それは文字通りの空腹だった。長時間食事を摂っていないことによる飢餓感だけでなく、彼の腹腔内は完全に空っぽで、腸や胃といった臓器が存在しなかったのだ。空腹感はあるのに、消化器官は冗談のように消失していた。
腹を凹ませようとした時に、自分の腹皮が異常にぺちゃんこになることで、ようやくこの事実に気づいたのだ。
心臓はまだ鼓動を打ち、力強く。また、呼吸は必要で、酸素が必要な点は普通の人間と変わらない。
腹を凹ませる感覚を何度か試して体験した後、ようやく彼は下腹部にあるあの大げさな物体を隠すコツを掴んだ。
そして文字通り「陽を腹に収める」ことが、腹部の空洞を埋めた。少なくとも外見上は、ようやく彼は普通の人間に見えるようになった。
「これは…あまりにも綺麗に収まりすぎている」
彼は思わず呟いた。手を下に伸ばし、探ったが何も触れなかった。
まるで二つの極端のように、男性の特徴は完全に消失し、今となっては遠くから見れば人間の女性に似ている。
しかし、女性の特徴があったわけではない。彼は腹に収めたあの物体が、人間がそこに持つ器官と同じ機能を持つとも思わなかった。腹部に完全に収まり空洞を埋めた今、その物体はどちらかと言えば、摂食のためのものだと感じた…
摂食用の器官。
摂食と消化。おそらくそういうことだ。だが、この器官はどうやって摂食するのか? この飢餓感はどうやって和らげればいいのか?
まるで人に「どうやって食事をするのか」と尋ねるかのように、その疑問が浮かんだ瞬間、脳裏にはそれに対応する答えが既にあった。
飯を食う。口を開け、噛み、飲み込む。
ただ、彼の摂食を担う器官は人間のものとは違うのだ。
では、何なのか?
彼の心には既に答えがあった。
しかし、自分がこの姿になってしまった原因はわからなかった。彼は自分が記憶の一部を失っていることを理解していた。少なくとも、どうやってここに来たのか、なぜこんなことになってしまったのか、そのことについては何の記憶もなかった。
現時点で知っていることはあまりにも少なすぎた。彼は自ら情報を収集する必要があった。
そして、腹を満たすことも。
狩人が獲物を探す前に、まず学ばねばならないのは隠れることだ。
かつて人間だった彼はよくわかっていた。裸で大通りを歩く「人間」は、どこへ行っても目立つ存在だと。しかし幸い、今は深夜で、この通りの区間には通行人はおらず、街にはまだいくつかの灯りが残っているものの、それは24時間営業のごく一部の店舗だけだった。彼は夜闇に紛れ、既に閉店した洋服店にこっそりと入り込んだ。
潜入と言うよりは、と言うべきか。この身体は見た目はやや華奢だが、力は驚くほど強かった。その小さな店の旧式の錠は、自分でも信じられないほどの怪力でねじ切ってしまった。
錠を壊す音はさほど大きくはなかった。彼は少し体に合いそうな服を数枚手に取った。デザインは非常に古風だったが、彼には選り好みしている余裕はなかった。急いで新しい服に着替えると、その場を後にした。
立ち去る前に、彼は忘れずにドアを閉め直した。
餌が人間であり、しかも盗みを働いたが、彼は自分を善なるサキュバスだと思っていた。
先ほどの洋服店の壁には掛け時計があった。彼の認識と同じく、ここでも24時間制が使われており、今の時刻は午後11時だったが、周囲にはもう明かりのついた家はなかった。
ここにはほとんど人がおらず、真夜中に住人の家のドアを叩いても、まず開けてもらえないだろう。それに、ドアを開けるのが女性とは限らない。おそらく都心部へ行ったほうがいいかもしれない。
人間を獲物と見なすなら、彼はまた気づくべきだった。人間は遥か昔から食物連鎖の頂点に立つ存在であり、表立って彼らと敵対すれば、人間の恐ろしさをすぐに思い知らされることになると。狩人と獲物の役割は、自分の正体が人間の視界に晒された瞬間、一瞬で入れ替わるのだと。
彼はこのことをよく理解していた。彼は誰にも気づかれずに犯罪を犯すことはできるが、絶対に、絶対に人間に見つかってはならない。
さもなければ、彼の立つ人間の世界は、瞬く間に地獄へと変わるだろう。