エリス:第3話
エリス視点
彼の呼吸が、静かに整っていく。
その音を聞きながら、エリスはそっと瞼を閉じた。
夜風が草の香りと、血のような冷たさを運んでくる。
月も星もない空の下――ただ彼のかすかな息遣いだけが、
“まだ生きている”ことを確かに示していた。
ルーゼンは、まだ“縁”に立っている。
落ちてはいない。手を伸ばせば、きっと戻れる。
そう――たとえ“錯覚”であっても、彼自身がそれを信じているのなら、それでいい。
(……でも、本当にそうかしら)
胸の奥に、じくじくと疼く不安があった。
エリスは彼の額にそっと手を当てる。
触れた瞬間、微かな魔の気配が波を打ち、指先をかすめていく。
それが闇の力ではないことを、彼女はすぐに察した。
もっと深く、もっと名もなき――影のような“何か”。
(あの時、私の中の“それ”が動いたのを、確かに覚えている)
思い出すのは、血と灰の匂いが漂う戦場の跡。
崩れた石柱の下、瓦礫に埋もれるように倒れていた男の姿。
初めてその瞳を見たとき、彼女は直感していた。
この人間は、まだ終わっていない。
何かを背負い、再び立ち上がろうとしている――と。
だから、あの時。彼の命に“触れた”。
助けたわけでも、救ったわけでもない。
ただ、自分の中の“名もなき影”が、静かに共鳴しただけ。
「……貴方と出会った時も、こうして、静かに倒れていたんですよ」
ぽつりと呟いた言葉は、風に乗って夜へと消えていく。
あのとき、彼は意識を失っていた。
血に濡れ、焦げた衣に包まれたその身体は、まるで焼け落ちた剣のように冷たかった。
それでも彼の中には、確かに燃えている“何か”があった。
それは星の光に似ていたけれど、もっと曖昧で、音のように揺らぐ、不確かな輝きだった。
(あれが、今でも響いている……)
それがもし、変化していくとしたら。
どこへ向かうのだろう。
星へ還るのか、それとも別の“何か”になるのか。
エリスには、まだ分からない。
ただ、ひとつだけ確かなのは――
(あの瞬間、私の中にある影が……彼に惹かれた)
それは偶然ではなかった。
彼と出会ったその時、彼女の中に眠る“観測者”の本能が、わずかに目を覚ましたのだ。
「……ルーゼン様、今は、少しだけ休んでいてくださいね」
微笑みながら囁く声には、温もりと、わずかな冷たさが混じっていた。
彼女は、何も知らない従者のように振る舞いながら、
その体温を確かめるように、そっと手を添え続ける。
(もし、貴方がこのまま“光”へと戻ってしまうのなら……)
それは――
「……少しだけ、つまらないです」
静かにこぼれたその言葉は、彼女自身も驚くほど自然だった。
夜は、まだ明けない。
空は暗く、星も姿を見せない。
けれどその静けさの中で、彼女は“兆し”を見つめていた。
それが破滅であれ、再生であれ――
自分は見届ける。
最後まで、彼とともに。
観測者として。
そして、名もなき影を宿す存在として。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
※この作品は【夜・深夜】更新しています。
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光と闇、信仰と裏切り。
崩れゆく世界。
これは、運命に抗う者たちの物語です。
救いは、ただ祈ることで手に入るのか。
それとも――誰かの絶望の上に築かれるものなのか。
どうか、あなたの心に何かが残りますように。
それではまた暇な時にでわでわ!