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星深奏界〜星に夢見る少女と異形の騎士は何を守る〜  作者: 赤っ恥のShazara
第一章《沈黙の森にて》
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第26話:ルーゼン

ルーゼン視点

扉が消え、影も祈りも空へ還ったはずなのに、俺の掌にはまだ、陶片のぬくもりが残っていた。


 それは熱でも力でもない、もっと脆く、曖昧な何か。けれど確かに――心を揺らす“気配”だった。


 街路は静まり返っている。だが、今はそれが完全な沈黙ではないとわかる。整いすぎた街並みに、ごくわずかに歪みが生まれていた。まるで、忘れられていた“何か”が、ようやく息をついたかのように。


「……少し、空気が変わったな」


 俺の呟きに、隣を歩くエリスがそっと頷いた。


「はい。ひとつの祈りが、応えを得たのでしょう」


「応えた……か」


 それが正しいかはわからない。けれど確かに“何か”が静かに変わった。それは肌で感じている。街が問いかけてきたもの――それに、俺は応えたのかもしれない。


 だが、これで終わるほど、この空間は優しくない。


 道はまだ続いている。そして、“終わっていない問い”が、きっとどこかで俺を待っている。


「進もう。まだ……終わっちゃいない」


「ええ。けれど、今度は少し注意が必要です」


「……また、来るのか?」


「はい。反応があります。“次”が、こちらの動きをうかがっている」


 敵意か、それとも別の何かか。それはまだ不明だ。けれど、ここは記憶の外に咲いた空間。問いも応答も、常に“観測”されている。そして、俺たちはその只中にいる。


 街の角を曲がった瞬間、足元に散らばる陶片が目に入った。


 だが、それはこれまでとは異なっていた。陶片は砕け、粉のようになっていた。触れられる形すら保っていない。その粉の中央に、わずかに赤黒い染みが広がっている。


 それは、まるで――記憶の“死骸”だった。


「これは……」


「“否定された記憶”です。誰にも応えられず、誰にも祈られず、ただ消されていった記憶」


 エリスの声が、いつになく低く響いた。


「それでも……残ってるんだな」


「ええ。どんなに拒まれても、一度生まれた記憶は、完全には消えきれない」


 俺は剣に手を添えた。


 まだ終わっていない。まだ、俺に“斬るべきもの”がある。


 けれど、それはもう敵ではないのかもしれない。


 ――助けを求めている“誰か”かもしれない。


 陶片の粉末が、風もない空間でふわりと舞った。


 そのとき、俺の視界に――もうひとつの裂け目が、ゆっくりと開かれようとしていた。


 空間が、ひび割れるような音を立てる。見えない膜が裂け、そこに“それ”が現れる。


 前回のような異形ではない。形は、まだ曖昧だった。光でも影でもなく、ただ濁った色だけが、空間の継ぎ目から流れ出してくる。


「……姿が、定まっていない?」


「はい。“存在しきれなかった記憶”です。形を持つにはあまりに脆弱で、けれど、消えきれなかった――そんな断片」


 その気配は、誰かの想いにしてはあまりに希薄だった。けれど、俺の肌には、はっきりと“痛み”が刺さっていた。何も語れず、何も示せず、ただ“あったことを否定された何か”。


 視界の端で、その色が変わる。影のようなものがうごめく。人の輪郭を模しているようで――けれど、模しきれていない。


「来るぞ」


 その言葉と同時に、ぼやけた影が音もなく滑り出してきた。


 歩いているわけではない。浮いている。けれど確かに“こちらへ向かっている”。


 剣を構え、呼吸を整える。


 来い。俺が――斬ってやる。


 次の瞬間、影が飛び込んできた。刃がぶつかる。だが、手応えがない。切った感触もないまま、影の輪郭だけが霧のように崩れていく。


 その瞬間、俺の中に何かが流れ込んだ。


 ……寒さ。声のない叫び。名前のない祈り。


 ――何者にもなれなかった“誰か”の、形になれなかった記憶。


(これは……)


 これは敵じゃない。願いだ。誰にも名を呼ばれず、誰にも見られず、ただひっそりと消えた“存在の残り香”。


 それが、俺の剣に触れて、ようやく言葉を得たのか。


 次の影がくる。俺は斬る。剣を振るうたびに、“何か”が俺に語りかけてくる。


 声にならない願い。想い。問いかけ。


(……そうか)


 これは、“問い”そのものなんだ。応えてくれ、と。忘れないでくれ、と。


 なら――応えるしかないだろう。


 もう一度、踏み込む。刃が空間を裂き、影が消えるたび、“感情”だけが空に昇っていく。


 すべてが終わったとき、足元に残ったのは、わずかに光る陶片の粉だけだった。


 それは、もはや陶器ですらない。けれど、たしかに――あたたかかった。


「……応えられた、か?」


「はい。あなたが応じたから、この断片は記録され、救われました」


 俺は剣を収める。


 疲労はない。けれど、心の奥だけが妙に重い。他者の想いに触れた余韻か、それとも自分の中に眠っていた“何か”を見つけてしまったからなのか。


「……まだ、先があるな」


 前を見る。整いすぎた街路は変わらず静かだった。だが、もう怖くはない。この街は問いを投げかけてくる。なら、俺は――最後まで、それに応える。


数歩進むたびに、空気の密度がわずかに変わっていくのを感じた。整いすぎた街路が、ほんの少しだけ“個”を取り戻している。


 同じ形の建物群に、ふと、片方の窓だけがわずかに開いているのを見つけた。均一であるはずの配置に、微細な“ずれ”が生じていた。


「……ほころび、か?」


「はい。記憶が再生を続ければ、やがて変化が生まれます。固定された記憶にも、“揺らぎ”が生じるのです」


 エリスの言葉はいつも通り淡々としていたが、その声には、どこか息をひそめるような慎重さがあった。


「その“揺らぎ”の先には、何がある?」


「……“選択”です」


「選択、か」


「はい。繰り返しが終わり、忘却にも呑まれず、記憶が新たな姿へと変わるとき――そこに生まれるのは、祈りの最も純粋な形です。ゆえに、“抵抗”もまた強くなるでしょう」


「抵抗ってのは、つまり……異形か」


「そうですね。ただし、前回までのような“反射”や“断片”ではないはずです。今度は、もっと明確な――」


 言い終える前に、街路の先がふっと霞んだ。


 風が吹いたわけではない。だが、確かに空気が流れを変えた。視界の一部が揺れ、水面のように波立つ。


 そして――


 影が、また現れた。


 だが、今度は違った。


 それは人の姿をしていた。輪郭は曖昧だが、動きに迷いがなかった。幼子のように小さく、それでいてまっすぐに、こちらへと歩いてくる。


「……“誰か”だ」


 俺は呟いた。エリスは何も言わなかった。ただ、じっとその影を見つめていた。


 影は止まった。


 そして――何かを差し出すように、小さな手をゆっくりと上げた。


 その掌に乗っていたのは、かけらのような、光を帯びた陶片だった。


 形は不揃いで、先ほどの粉末とは異なり、どこか“生きている”感じがした。


「……これは?」


「……遺された選択肢、かもしれません」


「選択……されなかったもの、じゃなくて?」


「いいえ。むしろ、“選ばれようとしている”記憶……でしょうか」


 影が、もう一歩だけ踏み出した。その足取りには、迷いがなかった。けれど、どこか哀しげにも見えた。


 言葉はない。声もない。


 けれど確かに――訴えていた。


(見てくれ、と)


 俺はそっと手を伸ばし、影の差し出した陶片に触れた。


 瞬間、視界が染まる。


 ……高い天井。重く閉ざされた扉。ひとり、声を殺して祈る背中。


 それは、小さな祭壇だった。


 誰かを救いたかった“誰か”の、最後の祈り――


 けれど、誰にも届かず、誰にも名を呼ばれず、ただ記録されなかった“行為”。


 影の姿が、少しだけ明確になる。顔までは見えない。だが、肩を揺らして泣いているように見えた。


「……応えなければ、ならないな」


 俺は剣の柄に手をかけた。


 この街が問いかける限り、俺は――


 応える者であり続ける。

最後まで読んでいただきありがとうございます!


※この作品は【夜・深夜】更新しています。

ブックマーク・評価・ご感想など、何かしらの形で応援していただけると励みになります!


光と闇、信仰と裏切り。

崩れゆく世界。

これは、運命に抗う者たちの物語です。


救いは、ただ祈ることで手に入るのか。

それとも――誰かの絶望の上に築かれるものなのか。


どうか、あなたの心に何かが残りますように。


それではまた暇な時にでわでわ!

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