第23話:ルーゼン
ルーゼン視点
扉を越えた先には、静まり返った街路が広がっていた。
石畳の道は磨かれたように滑らかで、建物はすべて同じ高さに揃っている。窓の位置、壁の模様、扉の形——どれも寸分違わず、まるで同じ型から複製されたようだった。
整っている。
いや、整いすぎている。
風は吹かず、影もない。空は明るいのに、どこにも“流れ”が感じられなかった。音も、色も、ただそこに「配置」されているだけ。時間だけが上滑りしているような、静止した空間だった。
足音が響いた。だがその音も、まるで録音されたもののように、どこか乾いていて実感に乏しい。
「……やけに整ってるな」
ぽつりと漏らした声は、空気にすっと溶けた。
扉の閉まる音。振り返ると、エリスがこちらへ歩いてきていた。周囲を見回しながらも、ためらいなく隣に並ぶ。
「ルーゼン様。違和感を、感じますか?」
「感じない方がおかしいだろ。……この街、どこかで見た気がするんだ。でも思い出せない」
「構造が“整いすぎて”います。自然発生的な都市ではありません。おそらく、模倣か、再現の類です」
エリスの視線が、一軒の家に向けられる。その家もまた、完璧な均整を保っていた。けれど、灯りも生活の痕跡もなく、そこには“誰かが住んでいたことにされた”空虚だけがあった。
「模倣、ね」「何を真似たのかが問題だな」
「もし対象が明確であれば、“記憶”として成立していたはずです。ですがこれは……曖昧なまま、形だけが保たれている」
「記憶にも、物語にもなれずってわけか」
「はい。輪郭だけが置き去りにされた構造です」
ポケットの中で、陶片が震えた。手のひらに取り出すと、表面は冷たく、だが内側で脈打つような反応を示していた。
「反応してる。……あのときと、同じだ」
俺が立ち止まると、エリスも足を止める。
「この家の内部、器も椅子もありません。けれど、“存在したように見せかけられた痕跡”だけがある。配置された形だけ」
「形だけの存在、か。……気味が悪いな」
「ですが、意味のないものがこの空間に残されているとは考えにくい。何かの“必要”があったのでしょう」
玄関へと歩み寄り、扉にそっと手をかける。
「開けるか?」
「……開けなくても、ここはすでに“見られて”います」
「……ああ。俺たちを、試している気配がするな」
陶片が再び、かすかに脈を打つ。広場へと続く道の先で、何かが息を潜めている。気配が、呼吸の底に澱のように滲んでいる。
「行こう。この先に、“問い”がある」
「ええ。——応える準備は、できていますか?」
「……できてなくても、応えるしかないんだろ」
無言で頷くエリスを横目に、俺は歩き出した。
石畳に響く足音だけが、この整いすぎた世界の中で、かろうじて“生”を証明していた。
広場へと続く街路は、ゆるやかに弧を描いている。
建物の配置、窓の高さ、道幅の比率。寸分違わぬ均一性が続く光景は、あまりに完璧すぎて、むしろ息苦しさを誘った。
陶片は、歩を進めるたびに、かすかに反応を示していた。何かに共鳴している。それは明確な“記憶”の輪郭を感じさせるものではなく、忘れられ、埋もれた感情の残滓のような、どこか未整理な響きだった。
「……この空間、動いてないな。まるで、呼吸してない」
ぽつりと呟く。エリスがすぐに頷く。
「構造はすでに“固定”されています。外部からの干渉は受けつけず、変化を止めたまま……けれど、内部から微細な揺らぎが生じつつあるようです」
「つまり、“裂け目”があるってことか」
「はい。“整合”の枠を超えた部分にしか、揺らぎは生まれません」
そのときだった。
風も音も存在しないはずの世界で——確かに、音がした。
ざり……と、石畳を擦るような、乾いた低音。
「……聞こえたか?」
「ええ」
音の方角へ、自然と視線が向く。広場の端。建物の壁面に、黒い染みのような影が、滲むように現れていた。
一見すればただの汚れのようだ。けれど、それはゆらゆらと揺れている。壁の“奥”が内側からめくれ上がっているような、現実が破れかけているような——奇妙な歪みだった。
陶片が、今度ははっきりと脈打った。
——これは、警告だ。
俺は足を速め、影へと向かう。エリスも無言でついてくる。
裂け目の前に立った瞬間、空気が明確に歪んだ。
そこに、いた。
それは——人の形をしていた。
けれど、輪郭は曖昧で、目も口も存在しない。
幾層にも折り重なった“記憶”の膜が、あたかも人型を模して集まっているかのようだった。
存在に名前はなく、意味も与えられていない。けれど、それは確かに——俺たちを見ていた。
「……エリス。これは……」
「“拒絶された記憶”です。記憶の構造そのものに、否定された断片。誰にも語られず、意図的に封じられた痕跡」
俺は、剣に手をかけた。
「来るぞ」
「……はい」
異形の右腕が、袋のように垂れ下がっていた。
中に何かが詰め込まれているように、ぶよぶよと膨れ、わずかに脈動している。
次の瞬間、それが音もなく、こちらへ向かって飛び出した。
空気を裂くような気配。音はない。だが、重さだけが、ねっとりとした質量となって迫ってくる。
俺は反射的に剣を抜き、肩の高さでそれを受け止めた。
――重い。
衝撃が腕を貫き、肩へと鈍い痛みが走る。足元の石畳がきしむほど沈んだ。
存在そのものが、この空間の“整合”を壊しながら迫ってきている。
「……こいつ、本当に“生きてる”のか?」
「“残されたもの”です。誰にも見られず、語られず、記憶からも追放された断片。
それでも、消えずにここに“残ってしまった”」
「……忘れられなかった、ってことか」
「はい。強く、強く――残った想いです」
俺は力を込めて押し返し、剣を振り抜いた。
斬撃が、異形の身体を貫く。だが、手応えは曖昧で、感触すら曖昧だった。
それは、まるで存在そのものが“未定義”のまま動いているような――現実との接続が途切れた亡霊のような感触だった。
異形は一歩、後退し――そのまま、空気に溶けるように裂け目の中へ沈んでいった。
「……逃げたのか?」
「いえ。“戻された”のです。記憶の外縁にある、不整合の中へ。
この空間が、許容している“歪み”の一部として」
俺たちの前に残されたのは、再び静寂だけだった。
陶片は、まだ脈を打っていたが、その鼓動は徐々に落ち着き始めている。
沈静ではない――むしろ、何かが“切り替わった”感触だった。
「……問いが、始まったんだな」
「ええ。これが、“記憶の奥”です」
エリスは、まだ揺らぎの残る裂け目をじっと見つめていた。
その奥に潜む“名もなき想い”の残響に、耳を傾けるように。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
ちょっと台詞多めに挑戦してみました!
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光と闇、信仰と裏切り。
崩れゆく世界。
これは、運命に抗う者たちの物語です。
救いは、ただ祈ることで手に入るのか。
それとも――誰かの絶望の上に築かれるものなのか。
どうか、あなたの心に何かが残りますように。
それではまた暇な時にでわでわ!




