第20話:ルーゼン
ルーゼン視点
あの霧のような騎士たちの影が消えたあとも、俺の胸には妙な重みが残っていた。
風が変わった――そう思ったのは、歩き出してしばらく経った頃だ。
肌に触れる空気が、どこか違う。温度も匂いも大きく変化してはいない。けれど、その感触にだけ、記憶の中にはない“ざらつき”のような粒が混じっていた。
エリスの視線が、通りの隅に向けられているのが見える。彼女は何も言わないが、何かに気づいているのだろう。
先ほど見送った騎士の幻影と、残された足跡。
あれは幻ではなかった――そう確信できるだけの“痕”が、確かにあった。
思い出にも記憶にも存在しないはずの、けれど否定できない出来事の跡。
それが、整えられすぎたこの街に、わずかな綻びを刻んでいた。
俺の記憶にあるリシニアは、もっと雑然としていた。
子どもたちの笑い声。焼きたてのパンの匂い。遠くから響く鍛冶場の音。
そんなものが混ざり合って、ようやく“暮らし”というものになっていた。
静けさと喧騒の交差する中で、人が生きていたあの風景。
だが今、目の前に広がっているのは――あまりにも整いすぎた街並みだった。
壁の装飾、窓の配置、敷き詰められた石畳のパターン。それらすべてが、まるで誰かの記憶を忠実になぞるように、均整を保っている。
そこにあったはずの“暮らし”の痕跡が、すっぽりと抜け落ちていた。
「……記憶の上に模写したような街、ってところか」
思わずこぼれた言葉に、自分でもひっかかりを覚える。
これは“思い出の再現”じゃない。
“誰か”が、正しさだけを選び取って、形にした何か。
その証拠のように、俺たちの歩く足音だけが、やけに鮮明に響いていた。
そんなとき、エリスの足が止まる。
路地の隅。彼女がしゃがみ込み、何かを見つめていた。
近づいてみると、そこには白い小さな花が咲いていた。
整然とした石畳の隙間から、ただ一輪だけ――規則を乱すように、芽吹いていた。
それは、この街においてあまりにも異質な存在だった。
「……在るべきではなかった“もの”」
彼女の声が、静かに届く。
「……何か見つけたのか?」
問いかけながらも、俺はもう気づいていた。
これは誰かが意図して植えたものじゃない。
自然に、あるいは偶然に、確かに“生まれた”痕跡だ。
「……いいえ。少しだけ、風が……変わったような気がしたので」
彼女の答えは曖昧だった。けれど、俺もまた同じものを感じていた。
だから、それだけで十分だった。
路地を抜けた先に、広場が現れる。
記憶では、そこには噴水があったはずだ。けれど、今は何もない。
ぽっかりと空いた空間だけが、視線を引き寄せてくる。
その縁に――一枚の扉。
閉ざされたままのそれは、俺の記憶にも思い出にも見覚えがなかった。
「……ここは」
言葉にしたとたん、喉の奥が詰まるような感覚を覚える。
エリスが前へ出て、扉の前に立った。
彼女の指が、そっと取っ手に触れる。
「……この扉、使われた気配がありません」
誰にも開かれず、誰にも閉じられなかった。けれど、そこには確かに、“触れられた記憶”が残っていた。
「ここは、誰かが“閉じた”場所です。きっと、“語られないために”」
その言葉に、胸の奥がざわつく。
語られないために閉じられた――
ならば、この奥には思い出されることのなかった“何か”があるのか。
風が吹いた。
街路の流れとは異なる、逆方向の風。
外からではなく、“内”から吹きつけてくるような、異質な流れだった。
この街はまだ“生きている”。
そして、この扉の奥には――きっとその核心がある。
俺は静かに前を向いた。
通りの先には、まだ見たことのない景色が広がっている。
整いすぎた街並みの奥に、確かに“何か”がある。
その正体は、まだ分からない。
けれど、立ち止まっていては決して届かないものだと、どこかで分かっていた。
隣に、エリスが歩を揃える気配がする。
「……この先にあるのは、本当に“誰の”記憶なんだ」
誰に問うでもなく、けれど確かに投げかけた言葉。
その答えはすぐには見つからない。けれど――
俺は歩き出す。
石畳の上に、ふたつの影が並ぶ。
思い出されることのなかった風景の、その奥へと。
語られなかった想いの、その先へと――
俺たちは、まだ知らない答えを探しに、進んでいく。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
※この作品は【夜・深夜】更新しています。
ブックマーク・評価・ご感想など、何かしらの形で応援していただけると励みになります!
光と闇、信仰と裏切り。
崩れゆく世界。
これは、運命に抗う者たちの物語です。
救いは、ただ祈ることで手に入るのか。
それとも――誰かの絶望の上に築かれるものなのか。
どうか、あなたの心に何かが残りますように。
それではまた暇な時にでわでわ!




