エリス:第14話
エリス視点
草の匂いが、微かに変わっていた。
遺構を離れ、再び草原を進む。風は冷たいままだったが、その中に混じる湿り気が、さっき感じた“気配”を連れ戻してくるようだった。
私の指は、無意識に外套の留め具に触れていた。癖だ。緊張しているとき、あるいは気持ちを整えたいとき、こうして自分の中心を確かめてしまう。
ルーゼンは前を歩いていた。姿勢も足取りも変わらないが、背中には張り詰めたものがある。それは、何かを察知した者の気配だった。
あの場所で感じた“異物”は、きっと私たちの両方に、何かを残していったのだ。
「……さっきの遺構、ただの建造物じゃなかったですね」
自分でも驚くほど、落ち着いた声だった。
ルーゼンは歩きながら答える。
「ああ。何かが残ってた。痕跡みたいなものだが……たぶん、過去の出来事があそこに染みついてる」
「言葉にできないけど……寒気がしました」
「それが正しい感覚だと思う」
少しの沈黙。風の向きが変わり、頬をかすめる風が今度は正面から吹いてくる。
気づけば、草の色も地面の感触も、少しずつ変わっていた。踏みしめた足元から伝わる硬さは、湿った草原というより、荒れた土地に近い。
私が顔を上げたとき、ルーゼンが立ち止まった。
視線の先には、崖のような地形と、崩れかけた石の列。だが、それは遺構とは違う。構造としての意味を持たない、ただの“並び”だった。
「……また何か、ですか?」
そう尋ねると、ルーゼンは短く答えた。
「これは……土地の“境界線”みたいなものだ」
「境界線ですか……?」
私は彼の隣に並び、足元を見下ろす。
崖の下は霧に包まれていて、その先に何があるのかは見えない。だが、湿った空気が静かに上がってきていた。見えないだけで、きっと何かが“ある”。
「……この先、きっと“境界”が曖昧になっていく」
ルーゼンがぽつりと呟く。
「境界って……どんな?」
「見えるものと、見えないものの間だ。感覚の線が、ぼやけていく気がする」
私は思わず、外套の金具を握りしめた。胸の奥に、言いようのないざわめきが広がっていく。けれど、怖いとは感じなかった。
「……そうだとしても、行くんですよね?」
問いというより、宣言に近かった。
ルーゼンは頷いた。
「ああ。行く。ここで止まる理由はない」
「じゃあ、行きましょう!」
即答だった。彼は何も言わなかったが、少しだけ視線が和らいだ気がした。
草原を渡る風が、谷底から吹き上がるように強くなる。
「……ルーゼン様」
「ん?」
「もし、もっと“境界”が近づいてきたら……見えないものが見えてしまったら……どうしますか?」
ほんのわずかな間があって、ルーゼンは答えた。
「見えたら、それを受け入れるしかないな。逃げたって、追ってくるものもある」
私はうなずいた。
「……わかりました」
それは、恐怖を肯定する返答ではなかった。あくまで現実として、私たちが越えていかなければならないこと。
風がまた吹く。草の海が揺れ、曇り始めた空に光がまだ残っていた。
私たちはまた歩き出す。
崖沿いを迂回しながら、少しずつ“先”へと。
草原の色が変わり始める。揺れる風の中で、私の足取りはもう迷っていなかった。
“ここにいる理由”は、誰かに決められたものじゃない。
自分の意志で隣を選び、自分の足で前に進んでいる。
ただそれだけが、境の揺らぎの中で――確かに私を支えていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
1〜ここまでずっと移動の話…テンポ悪いですね_:(´ཀ`」 ∠):
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光と闇、信仰と裏切り。
崩れゆく世界。
これは、運命に抗う者たちの物語です。
救いは、ただ祈ることで手に入るのか。
それとも――誰かの絶望の上に築かれるものなのか。
どうか、あなたの心に何かが残りますように。
それではまた暇な時にでわでわ!




