第13話:ルーゼン
ルーゼン視点
朝の風は、冷たいというより、乾いていた。
草に染みついた匂いが、かすかに鼻先をかすめる。夜露の残る地面を踏むたび、靴底がしっとりと濡れる音を立てる。東の空は白み始め、雲の縁にやわらかな光がにじんでいた。
俺は黙って、南へと歩いていた。
背後に残してきたのは、星霊教会の巡礼者たち。深く関わったわけではないが、あの夜の静けさは、どこか身体の奥に残っている気がした。けれど、振り返る気はなかった。もう、それだけの関係だ。
後ろから足音が続いてくる。誰かを確認するまでもない。
――エリスだ。
会話はなかったが、それが自然に感じられるのは、この旅がすでに、そういうかたちで続いているからだろう。
風が斜めから吹き、外套の裾がなびいた。彼女が並びかけてくる気配を感じながら、俺はただ前を向いていた。
やがて、草原の先に緩やかな起伏が現れた。
その向こう。空の輪郭に、わずかな違和感がある。
風と光の流れが引っかかっているような、“揺れ”を感じた。自然のものではない。肌が先に、そこに何かがあると告げていた。
立ち止まり、目を凝らす。
朝靄の奥に、崩れた石の影が浮かび上がる。遺構か、それとも、誰かが残した痕跡か。
すぐ隣で、エリスが声を落とす。
「……見えますか、ルーゼン様」
「……見える。少し、確かめてみるか」
剣に手を添える。抜くつもりはない。ただ、そうすることで気持ちが切り替わる。
エリスも黙って頷き、俺と並んで斜面を登り始めた。
足元の感触が変わっていく。
草が薄れ、地面には石が混じり始める。踏みしめる音が乾いた響きに変わり、風も湿り気を失っていた。
朝靄が晴れていくにつれ、“影”の正体が少しずつ形を見せる。
崩れた壁。黒ずんだ石。かつて建物だったものの名残。折れたアーチ、その奥にうっすらと台座のような構造が見えた。
「……やっぱり、遺構ですね」
エリスが呟く。
「ああ。かなり古い。人のいた跡だ」
風化して読めなくなった模様。傾いた石柱。砕けた床の断片。
ただの廃墟なら、ここまで空気が重くはならない。
台座にそっと触れる。ぬめるような感触。苔か――いや、それとは違う。
空気が、わずかに波打っているように感じた。
「……エリス」
「ええ。わかります」
魔力でもない。もっと曖昧で、原始的な“揺らぎ”。
俺は台座の周囲を一周するように歩いた。石に気をつけながら、構造を観察していく。
遺構そのものは、すでに“役目”を終えている。だが、何かが残っていた。記録のように、染みついた“気配”。
「長居はしない。確認だけでいい」
「……そうですね」
エリスが周囲を回り始める。俺はその間、崩れた構造の向こうに気配がないかを確かめていた。
何もいない。だが、“何もいない”ことが、不自然に感じられる。
それでも、手出しはしなかった。俺たちは触れずに、ただ見て、そして戻った。
草原へ戻ると、風がまた頬を撫でた。
背後に残った遺構は、もう小さな影になっていた。
「……誰もいないのに、見られてるような気配がしました」
エリスが言う。
「俺もだ。ただ、敵意はなかった。“今のところは”な」
「……“今のところは”、ですね」
それ以上は言わなかった。言葉にする必要もなかった。
空は少し曇ってきていたが、進む道だけははっきりしていた。
あの遺構が何を意味していたのかは、まだわからない。
けれど、今の俺たちは――そこを通り過ぎるべきじゃなかった。
確かに、何かが始まりかけている。
その確信だけを胸に、俺たちは歩き出す。
朝の光が、草原を静かに照らし始めていた。
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※この作品は【夜・深夜】更新しています。
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光と闇、信仰と裏切り。
崩れゆく世界。
これは、運命に抗う者たちの物語です。
救いは、ただ祈ることで手に入るのか。
それとも――誰かの絶望の上に築かれるものなのか。
どうか、あなたの心に何かが残りますように。
それではまた暇な時にでわでわ!




