エリス:第10話
エリス視点!
森を抜けてから、随分と歩いた。
空は夕暮れに染まりつつあり、陽は西へと傾いている。草原に斜めに差す光が、風に揺れる草々を金の波のようにきらめかせていた。
その背を、私は静かに見上げる。
彼――ルーゼンが歩みを止めると、私も自然と足を止め、小さく息を整えた。思えば、この草原に出てから、彼は一度も振り返っていない。そうする必要も、理由も、きっとなかったのだろう。
「ここで、ひと息つこう」
その声は低く、けれどどこか安堵の響きを含んでいた。私は黙って頷き、肩の鞄を地面に降ろす。風が草を揺らし、小川の流れる音が耳に届く。澄んだその音が、胸の奥に微かな静けさを落としていった。
彼が地図を広げる。私は無言のまま、その傍らに歩み寄る。
ほんの数歩。それだけの距離なのに、時折、彼の背がとても遠くに思える。目に映っていても、まるで霞の向こうにいるような錯覚に囚われる。けれど、こうして横に並ぶと、確かに“同じ場所”にいると実感できた。
私はそっと指先を伸ばし、地図の南側をなぞる。
「ここ。南の谷あたりに、村があったはずですよね。……“カイル集落”。」
その名前を口にするまでに、少しだけ迷った。けれど、それはどうしても触れておくべき名前だった。
「……古い地図だ。今もそう呼ばれているかは、わからないが」
彼の声に責める響きはなかった。ただ、事実を静かに伝えている。
私は静かに息を整えて、言葉を重ねた。
「でも、もしまだ残ってたら――食料の補給くらいは、できるかもしれませんよ?」
ほんの探りのつもりだった。だが、彼の視線は変わらず、まっすぐ前を向いたままだ。
「進路からは少し外れている。それに、まだ食料にも余裕はある」
それは否定ではなく、確信に近い返答だった。
私は「わかりました…」とだけ返し、小川のほうへ向かった。
──
戻ると、彼はすでに地図を畳んでいた。
私は焚き火の準備を始める。風のある草原で火を扱うには、慎重に火を育てなければならない。
(今の彼は、どこにいるの?)
その問いは、言葉にならない。
観測者として、私はただ隣にいる彼の“今”を見つめていた。星痕を抱き、それを失ってなお進む彼の中に、微かに揺れる“影”を。
鍋に干し肉と削ったチーズを落とす。立ち上る香りが、今という時間をやわらかく包み込む。
「お昼と同じだけど……我慢してくださいね」
私の言葉に、彼は何も返さず、ただ頷いた。それだけで、この時間が続いていくことが分かる気がした。
私は黒パンを取り出し、ちぎって鍋に落とす。ふやけて形を変えていく様子を、ただ見つめる。
言葉はなくても、ここに“在る”という事実が、確かだった。
風がふいに止まる。
草の音が遠ざかり、空気が微かに歪む。耳を澄ますと、その沈黙の奥に、別の“律動”が重なっているのが分かった。
私は火を弱め、鞄に手をかけて立ち上がる。
彼もまた、剣の鞘を鳴らしながら立ち上がっていた。
「……ルーゼン様」
抑えた声で呼ぶと、彼は西の空を見つめたまま、何も言わない。
その視線の先――地平に影が見える。ひとつ、ふたつ、やがて五つ。
祈りのような律動をまといながら、静かにこちらへ向かっていた。
「……気配がおかしいです……」
自然と漏れた言葉だった。整った列のなかに、わずかに揺れる“歪み”がある。すべてが整っているからこそ、その違和が際立っていた。
彼が一歩前へ出る。私はすぐに隣へ並ぶ。
やがて、その姿がはっきりする。
白の外套。銀の徽章。祈りを宿す歩み――
昼間、森の手前ですれ違った、五人の巡礼者たちだった。
「あの装束。間違いない――さっきの巡礼者たちだ」
彼の呟きに、私は黙って頷いた。
偶然か、必然か。それはまだ分からない。
「ルーゼン様……どうします?」
静かに問うと、彼は短く返した。
「――構わない。偶然か必然かどちらにせよ、避けて通れない道だからな」
その言葉に、胸の奥がふっと和らぐ。
避けられないなら、受け入れればいい。彼がそう決めたのなら、私はその隣で見届ける。
目の前で交差しようとする二つの道。
変わらぬ姿の巡礼者たち。そして、変わりゆく私たち。
そして今、再び交わる光と影の輪郭が――確かに、重なろうとしていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
ダブル主人公って…一つのことを異なる視点で見ることができる強みがあると思って書いたはいいけど…やっぱり展開が遅いからエリス主人公??みたいになっちゃってます(汗
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光と闇、信仰と裏切り。
崩れゆく世界。
これは、運命に抗う者たちの物語です。
救いは、ただ祈ることで手に入るのか。
それとも――誰かの絶望の上に築かれるものなのか。
どうか、あなたの心に何かが残りますように。




