第7話:ルーゼン・エリス
ルーゼン・エリス視点
草の間から、水音が聞こえてきた。
かすかなせせらぎ――小川だ。
その音に導かれるように、ルーゼンは歩みを緩める。腰に佩いた剣の重みが、ようやく気にならなくなるほどに、空気は柔らかく澄んでいた。
「……少し、休んでいくか」
ぽつりと漏れた言葉には、疲労というより、張り詰めていた緊張がほぐれ始めた兆しがあった。
「はい。そうですね、ここなら――」
エリスは頷き、小さく微笑んだ。
小川の流れに沿って下ると、草がわずかに開けた場所があった。夜明けの気配がほんのり地面を包み込み、静かな温もりが漂い始めている。
ルーゼンは剣をそっと外し、手の届く場所に置いてから、草の上に腰を下ろした。
その姿を横目に、エリスは水辺へと向かい、水袋を手にして静かに水を汲みはじめる。手際は静かで、丁寧だった。
風が草をなで、小川のせせらぎが穏やかに流れる。
「戻りました。今、すぐ用意しますね」
荷をほどき、小さな鍋と干し肉を取り出すと、彼女は迷いなく手を動かす。乾いた肉が刃に響き、ぱきり、と鈍い音を立てて割れる。それを細かく刻み、水を張った鍋へと放り込む。
「……あまり凝ったものじゃありませんけど」
小枝を拾い、火打石を鳴らす。エリスの動きに、無駄はない。
ルーゼンは少し離れた場所から、それを静かに見つめていた。黙っていても、彼の肩からは力が抜けていた。
火がぱちぱちと音を立て、干し肉の塩気が湯に溶けて香りを立ち上らせる。角切りのチーズも加えられ、表面には淡い膜が浮かんだ。
「塩は……入れてません。干し肉だけで、たぶん十分ですから」
冷たい空気の中で、その香りは静かな温もりとなって広がる。
「……パンもあります。でも、入れるのは最後。食べる直前がいいと思って」
エリスが取り出したのは、黒く焼かれた小さなパンだった。硬そうな見た目だが、スープに沈めれば、ほどよいやわらかさになるはずだった。
「……できました。よかったら、どうぞ」
湯気を立てる器を差し出すエリス。
ルーゼンはそれを無言で受け取り、口をつけた。
塩気とわずかな酸味、そして確かな熱。
火照るほどではないが、空腹の胃の奥へと、ゆっくり染みていく。
「……塩気だけだな」
「……ええ。そういう味です」
少しだけ、エリスは照れたように笑った。
その笑顔には、どこか安堵が滲んでいた。
ルーゼンは黒パンを割り、そっとスープに沈める。
熱がじわりとしみこみ、やわらかくなったところで口に運ぶ。
噛むたびに広がる塩味と温もりが、ゆっくりと彼の身体を満たしていった。
「……悪くない」
その一言に、エリスは目を見開き、すぐに小さな笑みを浮かべる。
「お口に合って、よかったです」
火の音、小川のせせらぎ、風のざわめき。
どこかで小鳥が一声だけ鳴いた。
静かな時間が、ふたりを包んでいた。
やがてルーゼンが、ぽつりと呟く。
「……エリス」
「はい?」
「……こういうの、慣れてるな。料理も、火の扱いも」
「……そうですか? あんまり、そう言われたことないんですけど」
エリスは笑って視線をそらす。その横顔に、一瞬だけ陰が差した。
「一人で……長かったのか?」
ふとこぼれた問い。深い意味はなかった。ただ、スープの温もりが、心の隙間をほどいていた。
エリスは器を見つめたまま、しばらく答えなかった。
やがて、湯気の向こうで、少し遠い声が返ってくる。
「そうですね……長かった、かもしれません」
「……そうか」
それ以上、ルーゼンは何も言わない。
もう一口、器のスープをすすった。それが返事の代わりになっていた。
「……でも、今は一人じゃないですから」
そう言いかけて、エリスはふと口をつぐむ。
視線を逸らし、揺れる湯気を見つめながら、小さく息をつく。
「……貴方が隣にいるって、それだけで、私は……」
続ける前に、ふっと笑って首を振った。
「……なんでもありません」
穏やかな声音の奥に、確かな想いがあった。言葉にしない、けれど温かなものが。
ルーゼンは応えず、静かに器を傾ける。
「……食い終わったら、すぐ出るぞ。ここも……落ち着きすぎてる」
「……はい」
その返事は、素直で、どこかほっとした響きがあった。
わずかに残ったスープが、器の底で揺れる。
朝の光が差し込み、表面がきらりと光を返す。
湯気は空へと溶け、草を撫でる風が、そっと世界の輪郭を整えていった。
ふたりの間には、言葉よりも静かで、けれど確かに近づいた気配が――
その場所に、そっと残されていた。
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光と闇、信仰と裏切り。
崩れゆく世界。
これは、運命に抗う者たちの物語です。
救いは、ただ祈ることで手に入るのか。
それとも――誰かの絶望の上に築かれるものなのか。
どうか、あなたの心に何かが残りますように。
それではまた暇な時にでわでわ!