41話
「出て行け!」
真っ赤な顔をした侯爵様が扉を指差した。
「ほんと、男の人ってすぐ感情だけで怒って。人の話をきちんと理解しているのかしら?私の質問に怒って誤魔化して答えられないのかしら?」
思わずルシナとしてではない自分の本音が出た。70歳を過ぎた私はこんな若造怖くもなんともない。
私自身ルシナの気持ちに引っ張られつい若い感情が気持ちを覆い尽くしていたはずなのに、この男性の前では負けず嫌いで向こう見ずだった性格が出てしまう。
この性格のおかげで嘆くことなく夫と離婚してからも2人の子供を育てた。
「お前という奴は!育ててもらった恩を忘れたのか!」
「ふふっ。ごめんなさい。全て綺麗さっぱり忘れてしまっているのであなたを見ても父親だと思えないんです。公爵家の伯父様や従兄弟たちには家族としての情はすぐに湧いたのですが、あなたを見ても他人にしか思えないんです。この屋敷に足を踏み入れてもなんにも感じない。ううん、まるで他人の家に初めて入った気分です」
あ、でも、侯爵様に会った瞬間、不快しか感じなかったけど……それは口にはしないでおこう。攻撃的な物言いに侯爵様は噴火寸前だ。
ふとクククッと小さい笑い声が聞こえた。
そういえば心配したマシューが隣の部屋で待機していたんだった。侍従と共に。
そして壁際には多分侯爵家の執事と思われる人が目を開いて驚きと恐怖の顔をして固まったまま立っているのをチラリと横目で捉えた。
そして侯爵様が口を開こうとした時……
「お前は……「バンッ!お父様ぁ」
煌びやかな派手なドレスを着てたくさんのアクセサリーを身につけ、クルクルと巻き髪をした化粧の濃い女性が部屋に入って来た。
懐かしい!よく若い頃読んだ漫画に出てきたキャラだわ!
あっ……多分マシューが話してくれた異母妹?思わず目がキラキラとしてしまった。
「酷いわ、お姉様!お父様にそんな口を聞いて!私の大切なお父様を傷つけるなんて」
「カトリーヌ!」
「お父様ぁ!」
二人は抱き合うように微笑み合う。
これこれ!これもよく漫画で出ていた鉄板モノのセリフ!
実際抱き合ってはいないけどなんとも二人の空気は見ていて気持ち……悪い。
侯爵様はあんなに怒っていたのにカトリーヌが現れると優しい表情へと変化した。
カトリーヌは私に振り向きキッと睨んだ。
「お姉様ったら離縁してから実家に一度も顔を出さないし、伯爵家との今までの共同事業のことも投げ出して、勝手に自分の事業だけを進めて、平気な顔をしてよくも顔を出す気になったわね?それも私の大切なお父様にそんな酷い言葉を言うなんて!」
「あなたはだぁれ?」
澄ました顔をしてカトリーヌに問い、最後ににこりと微笑んだ。
「はああああ?可愛い妹のことを忘れたの?あんなに慕ってあげたのに!この屋敷で一番優しくしてあげて一番話しかけてあげて一番気にかけたのは私よ?」
「ごめんなさい。私これまでの記憶が一切ございませんの…ほほほっ。なのであなたからして頂いたいろいろな話は周囲から聞いたことしか知りませんが、確か……」
「『お姉様が私に酷いことを言うの』
聞いた話だと私に対してネチネチと嫌味を言ったり意地悪なことを言ったのはあなただったのよね?
『愛されていないお姉様』
『母親が死んだんだからさっさとこの屋敷から出て行けばいいのに』だったかしら?
『お姉様は私のお気に入りの服を奪ったわ』
僅かしかないドレス、それすらも勝手に部屋に入って自分のものだと駄々を捏ねて持っていくのを継母も笑って許していたらしい。こっそり送られてくる伯父からのプレゼントのアクセサリーや小物も勝手に自分のものにした泥棒があなたよね?
『お姉様ったらお勉強もせずに何をしているのかしら?私達が一生懸命に頑張っているのに』
私についた家庭教師は皆すぐにあなたたちが辞めさせた。ルシナはとても優秀でそれが気に入らないあなたと義兄が継母に言って辞めさせたのよね?
仕方なく私は書庫で本を読んで知識を増やすしかなかった。
全て『ルシナ』の日記に書いてあったわ」
そう、記憶はないけど、ここに来る前に『ルシナ』の日記を読んだ。
そして『ルシナ』に前世の記憶があること。その記憶は……今の私。
私は『ルシナ』だった記憶をなくしただけで、前世の記憶だけが残った状態で今ここにいるのだと気がついた。
だから所作も字も言葉もわかるし、侯爵令嬢としての振る舞いも自然とできる。
ルシナの時の若い感情が今はほとんどで、年寄りの考え方の『私』はもう減ってきてはいても性格はそのまま。
こんな理不尽なことをされて耐えてきた『ルシナ』を叱ってあげたい。そして抱きしめてあげたい。
耐えることだけが美徳じゃない!
貴族とはいえやられたらやり返せ!と言いたいけどそこまではできないまでも、耐え続けてはいけない。
「何を言ってるの?」
真っ青な顔をして「お父様、私そんなことしていないわ」と震えて涙で訴えるカトリーヌ。
「証拠はこの日記よ。どうぞ侯爵様お読みください、記憶がない私では書けない事実が載っています」
「出鱈目だわ。誰かに書かせたのよ!」
「日記は数冊あります。その中には侯爵様との会話の内容も含まれています。読めば嫌いな娘と話した忘れていた会話の記憶も少しは思い出されるのでは?」
私はソファから立ち上がった。
本当はいろんな話しを直に訊いてみたかった。本当に『ルシナ』を嫌っているのか。娘と思っていないのか。
『お母様』をほんの少しも愛していなかったのか。
でも確かめる必要はなかったみたい。
「お時間をとっていただきありがとうございました。もしかしたら何かしら社交でお会いすることもあるかもしれません。その時はお互い他人として過ごしましょう」
扉を閉める時「待てっ!」と声が聞こえたけど、私は振り返ることなく廊下を急ぎ足で歩いた。
知らない屋敷のはずなのに気がつけば、ある部屋に入っていた。
何もない部屋。シーンとして時が止まっている寂しい部屋。
なのに……なぜか懐かしく……胸が痛んだ。
「お嬢様………」
その声に振り返ると知らない使用人が立っていた。
「あなたは誰?」
「私は、この屋敷のメイドです」
「そう……『私』を知っているのね?『私』は記憶をなくして何も覚えていないの。なのにここに引き寄せられて……この部屋を見ると胸が苦しくなるのはなぜなのかしら?」
「ここは、前夫人が使われていた部屋です。今は使われていないので……」
それ以上は言いにくそうに口を閉ざしてしまったメイド。
全て捨てられたのね?
侯爵様に?それとも継母に?
「あの……ルシナ様の使われていた部屋に前奥様の物はいくつか運ばれております。私達使用人が奥様の目を盗んでこっそりと運んだ物です」
「そうなの?」
日記にそれは書かれていなかった。
「はい、ルシナ様が嫁がれた後、前奥様のものを全て捨てるように言われた時、バレない程度の小物だけですがルシナ様の部屋へと移しました」
「ありがとう。みんなにもそう伝えてください」
使用人たちは『ルシナ』に対して愛情を持ってくれていた人もいたのだと嬉しくなった。
『ルシナ』の部屋へ行くとやはり懐かしい気持ちに。
そしてお母様の物だと教えてもらった小物を私はいくつか持ち帰ることにした。
装飾を施された櫛や羽根ペン、髪飾り、そして宝石箱など。
もしかしたら今日のことで『ルシナ』の部屋は処分されるかもしれない。
「さよなら、覚えていないけど、『私』が暮らした屋敷」
歩いて門を出る時、私は頭を下げた。
数人の使用人は涙を流して私を見送ってくれた。そこにはもちろん『元家族』は一人もいなかった。
公爵家の馬車に乗り込むとマシューが黙ったまま私の頭を優しく撫でてくれた。
私はお母様の思い出の品を抱きしめた。
記憶のないはずの私なのに、涙が溢れて止まらなかった。




