38話
「殿下!人払いをお願い致します」
ネージュの纏う空気に殿下の顔つきも硬いものになった。
ネージュはどこから説明すればいいのか悩んだが、とりあえずルシナの状態とさっき看護師に訊いた話を伝えることにした。
机に肘をつき睨み上げるようにネージュの話を黙ったまま訊いていた王太子は「………信じられない」と呟いた。
二人に愛情はなくても夫婦として人として信頼関係を築いて来た二人。
殿下がすぐに信じられないのは当たり前だった。
「君の話にはまだ全く確証はない」
「しかしっ!ルシナの意識はありませんでした。目の焦点は合っていないし……眠っているように見えますが瞳は見開いていてどこを見ているのかわからない状態で……俺は…無理やり瞼を閉じて……」
悔しそうに拳を握り締めたネージュ。ネージュの手は血で滲んでいた。
「少しだけ時間をくれ。妻と話をしたい。ルシナ殿のことはきちんと調べる。レベッカ嬢やルベルト伯についても今調べ始めているところだ……すぐに結論は出せない」
「申し訳ございません……分かってはいるのですが……」
我に返り言葉を濁すネージュ。焦りと憤りから殿下に対して失礼な態度をとったことにやっと気がついて頭を深々と下げた。
「いや、仕方がない。自分の息子が攫われ元とはいえ妻だった女性が犯罪者のように扱われたんだ……ルシナ殿と妻が昔比べられていたことは承知している。何をしても彼女に劣っていた妻が劣等感を抱いていたとしてもおかしくはない……しかし、何年も前の話で今更だと思うんだが……それに、そんなことくらいで犯罪を犯すなんてあり得ないだろう?」
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「かぁさま……ごめんなさい……ぼくが…わるいこだから……もうふぃあに あいたいなんて いわないから……」
静かにネージュが医務室に入るとリュシアンが泣きながら母親の手を握り話しかけていた。
まだ意識が戻らないルシナはリュシアンの呼びかけに反応することはない。
それが3歳の子供なりに理解していて「じぶんがわるいこだから」と謝る姿を見て胸が痛んだ。
リュシアンが謝る以上にネージュ自身がルシナに謝らなければならない。
たくさん傷つけた。彼女はこの四年間必死で伯爵家を、両民を守ってくれた。
そして可愛い息子を命をかけてこの世に授けてくれた。
なのに自分は……いくら媚薬を盛られたとはいえ結局レベッカを抱いてしまっていた。違うと何度もそう思っていた。
いやそう思いたかった。
浮気はしていない、媚薬の治療のため娼婦に頼んだだけであれは浮気では決してない。
そう思っていた。
まさか……レベッカがソフィアを産むまで自分の子供かルベルト伯の子供かわからなかったなんて……信じられなかった。
レベッカから預かった大切な娘。だが自分では世話することなどできない、言い訳をするのも面倒だし、手紙すらまともにくれなかった妻に対して苛立ちを覚え、つい言わなくてもいい、いや思ってもいない言葉が出てしまった。
『この子を俺たちの子供として育てることにした』
『俺の大切な人の子供だ』
ソフィアはたんに預かっただけ。ただしどのくらいの期間かはわからない。多少の後ろめたさと苛立ちから……つい……
言い訳をすればたくさん理由はあった。だけどどれも独りよがりな言い訳にすぎない。
使用人達からルシナの頑張りを聞かされ反省してなんとか妻と向き合おうと思った。なのに友人たちから妻について意地の悪い噂話を聞かされ、ますます意固地になり素直になるどころか、さらに悪化した。
『公爵子息の愛人らしい』
『奥さんも君が戦争に行っている間寂しかったんだろう』
そんな言葉を真に受けた。社交界なんて嘘が飛び交う世界なのに。ひとを蹴落とすことを喜びと感じている奴らがどれだけいるのか、分かっていたはずなのに。
ルシナのことになるとカッとなった。
久々の社交で悪意ある者たちに、いとも簡単に術中にはまってしまった馬鹿な俺。
ネージュはリュシアンの姿に項垂れるしかなかった。こんな小さな子供が必死で母親に謝っているのに、自分は傷つけてばかりだった。
離縁されて当たり前だ。嫌われて当たり前。
彼女が目覚めたらプライドなど捨てて謝ろう。許してもらえなくても何度でも謝ろう。
そしてこの小さな息子をそばに居てあげられなくても、遠くからでも見守っていきたい。
ネージュは遅すぎたが今やっと二人に向き合うことが出来そうだった。




