1話
政略結婚とはいえ私は幸せになれる、そう思い込んでいた。
16歳という若さで20歳のネージュとの結婚を強いられた。侯爵の父に嫌だと、そんな言葉を言えるわけもなく、顔合わせをして数ヶ月後には式をあげた。
それでも幸せになれる、そう思った。
だって実家にいるよりはマシだと思ったから。
夫は優しそうな人にみえた。実際、無口だけど何も知らない私に手を差し伸べてくれる、怒ったり叱ったりしない人。私を一人の人として見てくれた。
何気ない優しさが、そして、たまに見る笑顔が好きだった。
なのに夫であるネージュ・ウォーレンは結婚式を挙げてひと月後に、突然戦場へと駆り出された。隣国が我が国の領土へと侵略しようとしていた。それを阻止するため戦争が始まった。
元々隣国とは長年睨み合いが続いてはいたが争いは一度もなかった。この時期に戦争になるとは誰も予想はしていなかった。
突然の出来事に、準備ができていなかった我が国は急ぎ兵を集めての戦いとなった。
ゆっくりと別れを惜しむ間もなく夫は慌しく戦地へと旅立っていった。
この国を守る第一騎士団の副団長である夫は前線へと向かい戦争が終わり帰ってきたのは4年後だった。
その間、私はウォーレンを義母と執事たちに助けてもらいながら守ってきた。私の父と業務提携をした葡萄農園とワイン工場を運営しながら市場を広げることに成功した。
成功するまでにはとても苦労した。戦争中のため使用人への給金が遅れ食べ物に困ることもあった。領地運営だって夫がいない間、執事と二人何度も足を運び、領民たちと話し合い、顔見知りになり、少しずつ親しくなり信頼関係を築きながらなんとか踏ん張ってきた。
慣れない中手探りでなんとか切り盛りしてきた。
16歳の若さでも頑張れたのは私のお腹に新しい命を宿していたからだった。
3歳3ヶ月になるリュシアンはまだ父親の顔を知らない。
ネージュには妊娠したこと、子供が生まれたことは手紙で知らせてはいたけど、返事は全く返ってこなかった。
もしかしたら手紙すら届いていないかもしれない。それとも、自分の子供ではないと思ってる?疑ってるなんてこと……あるのかしら?ほんのひと月の新婚生活だった。
彼と閨を共にしたのもほんの数回。信じてもらえない?
彼が旅立った後に妊娠したことがわかった。お義母様はとても喜んでくださったし、屋敷の者たちも皆新しい命の誕生を喜び、生まれたリュシアンを共に育て見守ってくれた。
でも彼からの手紙は「元気だ、領地をよろしく頼む」といつも同じような内容。
✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎
執務中、メイドと遊んでいたリュシアンは眠たくなると私の執務室へとこっそり来て、甘えん坊になる。
「かぁさま!」
「リュシアン?」
メイドが扉を開けるとひょこっと顔を出すリュシアン。
リュシアンに手を広げて「おいで」と言うと嬉しそうにニコニコ笑いながら、リュシアンが駆け足で飛びつき抱きついてきた。
そんなリュシアンを抱っこして、リュシアンの頬に頬を擦り寄せた。
「かぁさま、くすぐったい」と可愛く笑うリュシアン。
「そろそろお昼寝の時間ね?母様と一緒にお昼寝しましょう」
執務も確かに忙しい。だけどリュシアンと少しでも一緒に過ごす時間を取りたい。
だからメイドにお昼寝の時だけは声をかけてほしいとお願いをしていた。
執務室にはベッドを置いていて、そこでいつもリュシアンを寝かしつける。
私の胸に顔を埋めて嬉しそうにするリュシアン。私は優しく抱きしめ、リュシアンの温もりに癒されながら背中をトントンと優しく叩いて寝かしつけた。
20歳の私には前世の記憶がある。
私はこの世界とは全く違う『日本』というところに住んでいた。
前世の私はとても幸せな一生を過ごした。
離婚したシングルマザーだったけど、一人で可愛い娘と息子を育てたパワフルな母親だった。
夫のことはあまり覚えていない。はっきりと覚えているのは離婚した後からの生活だった。まだ息子が生まれたばかりの時に、夫の浮気で離婚して私は薬剤師として働きながら子供二人を育てた。
二人の子供は働く私をよく助けてくれた。家事の手伝いはもちろん高校生になるとバイトをして自分のお小遣いは自分で稼いでくれた。大学も奨学金制度を使い、親に負担をかけないように頑張ってくれた。
それぞれ大手の会社に就職して結婚して幸せな家庭を築いた娘と息子。
私はそんな二人と幸せな日々を送り、満足して寿命を終えた。
前世を思い出したのは息子を必死で痛みと苦しに耐えながら産む時だった。
苦しみの中、不思議に、「この経験、記憶にある⁈」と、突然前世を思い出したのだった。
おかげで初めての子育てのはずなのに母性も育て方もしっかり培われているので子育てを楽しむことができた。
✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎ ✴︎
可愛い息子を育てながら夫の帰りを待った4年後。
待ってたというより気がついたら4年も経っていたのだけど。
「この子を俺たちの子供として育てることにした」
そう言って夫が連れ帰ったのは3歳にも満たない女の子だった。私と視線すら合わせようとしないネージュに呆れて声が出なかった。
ーー何を言ってるのだろう?この人……
「この子は?」
「俺の大切な人の子供だ」
夫は久しぶりの再会に口にしたのは感動的な言葉ではなかった。
女の子を抱っこした夫に呆れて見つめると冷たい目を向けてきた。
私は大きく息を吸い込み吐き出した。
「………わかりました」
「俺は執務室で仕事を始める」
そう言うと女の子を近くにいた侍従に渡した。
女の子はネルジュから引き離されて知らない人に抱っこされて怖がって泣きじゃくっていた。
なのにネルジュは一瞥するとさっさと執務室へと去っていった。
「お、奥様……」
泣きじゃくる女の子を抱っこして困った顔をしている侍従から女の子を引き受け、抱っこした私は優しく女の子を撫でながら「お名前は?」と訊いた。
「…な、なま……え………ヒック………ソフィア」
「ソフィアちゃん?」
涙を瞳にいっぱい溜めて私の顔を下からこそっと覗き込むように見てきた。
私は不安にさせたくなくて優しく微笑んで背中をそっと撫でてあげた。
「大丈夫、怖がらないで。私が今日からあなたのお母様になるの。よろしくね」
久しぶりの なろうさん でのお話です。
よろしくお願いします。