嫉妬に狂っていたわたくしはもういないのよ。今は幸せ。さようなら。ロンティス様。
フォレンティア・アジェラ公爵令嬢は、それはもう嫉妬深かった。
「ロンティス様。今日も素敵な御召し物を着ていらっしゃるわね。とても素敵だわ。
それはそうと、この間、王立学園の廊下で一緒に歩いていた令嬢はどなた?何故、腕を組んで仲良さげに歩いていたの?たっぷり10分間、親し気にお話をしていたわ」
「え?10分間しか話していなかったのか。彼女は伯爵家のミレーシャ・ナフレだよ」
「ナフレ伯爵家、うちの派閥ではないわね。いいわ。それでも、苦情を入れておきましょう」
「え?10分間、話をしていただけで?」
「貴方はわたくしの婚約者。アジェラ公爵家に婿入りしてくるのでしょう?でしたら、浮気は駄目ですわ」
「たかが、腕を組んで10分間歩いていただけだ」
「それを浮気と言うのです。貴方ったら顔だけは綺麗でモテるのですもの」
本当にイライラする。
フォレンティア自身だって、それはもう金の髪に青い瞳の、美しい令嬢で。自分の美しさには大いに自信があった。
ロンティス・エリド公爵令息。
彼とは3年前から婚約者で。
彼も金の髪に青い瞳のそれはもう整った美しい顔をしていて、フォレンティアという婚約者がいながら、モテた。
ロンティスが、令嬢達と話をするたびに、仲よさそうにするたびに、嫉妬で身が焼ける思いがする。
ロンティスが好き。
彼の柔らかな笑顔が好き。
彼の優しい声が好き。
エスコートする時に差し出される彼の美しい指が好き。
もう、何もかも大好き。
王立学園で、彼が他の令嬢と話をするだけで、辛くて辛くて嫉妬に心がかき乱されるの。
わたくし以外と話をしないで。
わたくしだけを見て。
愛しているの。愛しているのよっ。
そうロンティスに向かって叫びたかった。
今は二人きりで月の一度のアジェラ公爵家の庭での茶会である。
ロンティスは優雅に出された紅茶を飲んでいて、
その姿もとても美しく様になっていて……
ロンティスはカップの紅茶を飲み干すと、立ち上がって。
「そろそろ帰るよ」
「え?今、来たばかりでは?もっとわたくしは貴方とお話したいわ」
「君に服を褒めて貰ったし、美味しい紅茶も飲ませて貰った。有難う」
そう言われたら、帰るのを引き止める訳にもいかない。
もっともっと話をしたいのに、今、来たばかりではなくて?
ロンティスが帰った後、兄のフェリドに相談したら、笑われた。
「フォレンティア。もっと成長しろ。奴は我が家に婿入りしてくる身だ。もっと上手く手の平で転がせなくてどうする?」
フェリドは先行き公爵家は継がず、隣国で冒険者をやっている。
久しぶりに公爵家に戻って来たのだ。
フォレンティアはため息をついて。
「ロンティス様との婚約は我がアジェラ公爵家とエリド公爵家の政略で結ばれているって解っているわ。彼がわたくしの事を愛していないのも。そもそも政略結婚に愛なんて必要なくて?それなのに、わたくしはロンティス様の事が好きでたまらないの。彼が他の女性と一緒にいるのを見るのさえ、話をしているのを見るのさえ、嫉妬で気が狂いそうになるの。もっとわたくしにかまって?もっとわたくしを大事にして?もっともっともっと……」
兄フェリドが優しく髪を撫でてくれた。
「お前がそんなに悩んでいただなんて知らなかった。ああ、俺が冒険者だなんてやっているから迷惑をかけて申し訳ないな」
「いいのです。お兄様はお兄様の生きたい道を。わたくし誇らしいですわ。漆黒のフェリドと言えば有名ですもの」
真っ黒な剣を持って魔物を屠るフェリドは、実力がある冒険者として有名だった。
黒髪黒目で、まったくフォレンティアとは似ていない。
フェリドは、フォレンティアに向かって、
「お前がいかにロンティスが好きかよくわかった。だがあまり嫉妬をするな。煩く言われる程、ロンティスの心は離れていくぞ。政略だから、結婚は出来るだろう。だが、仮面夫婦は嫌だろう?」
あああ、ロンティス様と仮面夫婦だなんて。
白い結婚を言い出されたらどうしたらいいの?
わたくしはロンティス様似の可愛い子供が欲しいのよ。
ロンティス様に愛されたい。
ロンティス様が好き……
「解ったわ。嫉妬をしないようにします。わたくし、ロンティス様に嫌われたくないわ」
「それがいい。俺はお前の幸せを祈っている」
それから、フォレンティアは、嫉妬の言葉をロンティスに向かって言わないようにした。
心は嫉妬で渦巻いている。
今日も、学園でロンティスは女性と共に仲良く廊下を歩いている。
手を繋いでだ。
こちらをちらりと見て、にこやかに手を振って。
「フォレンティア。そんな目で睨むなよ。ちょっと話をしているだけじゃないか。君は私の婚約者なのだから」
手を繋いでる女性はロンティスに縋りついて、
「きゃぁ。怖いっーー」
「大丈夫だ。フォレンティアは私の事を凄く愛しているから嫉妬をしているだけだ」
「そうなんですの?」
「私は愛されているからねぇ」
楽しそうに女生徒と談笑しながら、廊下を歩いていってしまったロンティス。
悔しい、悲しい、寂しい……
フォレンティアはその場に泣き崩れた。
公爵令嬢としてあるまじき姿と解っていながら。
周りの生徒達の視線を感じる。
泣きながら思った。
廊下に手をつきながら思った。
自分は誇り高いアジェラ公爵家の娘だと。
いずれ公爵家を継いで女公爵になるのだ。
このままではいけない。
立ち上がると、キっと周りを見て、
「お騒がせ致しましたわ。わたくし、何でもございませんから」
そう言ってロンティスの後を追いかけて、思いっきりその頬をビンタした。
あっけにとられるロンティス。
「貴方はわたくしの婚約者なのです。それなのに、何?その令嬢と手を繋ぐとは、これは男女の仲を疑われても仕方なくてよ。わたくしは愛人の存在は認めるつもりはありません。貴方は婿に来るのではなくて?ええ、貴方がそのつもりなら考えがあります。貴方でなくてもよろしくてよ。貴方の家とは政略ですわ。貴方、弟がいたわよね。確か5歳年下の。彼と婚約を結び直そうかしら。今は13歳。でも5年後に18歳になるわ。わたくしはそれでもかまわなくてよ」
ロンティスは慌てたように、
「弟はまだ子供だ。13歳だ。歳的に私が適任だろう。それに、君は私の事をものすごく愛しているはずだ。それはもうものすごく。焼きもちを焼いていたではないか。後悔しないのか?」
「後悔致しませんわ。だって貴方、女性を次から次へと声をかけて侍らせて」
「10分間、話をしているだけだぞっ。たった10分」
「わたくしとのお茶会も来たらすぐに帰ってしまいますわよね。10分で」
「それは君が……」
「わたくしは婚約者。女性達と同列の扱いってどうなのよ」
「どうってっ?君がいけないんだ。嫉妬深いから。少しくらい、手を繋いだっていいじゃないか?」
「わたくしは貴方と手を繋いだこともないのよ。貴方は我が公爵家に婿に来るつもりはあるの?」
「エスコートの時に手を繋いでいるだろう?」
「ダンスの時だけでしょうっ。わたくしは手を繋いで歩きたいのよっ」
ロンティスがブチ切れた。
「うっとおしいんだよ。いつも嫉妬深くて、私は息が詰まりそうだっ」
「それは貴方がいけないのよ。わたくしに対する愛を示してくれないからっ」
「政略に愛もくそもあるかっーー。私は被害者だ。政略で君の家に婿に行くのだから」
「被害者なんて思っていたのね???酷いわっ」
フォレンティアは悲しかった。
あまりにも悲しくて、公爵家の馬車を呼んで屋敷に戻った。
王都の屋敷に両親はいない。彼らは領地に行っているのだ。
使用人達と、兄フェリドがまだ滞在していた。
フォレンティアは兄に泣きついた。
「わたくしは未熟で未熟で。手の平で転がせってお兄様はいいましたけれども、ロンティス様と大喧嘩をしてしまいましたわ。嫉妬深くて息が詰まるとわたくしの事をっ」
フェリドはため息をついて。
「ハァ。お前ももっと大人になれよ。貴族の令嬢として失格だぞ」
「ロンティス様の事になると感情が抑えられないの。自分でもどうしようもないのよ」
「何だったらどうだ?しばらく隣国で羽を伸ばすか?」
「え?」
「もうすぐ夏の休みに入るだろう?一緒に隣国へ行こう」
「いいんですの?」
「ああ、共にな」
フォレンティアはフェリドと共に隣国へ旅行に行くことにした。
☆☆☆
ロンティスにとって、フォレンティアはうっとおしい女だった。
嫉妬深くてちょっと女性と話をしただけで嫉妬してくる。
アジェラ公爵家に婿入りは必要な事だ。自分は次男で、名門アジェラ公爵家の婿の座は魅力的である。
家と家の結びつきにも必要だった。
だが、我慢できなくてフォレンティアと大喧嘩してしまった。
13歳の弟とは仲が悪い。
そんな弟に婿の座を盗られたくはなかった。
だから、大喧嘩した事を反省して、翌日、花束を持ってアジェラ公爵家を訪れた。
門に応対に出た使用人に、
「お嬢様は旅行に出かけられました。この夏一杯、学園が始まるまではお戻りにはなりません」
「え?旅行に?そんな話、聞いていないぞ」
「しかし、お出かけになりましたから」
まずい。まず過ぎる。
本当に弟に婚約者を変えるという話が出たら、自分はどうすればよいっていうんだ?
自分は顔はいい。だが学業の方はいまいちで。
弟はまだ13歳ながら、家庭教師が優秀だと褒める位の出来の良さだ。
まずいまずいまずいっ……
「旅行先はどこだ?私も追いかけるっ」
使用人に旅行先を教えて貰い、速攻で旅行準備をして追いかけることにした。
☆☆☆
隣国はとても暑かった。
そんな中、馬車で旅をするのはとても楽しい。
フェリドは馬車を操って、その隣に腰かけて。
色々な街を見て、色々な人とふれあって。
気分がとても晴れて。何であんなに、ロンティス一色だったのだろう。
フェリドがフォレンティアに向かって、
「このまま、王国へ返したくない。お前とずっと旅をしたい」
「お兄様。お兄様としての発言?それとも血が繋がっていない女性に向かっての発言?」
そう、フェリドとは血が繋がっていない。
幼い頃、親友の息子を引き取って育てたアジェラ公爵。
フェリドは笑って、
「知っていたのか。俺が本当の兄だったら、お前に公爵家を押し付けたりはしなかったんだがな。ごめんな。偽の兄で。お前の傍で本当は生きたかった。だが、育ててくれたアジェラ公爵家を裏切りたくはない」
「お兄様。こうして本当の兄妹ではないわたくし達が旅をしているってだけで、不貞に当たるのでは?政略結婚は貴族の義務ですもの。でも、わたくしは……」
フェリドの前なら、笑っていられた。
フェリドの前ならおだやかな気持ちでいられた。
フェリドの前なら、お兄様……愛しいお兄様。
「お父様とお母様に書置きしたまま、旅行にきてしまったわね。心配しているわ。戻らないと」
「ああ、そろそろ夏も終わる。戻ろうか」
王国に戻ってきたら、両親にこっぴどく二人揃って怒られた。
父であるアジェラ公爵は、
「どういうつもりだ?書置き一つで隣国へだと?フェリドっ。フォレンティアは未婚の大事な身だ。それなのに、恩を仇で返すつもりか?」
公爵夫人も泣きながら、
「そうよ。ああ、フォレンティア。不貞を疑われても仕方がない行動よ。わかっているの?」
フォレンティアは、
「わたくしは、この公爵家を継ぐのにふさわしくありません。解っております。些細な事で騒ぎ立て、嫉妬深くて、貴族として失格ですわ。どうか、名門であるこの公爵家からわたくしを除籍して下さいませ」
そう、わたくしは決意したの。
公爵は叫んだ。
「許さんぞ。フォレンティア」
「わたくしは、お兄様と共に旅をして色々と見て参りました。そして自分の未熟さをよく認識しましたわ。わたくしは、もっと学びたい。もっともっと学んで。どうか親不孝をお許し下さい」
フェリドは、フォレンティアに、
「お前は俺と一緒に生きてくれないのか?」
そう言った途端、アジェラ公爵に殴られるフェリド。
床に転がるフェリドを庇うように、公爵夫人が公爵を見上げ、
「この子もわたくし達の子よ。貴方っーー。これ以上はっ」
「しかしだ。こいつのせいでっ」
フォレンティアも心配そうにフェリドに駆け寄りながら父である公爵を見上げ、
「いえ、全てわたくしが未熟なせいですわ。お父様。本当にご期待に沿えなくて申し訳ございません」
貴族の令嬢として、政略として、アジェラ公爵家の為に役立つはずだった。
でも……このままロンティスへの嫉妬を抱えたまま、生きるのが苦しかった。
それを救ってくれたのがフェリド。広い世界を見せてくれた。
「どうか、ロンティス様との婚約を解消して下さいませ」
ロンティスとの婚約は解消された。
というか、ロンティスが家をいきなり出て行ったきり行方不明になってしまったからだ。
エリド公爵夫妻は、隣国行きの船に乗ったまで、行方を掴んでいるが、それ以降、見つからない息子の事を悲しんだ。
ロンティスの弟と新たな婚約をという事にはならなかった。
フォレンティアは、自分の未熟さを恥じて、家を出ようと思った。
両親に頭を下げて、学費を借りて、もっともっと学んで、未熟な自分を正したいと思った。
アジェラ公爵家の両親が、フォレンティアが家を出るのを許さなかった。
フォレンティアは女公爵になり、元々、アジェラ公爵家の血を引いていないフェリドは養子から婿となった。
フォレンティアは、今も反省している。
ロンティスに対して、嫉妬する姿を見せるのではなかったのだと。
言葉で責めるのではなかったと。
今、フェリドと共に暮らすフォレンティアはとても幸せだ。
彼は誠実で、フォレンティアを大事にしてくれる。
嫉妬で苦しむこともない。
幸せな毎日を堪能していたら、手紙が届いた。
「あら、まぁ……ロンティス様からだわ。辺境騎士団というところにいるのですって」
「辺境騎士団?まさか、あの美男好きの変……辺境騎士団じゃないだろうな」
「まさか……違う辺境騎士団でしょう。私を愛しているなら、迎えに来て欲しいですって。何を言っているのかしら。もうわたくしは結婚しているのに。でも、かわいそうだから、エリド公爵家に届けておきましょう」
「優しいな。フォレンティア」
そう言って、フェリドが背後から抱きしめてくれた。
そう、嫉妬に狂っていたわたくしはもういないのよ。
今は、とても幸せ。
さようなら。ロンティス様。
さようなら、愚かなわたくし。