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閑話:拝啓、強くあろうとしなかった私へ

 

 昔から人の顔色を窺って生きてきた。

 昔か人に嫌われれることが何よりも嫌だった。


 だからこそ、他人に臆面もなく悪意を向ける兄が恐ろしくて仕方がないのだ。

 

 きっと、兄は私の知らないところで私のことも悪く言っているのだと思うと目眩がした。

 

 大切な家族にあんなことを言われるなんて耐えられない。

 

 だから、必死になって嫌われないように、兄に悪く思われないように努力した。

 

 昔から兄は口癖のように「この家を継ぐ者」「俺は長男なんだ」と繰り返す。

 

 そう兄が言うたびに私は頷いた。

 

 家族が大切で、この国が大好きで……兄に家を追い出されることがとても恐ろしい。


 家を追い出されたら私はきっと……――。

 

 私は家を継ぐのは長男だと思っていたため、横から当主の座をかすめ取ろうなんて考えてもいなかった。

 

 ただ父上も母上も家を継ぐ人にはそこまでこだわりが無い人だった。

  

「うちの子の誰かが継いでくれればそれでいい」

「響が継いでくれてもいいのよ」


 とてもおおらかな人たちだと思う。


 しかし、それがさらに兄の主張を加速させていった。

 

「お前は次男」「俺は次期当主」

 

 兄の冷たい瞳を向けられるたび、私は肩を縮こませ自分は害のない存在だと必死に主張した。

 

 あなたからこの家を取り上げたりなんかしないから、だから……。



 *

 


 私が十一歳のとき、私の人生で一番と言っていいほどに大きな出来事が舞い込んできた。


「すまない……どちらか、巫家のご令嬢と婚約を結んで欲しい」


 南は今全体的にひどく低迷しているらしい。

 

 この国で南が担っているのは素材生産と加工。

 地域として他と比べるとそこまで裕福ではないが需要が途切れることはないため細く長くやってきた。


 なぜそんなことになっているのか話を聞くと、どうやら門下にあるとある家がとんでもない詐欺にあってたらしい。


 普遍的な家なら切ればよいかもしれないが、ただその家は南でも貴重な魔術回路を専門としている。


 魔術回路は扱える人は少なくそれ専門の家など国の中に片手で数えるほどしか存在しない。


 そのためその家を切ることは出来ず、その家が負った借金や契約の内容を諸々処理したところ公爵家が財政難になってしまったらしい。


 両親から事情を聞き終わると兄はバッと大きく腕を広げた。

 

「――俺が悪魔と婚約だなんてとんでもない!」

 

 演技ががった大きな仕草で、牽制するような大きな声を発し私の顔を覗き込んだ。

 

「なあ、響。いいだろ? 俺はこの家を継ぐべき長男なんだ、悪魔に呪われたら目も当てられない。だから――」


 先を促すように細められる瞳に背筋が震えた。


 ああ……私は――……。

 

「……私が、巫さんと婚約、します」


 親になんとか笑みを向ける。


 兄は勢いよく私と肩を組むと心底嬉しそうに笑った。

 

「サンキューな! お前は俺の自慢の弟だ!」


 

 *

 

 

 いつからこんなにも意思のない人間になってしまったのだろう。

 

 そんなこと、笑顔を貼り付けているうちに忘れてしまった。



 *

 


 初めはただ恐ろしかった。

 

 美しく伸びる濡羽色の髪も黄金色に輝く美しい瞳も……その存在に恐怖した。

 

 この世界の嫌われ者、私には到底耐えられないようなそんな汚名を付けられ、知らない人に恨まれる……悪魔と名高い少女。

 

「婚約を続ける気はございません」

 

 そうやって拒絶されたとき、私は焦った。

 彼女にとって婚約者は不要なのだと突きつけられて恐怖した。

 

 家の役に立てないということはいつ兄に勘当されてもおかしくない。

 

 家から追い出さないで、私を捨てないで。

 

 そんな思いに駆られて、好かれていないことを承知で週に一度彼女の家に足を運んだ。

 碌な会話など成立せず、ひどいときは一言も交わさないこともあるというのに必死に彼女のもとに通った。

 

 兄に自分はうまくやっているとアピールする為に。

 

 ある日いつも通り巫家に行くと、その日は珍しく書庫に通された。

 

 いつも通り小さく会釈するだけで彼女は本に視線を落としてしまう。

 

 どうしていいか分からず手持ち無沙汰になってしまい入り口付近で立ちつくした。

 

「――ねえ」

 

 所在なく床に視線を落としていると珍しく彼女に声をかけられた。

 

「……っ、はい」

 

 突然の事に驚きつつ、返事をしながら顔を上げた。

 バチッと目が合う。

 

 彼女は本から視線を上げてこちらをジッと見つめていた。

 

「ずっと立ってる気? 気が散るのだけど」

「それは……」

 

 ――私は、どうしたら良いのだろう。

 

 彼女の視線から逃げるように視線を落とした。

 

 あまり好かれていないという自覚はある。

 

 私は彼女を利用している。

 その後ろめたさで勝手に椅子に座るという行為は憚られた。

 

「座ればいいじゃない。椅子はたくさんあるのに」

「――良いのですか?」

 

 彼女の提案に顔を上げて思わず聞き返した。

 

 いつまでも後ろめたさが後ろ髪を引く。

 

 彼女はとても怪訝そうな表情をした。

 

 ……そんな、表情(かお)も出来るんだ。

 

「良くなければ提案なんてしません」

 

 そう告げて彼女は再度視線を本に戻した。

 

 彼女の斜め前の席に腰をかけ、やはりやることのない私は彼女を見た。

 

 彼女は黄金色の瞳を落とし、静かに文字を追っているようだった。

 

 髪を耳にかける動作が艶めかしい。

 

 彼女のページを捲る音だけが空間を作っていた。


 「あの……なんの本を読んでいるのですか?」

 

 彼女はチラッと私を見ると、本の表紙を私に見せた。


「歴史書、ですか……」

 

 彼女はとても勉強家だった。


 何か、ここから話題を広げなければ……。


「面白い、ですか……?」


 ああ、会話が下手だ。


 自分から話題振る会話というのはどのようにしていただろうか。

 

「別に……必要があるから読んでいるだけです」


 彼女はとくに気にした様子もなく顔も上げずに告げる。


 彼女はこの家が大切なのだろうと思う。


 まだ幼いというのに彼女は学ぶことを疎かにしなかった。 

 いつも行くと彼女は書庫から出向いてくれることがほとんどだ。

 

 彼女は、私のことを決して無下に扱わない。

 

 変化の乏しい表情、私を見て細められる瞳……しかし態度は一貫していて、行けばいつだって迎え入れて時間を作ってくれた。


 きっと彼女は私の薄汚い……彼女のことを自己本位で利用しようとしていることを知っているのだ。

 

 優しい方だと思った。

 強い方だと思った。

 

 私なんかよりもずっと、強い(やさしい)方だった。



 *

 


 ある日の舞踏会で私は大きな失敗を犯した。


 彼女は舞踏会の会場に入っただけで、悪意の標的にされ好奇の目に晒される。

 

 そんな会場の雰囲気にうんざりしたように息を吐くと彼女は背を向けて出て行こうとしてしまう。


「あっ、あの……」

「ぜひ、楽しんでくださいね」


 引き留めようと声をかけた私に向けられたのは本当にささやかな嫌味だ。

 

 その瞳は小さな悪意が浮かんでいた。

 

 私はそんな彼女にかける言葉を見つけられなかった。

 

 一人になった私のもとには次々と令嬢たちがやってきた。


 皆一様に悪魔と婚約だなんて……と私に声をかけた。


 私には勇気がない。

 嫌われたくない、そんな潜在的な意識が誰かに意見することをためらわせる。


「私も混ぜてくださいませんか?」


 彼女の声を聞いて、失敗したのだと気づいた。


 恐る恐る顔を上げて見た彼女は息を呑むほどに美しい微笑を称え、それと対比するようにとても冷ややかな瞳がこちらを見ていた。

 

 その時、私は終わりを悟った。

 

 巫家との婚約の終わり、巫珀という少女との関係の終わり……褐神響としての終わり。

 

 しかし予想に反して彼女はため息をつくだけで我々に背を向け扉へ歩きだしてしまった。

 

 嫌われた……そう思うと考えるより先に足が動いた。


 彼女は私に対して別になんとも思っていないようだった。


 はじめから私が言い返せないことなんてお見通しだったのだろう。

 

 わかっていた、知っていた。


 自分が勇気を持っていないことも……彼女は早々にそれを見抜いていたということも……。


 それなのに、期待されていないことに悲しむ、なんて……虫のいい話だ。

 

「信頼できない人をそばに置いておく趣味はないのですよ。今までも、これからも」

 

 ――美しい、笑みだった。

 

 咄嗟に言葉を紡げなくなるほどに幻想的で、見入ってしまうようなそんな微笑み。


 私が何も言えないうちに彼女は笑みを消し、窓の外へ顔を向けてしまった。


 その横顔を見てまるで月のようだと思った。

 

 決して手の届くことない、遠く儚く美しい存在。

 

 その日の夜、私はずっと彼女のことを想った。


 大き過ぎる業に、小さな背中……あまりにもアンバランスな私の婚約者。

 

 その冷ややかな美しさを形作っているのは確かな他人への警戒心。

 

 いずれ、彼女を守れるようになったら、彼女は私を頼ってくれるだろうか?


 その時から、兄へのアピールのためではなく、私が彼女に会いたいがために巫の家に通うようになった。


 

 *

 


「なにかおすすめの本はありますか?」


 ある日、突然彼女にそう問いかけられた時、少し嬉しかった。


 少しでも私に興味を持ってもらえたと思えたから。

 

「珀さんが読まれるのですか?」


 しかしそんな期待はすぐに打ち砕かれた。

 

「いえ、人に勧める用です」

「……どのような、方なのですか?」


 会話を続けようとしても上手く言葉を探せなくて、誰に進めるのかと問いかけた。

 

「――……哀しくなるほど、優しい子です」


 それは見たことのないような柔らかい微笑みだった。

 人を想い、慈しんでいるようなそんな……。

 

 その方はあなたにそのような表情させるほど素敵な方なのですか?


 私はいつからか、自分の抱く感情の名前が分からなくなっていた。



 *


 

 あなたはいつでも毅然としていた。

 自分が傷つくことも恐れずに、ただ必要のある行動を取ってきた。


 必要があれば振り上げられた腕すらかわさず、その身を傷つける事すら躊躇わない。


 私が学園に入学した年に、私が傍にいない時にあなたの右足は心無い者によって切り裂かれ、温度を奪われた。


 ベッドで死んだように横たわっている彼女に、無くなっている右足に恐怖した。


 彼女に向けられる悪意は私がいない所でも彼女を穿つ。


 彼女が起きたと聞いて、彼女のお見舞いに行った。


 ベッドの上で彼女はいつも通り、本を読んでいた。


「なにが、あったんですか?」

「あなたには関係ありません」


 にべもなく告げられる言葉に食い下がる。

 

「関係あります。私は珀さんの婚約者です」


 聞くまでここを動かない、その意思で彼女のベッドの横にある椅子に腰をかけた。


 それから一時間ほどたち、彼女は大きくため息を吐きながら顔を上げた。


 彼女は端的に要点だけを教えてくれた。


 春告祭の巫女をやることになった事。

 巫女をやるなら桜を咲かせなくていけない事。

 そのために神様の社まで行き、そこで会った男に恨みをぶつけられたと。


 何でもないように話す彼女に感情のまま問いかけた。

 

 足まで失って後悔はないんですか、怒りは無いんですか。

 そうまでしてあの場所で舞う事に何の意味があるんですか。

 

「これは私の選択の結果であって、後悔はしていません」


 でもあなたはそう言っていつも通り真っ直ぐな瞳で私を見た。


 私は彼女のその言葉に憤りを覚えたのだ。


 なぜ、そんなことを言えるのですか?

 なぜ、あなたは怒らないのですか?


 ――なぜ、私の居ないところで怪我などしているのですか?


 ああ、許せない。


 あなたの足を奪った愚か者も、あなたの側にずっと居ながらも役に立たないあのお付も……全てを赦すあなたも、私は許せない。


 この感情は、なんのでしょうか……?

 

 ああ、愛おしい婚約者(あなた)。どうか私に教えてください。

 あなたが私に教えてくれたこの気持ちの正体を教えてください。

 

 ――それを教えるのはあなたであるべきでしょう?

 

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