慈善活動委託計画 ー6-
――痛い……口の中、血の味……。
駆け寄ってきそうな響を思いっきり睨みつける。
体が若干ふらつくが、なんとか耐えて院長を見た。
左頬が熱を持つ、口の中が切れたが歯は折れていない。
「――私が、公爵家の令嬢でなくてもこれは暴力。暴行罪ね……連れて行きなさい」
そう告げると隠れていた騎士団の人々が姿を現し院長を抑えつけようとした。
最終的に捕らえるのが良いだろうという事で数人拝借してきていたのだ。
しかし、院長は顔を真っ赤にして激しく抵抗をした。
「巫山戯るなっ! お前が無罪放免で生きてるというのにっ! この私を捕まえるというのかっ!? 聖女様を殺した悪魔が!!」
「早く連れていけっ!」
「おい騎士団っ! なぜ悪魔の言いなりになってるんだっ!」
撲たれた所を摩りながら院長に目を向ける。
院長は騎士団の人達を無理やり振り払うと私を指差し、声を荒げた。
「そいつを斬り捨てるのが本来お前たちの役目だろっ! お前たちが出来ないことをこの私がやってやったんだ! むしろ感謝をしてほしいくらいだっ!」
暴れ散らかし喚き散らかす中年男性は見るに堪えなかったが、騎士団が押さえつけて連れていった。
声が段々と小さくなり聞こえなくなったころで彼らを向く。
「取りあえず、この後の引継ぎの話だけど……」
振り返ると驚いたようにこちらを見る瞳と目が合った。
「いやっ、ケガがっ……!」
「ああ……いやこれ一つで済んでよかった」
逆上した人は何をしでかすかわからないため、正直平手打ち一つで済んで安心している。
よかった、ナイフとか出てこなくて。
「よくないよ手当てしないとっ……! 紡、救急箱持ってき!!」
「う、うんっ!」
律樹が紡に指示を出すと、紡はバタバタと部屋を飛び出していった。
「いや、せっかくここの子どもたちのために買いそろえた医療品だし、治療はいいよ。そんなことより……」
「そんなことじゃない……っ!!」
急に大きな声を出した律樹に驚いて思わず彼の方を見る。
律樹は私の左頬に手を伸ばし優しく触れた。
「もっと、自分を大切にして」
「……ありがとう」
この世界で心配されることも優しく対応されることも初めてでなんだか少し気恥ずかしい。
「……一つ、言っておかないといけないことがある」
「なに……?」
壁際で律儀に言いつけを守っている響を指差した。
「ここの孤児院の運営権を彼に委託することにした」
「えっ……?」
「これからは何か不満があったら彼に……」
扉の方からボトッと音がした。
そちらに目線を向けると救急箱を取って来た紡が救急箱を床に落としこちらを見ながら目を見開き動きを止めていた。
「なんで……」
「――あんたも、俺を捨てるの……っ⁉」
呆然と放たれた律樹の言葉を遮り紡が大きな声で肩を掴み迫ってくる。
「ねえ、珀ちゃんっ! おれ、おれは……っ」
「――捨てるんじゃない」
肩を掴んでいる手に手を重ね真っ直ぐ紡の目を見た。
「あなたたちを守るために、私はここから手を引くの」
紡の瞳が大きく見開かれた。
「あなたも見たでしょ。さっきの院長のように私の事が嫌いな人は世の中にたくさんいるの」
そのほとんどの人の顔を私は知らない。
「そしてその募った恨みは、私ではなく私に関係の場所に向けて発散される」
そして全世界が敵のような今の状況で対策を講じるのは不可能に近い。
「私がここの孤児院にメインで関わり続けることが、この孤児院にとって最善だとは思えない」
紡の手の力が弱まり紡は項垂れるように下を向いた。
「いやだよ……」
なおも紡の口から遮るように弱々しく零れた言葉に思わず少し目を見開く。
「いやだよ……おれ……おれ、珀ちゃんがいい……」
そう言ってもらえるのは嬉しい限りだが、私にはここを守りながら運営できる権力も人望もない。
なんと言おうか迷っていると「あの……」と響が口を挟んだ。
「私と珀さん、二人で共同の運営者……というのはどうでしょうか? もちろん、ここの新しい院長は私の信頼できる方に任せる気でいますが……」
響は近くまでやって来て律樹と紡を一瞥すると私に向かって微笑みを浮かべた。
「彼らはあなたの方が良さそうですしね……珀さん左頬、失礼しますね」
南との共同運営……この孤児院で悪さすると東だけでなく南での面子もつぶれるということになる……悪くはないな。
「……ありがとうございます」
響の手にはさっき紡が落とした救急箱が抱えられており、処置を施してくれるようだ。
「俺も君がいいな」
突然の言葉に思わず律樹を見る。
「みんな君が来てくれたら喜ぶし。もちろん紡も」
律樹は優しく笑みを浮かべ、紡を見た。
紡は恥ずかしそうにしながらも小さく頷いている。
「それに、俺に勉強教えてくれるんでしょ?」
そう言って、子どもっぽく笑う律樹に何も言えなくなってしまう。
「ねえ、あの話受けるよ」
律樹は騎士のする様に膝をつくと、顔を上げて微笑みを浮かべ私に手を差し出した。
「東を守護する慈悲深き者よ。どうか、俺に知恵を与えて欲しい」
……こんな知識、どこで覚えくるんだろう?
剱と響の前でよくこんな大胆な行動が取れるなこの子。
しかもなんだか、大袈裟な気がする……別に慈悲深くないし。
しかし膝をつかせた状態で見上げさせ続けるのはいかがなものか……。
「……いいでしょう」
ため息を吐きたい気持ちをぐっと堪えて、言葉を吐き出す。
そもそも、この結果自体は最善だ。
あとは彼の気が変わらないように私がメンタルコントロールをするだけ。
差し出された手に手を重ねそのまま律樹を引っ張り立たせる。
「あなたの心意気に答えられるように私も最善を尽くすことを約束する。これからよろしく、律樹」
「うん、これからよろしく。巫珀さま」
初めてまともに呼ばれら気がする。初対面の時は呼び捨てだったし。
しかし、まあなんというか……。
「様付けじゃなくていいよ、落ち着かない」
「じゃあ……なんて呼べばいい?」
階級社会において上の階級からの許可って大切。
やっぱり多少のマナーは知ってるか。
流石作品図一の情報通。
「珀でいい。これからきっと付き合いは長くなるもの」
「よろしく、珀」
「ええ、よろしく……リツ」
私も呼びやすいように崩して呼ぶとリツは優しく微笑みを浮かべた。
「あっ、あのっ、おれ、も……珀ちゃんって呼んでいいでしょうかっ!」
なんだかデジャブ。
昔も一度こんなシチュエーションがあったような気がする……。
「いいけど……」
幻覚だろうか……紡の目が輝いて見える。
「これかよろしくね。珀ちゃん!!」
この先の事を考えると紡はあまりよろしくしたくない子供ではあるが……。
花が咲くように笑う紡を見るとそんなこと今はどうでもよくなってしまった。
「珀さん、そろそろ……」
響に話しかけられ、後片付けの為の書類を書かないといけないことを思い出した。
流石に、院長が変わるため騎士団で全部処理しますは出来ないのだ。
響は私の手を取ると優しく微笑みを浮かべる。
「また、二人で来ましょう。その方が今後の運営方針など相談しやすいでしょう?」
「……わかりました。とりあえず、またすぐに顔を出すから。あと、リツ」
帰る前に伝えたいことを伝えてから帰らねば。
「一旦、魔法学園の特待生試験で特待生になることを目指してもらうから」
そう告げると一瞬目を見開いた律樹だが、すぐに笑うと頷いて見せた。
「わかった、最善を尽くすよ」
結構無理難題のはずだが毅然と言ってのけるあたり流石、作品一番の切れ者だ。
どちらかというと律樹よりも周りの方が驚いてる。
本人がやる気の為大丈夫だろうと思い背を向けた。
「彼の入学試験まであと二年もありません。これから学び始めて間に合うでしょうか……」
馬車に乗り込むと響が心配そうに言葉を溢した。
「本人にやる気があるため大丈夫でしょう。それに、私が間に合わせて見せますのでご心配なく」
そう突っぱねると、響は少し眉を下げる。
「……私に出来ることがあったら、お手伝いさせてくださいね」
その言葉には何も返さずに窓の外を見た。
少しずつだけど、原作よりも状況は好転しているはずだ。
あいにく原作開始までまだ時間はある。
大丈夫、まだ備えられる。