優しくない世界を生きる術 ー1ー
誰かが言った。
聖女を殺めて生まれた子は悪魔の子であると。
この国には広く知れわたっている悪魔がいた。
神事を主に生業とする東を治める家に生まれた一人の女の子。
全てに愛され、全てを愛した偉大な聖女の命と引き換えに生を授かった女の子。
そんな彼女をみんなで敬遠した。
誰かが言った。
「聖女様が亡くなったなんて不吉だな」
誰かが言った。
「これからこの国の神事は誰が執り行うんだ」
誰かが言った。
「悪魔だ。悪魔が生まれたんだ」
誰かが言った。
――愛おしい聖女を殺した彼女が憎い。
*
キィーンと耳障りな音が鼓膜の奥で鳴り響く。
ガンガンと頭の奥を叩かれるような痛みと共に目を覚ました。
一人で使うには大きすぎるベッドで体を起こす。
まだ引かない痛みに顔を歪めながら頭を押さえた。
大きな窓から煌々と輝く月が見える。どうやら夜はまだ明けてないらしい。
ぼちぼち痛みも引いて来た頃、頭の中で夢の内容を思い出した。
夢で見た少女は自身の望みの為なら何をする事もいとわない、そんな人。
そんな少女の野望のために全てを失った悪役はどこまでいっても誰も見向きする事はなかった。
夢の内容を粗方思い出すとかたかたと小さく震える手に気づきギュッと力を籠める。
……なにが、こんなに怖いんだろう?
自分が何をそこまで恐れているのかよくわからない。
しかし、その答えは突然頭の中に現れた。
その結論がどれほど荒唐無稽でも何の疑問も持たせず彼女の中に鎮座した。
「……知ってる」
深い夜の静かな部屋にぽつりと言葉が零れ落ちた。
覚えがあったのだ。あの物語の事も、悪役の少女の事も。
昔、ここでは無いどこかで必死にクリアしようとしていた闇鍋ゲームのストーリーそのものだ。
――そして、私は……。
「――私は、珀。巫珀」
自身に言い聞かせるように今の名前を呟いた。
そして導き出した結論を頭の中に落とし込むように瞳を閉じる。
私は、あのゲーム一番の被害者。全てを失う悲劇の令嬢……巫珀だ。
▽
『成り上がるためには手段を選んではいられません』通称『なりえら』はとある同人サークルが作った闇鍋ゲームだ。
攻略対象も多ければ立ちはだかる悪役も多くおり、やり込み要素も多いといった超長編ゲームである。
一回で製作者たちのやりたいことをすべて詰め込むことが出来なかったらしいこのゲームは彼女が生きていたときDLCという形で攻略キャラや他のやり込み要素の追加などが永遠と行われていた。
エンディングはキャラごとのトゥルーエンド、バットエンドや友情エンドに逆ハーレムルートなど種類は豊富にあり、それに加え様々なルート分岐が存在する。そのため全てのルート、全てのエンディングを見た者は賢者として崇められていた。
そしてこのゲームにはクリアに時間が掛かりすぎるということ以外にもう1点特筆すべき点がある。
それはゲームの主人公がそのゲームの中で一番の悪ということだ。
『成り上がるためには手段を選んでいられません』というタイトル通り本当に手段を選ばない。
攻略対象達も主人公を好きになってしまったら最後、主人公と結ばれるために手段を選ばなくなる奴しかおらず……たしかこのゲームの別名は『思春期オタク女子のパンドラの箱』であった。
主人公の成り上がりの物語は攻略対象たちの献身的な協力と様々な人々の屍の上に成り立っている物語なのだ。
そして主人公の成り上がりに巻き込まれその渦に轢かれるのが巫珀という少女。
ハッピーエンドでもバットエンドでも物語の最後までいってしまえば勘当されているのが当たり前、そんな少女だ。
△
悪魔の子、ね……。
夢の内容を再度頭の中で反芻する。
今日はもう眠れないと思ったため、ベッドを立ち少しふらつきながら鏡の前に立った。
この少女は作中どれだけの回数この文言で誹謗中傷されていただろう。
――……九歳か。
鏡に映る少女の姿を見ながら目を細め手で頬に触れる。
頬のぬくもりが冷え切った指先に温度を伝えてきた。
黄金色の猫目に濡れ羽色の髪。まだ幼いが美人の括りに入るであろう顔立ちにもはや感動すら覚える。
……私は、どうしてここに居るんだろう?
記憶が所々思い出せない……断片的な記憶でまるでパズルのピースみたいな……気持ち悪い……。
なんだこれ……若年性アルツハイマーか?
「……あなた、どこに行ったの?」
鏡の中の少女に話しかけるが応答はない。
頬を撫でると鏡の中の少女も頬を撫でるため自身が少女であることを実感する。
その実感は重くのしかかり、少し落ち着くためによろよろと鏡の前で座り瞳を閉じた。
しばらく経った頃に開くが同じ姿勢をした少女と目が合う。
やっぱり、現実……現実逃避失敗。
小さく息を吐くと再度瞳を閉じた。
しばらく経った頃コンコンと扉をノックする音が聞こえ瞳を開く。返事はせずに扉を見る。
少し時間を空けて扉が開いた。開いた扉からふわりと美味しそうな香りが漂ってくる。
「……おはようございます、お嬢様。本日の朝食を持ってまいりました」
珀が起きていたことに驚いたのか、はたまた珀が床に座っていることに驚いたのか使用人の目が少し見開かれる。
しかし、すぐに定型文の挨拶をし、机の上に朝食を並べ頭を下げて出ていった。
この家の使用人は珀を起こさない。
この家の者たちは自分から珀に声をかけるなんてことを間違っても行わない。
珀が起きていなければ起こさず朝食を並べて出ていく。
朝食が冷たくなろうと知った事ではない。
なぜなら、起きられなかった珀が悪いのだから。
そもそもこの家には最低限の使用人しかいない。
そしてその最低限の中に拍の使用人はいない。
それは明らかな公爵から娘に対する壁であり拒絶だった。
今まで公爵は決して口にはしなかった。
「悪魔」「人殺し」などといった目に見えた悪意を娘に向けた事はなかった。
だから公爵は行動で示すのだ。
――お前は私の大切な人ではない、と。
生活上特にに何か問題があるわけではない。
教育のための教師もちゃんとした人を雇っている。
月に一度決まった金額の小切手を渡される。
問題はない。お金はある、頼めば馬車だって出してもらえる。
ただ、誰も彼女に話しかけない。
彼女が話しかけると答えてはくれるが、世間話などは一切しない。
ただそれだけ。
たったそれだけでも、生活上なんの問題もなくても、彼女はただ孤独だった。
そんな彼女のどうしようもない現状に思わず大きく溜息をついた。
公爵令嬢なのにお付きもいないなんて……。
あからさまに拒絶されている状況に芽生えてくるのはこの少女に対する同情心だ。
いや、同情なんてしてる場合ではないのだけど……。
私はどうやら珀になったらしい。
この先の珀としての身の振り方を考えないと……あと、現状を変える方法も。
お父様と言葉を交わす機会があればもう少し何かが変わるかな。
一度、話に行ってみる価値はあるか。
体の記憶を探りながらゆっくりと思案する。
今日お父様は家にいた気がする。とりあえず善は急げか。
会ってどうするのかも決めずにお父様の執務室に向かって歩き出した。
珀の記憶を探りながら広い家の中足を進める。
執務室につくまで全くと言っていい程使用人とすれ違わないことがこの家がいかに人を雇っていないのかを表していた。
……ただ、私が避けられているだけという考え方もできるけど。
執務室の扉をノックすると公爵の秘書が顔を見せた。
「お父様にお会いすることは出来ませんか?」
珀が訪れた事を驚いているのか彼は戸惑ったように言葉を返す。
「申し訳ありませんが、本日は業務が詰まっておりまして……」
「では、明日は?」
間髪入れずに問いかける。
「明日ならば開いているとは思いますが――」
「では明日、会いに来ます。お父様によろしくお伝えください。」
言い逃げに近い形で会話を終わらせ足早に立ち去った。
秘書には多少の申し訳なさを感じつつも振り返ることは無い。
狙い通り父親と話す機会を得たが胸中は穏やかではなかった。
言い逃げのように逃げた現実にその逃げてしまった理由に少し胸が苦しくなる。
……こうでもしないとお父さまはきっと珀と話してはくれない。
そう思った。ただそれだけのことだ。