沈黙の村、目覚める真実
◇
完全無欠、無敵の異世界転生者オールマン。
だが、完全な存在というものは存在しない。必ずどこかに弱点があり、オールマンも例外ではなかった。
かつて、オールマンは鉱山に出現した「異変」を対処するために戦った記録が残されている。「異変」の名は怪奇生物スライムの対処であった。大量発生したスライムは鉱山で働くものたちを次々と襲い、やがて鉱山全体を侵食する形となった。
そしてついた名が「奇人山脈」。触れられざる禁忌の地となったのだ。
スライムはゲル状の生命体で、無数の触手と眼球のようなものを内包している。それはこの世界には存在しない、まさしく怪奇的存在であった。あらゆる武器も魔法も通じない、無敵の存在に思えたのだが、オールマンは単身で「奇人山脈」の撃退に成功したのだ。
記録では、彼の英雄譚としてここまでが正式なものである。
だが、当時の鉱山村「ムナール村」にいた人々の証言に、奇妙なものが残されていた。
「スライムを倒したあとのオールマンは、酷く憔悴していた。おかしいんだよ、だって彼はいつもどおり、その拳一撃で、奇人山脈を撃退したんだよ?」
それはただの気の所為だと誰もが思っていた。
しかし、フィアレスは違った。その記録から、オールマンの弱点を探し出したのだ。そう、彼の弱点とは……
「特殊鉱石『ムナルスターナイト』、ムナール村の特産品だ。希少品だが利用価値の無いただの石ころ。だがどうしてか、オールマンにとってはその石が、猛毒だった」
ペインゲッターはそう語る。腑に落ちない点はある。ペインゲッター自身、異世界転生者だが、ムナルスターナイトは彼にとっては無害だ。彼の知人たちもそうだった。オールマンだけに適用される猛毒。異世界転生者に対して共通の猛毒ではないということだ。
その時点で、ペインゲッターはこの場では話さなかったが、ある仮説に思い至った。それはオールマンの正体。自分たち異世界転生者とは起源の異なる……。
もっとも今は、オールマン暗殺計画の方が重要。ムナルスターナイトを使い、彼は殺害される。
「ムナール村は俺も知ってる……でも、本当に希少な鉱石だって聞いたぞ?そんなものをどうやってオールマンにぶつけるんだ?」
ヴェインの問いに、ペインゲッターは静かに答える。
「そこで、異世界転生者の出番だ。チート能力『増殖』。その力を持つ相手をフィアレスは見つけ出し、その力で強制的に本来はこの世界において僅かにしか存在しないムナルスターナイトを大量に生産した」
ムナルスターナイトは、本来ごくわずかにしか採取できない希少鉱石。しかし、異世界転生者ならば話は別だ。彼らは、ありえないことを現実にする力を持つ。フィアレスは、そこに目をつけたのだ。
「なるほど……じゃあ、そのムナルスターナイトを溜め込んでる倉庫みたいなのを探せば良いんだな!」
ヴェインの顔に、わずかな希望の色が灯る。オールマンが殺される前に、その計画を知ることができたのは幸いだ。まだ、対策を練る時間はある。
しかし、ペインゲッターは暗い影を落とした表情で首を振る。
「ムナルスターナイトがどこにあるかは分かっている」
その言葉とは裏腹に、彼の口調は重苦しい。
「東京郊外に出現した巨人、アトラスの体内だ。増殖の異世界転生者は、奴なんだ」
巨人アトラス。オールマンがずっと対処していた異変。フィアレスの魔の手によって、彼は生きたムナルスターナイトの生産工場と化していたのだ。そして、計画は、それだけではない。
「フィアレスの最終目標は、アトラスを人魂爆弾とし、東京中心で爆発させることだ」
それがフィアレスの計画。
東京中心部でアトラスが爆発すれば、莫大な量のムナルスターナイトが飛散し、街全体を覆い尽くすだろう。それは、人々にとっては無害な鉱石の塵に過ぎない。
しかし、オールマンにとっては致死性の猛毒となる。
東京は、彼にとって決して踏み入ることのできない禁断の地と化してしまうのだ。暗殺計画は最悪失敗に終わったとしても、オールマンは二度と東京には戻れない。
それがフィアレスの計画だった。
「そんな……」
ヴェインはペインゲッターの話を聞いて絶句した。東京でオールマンが活動できなくなるということ。それは七星天による秩序の崩壊を意味する。魔王フィアレスに対抗できるものが誰一人としていなくなってしまう。
アトラスを止めなくてはならない。だがオールマンに頼るのは不可能だった。
ヴェインは、オールマンが体調不良を起こしている原因を確信した。オールマンは巨人アトラスの対応に日々追われていた。そうしてじわじわとムナルスターナイトの毒性に汚染されていたのだ。
もし、オールマンがフィアレスの陰謀に気が付き、アトラスをどうにかしようとした場合、フィアレスは躊躇なくアトラスを爆破するだろう。
人魂爆弾の威力はヴェインも知っている。ムナルスターナイトというオールマンにとっての致命毒とともに、その威力が炸裂した場合、オールマンはどうなるかなど、分かりきったことだった。
「止めないと、俺たちで」
ヴェインは、強い決意を込めてペインゲッターを見据える。ペインゲッターは静かに頷いた。
「そのために、俺はここに来た。目標は巨人アトラス。奴が最優先だ」
ペインゲッターの言葉は、鋼鉄のように強固な意志を感じさせた。フィアレスの陰謀を阻止するため、そして、世界を守るため、彼はここにいる。しかし、ペインゲッターの表情には、まだ一抹の不安が残っていた。
「USBメモリの解析には、暗殺計画の他に、もう一つ気になることがあったんだ。それが『シャイニング・トラペゾヘドロン』。ヴェイン、俺はお前にそれを聞きたかった」
シャイニング・トラペゾヘドロン。
ヴェインは、その言葉を何度か耳にしたことがあった。それは、フィアレスが執拗に追い求める、謎めいた存在。そして、七星天にとっての「弱点」であるということ以外、何も知らなかった。
ペインゲッターに、自分が知っている限りの情報を伝えると、彼は腕を組み、深く考え込んだ。その表情は、まるで深い霧に包まれた森のように、謎めいていた。
「シャイニング・トラペゾヘドロンとは、どうやら異世界転生者たちにチート能力を与えている存在らしいんだ」
「え!?そうなのか?女神さまがチート能力を授けているって聞いてるけど」
「別にそこは不思議ではないだろ、女神の名前が『シャイニング・トラペゾヘドロン』なんだと思えば矛盾はない」
言われてみるとそのとおりだとヴェインは納得する。いつの間にかシャイニング・トラペゾヘドロンが物体だとばかり思い込んでいたが、人名である可能性もあるのだから。
「重要なのは、そんなチート能力を与えている存在が、この世界にいるということだ」
「……!そうか、何か高次元的な存在だと思ったけど、その可能性もあるんだな」
「……何を他人事のように言っているんだ、その『シャイニング・トラペゾヘドロン』が、最後に観測されたのがお前の出身の村……『名もなき村』だろうが」
……え?
ヴェインの心臓が、高鳴る鼓動を刻む。シャイニング・トラペゾヘドロンが、最後に観測されたのが、自分の村?
「名もなき村」
ヴェインの故郷。その村には、名前がない。彼が幼い頃から、ずっとそうだった。東京に来て初めて、村や街には名前があるのだと知ったのだ。
村長や、村の人たちは皆、自分たちの住む村を「無名村」と呼んでいた。父がよく薬草を採取する場所は「無名山」「無名草原」などと呼び、とにかく固有名詞をつけることを避けていた。まるで、何かを恐れているかのように。
幼いヴェインにとってはそれが、当たり前のことだと思っていた。
村の名前を記す看板には「■■■■村」と書かれていた。
「し、知らない!俺のいた村に、女神さまがいたってことなのか!?」
「そういうことみたいだが……まぁその様子だと本当に知らないのだな、フィアレスの戯言か、あるいは村民の一部にしか知らされていないのか……今はわからないな」
ペインゲッターの言葉に、幼い頃の記憶が蘇る。魔王フィアレスの襲撃。血に染まる故郷。村長たちの無残な姿。
「だとしたら…一体、なぜ…」
真相は闇の中。唯一の手がかりは、フィアレスが村長たちから聞き出した「何か」だけ。
「ヴェイン、フィアレスが何を知っているのか知らんが、記録ではムナルスターナイトよりも、シャイニング・トラペゾヘドロンの方に強い関心を持っていた。気をつけることだ。『知らない』という言葉を、奴は信じない」
ペインゲッターの言葉が、重くのしかかる。
オールマン暗殺計画。ムナルスターナイト。シャイニング・トラペゾヘドロン。
三つの謎が絡み合い、ヴェインの心を締め付ける。フィアレスの影が、再び世界に暗い影を落とそうとしていた。




