奇跡の担い手と異世界からの怪物
「ぐッ……!」
一撃。無言の一撃がレティシアに放たれる。同じことの繰り返し。だが、レティシアの口角が、僅かにあがる。
「おらおら、どうしたぁ~?楽に……」
テラケインがそう呟くのと同時に、レティシアは口に溜めていた血を吹き出す。鮮血は赤色の弧を描き、テラケインへと降り注いだ。透明なはずの彼の身体に、それはまるで絵の具のようにべっとりと付着し、その姿を浮かび上がらせる。
「なっ……なんだこれ!?血……か!?」
テラケインは、己の身に降りかかった異変に驚き、思わず声を上げた。その隙を見逃さず、レティシアは不敵な笑みを浮かべる。
「みぃ……つけた♥」
レティシアはここに来た時に持っていた機関銃を手にしていた。いつの間に拾っていたのが、弾倉には既に銃弾が装填されていて発射が可能。だがテラケインに銃弾は無効。それは、最初の邂逅で既に明白。
機関銃という無骨な鉄塊に、レティシアの細く長い指が伝うと、まるで一つの生命のようにゆらりと揺れる。否、銃身が動くことなどありえない。
それは、舞踏の如き所作であった。一瞬、息を呑むほどに美しい身のこなしに、テラケインの思考は停止する。レティシアの金色の長髪が、虚空に一条の光跡を刻む。
「……ごぼッ!?」
不意に、口内に衝撃が走る。その瞬間、テラケインは理解した。レティシアの一連の動きは、舞踏ではなく、槍術の型であったのだと。騎士たる者が修める武芸の一つ、槍術。レティシアは、機関銃の銃身を槍に見立て、その型を繰り出したのだ。
王国騎士槍術の真髄。武の真髄に至ったものならば、得物は選ばない。それが例え槍でなくとも、冴えわたる技は錆びつかない。
噴きつけられた血潮に困惑し、なおも口を開き無駄口を叩く余裕を見せるテラケイン。そこがレティシアの狙い目だった。
機関銃の銃身がテラケインの顔面、口の中へと叩き込まれる。瞬間、銃身を中心に閃光とスパークが弾け飛んだ。おおよそ鉄塊を顔面が叩き伏せる音とは思えぬ異音。例えるならばそれは重機機関の唸りのようであった。
「お前のチート能力、皮膚は丈夫にできるようだが、体内はどうかな」
即ち、魔法の行使。魔力の唸りが、脈動し紫電を引き起こす。
魔術師、魔法使い。いずれも、この世界に古来より存在する魔力を操る者達である。両者の違いは、魔術が理論化された技術であり、修練を積めば誰でも扱えるのに対し、魔法とは魔力を使い理を創り出すが故に、その扱いには天賦の才が必要。
言うならば、魔法使いとは「奇跡の担い手」と呼ばれるのだ。
銃身はテラケインの口に咥えるように叩きつけられ、更に喉へと照準を合わせる。加えて大気のマナを操作。魔力へと変換しそのエネルギーを弾倉へと装填する。励起した魔力は爆発的な推進力を得て弾丸へと装填される。これこそが魔法の妙技。簡易的ではあるが、銃弾に魔力を乗せる。
「クー・ド・グラスッ!!」
その言葉と共に、彼女は引き金を引いた。魔力を込めたその一撃は、彼女の全身全霊の怒りと決意を乗せて、テラケインの顔面を捉えた。鈍い衝撃音とマズルフラッシュの閃光が辺りに響き渡り、テラケインは大きく後方へと吹き飛ばされた。
硝煙の匂いが響く。フルバースト。機関銃に装填されていた弾丸を全て撃ち尽くした。
「はぁ……はぁ……くそっ」
レティシアの足は、鉛を流し込まれたかのように重く、もはや彼女の意志に従うことを拒んだ。膝が崩れ落ち、彼女はガラス片の散乱した床面に手をつく。
その一方で、テラケインは、まるで嵐の中に立つ大樹のように、よろめきながらも、しかし確実にその場に踏みとどまっていた。
「血で俺の位置を特定したか、見かけによらずストイックな女だ、好みだぜ」
テラケインは傷一つ負っていなかった。彼をよろめかせたのは、脳髄を激しく揺さぶる衝撃のみ。レティシアの放った弾丸は、彼の強靭な肉体を貫くことなく、無力に砕け散っていたのだ。
彼は、その血をまるで甘露であるかのように、舌で丁寧に拭い取った。口から吐き出される紫煙は、まるで勝利の狼煙。そして、弾丸は嘲笑と共に吐き出された。それは、彼の圧倒的な力を示す、残酷なまでの証明だった。
「チート能力ってのは無敵だからチートなんだよ、しかし今のは効いたぜ?口内炎になりそうでちょっとイラつくけど」
しかし、言葉とは裏腹に、勝利を確信したのか、彼は得意げにまた喋りだした。
レティシアの長い髪をテラケインは掴む。
「いや、驚いたよ、お前魔術師か?この世界に存在する魔術なら俺にも一定の……」
レティシアの髪を掴んだテラケインは気づく。息を呑んだかのように少し言葉を失った。
「お前、魔術師じゃなくて魔法使いか?おいおいマジかよ!まだいたのか、魔法使いが!あぁそういやその美貌、エルフか?いや違うな、耳長じゃねぇ……人間の魔法使い?とんだレアものだ!」
レティシアは魔法使いである。それはこの世界において希少な存在。魔法とは、テラケインの持つ『オールエレメンタリー』で作り出した鉄壁の防御さえも貫通する。
しかし、あくまで“ある程度”である。致命傷を与えるには至らない。『オールエレメンタリー』を駆使すれば怪我など瞬時に回復してしまうため、足止めにもならないのだ。
故に、テラケインの持つ能力はチート能力なのだ。
「くそっ……はな……せ!」
髪を鷲掴みにされ、レティシアは身動き一つ取れない。彼女は苦悶の表情を浮かべ、必死に振りほどこうとするも、その掴む手は力強く並外れたものであった。
「いいねぇ!ますます気に入った。エルフ女の娼婦には飽き飽きしてたんだ。魔法使いの女なんて滅多にいねぇ、名誉あることだ」
テラケインは下衆な笑みを浮かべる。
「滾ってきたぁ~~~♪」
下劣な言葉を吐きながら、テラケインはレティシアをじろじろと舐め回すように眺める。
「俺の妾にしてやるよ、拒否権はないからな?なに、凛子のやつに頼めば嫌でも俺のことを好きになる」
「凛子……七星天『オールフィクション』の凛子か……!あの売女がお前みたいな下衆の頼み事を聞くのか?」
レティシアは、怒りに燃える瞳でテラケインを睨みつけた。
「それはそれでグッド。俺としては今の刺々しい態度も悪くないがな?」
対するテラケインは、レティシアの抵抗を楽しむかのように、さらに挑発的な言葉を投げかける。
「俺は紳士だからな?胴体しか狙わなかったのに気がついてたか?あいつと違って顔が痣だらけの女に興奮するような異常性癖者ではないんだ、分かる?」
テラケインの狙いは既に当初と変わっていた。レティシアの生け捕り。本気を出さなかったのはそういった理由もある。
「レ、レティシア……」
その様子をヴェインはずっと隠れながら見ていた。テラケインはヴェインを戦力外とみなし、逃走経路だけを塞ぎつつも、相手にすることはしなかった。
『逃げろ』と言われた。だがヴェインは逃げることはしなかった。今、彼女が窮地に立たされているのは自分のせいだった。だというのに自分だけ逃げるというのは許せなかったのだ。
「なにか……俺にできることは……!」
必死にヴェインは記憶をたどる。テラケインに関係する情報を思い出す。ジェネシスの公式ホームページや過去のインタビュー、新聞記事……あらゆる知識を総動員して、彼を倒す手段を考えていた。
その時、ヴェインの視線の先に、ケーブルが火花を散らしているのが見えた。
「透明……」
ヴェインはテラケインに気づかれないように動き出した。自分にできることはあるはずだと信じて。
(ヴェイン……?)
背後でヴェインが何かをしているのにレティシアは気がつく。彼女はそれに賭けた。
「女の腹を執拗に殴りつける奴が紳士?冗談はお前たちの存在だけにしときなよ」
「おいおい!そりゃあねぇだろ?だったら黙ってお前に殴られろってか?そういうプレイもありだが、それは互いの愛があってこそだ!違うかな?」
心底レティシアはテラケインに反吐が出た。生理的に受け付けない気持ち悪さ。その仕草全てに嫌悪感を抱き、鳥肌が立つ。
「異世界からの化け物どもめ、私たちの世界を目茶苦茶にして、何が目的だ?」
レティシアの言葉は、怒りに震えていた。その瞳は、まるで獲物を狙う獣のように鋭く、テラケインを射抜いた。
「目茶苦茶?勘弁してくれよ!俺はあの魔王を倒した七星天の一人!世界を救った英雄だぜ?東京のことだって良いじゃねぇか、便利になってよぉ?昔みたいに電気もない時代が良いってのか?そんなこと言うのは、かび臭いエルフどもだけだ!」
テラケインは、まるで彼女の言葉を嘲笑うかのように、軽薄な態度でまくし立てた。
「だから……滅ぼしたのか?エルフどもを」
レティシアの声は、氷のように冷たかった。
「滅ぼしてないさ!連中の思考はカスだが、容姿は優れてる!だから生け捕りにして今も娼館で立派に働いてるだろ?おっと!お前の容姿も中々だぜ?」
フォローのつもりなのか、テラケインは彼女の容姿をエルフに比肩すると褒め称えた。しかし、その言葉は彼女の心を逆撫でするだけだった。レティシアは、微塵も嬉しさを感じなかった。むしろ深い怒りと悲しみが、彼女の心を満たしていた。
「お前みたいな下衆と意見が一致するのは屈辱的だけど、私もエルフは好かないね……だがそれでも種族を丸ごと狩り尽くして、その尊厳を冒涜するようなことはしない。なぜおまえたち異世界転生者はそれができる、なぜ平気な顔で他種族を辱められる。罪の意識はないのか?」
「……?いや何を言ってるんだ?俺はエルフ狩りなんてしてないよ?したのは他の異世界転生者。俺は無関係、テレビとか見ないの?女性に優しい紳士!それが七星天のテラケイン!ってCMにも出てるだろ?」
テラケインは、まるで他人事のように、飄々と答えた。その言葉に、レティシアは思わず歯を食いしばった。どこまでも他人事。自分がしたわけではないからという言い訳。例え直接関与していなかろうが、何もせず黙っているのならば、それは黙認に等しい。
こんな連中が、あの東京でトップに君臨している。魔王を倒した英雄として祀り上げられている。
その事実に、レティシアは心底嫌悪感を抱いた。彼らの価値観は、彼女のそれとはあまりにもかけ離れていた。それは、まるで光と闇のように、相容れないものだった。
「まぁお話はあとでゆっくりしようじゃないか、これからたっぷりと時間をかけて……ね」
テラケインは舌なめずりをし、下衆な笑みを浮かべる。
「あぁ、そうだな……じっくり話をしようじゃないか」
レティシアもまた、笑みを返した。しかしそれは親愛のこもったものではなく、むしろ冷たく、鋭い刃のような笑みだった。
「なにを……」
テラケインの言葉は、そこで途切れる。
既に遅かったのだ。レティシアの一撃で、わずかながらもダメージを負っていたこと、そして勝利を確信していた油断。何よりも、この場で警戒すべきはレティシアだけだと、彼は思い込んでいた。
だからこそ、彼は気づかなかった。すぐ背後に、ヴェインが音もなく忍び寄っていたことに。そして、その手に握られているのは───
「がぁぁぁぁぁぁあああッッ!!」
断線した高圧電気ケーブル。それは、ヴェインの手に握られた、禍々しい雷の鞭と化した。凄まじい電流が、ケーブルを通じてテラケインの肉体を駆け巡る。火花が激しく散り、耳をつんざくような雷鳴が轟いた。
「はぁ……はぁ……!」
ヴェインは、全身全霊の力を込めてケーブルをテラケインに押し当て続けた。数分後、ようやくケーブルを離すと、彼の肩で荒い息が弾んだ。普通の人間ならば一瞬で命を奪われるほどの高圧電流。それが数分間も浴びせられれば、テラケインといえど無傷では済まないはずだ。
「や、やってしまっ……た……俺……夢中で……!」
ヴェインは、自分の行動に戸惑い、恐怖に震える声で呟いた。
「ナイスだ、ヴェイン……!急げ、こいつを運ぶぞ!」
レティシアの声が、ヴェインの意識を現実に引き戻した。彼は、言われるがままにテラケインを縛り上げ、車のトランクへと押し込んだ。
全身から力が抜け、ヴェインの足は今にも崩れ落ちそうだった。しかし、それは許されない。まだ、終わってはいないのだから。