世界の英雄と戦う意味、絶望の使者
「御名答。全て見ていたぞ?トイレで魔術具を間抜けに拾い、会議室に仕掛けていたな?お前は何者だ?目的は何だ?」
失敗した。
ヴェインは絶望感で満たされる。異世界転生者たちは皆が、強力なチート能力を有している。凡人のヴェインが現状を打破する手段は、ない。
「あ、あ、あぁ……!」
「そう怯えるなよ、盗聴程度なら執行猶予がつくかもしれんぞ?もっとも……ニューロードの件で何か別の目的があったのなら、話は変わるけどな?」
テラケインの言葉は、静かな水面に投げ込まれた石のように、ヴェインの心に波紋を広げていく。
盗聴はこの東京では当然犯罪行為ではあるが、罪状自体はそこまで重たくはない。ましてやヴェインは前科もなく初犯のため厳重注意と執行猶予により実際の刑罰はかけられなかっただろう。
ただし、その目的がジェネシス……異世界転生者を貶めることが目的ならば話は変わる。
異世界転生者を貶める目的で盗聴・盗撮行為や虚偽の事実を流布した場合、その刑罰は初犯に関係なく多額の罰金と、東京からの追放処分となる。
それは、この世界において終わりを意味する。
到底返せない多額の賠償金を背負わされ、その一生を東京に対する弁済に費やすことになる。さらに、東京から追放されるということは、経済活動のほとんどが東京に集中しているこの世界では、生きていくことさえ困難になることを意味する。
異世界転生者たちは、自分たちの権威を守るため、東京に経済力を集中させた。東京追放という処分は、彼らに逆らう者への見せしめであり、恐怖を植え付けるための手段として膨れ上がってきた。
無論逃げることもできない。異世界転生者は犯罪者を決して逃さない。
「まぁ黙秘するならそれもいいぜ、どのみち心を読める奴がいるんだ、無駄な抵抗って奴よ」
そう、この世界では異世界転生者たちは絶対の存在。
「馬鹿な真似をしたもんだ、恋人のためか?俺たちを恨んで?自白すれば多少は罪は軽くなるぞ?」
テラケインは、ヴェインの抵抗の意志を嘲笑うかのように、言葉を続ける。
それでも、ヴェインは透明状態のテラケインに、そこにいるであろう虚空を睨み、見据えた。
「誰が言うものか、くたばりやがれ、この異人ども!」
許せなかった。ルキナのためにあがいたことを、馬鹿なことだと一蹴されたくなかった。何も無い無能力。この世界において自分は何の価値もないことをヴェインは十分理解している。
それでも、それでも許せなかった。そこを引くわけにはいかなかったのだ。
「そうかよ、だったら望み通り……ッ!」
テラケインの手に力が籠もる。ヴェインが一般人であろうと関係ない。容赦など微塵もなかった。
その時である。突如、店内に響き渡る甲高い轟音。巨大な質量。
「───あ?」
一台の車が、猛スピードで店内に突っ込んできたのだ。それは、まるで怒り狂った獣の突進のようだった。
車は、テラケインを容赦なく撥ね飛ばし、壁に叩きつける。衝突の衝撃は凄まじく、コンクリート製の壁は大きく凹み、無数のヒビが入る。飛び散るガラス片、そして、崩れ落ちる商品。すべてが、一瞬の出来事だった。
呆気にとられたテラケインは、衝撃で壁にめり込み、身動きが取れない。
その車の姿に、ヴェインは見覚えがあった。
「間一髪だなヴェイン!こいつはテラケインか、ジェネシスからずっとつけてたわけだな?この出歯亀野郎め」
車のドアが開き、中から現れたのは、レティシアだった。彼女の長いブロンドヘアは、まるで逆巻く炎のように、激しく揺れている。
「え、ちょっ……なんだそれ!?」
ヴェインはレティシアが助けに来たことの嬉しさよりも、彼女がとった行動に思わず声を上げる。
車の中からレティシアは武器を取り出した。それは機関銃。無数の弾倉カートリッジが既に装填されていて、そのフォルムは一切の遊びはない。
ヴェインも資料でしか見たことがないもの。異世界転生者がもたらした武器。かつて魔術を使うエルフたちを蹂躙したという伝説の武器……!
「見て分かるだろ!騎士に剣と盾はつきものさ!」
「どのへんが剣なんだ!?」
レティシアはためらいなく機関銃の引き金を引いた。
瞬間、轟音は、一瞬にして店内を支配する。咆哮する獣の如く、機関銃は火を噴き、鉛の弾丸を無慈悲に吐き出す。弾丸は、まるで狂乱した蜂の群れの様に、店内を飛び交い、あらゆるものを容赦なく破壊していく。
棚に並べられた菓子や雑誌は、一瞬にして粉々に砕け散り、床に散乱する。冷蔵ケースのガラスは蜘蛛の巣状にひび割れ、中からジュースや牛乳が流れ出す。天井の蛍光灯は、銃弾の衝撃で次々と破壊され、店内を照らしていた光は、断末魔の痙攣のような明滅を繰り返す。
轟音と硝煙、そして破壊の嵐。コンビニエンスストアは、瞬く間に戦場と化す。かつての平穏な空間は、もはや見る影もない。ショートを起こした電線からは、火花が散り、店内を不気味に照らしていた。
「や、やりすぎだ!なんてことしてくれるんだ!!」
ヴェインは、破壊し尽くされた店内の惨状を見て、思わず叫ぶ。
しかし、レティシアは、ヴェインの言葉に耳を貸すことなく、銃を構えたまま、警戒を解かなかった。彼女の鋭い視線は、煙の向こうにいるテラケインの姿を捉えている。
「こいつは驚いた。機関銃を持ち出す連中がいるとはね」
テラケインの声が、静寂を切り裂く。
ヴェインは、言葉を失い、ただ茫然と立ち尽くしていた。
人は、車に撥ねられれば、重傷を負う。機関銃で撃たれれば、命を落とす。それは、この世界における、揺るぎない常識だった。
しかし、テラケインは、平然とそこに立っていた。車に撥ねられ、銃弾を浴びても、彼は、まるで無傷のようだった。
「これが異世界転生者だヴェイン。もっともノーダメージぽいのは私も……ちょっと計算外だけどね」
レティシアの言葉が、ヴェインの耳に届く。異世界転生者。彼らは、チート能力と呼ばれる、人知を超えた力を有している。
「でも!テラケインの能力は透明になれる能力!オールマンみたいな力じゃないはずだ!」
「違うよヴェイン。テラケインのチート能力は、透明になれる能力なんかじゃない。そんなショボい能力は、チート能力とは言わない」
レティシアの言葉に、テラケインは、楽しげに答える。
「ほう、お前、知ってるのか、俺の能力を」
テラケインの言葉は、まるで獲物を弄ぶ捕食者のようだった。彼は、レティシアの言葉に興味を示し、その真意を探ろうとしているようだった。
「奴の本当の能力は肉体を自由に変化させること。あらゆる物質に肉体を変化させる能力。透明化なんておまけだよ」
光を屈折させる物質に肉体を変化させる。これにより、周囲からテラケインの姿はまるで見えなくなる。それが透明化の理屈である。しかし、その本質はあらゆる物質に変化すること。
彼の肉体は頑強な物質に既に変化しており、その身体には傷一つ、つけることができない。
その能力の名を『オールエレメンタリー』。異世界転生者、七星天が一人、万象のテラケイン。それは女神に与えられた彼のチート能力である。
「それでどうする?」
虚空が、囁く。
否、透明化したテラケインが、音も立てずレティシアとの距離を詰めていた。気配を微塵も感じさせぬ、無音の狩人。その恐ろしさは、もはや語るまでもない。
加えて、テラケインの本質は透明化ではない。それはあくまで副産物。テラケインは拳を変容させる。それは、さながら無骨な鈍器であった。その一撃は、巨大な巌をも打ち砕く。
無音の一撃は拳による一撃だった。それはまるで死神の鎌のように鋭く、重い。
「がっ……!!」
放たれた拳がレティシアの腹部にめり込む。とてつもない衝撃音とともに、レティシアの胴体がくの字に曲がる。
それでも懸命に反撃をするが、またもや外れる。
ヒット・アンド・アウェイ。一撃を与えれば即座に距離をとり、また隙を狙い攻撃にうつる。
「はぁ……はぁ……ごほっ……」
吐血。レティシアの口から血が溢れる。
鈍痛。彼女は舌打ちをし距離をとる。反射的に距離を取ったレティシアの判断は正解であった。刹那的に何も見えない空間から、突如砲撃のような追撃が叩き込まれる。店内の陳列棚はその一撃で大きく変形し吹き飛ばされる。
ヴェインは思わず身を屈める。まるで見えない怪物が暴れているかのようだった。
「逃げろヴェインッ!!」
レティシアは叫ぶ。それと同時に神経を集中させる。
彼女は地面を深く観察していた。透明ではあるが存在を消しているわけではない。散乱したガラスや商品、その動きを見れば必然的にテラケインの位置が分かる。
「これ……は……!」
テラケインは能力だけで戦う異世界転生者ではない。その実力は能力を抜きにしても十分な武術家。
ガラス片を頼りに位置を特定しようとするのならば、逆に敢えて踏むことで位置を錯覚させる。反射反応。極限の状況下、この戦闘状況で、人は音のする方向に反応するもの。その反射を利用した特殊な歩行法。
その特殊な歩行法とフェイントを織り交ぜた動きによりレティシアには、無数のテラケインが周囲にいると錯覚するほどだった。
神経研ぎ澄まし、本物を探るが気が付かない。既にテラケインは、レティシアのすぐ近くにいることに。
「ここだぜ、お嬢ちゃん❤」
すぐ隣で、吐息がかかるほど近くから、テラケインの声がする。
「!?」
気づいたときにはもう遅い。再びテラケインの鉄拳がレティシアにヒットする。反撃をしても、その拳は虚空を叩くのみ。
レティシアは絶体絶命だった。血反吐を撒き散らしながら、気力だけで立っている状態だった。
これが異世界転生者と戦うこと。これが七星天の実力。有効打は一撃も未だ与えられておらず無傷。一方こちらは満身創痍。実力の差は明白だった。