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夜の帳が降りた街を、ヴェインとレティシアは並んで歩いていた。煌煌と輝くネオンサインは、昼間のような明るさで街を照らし出し、人々は享楽を求めて、その光に吸い寄せられるように彷徨っている。
「なぁ……さっきの動画をマスコミにでも送りつけたらそれで終わりじゃないか?」
ヴェインの言葉には、当然の疑問が込められていた。ニューロードの悪事を暴くには、あの動画は十分すぎるほどの証拠となるはずだ。
しかし、レティシアは静かに首を振る。
「あれだけじゃあ弱い」
「そうなのか?十分すぎるくらいの動画じゃないか」
「ジェネシスに所属する異世界転生者たちを中々告発できない理由……明白なんだ、周りを見てみるといい」
レティシアの言葉に促され、ヴェインは周囲を見渡す。視界いっぱいに広がる夜景は、まるで宝石を散りばめたような煌びやかさで、人々の目を奪う。その中で、ひときわ目を引くのは、街の至る所に設置された巨大モニターだ。そこには、様々な異世界転生者たちが登場し、企業のCMや商品の宣伝に起用されていた。
彼らは、まさにこの世界の寵児であり、人々の憧れの的だった。その影響力は絶大で、彼らの言葉は、人々の心を簡単に動かす力を持っていた。
ヴェインは、レティシアの言葉の意味を理解した。異世界転生者たちは、単なる英雄ではなく、巨大な権力と結びついた、この世界の支配者だったのだ。
彼らは間違いなくこの世界の中心だった。そしてその悪事を暴くには、並大抵の証拠では足りなかった。
「一番の理由は金になるからだ。だから誰も彼らを叩こうとしない。小さな声は握りつぶす」
レティシアの言葉は、冷酷な現実を突きつける。金、それはこの世界を支配する絶対的な力であり、正義や倫理さえも容易く捻じ曲げてしまう。
「そんなのって……だったらやり放題じゃないか」
ヴェインの言葉に、レティシアは静かに頷く。
「だから、私は君に声をかけたんだよ。金の問題では済まない、彼らにとって致命的な情報を得るために」
彼女は、意味深な笑みを浮かべる。その表情は、月明かりに照らされ、妖艶な輝きを放っていた。
「そうさ、今宵始めるんだ、私たちで……異世界転生者、英雄潰しをね」
その言葉は、静かな夜空に響き渡る。それは、復讐の序章を告げる、宣言のようでもあった。
月が美しく輝く夜。その光は、レティシアの姿を妖しく照らし出す。ヴェインの目に映る彼女は、まるで、まるで……闇夜に舞う悪魔のようだった。
◇
そびえ立つジェネシスのビル。その威容を前に、ヴェインは静かに息を呑んだ。冷たいコンクリートの肌触り、規則正しく並ぶ窓の灯り、すべてが非人間的なまでの秩序を感じさせる。
『やることは簡単、この装置をジェネシスの会議室に仕掛けるんだ』
レティシアの言葉が、ヴェインの脳裏に蘇る。彼女から渡されたのは、掌に収まるほどの小さな道具。裏側には粘着シールが貼られており、一見するとただのシールに見える。しかし、これは魔術具と呼ばれる特殊な装置で、周囲の情報を記録し、発信する機能を備えている。
装置を中心に、状況や音声はすべて傍受され、使用者のもとへと届けられる。しかも、特殊な技術によって作られているため、探知されることはほとんどないという。
ビルに入ろうとすると、屈強な体格の警備員が、鋭い視線をヴェインに向ける。最新鋭のセキュリティシステムで守られたこのビルに入るには、職員証に埋め込まれたIDをゲートに通す必要がある。ゲストとして入る場合は、警備員からゲスト用のIDを受け取らなければならない。
ヴェインは、心臓が高鳴るのを抑えながら、警備員へと近づいていった。
「あの、ヴェインと言います。電話で話をしたニューロードの件についてと伝えてもらえれば……」
この日、ヴェインは以前彼にルキナの事故死についてジェネシスに雇われた弁護士に連絡をとり、会う約束をしていた。
ただしその時に条件を一つ提示したのだ。それは『ニューロードに直接謝罪してもらいたい』ということ。ニューロードは人気者で大衆の場で面会するのは困難であることから、ジェネシスのビル内で待ち合わせることになった。
これでヴェインは自然に中に侵入することができ、魔術具を仕掛けることができる。
全てはレティシアの計画どおりだった。
「理解してもらえて何よりです、おつらい判断だったでしょう?」
「いえ、冷静に考えてみたらやっぱり2000万円なんて大金は凄く助かります、ほら俺あまり裕福じゃなくて、その、それだけたくさん貰えるのはやっぱり嬉しいです」
ヴェインは、レティシアに指示された通り、金に目が眩んだ男を演じる。心にもない言葉を発するせいか、彼の言葉はどこかぎこちなく、早口になっていく。
「……なるほど?」
ロビンは、ヴェインの言葉に、わずかに眉をひそめた。彼の様子は、どこか不自然で、弁護士の鋭い感覚に、わずかな違和感を与えたのかもしれない。
「ニューロードさんは多忙ですので、こちら会議室でお待ちください」
ロビンに促され、ヴェインはビルの奥へと案内される。そこは、普段、ジェネシスの幹部たちが重要な会議を行うための部屋だった。重厚な扉を開けると、広々とした空間に、大きなテーブルと椅子が配置されている。壁には、ジェネシスの理念を掲げた額縁が飾られ、重々しい雰囲気が漂っていた。
「あ、あの!!」
ヴェインは、意を決してロビンに声をかけた。しかし、緊張のあまり声が裏返ってしまう。突然の呼びかけに、ロビンは少し驚いた様子を見せた。
『次に会議室に通されたらトイレに行け。粘着シールを剥がしてゴミはトイレに流せば良い』
レティシアの指示が、ヴェインの脳裏に響く。魔術具は、一度設置するために粘着シールを剥がす必要がある。その作業を誰にも見られることなく行わなければならない。
「と、トイレに行きたいんですけど」
ヴェインは、とっさにそう口にした。
「あぁ……ここを出て向かって左です」
ロビンは、神妙な面持ちでトイレの場所を教え、部屋を出ていった。
ヴェインは、指示通りトイレへと向かう。個室に入り、鍵をかける。薄暗い空間の中で、彼はレティシアから渡された魔術具をそっと取り出した。
「ここまでは順調……あとは」
魔術具をテーブルの下に仕掛けるだけ。だが、緊張のあまり、シールがなかなか剥がれない。焦燥感が、ヴェインの心を締め付ける。
『無理だな!怯え震え無様をさらすお前のような小僧が!何かを成し遂げるなんてな!』
突如、脳裏に魔王フィアレスの幻影が浮かび上がり、ヴェインを嘲笑う。それは、彼の心の弱さを突く、悪魔の囁きだった。
「うるさい消えろ!あっ!」
ヴェインは、幻影を振り払おうと手を振り回し、その拍子に、魔術具を落としてしまった。
カラカラカラ――。
床を転がる魔術具は、個室の外へと飛び出していく。
それと同時に、トイレの扉が開く音が聞こえた。何者かが、トイレに入ってきたのだ。
ヴェインの心臓は、激しく鼓動を打つ。もし、魔術具が見つかってしまったら……?
『魔術具を仕掛けるって……バレたらどうなるんだ?』
『そりゃ目的を聞かれるだろうね、君は動機も普通にあるし刑務所送りかなぁ?ハハハ!まぁ大丈夫、よほどヘマでもしない限りいけるさ』
レティシアの言葉が、皮肉なまでに蘇る。あの時、彼女は他人事のように笑っていた。
よほどのヘマ、まさしく今、しでかしたことである。ヴェインは自己嫌悪した。いつもこうだった、肝心なところで失敗をして、この東京でもろくに仕事にはありつけなかった。
「ふんふん~♪」
個室の扉の向こう側から上機嫌な鼻歌が聞こえる。まだ魔術具には気がついていないようだった。そのまま気が付かないでほしいと、ただ神に祈る。
「ふぅ~さて……と」
洗面台から水が流れる音がする。しばらくするとその音も止んで、トイレは再び静寂に包まれた。
ゆっくりとトイレの戸を開ける。周りに誰もいないことを確認し、慌てて落とした魔術具を拾い上げた。
「良しっ……」
安堵したヴェインは魔術具をポケットにしまい、トイレを後にした。
◇
───静寂が支配するトイレ。水滴が落ちる音だけが、虚ろに響き渡る。
その時だった。
まるで、空間から生まれたように、一人の男が姿を現した。そこにいるはずのない男が、まるで最初からそこにいたかのように、自然に佇んでいる。
「…………おやおや?」
男は、不敵な笑みを浮かべながら、呟いた。それは、獲物を捉えた獣の、残酷な笑みだった。
七星天、テラケイン。彼のチート能力は、透明化。周囲の風景に溶け込み、誰にも気づかれることなく、その場に存在することができる。
ヴェインの行動は、すべてテラケインの目に映っていた。彼が魔術具を落とし、慌てる様子、そして、再びそれを拾い上げる姿まで。
ヴェインは、自分が監視されていたことに、全く気づいていなかった───。