殺戮狂騒
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魔法とは、大気中のマナを利用して、マナのルールを変えて自在に行使する術である。それは才能あるものでしか使えず、魔術に秀でたエルフの中でも千年以上生きたものがようやくその初歩に触れられるほどの奇跡。
侵食結界魔法とは、その魔法を応用したものである。マナのルールを変える。その定義を拡大解釈し、結界を作った上で、その結界内で独自のルールを生み出す。
魔法の中でも、最高峰に位置するものである。
「全軍ッ!!被害状況を報告せよ!!」
結界内は地獄と化していた。
佐々木幻朧斎が此度、行使した侵食結界魔法・水天煉獄曼珠沙華は、その結界内を氷点下の氷獄へと化す。灼熱の炎天下だったこのアイドルコンサート会場一帯は、今や生き物全てを凍結させる死の世界となっていた。
最初に被害が出たのは当然、一般観客たち。何人かは結界に巻き込まれ凍傷、凍死した。
「問題ありません!この程度の氷点下ならば亜人の我々、耐えられます!」
一方皮肉にも、亜人解放戦線の被害はゼロ。彼らは人間と違い環境変化に強い。
「しかし……いくら異世界転生者とはいえ、人間が侵食結界魔法を使うなど、これが七星天ということですか」
獣人の一人がそう呟く。そんな話は前代未聞のことだからだ。
彼ら亜人解放戦線のリーダー「リジェ」は人間を侮ってはいなかった。だがしかし、魔法という奇跡を、しかもその上澄みである侵食結界魔法を使うなどとは完全に想定外だった。
「幸いなのは、気温を下げるというルールだけということだ、ならばいける。極寒は動きを鈍らせるが、それは向こうも同じことだ」
侵食結界魔法は術者独自のルールを押し付けることが真髄である。
リジェは水天煉獄曼珠沙華という魔法の真髄は氷点下の世界に閉じ込め、敵を凍死させるものだと判断した。
事実、人間の何人かは凍死した。亜人の彼らとて防護魔術を使わなければ十数分で凍死するだろう。それはそれで恐ろしい魔法。
「だが!これが切り札ならばいけるぞ皆のもの!今こそ七星天!佐々木幻朧斎を討つのだ!我らが怨敵を討つのだ!そして取り戻せ!妻を!子を!!」
その叫び声とともに、彼らは一斉に咆哮する。まるで大気が揺れるようだった。そう、彼らは皆、人間に妻や子を攫われたものたち。今もなお、奴隷として辱めを受けている愛しきものを取り戻すために、立ち上がったものなのだ。
彼らの士気は最高潮に上がっていた。彼らの士気の高揚には理由がある。
亜人狩り、その筆頭に立ち、積極的に狩り続けた異世界転生者、それこそが七星天の佐々木幻朧斎なのだから。
「シア……これって」
別の場所でレティシアたちは同様に結界内で混乱に巻き込まれていた。スクルドはこの異変に疑念を感じていた。侵食結界魔法。一見すると確かにそのように見える。
だがスクルドもレティシアも、本物の侵食結界魔法を知っている。それに比べると、この結界は何かがおかしいという違和感をスクルドは覚えていたのだ。
「あぁ、これは侵食結界魔法じゃない。類似した何かだ」
その答えを、あっさりと"現存"する魔法使いであるレティシアは、そう断言した。
「そして、追加されたルールは結界内を氷点下にするだけじゃない、油断するなスクルド……これは間違いなく七星天のチート能力だ」
そう、そしてその能力は、単純に氷点下にするだけのものではないと看過した。
七星天の一人、佐々木幻朧斎。その力は空間を氷点下にするだけに留まるものではないと、断言した。
◇
亜人解放戦線は叫びながら一直線に佐々木の方へと突き進む。それはさながら嵐の進軍のようだった。凄まじい闘気は、氷点下の世界とは思わせないほどに強い熱量で、周囲を圧倒する。
「寒い……寒いのだ……あぁ……」
対して佐々木は虚ろな目で天を仰ぐ。それは諦めによるものか、否、違うのだ。
氷点下の世界で、凍てついた世界の中で、白い、小さな粒が、はらりと落ちてくる。それはまるで雪のようだが、淡い光を放っていて、まるで幻想的な景色を思わせた。
白い粒が地面に降り注ぐ。亜人たちはそれを気にもとめず突き進んだ。
「咲き誇れ、我が華園」
その言葉が合図のように、一斉に花が咲き誇る。青い曼珠沙華だった。ガラス細工のように透明で、氷で出来ているような繊細な曼珠沙華が一面に咲き誇り、花園が生まれる。
その幻想的な美しさに亜人たちは一瞬心奪われ足を止める。
「なんだ……これは、この結界のルールは氷点下ではないのか?」
氷点下で曼珠沙華は咲かない。その異様な光景。美しさの裏に潜む矛盾した景色。言いようもない恐怖。
「関係ないだろ!一番槍は俺がもらうぜ!!」
先発隊のエルフの男が一人、意気揚々と飛び出す。その次の瞬間だった。
「妻は返して……あ……え……?」
エルフの男に無数の槍が突き刺さっていた。傍らには、どこからともなく現れた槍をもった兵士たちがいた。倒れたエルフの男をトドメといわんばかりに槍で滅多刺しにする。
「な、なんだよこいつら、どこから湧いて出やがった!?」
突然の来訪者に亜人たちは戸惑いを隠せなかった。兵士たちはどれも一流の武芸者であることが目に見えて分かった。迂闊に近づけば殺されると本能で理解した。
「ひ、ひぃぃ!な、なんだよこれ!?どうなってんだ!!?」
周囲を見渡した獣人の男が恐怖を露わにする。それに釣られて先発隊のメンバーは周囲を見る。
彼らは、その光景に絶望した。
彼らの周囲を数百、数千の軍勢が取り囲んでいた。いつの間にか包囲されていたのだ。
「ふ、ふざけるなッ!なんなんだよおまボゴッ!!」
突然の乱入者に文句を言い出そうとしたドワーフの男の顔面に矢が突き刺さる。脳天を貫かれ即死していた。
それが合図となったのか、無数の軍勢が先発隊に一斉に襲いかかる。
咆哮は、悲鳴へと変わった。虐殺の始まりだった。
「…………なん……だと……」
後方に控える本隊は、その様子を遠くで見ていた。先発隊は幸福だったのかもしれない。彼らは突如現れた乱入者に不覚を取っただけのこと。きっと後ろの本隊が自分たちの仇をとってくれると、希望を託して死ぬことが出来たのだから。
だが、それは違う。
本隊が見た景色は絶望でしかなかった。彼らの眼前には無数の軍勢が広がっていた。
先発隊を襲ったのはその一部隊。眼前に地平を覆い尽くさんとばかりにいる者たち。その先はまるで見えない。
その数は数万人、否、十万人を超えるかもしれない大部隊。
だが、それでも、それでも亜人解放戦線もまた数万人の軍勢。一人がニ、三人を倒せば何とかなるかもしれない。
そんな淡い期待を、蹴散らすような、残酷な事実が、彼らの前には立ちはだかっていた。
「こいつら全員……異世界転生者だ……」
そう、敵はただの軍勢ではない。全員が異世界転生者。全員がチート能力持ち。
対してこちらは亜人の兵隊。チート能力など、当然持ってはいない。
絶望の音が、彼らの背後から這い寄ってくる。気が狂いそうな、絶望。ここは死地。狂乱響き渡る極寒地獄。
彼らに救いは───ない。




