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枯魚之肆

 スポットライトを浴びて、凛子は歌い始めた。その歌声は、まるで天から降り注ぐ天使の歌声のように、清らかで、そして力強かった。歌詞の一つ一つが、観客の心に深く染み渡り、感情を揺さぶる。


 歌声に合わせて、凛子の身体が軽やかに動き出す。そのダンスは無邪気で、そして可愛らしい。指先まで神経の行き届いた繊細な動きは、観客たちの心を優しくくすぐる。

 時に見せる、はにかんだ笑顔や、いたずらっぽい仕草は、彼女の持つ天真爛漫な魅力をさらに引き立てていた。


 彼女の歌とダンスは、まるで魔法のようだった。観客たちは、そのパフォーマンスに心を奪われていた。会場全体が、彼女に酔いしれ、一体感に包まれていく。熱狂の渦は、ピークへと到達しようとしていた。


 そして、その様子をヴェインは最前列で観ていた。

 それはまるで、ヴェインのために用意されたかのような特等席。ステージ上、スポットライトを一身に浴びる凛子は、まるでヴェインだけに向けて歌い、踊っているかのようだった。時折ヴェインに向ける視線、その愛らしい仕草、一挙手一投足が、彼の心を鷲掴みにしていた。


 「こんなにも、誰かを惹きつけることができるのか……」


 ヴェインは息を呑んだ。ステージ上の凛子は、今まで彼が知っているプライベートの凛子と重なり、より相乗的に魅力を感じさせるものだった。それは、計算し尽くされた完璧なショーではなく、彼女の心の奥底から溢れ出る、純粋な輝きだった。

 ついこの間、隣で夢を語っていた彼女が今、こうして目の前で、その夢を形にしたかのように披露している。そのギャップが、ヴェインの心を掴む。

 歌声は、まるで小鳥のさえずりのように、彼の心を優しく包み込む。ダンスは、春のそよ風のように、彼の心を軽やかに揺らす。その一挙手一投足に、ヴェインは目を離すことができなかった。


 「こんなにも、眩しい存在だったのか……」


 ヴェインの胸の高鳴りは、止まらなかった。それは、これまで感じたことのない、不思議な感情だった。凛子の無邪気な笑顔、歌声、ダンス。すべてが、彼の心に深く刻まれていく。


 「もしかしたら、これは……」


 ヴェインは、自分の心の変化に気づき始めた。それは、凛子への憧れ、尊敬、あるいは……。


 『ハハハハハ!!面白いことになるぞ小僧!!』


 「……!」


 不意に脳裏を劈く、魔王フィアレスの哄笑。凛子のステージに心奪われていたヴェインは、現実に引き戻された。

 それと同時に、けたたましいサイレンの音が鳴り響く。何かが、外で起きたのだ。音楽が止まり、ざわめきが会場を満たしていく。

 騒ぎ出す観客たちの中、警備員たちは落ち着くように注意する。


 「君!凛子ちゃんの専属なんだろう!早くステージに上がって凛子ちゃんを頼む!」


 同僚の警備員に言われヴェインはハッとする。明らかな異常事態。確かに今、自分がすべきことは凛子のもとに向かうことだと気がつく。

 ヴェインは慌ててステージに這い上がるようにのぼる。そして凛子のもとへと駆け出した。


 「ごめん凛子さん!駆けつけるのが……」


 その時の凛子は、明らかに不機嫌な表情を浮かべていた。遠くを見ていた。まるで、外で何が起きているのか分かっているかのように。

 その姿に、ヴェインは言葉を失う。つい先ほどまで、ステージ上で愛らしい笑顔を振りまいていた彼女とは、まるで別人のようだった。そのギャップに、少し恐ろしさを感じさせた。


 「みんな落ち着いて!」


 凛子はマイクを手に叫んだ。観客のどよめきが静まり返る。


 「今日、私のステージを楽しみにしてくれてた人……本当にごめんなさい、でもどうかスタッフの皆さんに従ってください!ファンのみんなが怪我をするのが……私は一番つらいから!!」


 涙ぐんだ声だった。その一言がパニック寸前の観客たちを一気に冷静にさせる。スタッフの誘導に従い、観客たちは大人しく移動を始めた。


 「ヴェインも、ごめんね?本当に腹が立つ、私のステージを台無しにするなんて」


 凛子は上目遣いに、ヴェインに向かって謝罪の言葉を口にした。その瞳には、悔しさと怒りが入り混じっていた。


 「い、いや……俺のことは良いよ」


 彼女の怒りは、純粋にアイドルとしてのステージを何者かに邪魔されたもの。そういうことならば納得だと、ヴェインは思った。

 そんな彼女の健気な努力をあざ笑うかのように、轟音が会場を揺るがした。爆発音と共に、観客席から悲鳴が上がる。


 「我々は亜人解放戦線! 此度は我が同胞を救うために、やってきた! 卑劣外道の異世界人どもめ!! 天罰を下す時だ!!」


 拡声器を通して響き渡る男の怒号。それは、会場全体を恐怖で満たし、平和な空気を一瞬にして凍りつかせた。

 亜人とは、この世界に本来いた人種の中で、人間と呼ばれる種族以外を指す。この世界にはエルフ、ドワーフ、獣人……彼らは異世界転生者がこの世界にやってきてからは、不当な扱いを受けていた。優れた容姿を持つものは売春者として、優れた筋力を持つものは労働力として、人権など存在しなかった。

 当然、彼らは抵抗したものの、異世界転生者のチート能力には敵わず、攫われて奴隷として扱われるのだ。

 そんな同胞たちを救うために立ち上がったのが、亜人解放戦線である。


 「どういうことだ……連中なんでアイドルコンサートなんて襲うんだ!?」


 ヴェインは困惑でしかなかった。彼らの目的を考えると、アイドルコンサート会場を襲撃する理由などないからだ。


 「わかんない……とりあえずジェネシスに連絡しないと!」


 凛子も事情を分かっていないのか、ヴェインを引っ張り控室へと向かう。

 その時、ヴェインは見た。会場の外に広がる、その恐ろしい景色を。


 「凛子……さん……嘘……だよな……?」


 震える指先でその先を指し示す。凛子はヴェインの様子がおかしいことに気がついたのか、ヴェインの視線の先に目を向けた。

 今、ヴェインたちがいるのは会場の上層階。そこはこのコンサート会場周辺を見渡せる位置であった。

 凛子もまた絶句した。事態の異常性を理解した。

 

 眼下に広がるのは、無数の武装した亜人たち。その数は数万人。このアイドルコンサートの観客に匹敵する、大軍勢だった。


 彼らは、戦争を仕掛けるような次元で、この会場を襲ってきたのだ。

 奥には次元の歪みが見える。転送魔法だった。魔法使いが使う、離れた場所に移動できる奇跡。

 亜人連合の中には"魔法使い"もいることを意味していた。奥にはエルフ、ドワーフ、獣人だけではない。巨人種のオーガ、妖精種のトロールも含まれていた。まさに総力戦、彼らは全戦力をここにぶつけてきたのかと思わせるくらいの圧倒的兵力だった。


 「連中……何を考えてるの……!?」


 凛子は完全に事態を理解していなかった。同時に危機を感じていた。彼女のチート能力である『オールフィクション』は乱戦にはあまり向いていない。数万人を相手する場合、犠牲者は確実に出る。

 あの数に対応できるのは『オールマイティ』のオールマンか『オールオアナッシング』のニューロード、あるいは……


 「来たれ、来たれ」


 それは、老いた枯れ木のような男だった。

 細く皺だらけの四肢は今にも折れそうなほどに脆く、身にまとう外套は乞食のようにみすぼらしい。掠れた喉から響く声は乾いた風のよう。


 「この手には……ただ一つの華が握られていた」


 その男は、ただそこに立ち、一本の杖だけを頼りに立っていた。


 「佐々木さん!やめて!!」


 凛子は叫ぶ。コンサート会場の、目立つ位置に佇む老齢の男に向けて、この世の終わりのように懸命に。


 「枯れ果てた地……無窮の戦場、死せる魂」


 佐々木は何かを呟いていた。そのとき、人々は違和感を感じ始める。それは些細なことだった。何かがおかしいのかも分からないほどに。


 「幾千の戦を越え、幾千の理想郷求め、されど、儚き夢は露と消え、執着は空に帰す」


 佐々木はつぶやき続ける。まるで地獄の底からこぼれ落ちる呪詛のように。

 亜人たちもまた、何かがおかしいことに気がつく。


 「おい見ろ!あそこにいるのは……七星天の一人、佐々木幻朧斎だ!」


 亜人の一人がついに気がつく。コンサート会場の高い位置で一人佇む、老人の姿を。そして異変に気がつく。待機中のマナがおかしな挙動をしていることに。まるで、まるで何かを恐れているかのように。

 ひんやりとした空気が、流れ込む。

 灼熱の炎天下のはずだというのに。


 「清浄なる水天すら、穢れに染まり、腐れ、落ちる。我が無明の業は、世界を染める」


 亜人たちの中でも、特に感受性の高いものが、魔術師の一人が、気がついた。この正体に。この異変の正体に。

 佐々木が紡ぐ言の葉のしるべは、いつしか現実となり、その願いはやがて形となる。それは、星に響き渡る破滅の標。


 「侵食結界魔法だ!!全員ッッ!!対抗魔術準備ッッッ!!」


 亜人たちは、既に遅かった。詠唱は紡がれ、全ては完成していた。


 「来たれ、水天煉獄曼珠沙華すいてんれんごくまんじゅしゃげ


 それは、終わりを告げる、死神の言葉のように、この世界に響き渡る。

 瞬間、世界は地獄と化した。氷獄の地獄へと。

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